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自分みたいに意志薄弱で、それでいて、人並みの幸せを願う場合、多くを見なかったことにして省略し、鳴りを潜め、一端に普通の人間のふりをし、普通の人間の凶暴性に耐えながら、勇気を振り絞って対抗し、今の存在を維持を試み、何とか社会の底辺でしがみついて生きてる人間です。もはや、神様に祈って、無事生きれることを願うしかない存在もいる事をどう思いますか。

A 回答 (5件)

そう言う人は普通にいると思いますので、どうも思いませんが。


 たいてい人間は意志薄弱です。
楽なほうへ行くのは人間の性です。偉人と言われる人だって、初めから偉人だったのではない。弱い自分を鞭打ち、鞭打って、惰性を乗り越え、人生に勝ったのです。
 人生は自分との戦いです。進歩と退歩との戦いです。幸福と不幸との戦いです。
 適当に、普通に、そこそこに、ではなく
スポーツでも何でも、全力投球すれば自分の本当の力が出ます、少々の欠点など隠れてしまします
 “やりきった”と自分が満足できるまでやる性格さえ身に付けば、やがて頭角をあらわすものです。
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ふーん。



と、思った。
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そのような状況にある人々が存在することを非常に残念に思います。

社会の底辺に置かれた人々が直面する困難や苦しみは、私たちが想像する以上に深刻なものであると思います。そのような状況に陥っている人々にとって、生きること自体が大変な試練であることは間違いありません。

ただし、自分の生き方を省みることは、常に重要です。自分がどうしたいのか、どのような人生を送りたいのかを考え、自分自身が納得する生き方を模索することは、自分自身を受け入れる第一歩だと思います。また、必ずしも社会の底辺に置かれていることが、その人自身の価値を減じるということではないものです。

神様に祈ることが、その人自身の心の支えになることもあるかもしれませんが、同時に、自分自身の力で生きることを模索することも、大切だと思います。自分が望む人生を生きるために、何が必要なのか、一歩ずつ考え、実践していくことが、自分自身を取り戻す第一歩だと思います。
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自分もそうです、

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ド底辺過ぎてそんなことも考える余裕もない人がいます。


それに比べたらあなたは幾分マシな方です。
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