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大坂の陣では西国の大名が豊臣に加勢しなかったのは秀忠に起請文をだしたのが因だと聞きました。
起請文は所詮、紙ですからそれほどの価値はないと思うのですが。
みなさんはこの信憑性をどう思いますか?

A 回答 (4件)

大坂の陣では、豊臣必敗が確実でしたから、大勢の家臣を養わなければならない大名は責任ある行動をとり勝ち馬に乗ったのです。


起請文云々以前に豊臣家は恩顧大名からも見捨てられたのです。
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毛利家などは、いちおう徳川側について、裏でこっそり豊臣側に兵糧を送ってたりします。

100パーセント徳川ではなく、7対3ぐらいで、豊臣側にも肩入れしてたでしょう。
徳川側の勢力が圧倒的ですから、逆らえません。でも、起請文だけなら、状況しだいで反古にできます。
徳川側は家康の存在が巨大すぎるが、なにぶん高齢。もし土壇場で家康が病死でもしたら、秀忠では天下が治まらないでしょう。今の大河ドラマの三方ヶ原直後の武田信玄と同じパターンになることも、みんな考えてたでしょうね。
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豊臣に加勢しなかった訳じゃない。


石田三成一派や、総大将となった毛利輝元に加勢しなかった西国大名もいたという話でしょう。全部が全部ではない。

そもそも淀殿と豊臣秀頼は中立で、あの戦いは、毛利輝元・石田三成vs徳川の私闘という立場だったはずです。
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大坂の陣において、西国の大名が豊臣に加勢しなかった理由は、史料によって解釈が分かれていますが、起請文が原因とする説がある一方で、別の説によると、西国大名は織田信長や豊臣秀吉によって長年強いられた支配に反発し、豊臣氏を見捨てたというものもあります。

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