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例えば「病は気から」「この宇宙は幾つも存在する」とか、

医学のことをよく勉強した結果「病は気から」という結論を出すことと、
「病は気から」を素直に受け止めて、特に勉強しなくてもそういう結論を信じること。

「この宇宙は幾つも存在する」を科学的に勉強してそう結論づけることと、
素人が想像でそういう結論を導くこと。

どっちが大事だと思いますか?

勿論、後者は「感覚的な結論づけ」なので「論理的思考」はありません。
けれど、1つ1つを勉強して達観するには時間がかかります。

同じ結論に至っても経過って大事ですか?

A 回答 (14件中1~10件)

オマケ


理性と感性夫々の役割
本能に直結している感性が答えを出す
感性で出した答えを理性が検討するです
よって感性・理性どちらも必要で自覚するしないは別にして誰でもしていることです
それを踏まえると
感覚的な結論を理論的思考で検討するとなります。つまり感覚的結論と理論的思考は互いに連携関係にあるということですから感覚的な結論付けと理論的思考を分けるべきではないですね
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

なるほど。

お礼日時:2023/06/11 15:03

こんにちは、



その先へ進むためには
経過がとても重要です、

私たちは日常生活で、
常識として素直に信じて
いることもでも

研究によって覆されることもありますよね、

深く掘り下げて勉強してくださっている方々が
新しい発見をして、
エビデンスを作成し、
新常識として、
提供してくれます。

時間は有限なので
1つのことに絞り混んで
深く勉強するのも、
素晴らしいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/06/11 15:05

人生はひとつ。

時間は有限ですから、すべてを自分自身で論理的に検証することは不可能です。

であれば、自分自身としては、自分の専門を論理的に検証し、後は感覚的に正しいか正しくないかを判断する。

専門家の見解も意見が分かれることもありますし、後に新事実が発見されて定説が覆ることもよくありますので、必ずしもすべての結論を信じることはありませんし、諸説ある中で何を信じるかは感覚的に選択しても良いでしょう。

大抵の人はそうやって人生を送っているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おっしゃる通りかと思いまする。

お礼日時:2023/06/11 15:05

少なくとも今の世の中においては、どちらも大事でしょう。



理由は他の人とも似たり寄ったりなのであえて書きませんが。

私の想像でいうと、人の身体や脳は生きているだけでも日々様々な情報を受け取っていたりするものですが、直感的な情報って、恐らくはその多くが真実であり、ただ問題としてそれらを意識上に持ってきて理論付けるためには情報量が大きすぎるため、細分化する過程で、全体性が見失われてしまいやすいだけなのではないかと思います。

例えば夢を見ても多くは直ぐに、または時間と共に忘れますが、その大部分を忘れるからこそ、一部を覚えてられる、または思い出せるともいえますし、それを取り出し分析しやすくなるのではないかも思うのです。

つまりワーキングメモリの大きさ等の関係で、自然界や宇宙等の真実を直感的に知っていたとしても、それを小さくかみ砕かなければ頭で認識できないため、分析・理論化するわけであって、逆にそれを統合できるほどの頭を持つ人がごく少数しかいないため、そういう人がいたとしても理解されないか、直感的でアバウトな説明に終始するのではないかとも思うのです。

そういえば数学なんかにも、論理・集合や次元などといった概念がありましたよね、、、。

みんなどこかで一度は考えたことがあるはずですが、人は何かを経験し学び成長する生き物ではなく、何かを経験し学ぶ過程で、もともと知っていたことを思い出しているのではないか?という考え方がありますよね。


もう眠たいため寝ます、、、。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

真夜中に感謝よ。

お礼日時:2023/06/11 15:04

この宇宙の物理法則とこの宇宙以外の宇宙のです物理法則が合致する可能性は0でありません


つまり偶然同じ物理法則の宇宙が誕生しうると言うことです 
因みに
米国の理論物理学者であるミチオ・カク氏等多くの物理学の研究者が「神」の存在を肯定しています 
但し多くの物理学の研究者が肯定している神は一般の人達が抱いている神とは違います
多くの物理学の研究者が肯定している神とは物理法則のことです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうなんですか。
神=物理法則、、、なるほど。

本当に不思議や。

お礼日時:2023/06/11 15:04

はっきり言って結論は結果であり、あればそれはそれでいいですが、必ずしも必要ではありません。

常に何者かに向かって自身を研鑽する姿勢を継続する以外に、人の道はありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/06/11 15:03

大事です。



1,結論が正しいことの担保になるからです。
  一億回繰り返したけど、同じ結果になった。
  でも、一億と一回目は違う結果になるかも
  しれない。

  一億一回目も同じになることの担保が
  経過です。


2,経過があることにより、その経過から
 色々な知識、技術、真理が誕生することが
 あります。



後者は「感覚的な結論づけ」なので「論理的思考」はありません。
けれど、1つ1つを勉強して達観するには時間がかかります。
 ↑
素人は結論重視で良いと思います。
しかし、専門家は結論以上に経過が
重要になるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>素人は結論重視で良いと思います。
しかし、専門家は結論以上に経過が
重要になるでしょう。

そうですね。

お礼日時:2023/06/10 21:41

感覚で目的を把握して、論理的な道筋によってその目的に到達すると言う感じなのかなと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
まず感覚で想像力を膨らませ「仮定」を立てるってのは大事でしょうね。
そしてその想像力を膨らませるにあたり、土台となる教養・経験・知識というのが精度を上げると思われます。

例えば学者がマルチバース論を話すのと、素人がマルチバース論を話しても
後者は論理的な説明ができないですからね。※もっとも前者の説明も素人にはチンプンカンプンでしょうが。

お礼日時:2023/06/10 21:40

オマケ


地球は実際丸くはありません
どちらかと言えば洋梨型です
というのも海洋エリアにおいては自転で生じた遠心力によって海面が膨らむからです
それはそれとして地球が丸くなったその物理的理由は地球自身の重力が地球自身に均等にかかるからです
これは無重力においては水の塊が必ず丸くなること同じ物理現象です
地球が太陽の周りを公転しているその物理的理由
地球が太陽の重力によって生じた歪んだ空間上に存在している
地球の公転速度が太陽の重力を振り切る程速くはない
逆太陽に落ち込むほど遅くない
です
オマケその2
現代物理は一般の人の想像を遥かに超えた領域に達しています
つまり物理を学んで理解したほうが想像力がますということです
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
ええ、厳密には丸くないのは存じ上げてます。

>現代物理は一般の人の想像を遥かに超えた領域に達しています
つまり物理を学んで理解したほうが想像力がますということです

⇒確かにそうでしょうね。
前提にある最低限の知識がない人による想像力と科学的教養がある人による想像力では、想像の幅が違いますよね。

以前、聞いた話では科学者は探求すればするほど、この宇宙は「自然」というより何か神のような存在を感じると聞いたことがあります。

例えばこの宇宙(または数多くの他の宇宙)が本当に「自然」のもとで形成されたのであれば、我々が住む宇宙以外の他の宇宙では、我々が住む宇宙の物理法則が通用しない可能性があります。

 自然という物が偶然の産物で出来上がるものであるならば、別の宇宙でも同じ結果(同じ物理法則ができる)になる可能性は無理があります。

いやいや、別の宇宙でも同じ法則が存在するならば、それこそ「自然」というよりは「必然」だと思うのです。ということはやはり創造主が居るというのは納得がいきます。

お礼日時:2023/06/10 21:38

良い視点です。



あなたの指摘されるように「論理的思考」と「感情的思考(感覚、勘)」の問題かと思いますが、経験則で言わせてもらえば、「同じ」「結局は感覚、勘に左右される」と言えます。

例えば、質門者様は比較的論理的思考ができる方か?と推察しますが以下のことについてどう考えるか?

①「体罰は2020年に禁止になりました」
https://shakaidekosodate.com/archives/3565

これ9割5分以上が何も「違和感」を感じず、素直に信じてしまいます。

しかし、よく間違えている意見は
②「体罰は2019年以前は違法ではなかった」「子供を叩くのは体罰だからよくない(違法だ、虐待だ)」という意見です。

ですが、現実は2019年以前も体罰は違法ですし、子供を叩いてしつけをすることは違法ではありません。(いってる意味わかります?)

証明できるのですがたぶん文字数が足りなくなるので省略します。
とりあえず、現実には私の主張が正しいと仮定して聞いてください。


まず、大抵は②の主張を聞き、その根拠として②の主張者なりが①を出します。
圧倒的大多数の人間はこれに「違和感」を感じず、素直にそう信じてしまいます。
これはいくら「論理的思考」ができる人間であったとしても、「そもそも勘が聞かなければ…」「気づかなければ論理的思考は働かない」ということがいえます。

その「勘」というのは、人生経験(年齢ではない)からくるものであり、危険回避本能で自身が経験した情報から瞬時に正解を導き出す方法と言えます。

つまり、危険を回避するには論理的にだけ問題を解いていては死んでしまう…
ということで備わっている能力です。

ですので、やはり「どちらも必要」であり「どちらも重要」です。

上記「体罰」の問題では、まず「違和感」によってその相違点を調べることで真実が導き出されますが、「勘」が鈍い事にはそこ(論理的思考)にも行きつかないわけです。

ちなみに論理的思考ができても、「いじめ」を行ってしまうことは経験済みです。
論理的思考ができない人よりはかなり早い段階で気づくのですが、相手から理不尽なことを行われた場合、論理的思考を使って過剰に追求~制裁してしまいます。

論理的思考の起爆剤が感情、勘という点が非常に面白いと感じました。
(感情、勘→論理的思考=答え)

個人的にはまず「勘」で判断し、「論理的思考」で証明する…という思考パターンです。
その勘が狂っていては、そもそも疑問にも思わず妄信してしまっているがため、まともな答えは出せないということですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

論理的思考と勘(想像力)というのは両輪だというのがわかりました。
確かに、想像(根拠が皆無な予測)をするから、根拠が皆無でも論理的思考でその可能性を追求できますよね。

お礼日時:2023/06/10 21:33

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