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冷戦でなぜ日本は経済成長を遂げることが出来たのでしょうか?中3です!短く簡単にお願いします

A 回答 (9件)

一番は朝鮮戦争による戦争特需ではないでしょうか

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chatGPTに聞いてみました



日本が冷戦期に経済成長を遂げた理由はいくつかあります。
まず、第二次世界大戦後の日本は経済的に疲弊していましたが、戦後の復興期にはアメリカとの関係が重要でした。アメリカは日本を再建するために経済援助を行い、市場を開放することで日本企業が成長する機会を提供しました。
また、日本は労働力として高い教育水準と技術力を持っていました。教育制度の充実や技術革新により、日本の企業は競争力のある製品を開発し、世界市場で競争力を獲得しました。
さらに、日本政府は経済政策の一環として重要な役割を果たしました。戦後の高度成長期には、政府が産業政策や輸出促進政策を実施し、特に重点的に産業分野を支援しました。また、インフラ整備や労働法制度の改革なども経済成長を後押ししました。
以上の要因が重なり、日本は冷戦期に経済成長を遂げることができました。
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宿題?

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冷戦、てのは米国を中心とする西側諸国と


ソ連を中心とする東側の対立ですね。

そんで日本は西側でした。

日本の隣国には、ソ連と中国、そして
北朝鮮という東側諸国が位置しています。

だから、米国にとって、日本は極東の
前線基地だったのです。

それで、米国は何かと日本を経済的に
援助しました。

しかも、1950年には朝鮮戦争が
始まり、そのお陰で
日本は潤いました。

そういう東西冷戦があって
日本は経済成長を遂げることが出来た
のです。
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冷戦と経済成長・・・って、ちょっと強引かな。



まず、日本は敗戦で、アメリカの植民地となった。本来は、しばらくして独立を目指すべきところを自民党が国民を裏切って、国をアメリカに売ったのです。その時の基本戦略は、今後一切軍事や外交の基本戦略に関わらないかわりに、日本人は国の中のことだけを一生懸命やっておけばいい!というものでした。簡単に言えば、そういう合意です。そのため、軍事に使われたすべての技術や、工業生産能力やスキルが、大量に民間に流れ、自動車や電気メーカをもり立てることになったのです。

もちろん、朝鮮戦争を始めとして、他国の戦争は、莫大な需要を生み出すため、冷戦で、西側陣営にいた日本がメリットがあったことは事実です。しかし、それは成長にきっかけとはいえ、本質ではありません。

当時は、まだ大量生産社会であり。革新的な発想は不得意だけども、課題を与えられたら解決し、喧嘩をせずチームの力で高品質、低価格のものを大量に作れる日本人の国民性は、時代にマッチしたのです。

また、国力がないために過度な円安だったこともあり、材料を輸入して、高付加価値製品として輸出する貿易が大いに力を発揮しました。そしてついに戦後35年、1980年代半ばには、Japan as NO1 と言われ、国際性競争力世界一になったのです。

でもそれが頂点でした。そこからバブル経済発生と崩壊。日本の台頭に焦ってプラザ合意により円高誘導したアメリカに、貿易不均衡是政策を矢継ぎ早に打ち出され、日本市場は外資の草刈り場になりました。

並行して大量生産社会も終わります。先進国の社会は複雑かつ多様化し、モノで言えば高品質、高付加価値、多品種、少量生産で、ニーズにあったモノが好まれるようになりました。ITもインターネットも進展。工業生産力よりもむしろサービス企画力や、ビジネスモデル発想力が価値を持ち、日本はどんどん置いていかれます。

グローバルの企業やサービスが、市場にどんどん浸透し、電気メーカーは壊滅、自動車は現地生産、金融も保険も外資の草刈り場、インターネットサービスは、ほぼ他国のブランドの日本語化。結果として、国際競争力は30年で1位から30位まで落ちました。過去20年で、給与が上がっていないのは、先進国で日本だけです。

でも、政治が何もできないのは、未だに重要なことは自分で決められない植民地スキームを政権政党が継続していること、世界NO1になった当時の夢を捨てきれず、老人政治家が、おバカ政策を続けるからです。

つまり、経済成長を遂げられたのも敗戦スキームの偶然。その成功体験を勘違いした。今の政権政党や既得権益企業のマネジメントたちが、政策を変えられないのは必然ということなのです。
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①日米安保条約で、日本は軍事費を戦前に比べ非常に安くあげることが出来た。

その分、経済復興・振興に予算を振り向けることが出来た。
②GHQから日本の国勢調査実施のために招かれた統計学者デミング博士は、戦争中に駆り出された米国女性労働者の訓練に統計的品質管理法を考え出して成功した人物でもあった。デミング博士は日本の産業界にもこの品質管理法を伝授し、日本人労働者たちが米国人とは比較にならないほど熱心に学び、実践したことから、日本の工業製品の品質は世界水準を遥かに突き抜けていき、世界中を「Made in Japan」の産品で埋め尽くしてしまった。
③戦後しばらくは1ドル360円の固定相場制で、非常に円は安かった。これが日本の生産品を長年に渡って非常に安く輸出し続けることを可能にし、世界中を「Made in Japan」の産品で埋め尽くすことに大きく貢献した。

中3だったら、もう立派な頭を持ってるでしょ。
「短く簡単にお願いします」じゃなくて、「出来るだけ詳しく教えてください」でしょ。

いくつかに絞って短く回答したつもりだが、この手の問題は一冊の本をかけるくらい様々な要因が絡んでいる。簡単に説明できることでも、簡単に理解できることでもない。
自分の力でしっかりと時間をかけて勉強してください。
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米ソの冷戦時代、軍事費を捻出するため、2大国は経済成長を犠牲にしてきた。

日本は軍事費の予算組まなくてすむ分、経済の分野で頑張れた。
特に家電製品の成長が著しい。この恩恵を一番受けたのが、松下電器、今のパナソニック。
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日本は戦後丸腰の様なもので働くしかなかったし、今の様に近隣諸国は攻めてくる気配もなく安泰で有った故、対外貿易で黒字を生む結果となっ

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朝鮮戦争やベトナム戦争による特需が高度経済成長の足がかりになったのは間違いないです。

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