プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は今まで今住んでいる市で1番頭の良い高校に行こうとしていました。
ですが、最近高専という道も考え始めました。
高専は卒業が難しく、選んだ分野に興味が無いと続けられないということは調べて分かりました。
私はどちらかと言うと文系で、機械などにも興味無いです。
ですが他にこれといってやりたいことがないので未知の分野を学ぶのもどうかなと思いました。
自分なら今から頑張れば苦手な理系も克服できると思います。
卒業が難しいという点に関しては人生なんとかなるマインドなので大丈夫かなという安易な考えです。
高専に行きたい理由としては諸事情で制服が嫌いで、私服なのがとてもいいと思ったということ、
「高専は青春ができない!!」と言うのを見て学校行事が嫌いな私は「めっちゃいい」と思ったことなどです。やはり私の考えは甘すぎるでしょうか?
ぜひ経験者の方など、参考になる事をお聞かせください!!!!

A 回答 (9件)

うーん…高専は本当に専門的なことを学ぶので


行ってみて興味がなかったり、合わなかったら大変ですよ。
理系の勉強も、高校受験レベルなら
文系のちからでなんとかなるけど
専門的になると適正がないとおちこぼれるのがひとつ
合わなくてやめた場合カリキュラムが違うから転学できずに
また、高1からやりなおすことになります
合わなくて他の道に進学するにも
科目などが受験と違うので結構大変です

何より高専に限らずですが
15歳で道を狭めてしまうと、あとからやりたいことが見つかったり
合わなかったときに方向転換がしづらいです。
学校行事が苦手といっても、高専は文化祭は結構気合い入ってますし
専攻や部活で出場する競技大会があることもあります
コースによりますがチームでやる実習とか結構ありますよ
普通科のほうが個別の座学が多いと思います。

また、制服が苦手とのことですが高専を出て就職する場合
作業服などの制服の職場が多くなります
三年間制服を我慢して、長年働く職場を私服の選択肢をふやしたほうがよくないですか?

どうしても理系や専門分野にしか興味が持てない
早く専門分野を学びたい火と向けなので
あなたの志望動機は弱いと言えます
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普通の高校行って、そこそこの大学行って、公務員にでもなれば?

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私は今まで今住んでいる市で1番頭の良い高校に行こうとしていました。


ですが、最近高専という道も考え始めました。
  ↑
高校へ行って大学に行きましょう。
高専なんて、高卒扱いされますよ。



高専は卒業が難しく、選んだ分野に興味が無いと続けられないということは調べて分かりました。
私はどちらかと言うと文系で、機械などにも興味無いです。
ですが他にこれといってやりたいことがないので未知の分野を学ぶのもどうかなと思いました。
 ↑
やりたいことがなければ、高校です。



高専に行きたい理由としては諸事情で制服が嫌いで、
私服なのがとてもいいと思ったということ、
 ↑
アホらしい。
こんなことで、人生を決めるんですか。
バカみたい。



「高専は青春ができない!!」と言うのを見て学校行事が嫌いな私は「めっちゃいい」と思ったことなどです。
 ↑
質問者さんはピントがずれていますね。
人生において、何が重要か否か
まるで判っていません。



やはり私の考えは甘すぎるでしょうか?
ぜひ経験者の方など、参考になる事をお聞かせください!!!!
 ↑
甘いんじゃなくて、愚かです。

高専だと、人生の選択肢が思い切り
限定されてしまいます。

高校へ行って大学に行けば
選択肢は大幅に広がります。

人生の道を決めるのは、それからで
遅くありません。
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これは私ならこうするだろうという私信です。



私の価値観では、高校までが基礎教育だと思っています。
社会生活にはそこまで必要だということです。
ではなぜ大学のようなそれ以上の教育課程に進学しようとするのか。

それは『大学でないと手に入らない優れたモノが身につけられる』からです。
そのモノとは何か。
それは『チエ・ウデ・ワザ・カン・人脈』だと思っています。

それを身につけたいから私は普通に高校・大学と進学しました。

私は高専は選びませんでした。
私にとっての高専は、『工業高校+2年分の大学』という認識でした。
そこからは、高校に入るという未熟な段階で将来の専攻を選ばないといけない時期尚早感と、たった2年の大学教育で手に入るもののレベルの憂慮が感じられたのが辞めた理由でした。





私は趣味で小さいころから電気工作を楽しんできました。
小学校の高学年ごろには雑誌を頼りに、ラジオやオーディオアンプなんかを自作してました。
中学生になるとアマチュア無線の免許を取り、これも雑誌を頼りに、受信機や送信機、アンテナなんかを自作し、遠方の人との交信を楽しんだものです。
高校生になるころには、こんなものを作りたいと思うと、回路構成を決め、計算をして部品を選定するなんていうことは自分でできるようになってました。

そんな経験から、高校で習う数学や物理・化学などの知識の必要性はわかっていました。
しかし、私は『それを使って優れた電子機器をどうやれば開発できるか』が知りたかった。
つまり、まずは高校できっちり基礎を身につけ、それをもとにその応用方法の勉強をするのが必要と思っていました。

高専では普通の高校の過程の先には2年しかありません。
しかし、私には、『その応用の勉強』が示すものはかなり大きく広いものとわかっていました。
だから、たかが2年でそれを手に入れることはできないと考えてました。
というより、大学の4年間でさえ足りるのかと思っていました。
なので、その時点で私は既に大学院まで行くつもりにしていました。

ところで、『大学でないと手に入らない優れたチエ・ウデ・ワザ・カン・人脈』 とは何か。
私は以下のようなものだと思っています。

  ① 他の人にはない 『有益なこと』 が出来る能力
  ② 他の人が出来ない 『有益なこと』 が出来る能力
  ③『有益なこと』 で他の人より優れた成果が出せる能力

ここで、私はもうひとつ大事なことがあると思っています。
それは、そういった能力を 『手に入れる』 のではなく、 『身に着ける』 ということです。

学校で勉強すれば『知る』こと、つまり知識を得ることは出来ます。
多くの人はそれで満足してしまいます。
でも、私は 『それを有効に使いたい』 のです。
有効に使って 『他の人にはない』、『他の人には出せない』、『他の人より優れた』 結果を出したいのです。
それが出せるようになるように勉強するのが大学でやりたいことでした。

しかし、話はそれで終わりません。
そんな能力をつけて社会に出るとき、その能力が使える企業などに入れなければ意味がありません。

では、その時に何が問題になるか。
それは『実績を示せるかどうか』です。

あなたが素晴らしい能力をもっていたとして、あなたが働きたいと思う会社に 『雇ってくれ』 と言うとしましょう。
では、志望先の会社の人は、あなたが主張する 『優れた能力がある』 という言葉をどうしたら信じてくれるでしょう?

  美辞麗句を並べた自己主張の作文?
  成績優秀なことを示す成績表?
  誰もがひれ伏す東大の博士号?

これはあくまでも私の価値観でですが、私が採用の可否の判断者なら、『実績』 を優先的に評価します。
もちろん、自己主張も成績も学位や資格も大事にはしますが、実績がない自己主張や成績や学位や資格は、必要条件を満足するだけで、十分条件が満たせるかどうかはわかりません。

  血は赤いです。
  では、赤ければそれは血ですか?

違いますよね。

『成績が良い』 ということは、『理論は知っている』 というひとつの証拠にはなるかもしれません。
でも、理論を実世界で使って成果を出すには、その使い方を知り、そのためのツールを使いこなさなければならないのが普通です。

実は、その 『理論を使いこなすために必要なこと』 はたくさんあり、それを使って期待する成果を出せるようにするには、それを覚え、訓練して習熟しないといけないんです。
それが十分条件です。

それが満たされていることを示すのが 『実績』 だと私は思っています。

私はそう言うことを趣味の活動を通して知っていました。
『身につける』と言ったのはこのことです。
『手に入れる』 とは勉強したというだけで、 『身につける』 まで行かないと実戦には使えません。
その 『身につける』 ということが成就した証拠が 『実績』 という訳です。

勉強は大学でできますが、それを使えるように使い方の勉強と習熟訓練をし、それを使って実績(成果)を出すのはどうすればいいか。

私はそれを大学で勉強しながらアルバイトの仕事で使ってみるというやり方で対応しました。
電子機器やシステムを開発する会社にアルバイトで入り、そこでプロの人の仕事を手伝うことを通してそれをやりました。
もちろん、雇ってくれる人は私を教育してやるなどと言う意識はありませんから、勉強はすべて自力です。
何が必要か、どうすれば成果につながるかは自分で考えるしかありませんでしたが、たぶんそれが一番いい勉強法だったと思います。

しかし、勉強したことを実績や実力につなげるには時間がかかります。
大学レベルの知識を実務で使えるようにするのに2年は短すぎると私は思います。
高専が十分なところかどうかはそこから想像できるでしょうか。





一方、実社会で暮らしてきて、私はひとつ大事なことを知りました。
技術と技能と言うものの見方です。

世の中では、何か技巧を凝らすこと、工夫することを 『技術を使う』 のように言う傾向があります。
私はその言葉の使い方は好きではありません。
もう少し厳密に考えるべきと思うからです。

辞書を引くとすぐにわかることですが、本来 『技術』 とは普遍の理論などを用いた科学的な工夫を組み合わせた手法を指します。
それを理解すれば誰でも応用できるものです。
ただ、優れた効果を生む技術ほど理解が難しいので、高度な技術を使える人は少なくなります。
私が大学で身につけたかったのは、この優れた技術です。

一方、『技能』 とは、手足を動かして何らかの成果を生み出す能力です。
たとえば、工場で何かを製造するとき、ある人にお願いするととてもきれいに仕上がるとします。
その時その人が発揮するのが 『技能』 です。
その人が使っているのは『普遍の原理』ではなく、その人が手先の使い方を訓練して習熟した結果身につけた能力です。
工芸品や意匠もの、料理や芸術などの人の感性に頼るような能力はおよそこの『技能』と呼ばれるものです。

一口に言えば、技術は勉強と思考で身につけ、技能は訓練と習熟で身につけます。

何が言いたいかと言うと、技術の仕事をするか技能の仕事をするかによって、経済的な差が生まれかねないということです。
そして、そのどちらの世界も、一度選ぶと、それを変えるのは難しいということです。

技術系と言えば、ビジネスマンと呼ばれるような、いわゆるホワイトカラーの人になりますが、技能系と言うと、いわゆる工場ワーカーに代表されるようなブルーカラーの人と言うことになります。

高専が社会にどんな役目の人を供給するために作られた学校かと言うと、ホワイトカラーだとしたら、大卒の人の下で手足になって作業をしてくれる人、ブルーカラーだとすると工場の流れ作業で働く作業員の指揮・指導をする班長さんのような人じゃないかと思います。

少なくとも、先頭を切って研究をしたり、製品開発で設計の中心になって働くエンジニアを期待する学校ではないと思います。





『制服が嫌い』、『青春ができない』 とおっしゃいますが、そんな些細なことは、永い人生の中で何の価値もありません。
あなたは 『市で1番頭の良い・・・』 と成績を自慢のご様子です。
それならば、『制服が嫌い』、『青春ができない』 なんていう理由で高専を選んでいたら、多分何年もしないうちに後悔することになります。
少なくとも、社会に出ようと就活をはじめたらすぐにそうなるでしょう。



私はプロファイルに記したような在米の隠居爺です。
ウチの子どもたちは今大学院に居ます。
彼らの大学進学の目的も私と同じと言ってます。

当地のそれなりの大学は学費が高く、そこで勉強するには何千万円ものカネがかかります。
彼らはそれを金融機関から借りてでも勉強します。
それだけ良い報酬が得られるようにできるからで、それを一刻も早く実現するため、必死に勉強やインターンシップでの自己訓練に励みます。

日本の学生さんはサークル活動や飲食や旅行を楽しみ、そのためにアルバイトを盛んにしますが、当地の子どもたちは、良い報酬が得られいい生活が出来るようになったらそうすると割り切り、学生時代は勉強に専念します。

『制服が嫌い』、『青春ができない』なんて言う次元の話題を話す人なんか 居やしません。
もう少し大人になることです。
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どう考えても偏差値高い普通の高校行くべき。

なんかあなたは高校のたった3年間のことしか考えてませんが、視野が狭すぎます。
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こんばんは



今時、大学を出ていないと、人間扱いされません。

普通に難関高校へ行って、東大へ入学する時にじっくり学部を選ぶといいです。
さらに、大学院やアメリカのトップ校への留学もいいです。

頭の良い人に日本の未来を託したいと思っています。

是非、頑張って下さい。
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高専を出た後の進路を考えたことはありますか?


その内容によりけりです。
そのまま就職するならば、どのような職につけるかということを考えましたか?
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人生を楽しく、充実して過ごすために大切なこと、それは、


①ポジティブ思考、
②チャレンジ精神、
③あきらめない心、
 それと、笑顔を忘れないこと
これらを心がけていれば、たいていのことは、上手く乗り越えて行けます。
大切なことは、人生の目的や進路の最終目的は、高校進学ではないということです。
高専卒業後、または卒業前に、大学へ行ったり、する人も知っています。将来の自分あるべき姿や選択肢の多さなど、様々に考えて、トライすべきです。そして、決めるのはあなた自身です。どんなに地域1番の高校へ行っても、そこで最下位の人もいるものです。
私も、地方三流非進学校で、大手出版社の模擬テスト、242人中、242番。学年最下位でした。そして3年間その実力を維持していました。流石に、卒業間際に、就職も不可能、生きていくことも無理と悟り、上京させてもらい、某マンモス予備校へ通いました。結果は、W大学や都内の国立大学などに合格しました。
要するに、どこへ行っても、本人にポジティブ思考とやる気さえあれば、たいていどうにでもなるということです。しっかり考え、判断していきましょう。仮に思っていたことと違っても、いくらでも、人生の修正には、チャレンジできますから。
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やめときなさい

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