プロが教えるわが家の防犯対策術!

今年の高校野球の決勝戦、慶應対仙台育英の試合ですが、このような記事がありました。あまりに一方的な応援力は、対するチームにとって影響が大きく平等ではない環境に陥るという事実をどう思いますか?
皆さんの意見が聞きたいです。下記、長文でごめんなさい。



仙台育英のレフト、鈴木拓斗は三塁側アルプススタンドの慶応応援団の爆音を、他の誰よりも近距離で受け続けた。

”慶応アルプスに最も近い”レフトの証言


三塁側アルプス席は、ランナーが出たり、点が入ったりすると、まるでエネルギーが投下されたかのように、応援のボルテージが一段上がった。鈴木が続ける。

「点数が入ったりしたら、球場全体が応援しているような感じになって……。相手のリズムになってしまうので、聞かないように、流されないようにしていたんですけど、少し飲み込まれてしまった感じです」

実際には三塁側とライトスタンド、つまり、球場半分が慶応の応援席のようになっていたのだが、鈴木のポジションにいたら「球場全体」と錯覚しても不思議ではない。

浴び続けて…「クラクラしました」


仙台育英は春のセンバツ大会でも慶応と対戦していて、やはり同じように三塁側から応援の圧力を受けたが、今回は、それを上回っていたという。慶応サイドからは、それなりの距離があったライトの斎藤陽でさえこう言った。

「選抜のときも、すごいなって思ってたけど、それ以上の応援が来た。すっごい響く。やばいっす」

慶応の応援は受けている時間が長ければ長いほどボディーブローのように効いてくる。仙台育英は6回まで走者を許していたため、中盤まで、常に大応援団の圧力を受け続けたことになる。斎藤は冗談めかして話す。

「ずっと流れているので、クラクラしました。最初の方は三者凡退がなくて、ずっとランナーが溜まっていたのでしんどかった。疲れましたね」

頭に残る音「ずっと流れているような感じ」


その疲労感は、打撃にも影響した。監督の須江航が「右ではナンバー1のバッター」と絶賛していた「6番・レフト」の鈴木は、3打席連続三振に終わった。

「(攻撃中も)ずっと慶応の音楽が流れているような感じになってしまって。力んでしまって、打てなかったです」

慶応の大声援は守備のミスも誘発した。

5回表、2アウト二、三塁。慶応の1番・丸田湊斗の打球は、レフトとセンターの間にフラフラと上がった。鈴木も、センターの橋本も「オッケー! オッケー!」と大声を出したが、互いにまったく聞こえなかったと言う。2人はぶつかってしまい、落球。試合を決定づけたといってもいい2点を失い、慶応に2−7と突き放された。

橋本は目に涙をためながら振り返った。

「想像してた以上では、ありました。外野の後ろも全員、慶応のファンなので、ピンチになるにつれて、重い……というか。だいぶ、きつかったな、というのがあります」

監督・主将が見せた「プライド」


もちろん、心の準備はしていた。須江は「一塁側アルプス以外、全部慶応ファンで埋まるかもしれない」くらいの話をしていたという。

それだけに、言い訳にはしたくなかったのだろう、主将の山田脩也は毅然とした態度でこう言い切った。

「あの大声援だから、むしろ、楽しめたと思います」

須江も慶応の応援の影響はきっぱり否定した。

「僕は何とも思ってないので。選手に聞いてみてください。心地いいものでしたよ。選手は、また、違う感情があったのかもしれませんね」

試合後の仙台育英サイドは、本音とプライドが交錯していた。

A 回答 (4件)

問題視されているのは慶應OBの応援力ではなく「応援の仕方」だと思います。



甲子園は「アルプス席以外は着席&拍手のみ」という応援規定があります。これは甲子園球場でもアナウンスで注意喚起されています。慶應OBはそのアナウンスを無視して常に声出し応援(相手が攻撃中も)、肩組応援、大合唱などのルール違反をしていたため、異常な声の大きさが出たわけです。

このようなルール違反の応援をして援護しても慶應の選手たちには迷惑だと思います。来年は改善すべきですね。
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それを言い出したら関西圏の高校と遠方の高校の対戦なんか


圧倒的な差じゃないですか?
言い出したらキリはありません。

応援団が間に合わないから
不公平だとかいろいろ出ますよ。
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巨人、広島、ヤクルト、ベイスターズ、ドラゴンズは甲子園では、いつもああですよ。

平等にして欲しいよね(笑)
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機会の平等という話をするなら、仙台育英も同じような応援部隊を作るのは自由だったはずです。

結果に対しての平等ということに関しては、スポーツはそもそも、勝ち負けを争うものですからそれはなくて当然です。

経済力の差が、機会の不平等につながっているという論点は成り立ちますけれど、資本主義自体の在り方に直結する問題ですので、一筋縄に否定することもできません。

余りに過剰な状態が続くのであれば、規則でどうこうするしかないという話になりますけど、スポーツとして一方的な応援を否定するのも少し変かなと思います。

https://www.historist.jp/articles/entry/themes/s …
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