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田中清光の詩「旅立つ日」の中に『行け 旅に いまこそ! 憧れに になわれて』という一節があります。言っていることは漠然ながらわかるのですが、ここで使われている「になわれて」が釈然としません。
「憧れに担われる/荷われる」はどのように解釈したらよいのでしょうか?

A 回答 (6件)

再び考えてみました。

田中清光によるこの詩の全文を何度も読み返しました。

「憧れに身を任せ」と書けば、ごく自然に受け入れられる普通の言い回しになります。それを検索すると、用例はいくつも出てきます。しかし「憧れに担われて(になわれて、荷われて)」となると、田中清光によるこの詩しか出てきません。

この詩人は、言葉に敏感な方のはずです。それなのになぜあえてこのような言葉の使い方をしたのでしょうか?

すでに言ったように、確かにリズムとか言葉の美しさを狙ってあえてこのようにしたということでしょうけど、「憧れにになわれて」なんて、さほど美しいとは私には思えません。リズムにしても、さほどきれいではなく、「憧れに身を任せ」の方が自然で、すいすいと口から流れ出てきます。

この詩の全文のうち、不自然なのはここ一カ所だけです。他はすべて、ごく自然な、悪く言えば平凡な言葉の数々です。

それなのに、なぜあえて、まるで小学生が言葉を使い間違ったかのようなこんな言い回しをしたのでしょうか?

それは、(あくまで私の想像ですが)やはり「憧れ」というものを擬人化しているのだと思います。

「憧れに身を任せ」だったら、憧れに対して人間である自分が主体的に身を任せているのであって、ごく自然な平凡な言い回しです。

しかし、「憧れにになわれて」となると、自分たちが持っている憧れの気持ちがあまりに強くて、まるで人間である自分とは別の人格を持っているかのようです。それくらいに自分たちの旅への憧憬は強くて、自分の意思を持っているかのように、自分たちをぐいぐいと引き付け、自分たちを旅路へと引っ張っていき、旅の最後まで自分たちはその憧憬の思いに運ばれっぱなしなのです。

おそらくはこの詩人は旅が大好きで、旅をしているとき(あるいは人生の道程を歩んでいるとき)は、自分の意思とは関係なく自分の思いがぐいぐいと自分の体を引っ張っていき、まるで自分を自分の憧憬の心が運び続けているかのように感じながら生きていたのかもしれません。

この詩人じゃなくても、若い時にはそのように感じる人もいるかもしれません。たとえば恋愛しているとき、相手の魅力があまりに凄まじくて、まるで相手の魅力が自分を奔馬のごとく自分をぐいぐいと引っ張り続けているかのような気がすることもあるかもしれません。

そんなふうに考えながらこの詩を読み味わいたいと私自身は考えております。
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この回答へのお礼

限りない「旅への憧憬」・・目的を持たずにひたすら旅を楽しむということでしょうか。ありがとうございます。それにしてもユニークな表現ですね。

お礼日時:2023/10/15 19:24

憧れに、尻を押されて、という


ような意味だと思われます。
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>「憧れに担われる/荷われる」


憧れに背負われて、と理解しました。憧れを擬人的に身近な存在として表現しています。また私は単独では旅立てないほどの状態です。
全体は、行き詰った/疲れた私は旅立つがそれを支え導くのは友人のような憧れである、と言う意味でしょう。
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旅に行くのには目的が必要です。


憧れという物を目標に進むことだと、
私は理解します。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
ご存じのように、この詩は佐藤真が作曲した混声合唱のための組曲「旅」第一番に取り入れられたいるわけですが、楽譜の冒頭に書かれたシャルル・ボードレールの言葉「まことの旅人は 出発するために 旅に出る」は、何も考えずに目的を持たないで旅に出よ、と言っているように思います。そのように考えると、「担う/荷う」というどちかというと重苦しいイメージの言葉をあてがっていることに違和感を覚えるのです。

お礼日時:2023/10/15 12:36

あるいは、「憧れに身を任せて」とでも解釈すればいいかもしれません。

つまり、強い憧れを持っているなら、それを抑圧したりせず、そのままそれに身を任せ、自分の気分が赴くままに旅に出ればいい、という意味だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
身を任せる/身をゆだねる・・この解釈の方が素直に受け入れられますね。

お礼日時:2023/10/15 12:15

「担(になう)」という言葉は、普通はそういう文脈では使わないはずですが、ここでは詩人がリズムを整え、この詩の中での言葉の美しさを重視するあまり、どうしてもこの言葉をここで使いたかったのでしょう。



「憧れに支えられて」
というような意味だと解釈しておけばいいんじゃないでしょうか?そんなに考え込むほどのことではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。仰るような意味合いだと思います、
取り立てて考え込んでいるわけではないのですが(笑)、担う/荷うという言葉に普通に解釈する他の意味があるのか確かめたかったのです。

お礼日時:2023/10/15 12:11

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