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榊原康政は小平太、本多忠勝は平八郎
鳥居元忠は彦右衛門(彦)石田三成は治部など武将には
別名?がありますが、これは所謂あだ名と捉えて
良いんでしょうか?教えてください

A 回答 (7件)

昔は「威張りん坊」であったことと、「本名で呼ぶこと」が憚られたんです。


従い、徳川家康に気軽に「家康さん」と言ったら、打ち首になったかも知れません。

その徳川家康を例に解説しますと、正式名称は「源朝臣徳川蔵人次郎三郎家康」になり。
① 源+朝臣 →  氏(うじ)と姓(かばね)
  朝臣は朝廷における氏の序列を表す。
② 徳川 → 苗字(名字)
③ 蔵人 → 官職
④ 次郎三郎 → 字(あざな),仮名(けみょう)
⑤ 家康 → 諱(いみな,「忌み名」とも。本名や実名)
みたいな構成になります。

まず③に関しては、「岸田内閣総理大臣文雄」みたいな話で。
①+②は、現在の名字(姓)に相当するのですが、①は自分のルーツを示し、「徳川家は源氏の流れを汲む、立派な家柄」と言ってる形です。
①+徳川+③で、かなり威張ってるわけです。

一方、④と⑤が現在の「名」に相当しますが、ちょっと厄介。
諱が本当の名前なのですが、古くは死後の呼称(諡,おくりな)として使われたり、本当の名前を知られたら、呪いに使われたりしたことから、日常的には使わない慣習で。
特に家来が殿様に使うなどはタブー(禁忌)なので、「忌み名」の当て字も使われます。

従い、日常的には④の「字」を使いますので、時代劇などで家康本人に、「家康殿」「家康様」などと言ってるのは、ちょっとあり得ません。
織田信長(これも正式名称は平朝臣織田上総介三郎信長)あたりは、家康を「次郎三郎」と呼んでた可能性が高いと思います。

出自が怪しい豊臣秀吉の場合、権威付けに苦労して、平朝臣,藤原朝臣を名乗ったりもした様ですが、最終的には「豊臣朝臣」とし、「羽柴筑前守藤吉郎秀吉」などになってます。
また秀吉は家康のことを、公の場では「内府(殿)」などと言い、プライベートなどでは「徳川殿」か、やはり「次郎三郎(殿)」だったのではないかな。

あるいは、時代考証に忠実な時代劇では、豊臣政権下での家康を「内府殿」と、官職で呼んだりしてますが。
現在でも「岸田さん」よりは「首相」と言う方が、礼儀正しく感じると思いますが、偉い人を名指しすることも憚られるので、官職や公職とか尊称(「上様」「殿」など)で呼ぶのも一般的です。

一方、家康の没後は「家康様」「家康公」などはアリです。

やや余談ですが、豊臣家が滅亡した原因も、少なからず諱が関係しており。
すなわち、有名な方広寺鐘楼事件で、「国家安康」と言う文言が、家康の諱を分断していたことで。
これを「言いがかり」とする説もありますが、当時なら、実際に家康が激怒したかも知れません。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい説明ありがとうございます
勉強になりました!
ますます歴史が好きになりそうです☺︎

お礼日時:2023/11/30 16:35

まあ、大体が渾名(あだな)と見たほうが良いでしょう。


が、こういう質問は、カテ違いですな。
本来であれば、《歴史学》のカテゴリーとなりますぞ。
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この回答へのお礼

あら。
歴史学に選択したつもりが....笑
気づいてませんでした。ご指摘ありがとうございました!

お礼日時:2023/11/23 13:12

本田平八郎忠勝でセット。

平八郎が固有の名前で、忠勝は、状況によって変えることができる部分。
幼名は、徳川家代々の長男に付ける「竹千代」のようなもの。元服まで使用。
他に、官職名。今でいえば、課長、部長という感じで。
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この回答へのお礼

そういうことなんですね。

大谷刑部も官職名なのですね。
なるほど....

歴史は深いですね勉強になりました

ありがとうございます

お礼日時:2023/11/23 13:17

小平太は子供の時の名前、元服(成人)して康政と言う名にした。


平八郎は子供の時の名前、元服(成人)して忠勝と言う名にした。
彦右衛門は子供の時の名前、元服(成人)して元忠と言う名にした。

治部は治部少輔(じぶのしょう)と言う官職名の略。
官職名には実体は無く、中国の官職名をそのまま使ってる見栄え。

左衛門尉(さえもんのしょう)とか 右衛門尉(うえもんのしょう)とか色々。
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あだ名ではなく通称です。



本名は諱(いみな)と言われ、「忌み名」という意味に通じます。

昔は目上の人間以外が諱で呼ぶことが無礼だと憚れたので、通称や役職で呼ぶのが一般的でした。

それがなくなったのは明治になってからです。
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この回答へのお礼

なるほど。
勉強になりました。
知らなかったので調べてみたいと思います。

ありがとうございました♪

お礼日時:2023/11/23 13:13

あだ名とは違います。


いわゆる幼名です。

昔は生活環境が厳しく寿命が短かったので、成人するまで育たない事が多々ありました。
特に武士の世界では、元服(今日から大人とした。)という風習がありました。
大人になった事で、大人の名前に変えたのです。

本多忠勝は平八郎は、榊原家と本田家に代々伝わる幼名です。
徳川家康も幼少の頃は竹千代と呼ばれていましたが、これも松平家代々の幼名です。
その名前にしたご先祖様が、無事に大人になれたことがあると継承して行く風習があります。

石田三成の治部は、また違います。
これは官職名です。
正確には、治部少輔(じぶしょう)と言います。
フルネームでは面倒くさいから治部と略したのでしょう。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすいご説明感謝いたします。
なるほど、そういうことでしたか。
どうする家康で歴史にハマり勉強し始めましたがまだまだ知らないことばかりです。
治部はそういうことだったのですね。
大谷刑部も確かそうですよね。
勉強になりましたありがとうございました♪

お礼日時:2023/11/22 11:57

本名である諱(いみな)と、通称である仮名(けみょう)があり、その他に官位・官職名、幼名などが使われています。



また姓についても同様で姓とは別に「源"の"」とか「藤原"の"」という「の」で表す本姓を持っている武将も多いです。(豊臣は本姓ですが「の」をつけないですけどね)
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この回答へのお礼

なるほど!勉強になります!

いみな、けみょうなどについて
調べます。

ありがとうございました☺︎

お礼日時:2023/11/22 11:59

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