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「誤解や誤認はなるべく避けるべきだが、それを恐れていては文章は書けない。誤解から有意義な議論が生まれることもあると思って、勇気をもって筆を進めることこそが、書き手に求められる大切なスタンスだ。」

ネットで上の文章を読み疑問に思ったところがあるので質問させて下さい。

文の最初に「誤解や誤認」とありますがこれらは全く同一の意味を持つ語ではないでしょうか?辞書で引いてもこれらの語の持つ意味に差があるとは思えませんでした。現に二つめの文で「誤解や誤認」を「誤解から有意義な・・・」と「誤解」一本に束ねているように思えます。文章を作るときの基本は、無意味な冗長性を極力削ることだとどこかで読みました。とするなら「誤解」と「誤認」という同義語を並べることは違反ではないでしょうか?それとも「誤解」と「誤認」は、それぞれ持つ意味の範囲が違うのでしょうか?しかし持つ意味が違うのなら次の文で「誤解」と一本にされているのはどうしてなのでしょうか?

実は、ここ数ヶ月ずっと悩まされている問題がこれなのです。上の文章以外にもたくさんこのようなケースに出会いました。つまり、「AやBが~である。(AとBをまとめて)Aは~」という形の文章です。AとBは私の語彙ではほぼ同じ意味にとれる語です。AとBが違う意味をもつものなら当然2文目もAとBが併記されるはずなのにAにまとめられています。ということはAとBは同義語ということになるはずなのですがなぜか最初の文では併記されています。これらはどういった理由によるものでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

真意は著者に聞いてみないとわかりません。



(1)誤解と誤認の違いについて:これは私の見解です。
 どちらも誤って事実と異なる認識をすることを意味します。しかし、その対象が異なります。

《誤解》
ある事実Aが、文章、音声、写真、動画など、誰かの手で作成された何らかの媒体で伝えられ、これらの媒体を受けとった他者が、事実はBであると解釈した場合、AとBに相違があることを誤解といいます。これを誤認とはいいません。

(例)「発言を誤解された」「誤解を与える報道」

《誤認》
ある事実Aを、人が視覚・聴覚等の感覚器官によって直接、あるいは望遠鏡・カメラ・レーダー・マイク・センサー等の機器を通して、事実はBであると認識したとき、AとBに相違があることを誤認といいます。これを誤解とはいいません。

(例)「鳥を飛行機と誤認した」

 ただし、より一般的に、誤解を誤認の一種あるいは一過程とみなすこともできます。
(例)「事実はAであったが、部下の報告を聞いた上司がBであると誤解したため、事実の誤認が生じた」

(2)書き手の心理について:これは推量です。
>「誤解や誤認はなるべく避けるべきだが…」

 「誤解」と書いたところで、誤認もあるかなと思ったので並べたと思います。また、文の調子として「誤解はなるべく避けるべきだが…」ではわずかに座りが悪いような感じがします。

>「誤解から有意義な議論が生まれることもあると思って…」
 この誤解に誤認を含めているのかもしれませんが、いちいち「誤解と誤認」と書くのでは、これまた文の調子を損ないそうです。このぐらいの表現の揺れは読者が判断できるだろうと思っているのでしょう。

(3)誤認の意味について:これは推量です。

 「読んだ人が文章を誤解する」とは言っても「読んだ人が文章を誤認する」とは言わないはずです。したがって、この誤認とは、書き手側の話だと思います。詳しく書けば

「読んだ人が文章を誤解するような書き方や、書き手が事実を誤認して文章を書くことはなるべく避けるべきだが…」

となります。

(4)公文書など堅い文書での表現

 最初に2つ以上並べて、あとで1つの語にまとめるのは、次のような感じでよく使われます。

「誤解や誤認(以下、誤解等という)はなるべく避けるべきだが、それを恐れていては文章は書けない。誤解等から有意義な議論が生まれることもあると思って、勇気をもって筆を進めることこそが、書き手に求められる大切なスタンスである。」

これなら正確ですが、かなり堅くて、くどい感じになります。
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この回答へのお礼

とても勉強になります。ありがとうございます。

>「読んだ人が文章を誤解するような書き方や、書き手が事実を誤認して文章を書くことはなるべく避けるべきだが…」

これが正解なのかもしれません。

お礼日時:2005/05/06 13:12

#1&#5です。


はっきり言わせていただいて、むなしいです。

イタリア料理もフランス料理も似たような物だって言われたような、ラーメンなんてどれも同じって言われたようなそんな気持ちです。
あなたが挙げた例は、どれも100パーセント同じどころか、ニュアンスの違いが明らかな例ばかりのような気がしますが。心理的と精神的なんて、文脈によっては、対照的に(反対語的に)扱われることさえあるのに。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
醜態を晒したことお詫びします。
自分でも単語同士の関連が整理できていないことは自覚しています。そのせいで読書の際にもいつも悩まされます。質問にあるような、意味が似ているものが並列されたものに出会うと、ほとんどのケースで文章を読むことから心が離れ、その差にこだわってしまいます。その都度辞書を引くなりするのですが、実際に納得でき分離できることはまずありません。言葉として読み流すことはできても、それを頭の中に書き込むこと(理解)はできないのです。ラーメンの種類なら理解できます。見たこともあり、食べたこともありますから。しかし言葉のみとして抽象的にしか存在しない概念をはっきりと見ることが、私にはとても難しいです。
後学のため、もしよろしければ、心理的と精神的が文脈によって反対語的に使われるケースというのを例示してもらえないでしょうか?しばらく考えてみたのですが私にはそれが浮かびませんでした。

お礼日時:2005/05/08 12:08

誤認と誤解はそれぞれ、認識と理解を誤ることを言います。



人が何かを理解する認知の手順においては、
認識が先にあって、その先に理解があります。

たとえば、テレビに何が映っているかを理解するときには、
まず、何が映っているかを認識した上で、その映像が意味するところを理解しようとします。

人との会話で意図を読み取るときにも、
まず顔の表情を認識して、喜んでいるのか、怒っているのか、悲しんでいるのかを判断した上で、
なぜ、そのような表情をしているのかを理解します。

ですから、「誤認」はまず何かを知覚したときに、
それが何であるかを認識する段階における誤りを表し、
「誤解」は認識を完了した後に、それが何を意味するかを理解する段階における誤りを表します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、認識があって理解があるのですね。
認識と理解がくっきりと頭の中で分離できました。
ていねいな説明ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/06 12:32

#1です。

質問された方の「リクエスト」にお答えします。
大体皆さんのおっしゃられているとおりだと思いますが、私なりの言葉で書かせていただきます。

誤認:感覚器官から脳へと、まとまった物質や出来事の存在から得られた刺激が伝わったときに、脳はそれがなんであるかを判断します。その判断が結果的に間違っていた場合、それを誤認と言います。

誤解:経験上得られた一つながりの多くは抽象的な関連全体(例えば人物像とか発言内容とか)に対する意味解釈や評価などが結果的に間違っていた場合、それを誤解と言います。

二つの言葉の意味はかなりの広さで重なり合っていますが、強いて言うなら「誤解」のほうがより抽象的なレベルで使われています。

厳密には「まったく同一の意味を持つ二つの言葉」と言うのは、成り立たないと思いますよ。発音したとたんにその言葉を構成する音素によって聞く人に与える印象が違ってきますから。例えばGの音は、明らかにNの音よりとんがっていますね。
もし厳密に100パーセント意味が同じ二つの言葉があるなら、例示してみてください。
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この回答へのお礼

リクエストに応じていただき、どうもありがとうございます。
誤解の方が抽象的ですか、なんとなくですが、理解しかけてきました。
すみません。私はGやNの音について知識がありません。
厳密に100パーセント意味が同じ言葉ですが、
間隙、空隙、隙間
歯痒い、隔靴掻痒
心理的、精神的
とかはどうなんでしょうか。

お礼日時:2005/05/06 12:39

誤解と誤認を平行して使用しているのは、文章に迫力を持たせるためではないでしょうか。

同じ言葉ばかりつかっていては、読み手がうんざりします。同義語を2つ以上使用し、読み手を飽きさせないためではないでしょうか。それ以降の文章は誤解で統一しているのは、逆にそれ以降の文章でも2つ以上平行して文章を書くと、こんどは「くどい」という印象をもたれます。ですから、はじめだけ同義語を並べておいて、あとは一つだけという狙いだと思います。

よく似た例に、…である。…である。…である。の「…である。」の連発の文章を読んでいても、読み手はうんざりします。文章に変化がほしいところです。同じように、誤解の連発でもそうなのかもしれません。それに、筆者の語義の乏しさを感じます。とすると、書き手の無意識のうちの、そう思われたくない という思いが文章に反映されているのかもしれません。

ところで、「誤解」と「誤認」は似たような意味ですが、誤解は「誤った解釈」という意味合いがつよく、誤認は「誤った認識」という意味合いが強いような気がします。
たとえば、「赤を青と認識してしまった。」という言い方はしますが、「赤を青と解釈してしまった。」とは言わないでしょう。
「彼の発言から、A氏は怒っているのだと解釈した」という言い方のほうが「彼の発言から、A氏は怒っているのだと認識した。」という言い方より望ましいような気がします。
こう考えると「誤認」と「誤解」は似たような意味ですが、少し違うような気がします。前者は人間の認知的な要素が強く、後者は人間の認識後の解釈的な要素が強い用語ではないでしょうか。

ところで、ここでは関係ないかもしれませんが
>誤解や誤認はなるべく避けるべきだが、それを恐れていては文章は書けない。誤解から有意義な議論が生まれることもあると思って、勇気をもって筆を進めることこそが、書き手に求められる大切なスタンスだ。」
というのは、「批判を恐れていては過剰に防衛的な文章になってしまうので、避けたほうがよい」という事のように思えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
圧倒されました。うまくいえないのですが、他の方の回答もそうなのですが、たった二つの語の差についてここまで言語化できるなんてすごいですね。
ただ、ちょっと混乱してしまいました。
superjapan様は回答において最初に、「誤解と誤認」を同義語だとしていますが、文章の中段でそれらを「似たような意味ですが・・・」と似ているけれど成分が違うとされています。ということは結局、この二つの語は同義語ではないということになると思うのですが、すると文章の前段と矛盾が生じてしまうように思うのです。前段を修正して理解として自分に取り込みたいと思うのですが、
「意味の重なる部分が多い二つの語を並べることは、並べなくても二つのうちどちらか一語で読者への伝達力は十分だが、あえて並べることで文章に迫力を持たせる効果がある」
ということでよいでしょうか?

お礼日時:2005/05/06 13:07

誤解と誤認は、重なる部分は多いと思いますが、同じではないでしょう。

例えば、「事実」は誤認はしますが誤解はしません。「真意」は誤解はしますが誤認はしません。認識そのものの誤りが誤認で、解釈を間違えるのが誤解、といったニュアンスではないでしょうか。そもそも「全く同じ」であれば、わざわざ異なる2つの単語が存在する意味がありませんし。

#1の方もおっしゃっていますが、「無意味に冗長な文章」は悪いものでしょうが、「冗長さに意味がある」場合は必ずしも悪いわけではないと思いますよ。「誤解や誤認」は、「そうしたさまざまなものに対して・・」というようなニュアンスを持たせたかったのでしょう。「誤解とか誤認とかその他の様々な誤り全般については」ということですね。「誤解は」とすると対象を狭め硬直した印象を与えるように思います。
 が、それを何度も「誤解や誤認は」と繰り返すと、今度は「無意味に冗長」になるでしょう。既に最初にそう書いてあるわけだから、以後は「誤解は」とすることで「ここでは『誤解は』としてあるけれど、誤認とかその他さまざまなものをひとまとめにして、という意味ですよ」ということを暗ににおわせていると思います。
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この回答へのお礼

懇切丁寧に教えていただきありがとうございます。
とても勉強になりました。
ですが、やはり私の頭では誤解と誤認が分離できないのです。私の中では誤解と誤認は「意味的にはイコールなものだけど、使う場面が違う」としか認識できません。「認識そのものの誤りが誤認で、解釈を間違えるのが誤解」とありますが、これがうまく飲み込めないのです。私の中では認識と解釈が分離できないのです。認識も解釈も同じ意味としか思えないのです。あ、今回答を何度か読み返しているうちに少しずつわかったきたような気がしてきました。もう少しがんばって読み込んでみます。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2005/05/05 13:19

修辞法というキーワードをお調べください。

「無意味な冗長性を極力削る」のも基本として大切ですが、それと平行して効果的な修辞を用いると言う基本もあります。
最初の文は「つかみ」です。意味的には同じでも、似たような言葉をあえて並列させることで、言葉にリズムを与え意味を強調させます。あなたご自身、言葉をひとつに削った言い回しと二つ並べた言い回しを比べ、どっちが引き続き読ませる力が強いか、お確かめください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
なるほど、「つかみ」ですか。
「言葉にリズムを与え意味を強調さる」
明快な回答感謝します。

ところで、#2の方の回答には、「誤解と誤認は違うもの」と書かれていますがJinjimさんはどうお考えでしょうか?

お礼日時:2005/05/05 13:11

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