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質問です。

パレスチナという国って、元々アラブ人が住んでいて、そこにユダヤ人たちが「どけ、ここは我らの聖地だぞ」という風に、半ば強引に追い出しながら住むようになって、今起きている問題に繋がっていますよね。

そもそも、どのような経緯と理由でパレスチナにアラブ人が住むようになったのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

もともとパレスチナにはカナーン人などが住んでいて、ヘブライ人(ユダヤ人)が侵入してきました。


カナーン人などが追い出されたり、ユダヤ人が追い出されたりが繰り返され、最終的にユダヤ人以外が周辺と同化したのがアラブ人になりました。
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最初の支配者はバビロン。


ペルシャ(前438~333年)
ギリシャ(前333~63年)
ユダヤ人のハスモン王朝(前142~129年)
ローマ(前63~紀元324年)
ビザンチン(324~638年)
アラブ人(モスラム)(638~1099年)
十字軍(1099~1250年)
マムルーク(エジプト系混在民族)(1250~1517年)
オスマントルコ(1517~1917年)
英国(1917~1948年)
独立戦争(1948年)
これ以降イスラエル。
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違いますよ。

もともとアラブ人もユダヤ人も仲良く一緒に住んでいたんだけど、宗教絡みでアラブが追い出した。それでユダヤ人は流浪の民族になった。第二次大戦後に国連決議を経てパレスチナに戻ってイスラエルを建国したんだけど、周りのアラブ人たちが認めんぞ!って攻め入った。
 こんな感じです。
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>パレスチナという国って、元々アラブ人が住んでいて、そこにユダヤ人たちが「どけ、ここは我らの聖地だぞ」という風に、半ば強引に追い出しながら住むようになって、今起きている問題に繋がっていますよね。



どこからそんな嘘を教えられてきたのか。

パレスチナという国は、1988年11月15日に初代大統領のヤーセル・アラファートがパレスチナの独立宣言を発表して成立した国です。過去にイスラエルに戦争をしかけて負けた経緯もあり、パレスチナ国のなかにはイスラエルが行政権を握っている地域、行政権はパレスチナ国にあるもののイスラエルが警察権を握っている地域もあります。

パレスチナという地域のことであれば、アラブ人もユダヤ人も住んでいました。誰の土地かと遡れば、イギリス、その前はオスマン・トルコです。
ユダヤ人のシオニズム運動で移住者が増えたことから、アラブ人との軋轢は増えましたが、土地から強引に追い出す権利も力も根拠もユダヤ人にあるはずがなく、しかしながら遊牧民で土地所有の概念が希薄なアラブ人から安く買ったのでしょう。ある程度栄えたところでアラブ人が異議を唱えたのでしょうけど、栄えさせる気もないアラブ人の主張なんか、契約行為の前には認められるはずもなく。

第二次世界大戦後にイギリスがパレスチナ地域を分割する決議を起こしたとき、アラブ側はボイコットしました。イギリスの持ち物なのでイギリスの都合で決めても良いのですが、アラブは「ユダヤ人がいるのは嫌」だったのです。イスラエル建国直後からパレスチナとアラブの連合軍はイスラエルの生存権を否定するための戦争をしかけ負け続けています。イスラエルが英仏と組んでしかけたものもあるのですが、まぁ英仏にとってもエジプトなどの増長は脅威だったのでしょうね。

ちなみに東エルサレムは、当初ヨルダンが統治してましたが、イスラエルに戦争を仕掛けて負けたので取られました。

>そもそも、どのような経緯と理由でパレスチナにアラブ人が住むようになったのでしょうか?

あのあたりはアラブ人が沢山住んでいます。元からです。だからといってアラブ人の土地という訳ではないのは、既に説明した通り。
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もともと、あそこにはユダヤ人たちが住んでいたんですよ。

それがローマ帝国との戦い(ユダヤ戦争)でユダヤ人たちは敗退して追われ、世界中に散らばってしまったわけ。

しかし自分たちの国がいるということで、やがて聖なる地のエルサレムに集結してくると、そこにはアラブ人が住みついていた、というわけ。
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イランに住む人に、アラブ人と尋ねると、怒ってペルシャ人と答えます。


極東に住む日本人にはペルシャ人とアラブ人は見分けられないですね。
黒人のユダヤ人がイスラエルに住んでいます、ユダヤ教徒で母親が、
ユダヤ教徒ならユダヤ人なのです、ユダヤ民族はいないのです。

オリエントの地域は人種と宗教がモザイク模様に、なっていて
日本人には理解不能ですね。

イスラエルが無力なパレスチナ市民を殺しているニュースを観る度に、
アドルフ・ヒットラーに一票を入れたくなりますね。
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とりあえず、ことの起こりは「ディアスポラ ユダヤ」で検索しましょう。



その後の流れは、この記事がおすすめです。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar …
対話形式なので、読みやすいと思いますよ。

そういう世界史の基本的なことは、教科書に書いてあるし、検索すればすぐ出てくるし、読むのが嫌ならYouTubeにいくらでも解説動画がありますよ。
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もともと中東地域には多様な文化を持った複数の民族が入り組んで住んでおり、数々の国を勃興させ滅びていきました。


7世紀にムハンマドがイスラム教を始めるとともにその教団はアラビア半島を統一し、ムハンマドの後継者たちは中東全域にイスラム帝国と呼ばれる一大勢力を築きました。その地域内では、多くの民族が文化的に均質化し、「アラブ人」と呼ばれる集団となったのです。
パレスチナ地域は、ユダヤ教、キリスト教の聖地でもあったので、アラブ化に染まらない人たちも残りました。
ですから、パレスチナに住んでいてアラブ化した人を「パレスチナ人」、ユダヤ教のままであった人を「ユダヤ人」と呼んでいるのです。
20世紀になると、シオニズム運動により、ヨーロッパから移住するユダヤ人が増え始め、それまで平和で仲良くやっていたパレスチナ人とユダヤ人の間で軋轢が生じてくるようになったのです。
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パレスチナというのは地域名です。


アラビア半島のあの辺りをパレスチナと呼ぶのです。

アラブ人とはアラビア語を話す人達です。
アラビア半島にはずっと昔からアラビア語を話す人達が住んでいました。
いろんな国を作っり滅びたりの歴史を繰り返しています。
そのへんは、中東の歴史を調べてください。

ユダヤの人達はエジプトで奴隷だったけど逃げてきて、やはりあの辺りで国を作りましたが、ローマに滅ぼされて、アラビア半島から出て行きました。
それから3000年くらいの間、国を持たず、世界に散らばって暮らしていたのです。

20世紀になってから、ここは自分達の聖地だと言って、イギリスの勢力を背景にイスラエル国を作ったのです。
それが現在の戦争の原因です。
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