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哲学の形而上学などと言うと、難しくて背伸びしてすっ転びかねません。
だから、平易に考えることから入ってゆくことは大事だと思います。

例えば、建物の設計図は、設計図としては実在するものですが、建物としては実在するものではなく観念的存在と言えます。
「国家」という概念は、実在するようなしないような微妙なものであると思います。国民や国土、政府などの実在のモノの総体的な存在とも言えると。「法人」などもそうですね。だから、幻であるとは言えないと思うのです。

「設計」とか「国家」とか「法人」などの観念的なものは物質的に実在するものではないとも言えるのですが、では何でしょうか?考え方の問題として。

A 回答 (5件)

抽象的概念=形而上学ではござらん。



物理学だって抽象的概念は重要なんだ。

物理的な機序で説明つかないことが判明している(従って物理学者は感知ない、関与できない)概念を操作するのが形而上学(meta-phisics)。

例えば、神とか、友情とか、勇気とか、永遠平和とか、、、、。
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この回答へのお礼

>物理的な機序で説明つかないことが判明している(従って物理学者は感知ない、関与できない)概念を操作するのが形而上学(meta-phisics)

私自身も形而上学に未だ入門していないので、分かっておりませんでした。
哲学とは文明の基礎の部分なので、多くの人ができれば入門をし、思考停止社会を少しでも改善すべきかと思います。

そのためにはMokuzoさんの助言が必要です。

お礼日時:2024/02/04 21:35

>完成した建物から考えれば、観念的なものと言えますね。



いえ、回答した通り観念は「居住者の住みやすさ、土地の有効活用、費用対効果の最適化、防災、など」です。それを成果物として完成させたものなのが設計図なので、設計図と建物はともに完成物です

逆に設計図をあくまでも観念だとする考え方をとるなら建物も人の生活や暮らしを補完するたんなる観念でしかありません
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この回答へのお礼

設計上での「居住者の住みやすさ、土地の有効活用、費用対効果の最適化、防災、など」は観念ですね?

その観念を、成果物として完成させたものは、「建物」ですね?

例えば、楽譜も一つの完成物と言えますが、耳に聞こえてくる音楽ではないですよね?音楽としての完成物は実際に演奏されているものであると。それと同様のことであると考えられます。

要は、あなたの考え方がよく分からなかったということなのです。

お礼日時:2024/01/29 14:20

建物の設計図は観念的存在ではなく、居住者の住みやすさ、土地の有効活用、費用対効果の最適化、防災、などをの観念を具体的に落とし込んだ完成したものです。

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この回答へのお礼

「例えば、建物の設計図は、設計図としては実在するものですが、建物としては実在するものではなく観念的存在と言えます。」

と書きましたように、完成した建物から考えれば、観念的なものと言えますね。

お礼日時:2024/01/29 13:53

国家は概念であると同時に


現実の存在でもあります。

国家なんてのは、人間が勝手に創り上げた
モノに過ぎません。

存在するのは、人間の頭の中だけです。

しかし、その概念を基に、
国土、国民、国家権力が産まれ
戦争までやる訳です。

その意味で、現実の物理的存在でも
あります。


学校も同じ。


お金もそうですね。
あれはただの紙切れであり、金属片であり
数字です。

でも、その概念を基に、各種の経済活動が
行われており
この意味で、現実の存在です。



神も同じ。
単なる概念なのに、実在すると
錯覚し、それを基に
金儲けしたり争ったり。
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この回答へのお礼

まあ、文明とか文化とは人間が勝手に作り出したものです。

観念は主観の中にあって、それに価値があると思うほどに人は客観世界の中に具象化しようとします。
だから、建物で言えば設計図、映画で言えば脚本のようなものだと思うのです。

主観的なものだから、現代ではあまり評価しなかったり、無視したりするのかなと。

そういう存在って、何と言ったらいいのでしょうか?

お礼日時:2024/01/29 14:03

国家といってもいろいろある。


ギリシャ語で「ポリティカ」ラテン語で「レス・プブリカ」というのは現代英語では「リパブリック」であり直訳すれば「共同体」である。
「Republican Party」を「共和党」と訳すのはそのためである。
人間がお互いの力を持ちより外敵から身を守り生活の安全とより良い暮らしを目指す。
それが共和政体である。
封建制のように、自分の領土を守ることが第一義の国家もある。

法人とは法律上の位置づけである。
元来法体系には「自国民」と「それ以外」の位置づけしかないが、それだと何かと具合が悪い。
そこで例えば外国人には「外国人法」で自国民に準ずる法律上の人格を与えている。
それを団体に与えるのが「法人」で、いうなれば「法律上の人格」である。
これによって団体にも自国民に対するのと同じような権利や義務その他を規定できる。
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この回答へのお礼

「設計」「国家」「法人」は例であって、要はそういった観念的な言葉とは、人間にとっていったい何ものと言えるのかということなのですが、そうですね、違う言い方をすれば、例えば「社会主義」という言葉がありますが、これは一つの社会の体制を表現した言葉であり、マルクスの資本論には詳しく定義づけられていると思います。(読んだことないですが)
この言葉もまた実態があるような、ないようなものであると思います。

マルクスの資本論を読んで感動した人が社会主義体制をいいものと考え、様々な活動をしたりします。これは思想ですから、思想的な力を持っていると言えます。

総じて、こうした観念的な言葉・概念とは、人間にとっていかなるものと言えるのかという質問です。

お礼日時:2024/01/28 19:40

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