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「科学的データ」がなんだかんだと偉ぶって、そんなデータには表せない人間の感覚をないがしろにしているような輩は、どういう姿勢で生きているのでしょうか(゜_゜)?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    感性のない人間は黙っていればいいのです。正しく芸術作品を鑑賞できないのですから。自分は論ずる価値がないと悟って、ほかの分野に精を出す。それがだれもかれも意見を言える土壌が大事などというあやまった民主主義が混乱のもとなのです。だから科学的土台などという本質的ではあるが、決定的ではないことを至上のものにするような価値観が台頭してくるのです。

      補足日時:2024/02/11 08:35

A 回答 (6件)

「科学的分析」を読んで、多くの人は「なるほど!」と感動します。


しかしそれは、
「知識やデータによって描き出されたユー トピアへの青写真どおりに、
強引に社会をっくり変えよう」とする思考法の罠、言葉の虚構性の罠に囚われる危険があるのです。
 共産主義の失敗などがそうですね。「完壁な」理論などないのです。
これを早くから指摘したのはゲーテです。

人間 には不可能を可能にする力 、矛盾した具体的問題を解決する知恵がある。 その力、知恵の発揮から出発すべきであって、それなしに、科学的データをもとに、どんなに立派なや理論を作ってもだめだ。と言う事です。

こうした人間の可能性を信じるのは「楽観主義」への信頼にあるのではないでしょうか。
「無条件に成り立っ透徹した"自信"」また 「人間の精神的な力への無限の信頼」それこそが楽観主義だと思うのです。
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この回答へのお礼

はい。根本的な思考に踏み込めば、科学万能主義≒悲観主義の傾向になります。そしてそれは人間性の否定につながっています。

お礼日時:2024/02/10 10:28

no.3です。


進化の過程で意識の閾値以下に積み上げられてきた
空の部分にある、根柢の人間としての直感。
それがあなたの言う`感性`なんだろうと思います。
そしてそれが大切だということには同感です。

逆にそういう構造的限界があるにもかかわらず
表層の気持ちの勢いから、根柢の感性からの叫びを
短絡的に叩き潰してどこが悪い、
みたいな地滑りが起きがちな現実。
それこそが憂慮されるのではないかと思っています。
浅薄な表層の科学の振りかざしみたいなものも
ここに含まれてしまいそうですね。

`人間の感覚`という言葉に少なくとも
`根底からの感性`と`表層の勢いの気持ち`
という二つの意味が持たせられる。
ということなんだろうと思います。
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この回答へのお礼

>進化の過程で意識の閾値以下に積み上げられてきた
空の部分にある、根柢の人間としての直感。
それがあなたの言う`感性`なんだろうと思います。

いや、そんな大げさなものではありません。普通に感覚器官感情を働かせていれば、ほとんどの人が近くし得るごく日常的な経験です。

>逆にそういう構造的限界があるにもかかわらず
表層の気持ちの勢いから、根柢の感性からの叫びを
短絡的に叩き潰してどこが悪い、
みたいな地滑りが起きがちな現実。

はい。そうです。上段に書いた、素直な人間としての感覚をないがしろにする動きです。

>`人間の感覚`という言葉に少なくとも
`根底からの感性`と`表層の勢いの気持ち`
という二つの意味が持たせられる。

No.Only oneなものが人間の感性です。

お礼日時:2024/02/11 09:40

個人々々の主観である感覚は非常に重要です。



そして「科学的データ」は貴重な客観性を持った参考資料で、それ以上でもそれ以下でもありません。
また「科学的データ」を解釈するのは個人々々の主観である感覚も大きな役割を負っていると思います。

しかし、「科学的データ」など客観性を持った参考資料なしでは、それでは感情をぶつけ合うだけで何の解決や決定も導き出せないことも多い。
何故かと云えば、客観性のあるデータなど議論のベースがないと単に言いたいことを云い合うすれ違いになりやすいからです。
このスレッドで回答者の見解があなたの感覚と違っていて、あなたが批判を繰り返しても、それ以上の相互理解が不能状態なので、前に進めないのと同じでしょう。
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この回答へのお礼

ようするに民主主義というものが間違っている可能性があります。

お礼日時:2024/02/10 20:21

現代日本の考え方は


まずは物質科学というベースから入ってきていると思います。
そしてそれに対する反動として気持ち重視の方向へ
振ろうとする勢い・・・。

それらを両極として振幅が大きい争いへと
対立が激化しがちな傾向の中で、
人間の気持ちも大事だけれども
人としての絶対場ともいえるような構造的限界を超えるほどの
強者の理屈の勢いは、
凶器として凶暴な人間性否定合戦の争いへの地滑りを起こしてしまう。

ということで冷静な感覚が求められるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

科学の限界と人間の感性の鋭さが分かってない。

お礼日時:2024/02/09 13:41

企業経理の職に就いていたことがあり、数字には目的に沿って操作できる性質を持っていることを知っています。



世のなかには様々なデータがあり、すべてを疑っているわけではないですが、数字であるからには冷徹であるというのは信頼感ということにすぎず、仰るように経験を基にした感覚の方がよほど信頼できる場合があると思います。

つまり、そういう人たちは数字信仰をしている人達だということです。
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この回答へのお礼

出団統率にはいいのだが人間の感性についてないがしろにするのは間違いです。

お礼日時:2024/02/09 13:42

個人と向き合うときは感情が大事ですが、社会的事象と向き合うときはデータによる統計的傾向が重要なんですね。

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この回答へのお礼

いや、社会的事象ですら感性なしには何も分かりません。

お礼日時:2024/02/09 13:43

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