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こんにちは。


江戸時代以前の農民の暮らしについてなのですが、彼らの暮らしは厳しかったと聞きます。

一方で、作物を育てるというのは田植えや刈り取りの時期を除くと、待つ時間が多くなると思うのですけど彼らは結構暇をもてあましていたのでしょうか?

もしそうだとすると、待っている間は何をしていたのでしょうか?家に滞在する時間が結構あって意外とのんびりと暮らしていたんじゃないのかな、と思うのですがどうでしょうか?


ご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 現在のように機械化されていても、農薬と化学肥料を使わないで米作りをしてみると分かりますが、とんでもなく労働力を必要とします。


 
 除草だけでも、田に草が生えてくるのを、水田ですから湿度90パーセント以上、気温30度を超え、直射日光の射す中で、中腰になり手で生えてくる草を一つ一つ取っていく作業をやってみれば結構暇をもてあますなどという考えは浮かばなくなるでしょう。(草は取っても取っても次々生えてきます。)

 肥料の入手も大問題で、草の良く育つ夏の間に、山林・川原などの草を手で刈り取り堆肥を作っていました。

 それだけ努力をして収穫量は現在の半分から3分の1位です。(それでも、米は優秀な作物で、当時のヨーロッパの平均的な小麦の単位面積収量に比べて、3倍くらい収穫があったようです。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。日本の農業は優秀だったのですね。ところで、除草は何日おきにしていたものなのですか?毎日やっていたのでしょうか?

お礼日時:2005/05/10 20:40

 No4です。



 900坪(3000m2くらいです)の水田を2・3時間かけて端から順番に草をとっていった場合、1週間弱くらいで終わるかと思いますが、はじめに取ったところは、取る前と同じ状況になっています。(><)

 江戸時代、米はおいしい上に保存が利くため、年貢(税金)として作られました。
 子供3人夫婦2人親1人の一家族で6000m2の水田を経営(江戸時代の自営農の標準よりやや上くらい?手作業で大人3人ではこれくらいの面積以上は管理不可能かと思います。)すれば、江戸時代では1トン位の米の収穫があります。
 カロリーを米だけに頼った場合、一人平均180キロ(戦前の日本人の食べた量です。)くらい食べますから、子供が食べる量が少ないとしても、6人で1000キログラム、つまり1トン食べることになります。

 年貢に約50パーセントくらい持っていかれますし、農機具その他の購入・修理のため、3年くらいは保存できる米は現金同様に、支払いにも使われました。

 自分の食べる米がないと思われたでしょうが、それが事実なのです。江戸時代の一般的な農民は普段米を食べなかったのです。江戸の町では庶民でも米を食べていましたから、農民よりはいい生活だったようです。

 農村で米を食べるのは、正月や冠婚葬祭などの特別な場合で、普段は芋・まめ・かぼちゃ・その他雑穀を食べていました。つまり、自分の生活の為の食料を作る手間が、米作り以外に掛かります。ですから実際には、米作り×2倍の農作業があることになります。

  
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この回答へのお礼

ありがとうございます!やっぱり農民の生活は大変だったんだなー、と思いました。色々と参考になりました。

お礼日時:2005/05/13 00:02

雨で遠出が出来ない時でも、農具や道具の修理着物の修理、粉ひきなど屋内作業があります。


長雨が続けば耕作地の水の管理、出水の警戒ででかける事も。

原則、農作業は屋外ですから屋外の時間が長かったはずです。

春耕といって春は田起こしという耕地の土起こしがあります。 施肥もこの季節に、耕筰の諸準備があります。  積雪地では雪解けまでなにをしたのでしょう?  豪雪地方地方の方に聞いてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変参考になります!冬の間、彼らはいったい何をしてたんでしょうね。気になりますね^^。

お礼日時:2005/05/11 16:59

それ程暇では無かったようです。


農作には肥料が必要で、それを作る原料の草刈りでかなり遠くまで出かける必要がありそれを持ち帰らねば成りません。
燃料も同様森や林にとりに行かねば成りません。
食料の麦、蕎麦、キビなどの粉ひきも水車小屋に頼めば費用を払わねばならず、夜なべで引いたものです。

当時荷車は普通の農民はもっていませんから全部担いで運ばねば成りません。
もし家畜を飼える身分ならその世話もあります。

換金作物が作れる地方は多角経営でこれも作りますがこれらの畑作は植え付けや収穫は米作と時期が異なります。

一寸あげただけでも大変忙しい生活です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほど、空いた時間は山へ柴刈りか何かに行っていたのですね。ということは日が暮れるまでは基本的に毎日外出していたのでしょうか?外に出ないで家で作業する日などはあったのでしょうか?室内の作業と外の作業ではどちらが多かったのでしょうか?冬から春にかけては彼らは何をしていたのでしょうか?

よろしくお願いします。

お礼日時:2005/05/10 20:41

>田植えや刈り取りの時期を除くと


機械や輸送手段のある現代でも農業は大変です。

日本テレビ「鉄腕DASH」DASH村
http://www.ntv.co.jp/dash/village/index.html

「明雄ドットコム」や「作物」のコーナーをご覧下さい。
農閑期でも、生活用具や冬支度、次の作付けまでの準備などで忙しいです。

参考URL:http://www.ntv.co.jp/dash/village/index.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。農閑期とそうでない時期を比べて、室内での作業と、室外での作業ではどちらの割合が多くなってくるのでしょうか?

お礼日時:2005/05/10 20:40

似たような質問を見つけました。

参考になるかと。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1371427
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 参考になります。

お礼日時:2005/05/10 20:39

>江戸時代以前の農民の暮らしについてなのですが、彼らの暮らしは厳しかったと聞きます。



実際はそうでもなかった、明治になって前政権の時代を悪く言うためにそういう説が流されたというはなしもあります。

>一方で、作物を育てるというのは田植えや刈り取りの時期を除くと、待つ時間が多くなると思うのですけど彼らは結構暇をもてあましていたのでしょうか?

 農民は米だけを作っていたわけではなく、多角経営をしていました。
 米作りにしても田植えと稲刈りだけですむわけではなく雑草取りや肥料をやったりでそんなに暇をもてあます余裕はありませんでした。
 というわけで農閑期はともかくとしてそんなに暇ではありませんでした。
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この回答へのお礼

そうなのですか,知りませんでした!ありがとうございます。

お礼日時:2005/05/10 20:39

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