啓蒙思想と社会契約論の違いを教えてください。どのような扱い方のちがいがあるのでしょうか。「~思想」と「~論」ですが。簡単に御説明していただけると、ありがたいのですが。

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A 回答 (5件)

何の論述でこの2つをお使いになるのかわからないのですが、



さらに簡単に言うとすれば・・・

社会契約論は・・・
絶対王政(王様の言うなり政治)が当時の政治だったが、どんな政治体制も、民衆と政治側という両者の間で、『我々民衆のもつ権利などをあなたに預けます。だからうまく国を治めてや。』『確かに引き受けました。しっかり治めますわ。』という相互の契約で国家が成り立っているという説です。

横暴を働く政治体制には自然法という王様をも越えて超越して自然に存在する自然法という概念の権利(生きるための当然の権利もろもろ)を行使することができる。でも庶民はアホだからそれを知らない。無知でかわいそうな存在である、とルソーは思ったのです。そこで登場するのは・・・

啓蒙思想。
愚民ども、おまえらアホだから俺、ルソー様が知識与えてやるよ。だからおまえらの置かれた状況把握しろ、俺はそこから抜け出す手伝いをしてやるよ。
って感じでしょうか。この思想が市民層で広まり、実践され急進、過激になっていくことでフランス革命の火種になったといえる。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。話し言葉で御説明してくださったので、すごくよくわかりました。

>何の論述でこの2つをお使いになるのかわからないのですが、

フランス革命とアメリカ独立革命の比較という問題でどちらの言葉を選べばよいのか迷いました。本では啓蒙思想が大々的に取り上げられていますが、社会契約論のほうは堂なんだろうと思い、質問いたしました。

社会契約論は啓蒙思想が登場する前にもう既に存在していたという理解でよいのでしょうか。中世の荘園にも「契約」というタームが使われていますが。

お礼日時:2001/09/21 00:53

ちょっと、補足。



社会契約という発想はギリシャからありました。その意味で啓蒙思想より古いという見解は正しいでしょう。
しかし、ここでの<契約>は中世の制度としての「契約」とはレベルの違う話だと思います。
現実の関係としての「契約」ではなく、もっと観念的・抽象的なレベルで「契約」を想定するという意味での<契約>なのです。
上手く説明できないのですが、そういうことです。

啓蒙思想というのは、確かに現実には、愚民どもを教化してやる、という面もありました。
しかし、啓蒙できるためには、愚民どもにも理性がなければならないわけで、逆にいえば人間の理性に対する信頼です。
ここにはルネサンス以来の人文主義の限界に対する反省が絡むわけですが、うーん、上手く説明できないのですみません。
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この回答へのお礼

補足していただいてありがとうございます。
なるほど、ギリシアからあったのですね。

>現実の関係としての「契約」ではなく、もっと観念的・抽象的なレベルで「契約」を想定するという意味での<契約>なのです。

「契約」に現実的と抽象的があるのは理解しにくいのですが、今は違うレベルの物ととらえておきます。

>啓蒙できるためには、愚民どもにも理性がなければならないわけで、逆にいえば人間の理性に対する信頼です。
ここにはルネサンス以来の人文主義の限界に対する反省が絡むわけですが、うーん、上手く説明できないのですみません。

ルネサンスと啓蒙思想の違いがよくわからないのですが、そこは、このスレッドとはずれてしまいそうな話題なので、また違う機会にご質問したいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2001/09/22 00:52

>社会契約論は啓蒙思想が登場する前にもう既に存在していた・・・?



とのこと。
その通り。ただ制度としてはあったのですが、これを政治社会学的にとらえ、文章として世に発表し、具体的に”社会契約説”として認識されたのは、近代ヨーロッパ時代のロック、ルソー、ホッブズなどの功績でしょう。

それまで言葉で認識できていなかった昔からの制度が、この時、社会契約説と言う名で認識されたわけです。

言うなれば、かつてくだらない映画は、ただ駄作でしかなかったのが、B級映画と言う言葉やサブカルチャーの登場で、確たる存在場所を得たようなかんじです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>言うなれば、かつてくだらない映画は、ただ駄作でしかなかったのが、B級映画と言う言葉やサブカルチャーの登場で、確たる存在場所を得たようなかんじです。

なるほど、すごくわかりやすいです!!
だいたい感じがつかめました。ありがとうございます!

お礼日時:2001/09/22 00:37

社会契約論は国家とは何かという問いに対する一回答です。



啓蒙思想とは旧体制を打破しようとする思想的な一大キャンペーンではないでしょうか。
当然国家や社会に関することも含まれますが、宗教、教育、科学、哲学等広範にわたるものでした。

社会契約論的な国家の成立には、近代的(合理的)市民の存在が不可欠ですから、その意味で両者は密接に結びついていたとは思いますが。

以上のように思っていましたが、自信はありません。
詳しい方のご意見を伺いたいと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、何となくイメージがわいてきました。

>啓蒙思想とは旧体制を打破しようとする思想的な一大キャンペーンではないでしょうか。
当然国家や社会に関することも含まれますが、宗教、教育、科学、哲学等広範にわたるものでした。

なるほど、今まで国家のことばかり考えていた、国家の体制にあり方を示している社会契約論と区別できませんでしたが、そう考えていくと、理解できました。どうもありがとうございました!!

お礼日時:2001/09/21 00:47

わたしも大学でかじった程度なので簡単にしか説明できませんが、ご質問の様子だとこの説明で十分かとおもいますので。



啓蒙思想は、当時何事にも無知であった民衆に知識を与え、権威、制度、習慣を理性絶対の立場で合理主義的批判を行い、彼らの自立と意識の向上を(無知からの解放)、という思想です。フランスの市民層を基盤にフランス革命の出発点になりました。

社会契約論は、社会や国家は、それぞれの立場の人間の間に交わされた「契約」により成立するとした政治社会学の基礎理論です。
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この回答へのお礼

すいません、もっと簡単にしていただけるとありがたいのですが。キーワードでもいいので。社会契約論は基礎理論で、啓蒙思想は、合理主義的批判精神の思想でしょうか。フランス革命は社会契約論により、発生したとはいえないのでしょうか。論述で使うので、どちらをどこで使えばよいのかわからないんです。どちらも同じ時代の話ですし。ロックの思想も啓蒙思想と社会契約論が入り交じっていますよね。

お礼日時:2001/09/20 08:03

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Q(再掲)朝鮮半島の歴史上の人物

現在、韓国の歴史人物について調べているのですが、詳細な資料が見つかりません。
皆さんの知ってる韓国の歴史人物の知識を教えて下さい。
織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物をお願いします。

私の知っている朝鮮半島の歴史上の人物は安重根・李舜臣ですが、

安重根は、ケネディ大統領を暗殺した犯人・ファイサル国王を暗殺したオマル師・朴正煕大統領を暗殺した金載圭、
などのテロリストの領域を出ない人物だと思います。

李舜臣は日本史上の人物で例えると、九鬼義隆や源義経など現場指揮官クラスの人物です。
源頼朝や織田信長など明確なビジョンを持って歴史を動かした人物ではないと思います。


1)朝鮮半島の歴史上の人物で織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物。
2)その人物が成し遂げたこと。
3)その人物が出現した後、どう変わったか。
をご教授下さい。

ご協力おねがいします。

Aベストアンサー

朝鮮の歴史を簡単に述べると、古代において君主制の中央集権の統一国家が
出現し、それが近代に至るまでずっと続いたということです。
日本やヨーロッパのように、封建制が間に入らないので、織田信長級の変革者
となると、数は限定されます。


今までに名の挙がってない人物で重要なのは、新羅の金春秋かと思います。
最近、少しずつ韓国の歴史を調べているのですが、今に至る韓国の歴史の
流れを決めたという点で、金春秋の存在は非常に大きいと思います。

こういうと語弊があるかもしれませんが、事大主義の先覚者ですね。
彼が活躍しなければ、新羅が勝者となることはなかったかと思います。
高句麗などは隋や唐の遠征軍を何度も退けて、自主独立の気概を示していた
のですが唐と同盟を結んだ新羅が韓半島を統一することで、その後の韓半島
の歴史が決まりました。

他にも、中国文化を積極的に導入し、名前までも中国風に改めたことなどは
やはり金春秋の影響が大きいと思います。


もう一人名前を挙げるとすれば、他の方の回答にあるように朴正煕大統領
ですね。朝鮮半島が最終的に赤化されなかったため(近い将来、あるかも
しれませんが。;^^)、日本にかかる共産圏の軍事的圧力が減り、日本は
その分経済発展することができました。

開発独裁の担い手として批判も多い朴正煕大統領ですが、客観的にみて日本の
恩人とも言えるかと思います。

朝鮮の歴史を簡単に述べると、古代において君主制の中央集権の統一国家が
出現し、それが近代に至るまでずっと続いたということです。
日本やヨーロッパのように、封建制が間に入らないので、織田信長級の変革者
となると、数は限定されます。


今までに名の挙がってない人物で重要なのは、新羅の金春秋かと思います。
最近、少しずつ韓国の歴史を調べているのですが、今に至る韓国の歴史の
流れを決めたという点で、金春秋の存在は非常に大きいと思います。

こういうと語弊があるかもしれませんが、...続きを読む

Q啓蒙思想とパノプティコン

18世紀末にパノプティコンをベンサムが具体化したそうですが、啓蒙思想の中でどのようにこの発想がされたのですか。どうか教えてください。

Aベストアンサー

「啓蒙」をたとえば英語で言うと、Enlightenmentですよね。この言葉をみてもわかるように、「啓蒙」には「光」(light)が重要な意味を持っています。「光」を照らすことによって、見えなかったものが、「見える」ようになる。これが、「蒙を啓(ひら)く」ことの本質的なイメージなのです。「理性」「知」=「光」によって、「世界」が一望に「見渡せる」ようになる、というわけです。
(だから、「啓蒙」の思想には「見る(見える)」という意味が一貫して付きまとっています)

さて、「パノプティコン」はご存知のように、日本語で言えば「一望監視装置」ですね。普通は囚人などを監視するわけですが、「一望(一目)」で「見える」ことがその本質的な機能です。だからこそ、「啓蒙」の「光」によって「見る(見える)」という一貫した志向性の、延長にあるものと理解できるわけです。

とりあえずはこんなところでどうでしょうか。
なお、詳しくお知りになりたい場合は、新潮社等から翻訳されているミシェル・フーコーの著作をお読みになるとよいでしょう。

Q朝鮮半島の歴史上の人物

現在、韓国の歴史人物について調べているのですが、詳細な資料が見つかりません。
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織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物をお願いします。

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安重根は、ケネディ大統領を暗殺した犯人・ファイサル国王を暗殺したオマル師・朴正煕大統領を暗殺した金載圭、
などのテロリストの領域を出ない人物だと思います。

李舜臣は日本史上の人物で例えると、九鬼義隆や源義経など現場指揮官クラスの人物です。
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1)朝鮮半島の歴史上の人物で織田信長・徳川家康・源頼朝など、歴史を次の時代に進めた歴史上の人物。
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ご協力おねがいします

Aベストアンサー

ここを見て頂ければよいかと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E5%AE%97_(%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B)

Qなぜヨーロッパでは啓蒙思想になったのですか?

中世まではキリスト教中心に動いていたのになぜ切り替わったのでしょうか?
30年戦争でローマ帝国は滅び、力のある者が権力を持ち自分の領土支配のために近代化を薦めたからでしょうか?

よくわかりません。私が考えることであっているでしょうか?

Aベストアンサー

とても大きなスケールの良い質問だと思います。

 中世ヨーロッパは、ビザンツの皇帝教皇主義と違って、教皇が皇帝を創りましたね。「コンスタンティヌスの寄進状」などという偽造文書も出回りました。その教皇と皇帝とが叙任権闘争で争い、大空位へと皇帝を追い詰めたはいいけれど、フランス王が元気になって、アヴィニョンに教皇庁を持っていかれ、ローマに戻ってすぐシスマです。
 この「教皇は何をやっているのか」という時代には、「ではキリスト教とは何か」という問いも生まれ、三位一体説への疑問が普遍論争へと結実し、アンセルムスの「理解せんがために吾信ず」がトマス・アクィナスの「哲学は神学の婢」となります。「理解する」主体と「哲学する」主体はともに「理性」です。唯名論は、理性の活動を神―信仰―から解放します。その結果は、具体的個物の探求を進めさせ、抽象化して大局を捉えていきます。その歩みは、地動説から科学革命へと進みます。認識論的にもイギリス経験論や大陸合理論が「理性の働き方」の説明を試みます。モンテーニュの言う「人は何を知るのか」です。宗教史的にも、シスマの時代にウィクリフやフスが出てくるのは当然といっていいほどの勢いがあると思います。
 こうして理性の認識する「リアルな現実」に人が迫ることを自覚することは、同時にルネサンスの運動を進めても行きます。ルネサンスは単なる「古代への回帰」ではなく、古代の民主政や共和政を意識しつつ、新しい時代を作ろうという運動でした。
 芸術領域においては、キリスト教的テーマに加えて非キリスト教的テーマが噴出してきます。ギリシア神話は言うに及ばず、農民の日常や風景画、肖像画を描くようになります。
 政治的にはルネサンス人は共和主義です。マキァヴェリも君主に限らず「統治者」の資質を問うています。しかしイタリア戦争などもあり政治的成熟に欠けていて実現できません。
 しかし、自由を求める「市民」たちはその後は市民革命へと向かいます。彼らが捉えた「リアルな現実」には、腐敗した教皇による教会政治や、王侯による世俗政治が加わって行きます。つまり、ルネサンスを進めたのは北イタリアで成長した共和制を行う都市の市民たちであり、イギリス革命やフランス革命を担うのも、「平民」=市民です。
 ルネサンスにおいても、芸術家たちによる単なる文化史上の運動と変化だけではありません。彼らの現実的役割にはダンテやマキァヴェリの政治家としての立場もあったのです。

とても大きなスケールの良い質問だと思います。

 中世ヨーロッパは、ビザンツの皇帝教皇主義と違って、教皇が皇帝を創りましたね。「コンスタンティヌスの寄進状」などという偽造文書も出回りました。その教皇と皇帝とが叙任権闘争で争い、大空位へと皇帝を追い詰めたはいいけれど、フランス王が元気になって、アヴィニョンに教皇庁を持っていかれ、ローマに戻ってすぐシスマです。
 この「教皇は何をやっているのか」という時代には、「ではキリスト教とは何か」という問いも生まれ、三位一体説への疑問が普遍...続きを読む

Q好きな歴史人物を教えてください。

好きな歴史人物を教えてください。

自分が好きな歴史人物は坂本龍馬です。
今大河ドラマ龍馬伝でやってる通り生き様が羨ましいです。

他には徳川家康とか暴れん坊将軍吉宗、それに織田信長です。

是非皆さんの好きな歴史人物を教えてください!

Aベストアンサー

『坂本龍馬』=ただの一志士でありながら他の人間とは違った己が信じる平和の道を模索する姿が素敵です。

『高杉晋作』=「おもしろき こともなき世に おもしろく」彼の辞世の句ですが、本当に高杉晋作の人となりを良く表した一句だと思います。

『織田信長』=戦国時代で圧倒的な存在感の信長は本当に男惚れする人物ですね。ただ社会人になった今となっては、もし上司が信長だったら?と考えるととても生きた心地がしませんが・・・。

『豊臣秀吉』=農民から天下人まで駆け上った言わずと知れた、日本史上最大のサクセスストーリーの持ち主。当時としては奇想天外な柔軟なアイディア(墨俣一夜城建設、高松城の水攻めなどなど)はかなり個人的にはワクワクします。また、人心を読み、動かす事にも長け、こう言った部分でも社会人としては見習いたくあります。しかし晩年の朝鮮出兵は秀吉好きの私としても受け入れられませんね。


ちなみに、暴れん坊将軍吉宗はドラマのキャラクターは史実の人物像からはかなりかけ離れてますよ???
史実の人物像はかなりの倹約家で財政難の幕府を立て直すのに必死だったそうです。
とか言いながらも私もドラマの暴れん坊将軍は大好きですけどね

『坂本龍馬』=ただの一志士でありながら他の人間とは違った己が信じる平和の道を模索する姿が素敵です。

『高杉晋作』=「おもしろき こともなき世に おもしろく」彼の辞世の句ですが、本当に高杉晋作の人となりを良く表した一句だと思います。

『織田信長』=戦国時代で圧倒的な存在感の信長は本当に男惚れする人物ですね。ただ社会人になった今となっては、もし上司が信長だったら?と考えるととても生きた心地がしませんが・・・。

『豊臣秀吉』=農民から天下人まで駆け上った言わずと知れた、日本史上...続きを読む

Q征韓論に言及した日本思想家について教えて下さい

日本が朝鮮(韓国)に対して政治介入を行おうとしたことについて、
福沢諭吉の『脱亜論』以外に言及した日本の思想家はおりますでしょうか。

卒論で、征韓論に言及した思想家たち(比較研究)をテーマにしようと考えています。

お手数ですが、思想家及びその言及している書籍名を教えていただけたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

講談社学術文庫「氷川清話」
 編集者が勝海舟の談話を江戸口語弁にしています。
福沢諭吉が嫌った勝海舟、面白い対比になるかと。

 その時代の背景も忘れずに

Q歴史上の人物とは?

歴史上の人物、という言い方がありますが、明治の後期の偉大な人でも、生きていると歴史上の人物とは言いませんか?

Aベストアンサー

故人 =歴史上の人物
生存者=立志伝中の人物・傑物・歴史に名を残す人物

と言うと思います。
したがって、生存されている人は「歴史上の人物」
とは言わないと思います。

では。

Q啓蒙が差別語なら

こんにちは。ふと疑問に思ったので質問させていただきます。

「啓蒙」という言葉が差別語だということを聞きました。
それが本当なら「啓蒙主義」という言葉は、今後他の言葉に言い換えられるようになるのでしょうか?

Aベストアンサー

手元にある新明解漢和辞典によれば「蒙」には、おろかである、知恵が足りない、という意味があります。他にも暗い等の意味もありますが、ここでは省略。
啓蒙とはそのような人に教える、という意味ですから、その意味で差別的な意味ととれなくもないですが、一般的ではありません。ちょっと硬い語ですが、差別語ではなく一般語ですね。


因みに、蒙古は蒙兀(モウコツ)とも書き、モンゴルの音訳です。コカコーラが可口可楽になったのと同じですね。差別的に言うのであれば「犬戎」や「匈奴」、「鮮卑」などになると思います。

Q調べやすい歴史上の人物

中学生です。夏休みに、歴史新聞という課題を出されました。
条件は、『死んだ人』なら、誰でもいいらしいです。
でも、私は歴史上の人物の誰かにしたいのですが、どれもピンとこず・・・・。
死んでいて、中学生で習う歴史上の人物で、調べやすい人物はいませんか??

Aベストアンサー

歴史新聞の作り方
http://event.kids.yahoo.co.jp/summer2006/study2/society04/index.html

>中学生で習う歴史上の人物で、調べやすい人物はいませんか??

・聖徳太子
・天智天皇
・天武天皇
・源頼朝・義経
・足利尊氏
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
・西郷隆盛

あたりは、エピソードがたくさん残っているので、やりやすいでしょう。

Q「征韓論」をとなえた理由を簡単に言うと?

こんばんは。
初めまして。
さっそく質問させていただきます。
「征韓論」についてなのですが、
この主張をとなえた理由を簡単に言うとすると、
なんと言えばいいのでしょうか?
教科書を読んで考えてみて、
「新政府に対する士族の不満を解消できると考えたから。」
でいいかな?と思ったのですが、
「征韓論」をとなえた理由として合っているのでしょうか?
「使節が殺害されれば出兵の口実となり、新政府に対する士族の不満を解消できると考えたから。」の方が良いでしょうか?
付け加えた方がいいことなどありましたらアドバイスを下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 なぜ韓国が問題になるのか、これを踏まえておかないと、妙な自虐史観に絡め取られます。気を付けましょう。
 侵略だなんだと言って当時の日本を貶めようとする人がいますが、当時は世界中が侵略合戦をしていたのですから、侵略する側に立たなければ侵略されて植民地にされるしかなかったという状況を、知らないか意図的に無視しているか、どちらかです。

 そもそも日本は、開国なんかしたくなかったわけで、それを無理やり開国させたのはアメリカです。もっとも、アメリカがやらなければ、そのうち別のどこかが数十年のうちには実施していたでしょうが。世界中が侵略合戦をしていた時代ですしね。

 以上の背景を踏まえて、なぜ韓国が問題になるか。
 大陸からの侵略に備える橋頭堡が欲しいという理由です。具体的には、ロシアです。

 日本にとってベストの政略は、韓国が独立国となって独自にロシアと渡り合ってくれることです。そうなれば、ときおり日本が後方支援をする程度で済むので、日本にとってのコストパフォーマンスは抜群です。
 実際、その方針で日本政府も当初は進んでいましたが、鎖国中の韓国は世界情勢を理解できません。まあ、幕府もペリーに対して適切に対処できなかったので、この点についてはあまり日本も偉そうなことは言えませんが。

 ともあれ、話し合いでは埒が明かないので、日本はペリーがした手順をほぼなぞるように、韓国を開国させました。ポイントは、政略どおり、朝鮮を独立国とするとした点です。
 なぜわざわざ「独立国」と日本が認めてやらなければならなかったかというと、朝鮮は当時、「大清属国」として自他共に認める清の属国だったからです。
 が、開国させて独立国としての体裁を整えても、やはり朝鮮は世界情勢を理解せず事大主義を続けましたから、日本にとってベストの政略は実現できませんでした。

 このような、国防政略として大陸に橋頭堡を作る、という大きな流れの中、具体的な戦略案として、「征韓論」が出てくるのです。これは、「朝鮮人に任せられないなら、自分たちでやるしかない」ということです。
 西郷がどう、なんて話は、その更に詳細な戦術論です。
 士族の不満、なんて話は、期待できる副次効果というレベルの、枝葉末節です。

 なお、繰り返しますが、これは当時、悪でも何でもありません。
 侵略されて植民地化される所があったとしたら、その土地が未開である故の自業自得でしかなく、侵略すること自体には、はなんら責められるような問題は無い、それが当時の国際常識でした。

 なぜ韓国が問題になるのか、これを踏まえておかないと、妙な自虐史観に絡め取られます。気を付けましょう。
 侵略だなんだと言って当時の日本を貶めようとする人がいますが、当時は世界中が侵略合戦をしていたのですから、侵略する側に立たなければ侵略されて植民地にされるしかなかったという状況を、知らないか意図的に無視しているか、どちらかです。

 そもそも日本は、開国なんかしたくなかったわけで、それを無理やり開国させたのはアメリカです。もっとも、アメリカがやらなければ、そのうち別のど...続きを読む


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