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あなたは本当に心の底から神がいると思うのか、それとも信じると心が楽になるから「神がいるってことにする」のかどちらでしょうか

質問者からの補足コメント

  • こんなことを書いてあげるなんて私はなんて優しいんでしょうかと自分に感動するレベルですが、まず回答者という立場に気持ちよくなってはいけません。こういうサイトでは頻発する現象ですが、質問者と回答者という立場になる以上、回答者がまるで自分が教師になかったかのように勘違いを起こして高圧的な態度をとりだします。このような輩は教えて気持ち良くなることが目的なので質問文の内容はどこかに飛んでしまい、話題が共通でしてるだけの頓珍漢な回答になるのですね。
    さらに私は超絶優しいのでこの質問文をかみ砕きますと、ここでいう神は一神教に限らずとも古来から見られる自然崇拝、アニミズムのような信仰する姿勢についても含んでいるわけです。先祖の霊魂なんてのも含まれます。質問文を読んで、そういった厳密な定義を必要とするかどうかぐらい、ほんの少しの思考力があればわかると思います。

      補足日時:2024/07/08 20:37

A 回答 (5件)

何処の教団に属している訳ではありません、神がいるのかとか居ないとかも考えていません。

ですが14歳頃から死に対しての恐怖症になって苦しんだ経験が在ります。

毎日が死刑囚の心持で17年間苦しみ悶えた事があります。その結果人間の深層心理と云うか、意識の根底に存在している者と出会った体験が在ります。

その体験を語るなら、誰の心の中にも存在している者の存在を語る必要があると思って書いています。

その意識の根底に存在している者とは、釈迦が云っていた仏性という事になります、禅では『命を働かせている働きそのもの』と云った表現です。

その者は自我意識とは違う意識です、処が絶えず出会ったり相談しながら、どちらの出番かを決めている存在です。

オリンピックや優勝が掛かった場面などで、どちらの出番かを決める事で、優勝出来るのか、或いは逃すのかさえも決まってしまう場合がある様です。

釈迦が云う様に『我』が支配する世界では、身体も心も欲に支配されてしまって、身体も心も自由に働かない世界に入ってしまう様です。

その反対に欲(我)を捨てて我の支配の及ばない世界に入る場合では、心も身体も自由自在になる為に、より優勝が近くなるようです。

この二つの世界とは『我が支配する世界』VS『我が存在しない世界=無意識の自分が支配する世界=仏性が支配している世界』

言い替えるなら『無我の世界』という意味になると思います。この無我の世界とは『自身の無意識の意識』が支配している世界の事です。

この無意識の意識とは『自分自身を働かせている者に支配された世界』或いは無意識の自分を支配している働きそのもの、と云った表現でお分かりいただけるかと思います。

この者との出会いに拠って、死に対しての恐怖症であるならば、即完治します。その理由は『その者の永遠性に触れるからです。』永遠の命を持った存在と分かるからです。

恐怖症の場合では『自我意識の感覚では死なない人は存在しない事が明白』だからですが、この者に触れた場合では『自分自身が永遠の命を持った存在だった事が分かる』からです。

西田哲学的な表現をするなら、絶対に折り合う事が無いもの同士が折り合うきっかけになっているからです。言葉で表現するなら『絶対矛盾の自己同一』と云った化学反応が脳内に展開するからです。

この者が仏性です。既に永遠からやって来て又何時か永遠に旅立つ者と云っても良いものです。

これは赤ん坊が、誰であっても命を守り切る能力を携えて生まれている事の証左です。又細胞分裂の順序でさえも全て間違う事が無い事によって誕生した事が、その証拠になっています。

これは植物であっても桜の木であったとしても、クマであってもクモであっても同じです。一切衆生悉有仏性と釈迦が喝破した通りに全てが展開しています。

何処の教団に属している訳ではありません、神がいるのかとか居ないとかも考えていません。ですが命ある者には全て命の働きと云ったものが作用しているために存在して居ます。その者を仏性と云っているようです。

出逢った姿は正に仏です、永遠の命に包まれている存在という意味です。
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自分が偉いと思い込みたいがために質問するのは止めた方がいいですよ。


世間から鼻で笑われていることを認識しましょうね。
質問者は自分が回答者に教えを乞う立場にあることを忘れてはなりません。勘違いしいないように。

「神がいるってことにする」というのであれば、その人は自分が神を信じていないことを知っているのですから、心が楽になるはずがありません。
(あなたの台詞を使わせてもらうなら)ほんの少しの思考力があれば分かる話です。
つまり、あなたは無理な仮定をしているのです。本当はあなた自身も自分の欺瞞に気づいているはずです。質問を取り消すことをお勧めします。
あなたの趣味が自分の恥を晒すことであれば、そのままにすればよろしい。
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神を信じます


宇宙も地球も生命も、あり得ないのです。
そこに何かが存在する、と考えるのは普通の事ではないでしょうか、

それは人知の及ばない、宇宙の法則と言うか、究極の心理と言うか、普遍的な愛と言うか、神と言っても仏と言っても、呼び方はどうでも良いのです、

人間の有限性。人間は必ず死ぬ。そうした問題は
永遠性の認識なくしては思考し得ないと思うのです、
 
 人間は何らかの永遠性に参画し、動物的本能の生き方を超えて、
初めて一個の人格となることができるのです。
 唯物史観の共産主義者には、理解の範囲を超えてしまうでしょうが。

多くの科学者が、宗教を否定しない理由は、
科学の限界を、誰よりも知るからです。
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どちらでもない。


私の場合は帰納的信仰である。
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まず物言い。

宗教のすべてが神の存在を信じているわけではありません。早い話、私達に最も身近な宗教である仏教では神と言う存在は考えません。
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この回答へのお礼

「まず物言い。」この書き出しから始まる回答よ。後続の文章とその内容からも、まともな回答は到底期待できない....。

お礼日時:2024/07/08 20:20

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