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DRAMで日本が勝ったらアメリカから嫌がらせされた?

1990年代だろうか。

内容は何ですか。

A 回答 (3件)

日米半導体協定ですか。



落合信彦が指摘していました。

米国は、情報産業については
他国に譲歩することは絶対に無い。


○日米半導体協定
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3 …

この協定の締結によって、1981年には世界の半導体市場の70%の
シェアを誇っていた日本の半導体産業が
1990年代以降に急速に国際競争力を失ったとされている。

また、半導体を巡って日本政府と米国政府が激しく
対立したことは「日米半導体摩擦」、「半導体摩擦」と呼ばれる。


日本は安全保障を米国に委ねているので
最終的には米国の言いなりになるしか
無いのです。



半導体を軍事の一つとして捉えていた米国は、
自国の半導体産業の苦境を防衛問題の一つとして認識し、
これが米国の態度を硬化させる一因となった。

ミサイル、コンピューター、人工衛星などの製造には
半導体部品が必須であり、
その半導体が全て日本製品となることは、
米国にとって軍事上の脅威であった。


○内容
1986年、日米間で締結された「第一次半導体協定」
の骨子は以下の2点である[18][2]。

・日本の半導体市場の海外メーカーへの解放
・日本企業によるダンピングの防止



1991年(平成3年)6月に新たに「第二次半導体協定」
が日米間で締結された。その協定の骨子は以下の2点である[2]。

・日本の半導体市場における外国製のシェアを20%以上にする
・日本企業によるダンピングの防止
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DRAMに限りません。


ミノルタ・ハネウェル特許訴訟というのがありました。
ハネウェルが今一つ実用性に欠けるオートフォーカス装置で特許を取り(そもそもなぜそんなもので特許がとれたのかも不思議ですが。事実として日本では特許が認められませんでした)、ミノルタが後にアルファシリーズで世界シェア圧倒的No.1になると「特許を侵害している!」と言いがかりをつけたことがあります。
その結果、ミノルタもキヤノンもニコンもすべて莫大な賠償金を払う事になりました。
なおこの裁判はアメリカの陪審員制度の下で行われました。つまり、カメラ技術も法律も素人の人間が感情でも何ででも多数決で判決を下せるというロクでもない裁判で、です。

他にも、自動車、ソフトウェア、多数の分野で こういう事が行われました。いや、今でも行われています。
こんな調子で、アメリカ企業は外国企業に対して でたらめな裁判を起こし、賠償金で儲けるという手法を1980年代から延々と繰り返しています。
(対象が同じアメリカ企業の場合もありますけど)
また、企業が裁判を起こさなくても「通商法301条」「スーパー301条」という法律があり、これで「(アメリカが勝手に)不公平だ」と感じた貿易品に対して関税を課すことが出来ます。
「アメリカは好景気になる要素が無い」と ず~~~~っと言われているにもかかわらず景気が決定的に悪くならないのは これが理由です。
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「1980年代から1990年代にかけて、日本のDRAM(ダイナミックランダムアクセスメモリ)産業が急成長し、アメリカの市場シェアを奪ったことがありました。

この時期、日本の半導体メーカーは技術力と品質で世界をリードし、特にDRAM市場で大きな成功を収めました。
しかし、この成功に対してアメリカは反発し、1986年には日米半導体協定が締結されました。この協定は、日本の半導体製品の輸出を制限し、アメリカの半導体産業を保護するためのものでした。このような背景から、日本のDRAM産業はアメリカからの圧力を受けたと言われています。」
だそうです。
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