土曜の昼、学校帰りの昼メシの思い出

日露戦争における陸軍は、当初旅順要塞を攻撃しなくてもかまわない、が参謀本部の作戦計画の原案であった。
この原案を作成したのは、田村い与造で、開戦の4か月前に病死した。
作戦計画は、満州の野で主力決戦を重ねて、敵の主力を殲滅すれば、遼東半島の旅順要塞は立ち枯れてしまう、というものであった。
しかし。海軍から旅順の陸上攻撃を要請された。
このため、旅順攻撃を使命とする第3軍が編成された。

質問は、なぜ、当初陸軍は旅順を軽視したのでしょうか?

A 回答 (2件)

陸軍が旅順を軽視したことはありません。


陸軍が旅順を攻撃しなかったのは、海軍が単独で旅順を攻略できると主張し、それが通ったからです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
海軍は、当初の主張を転換して、陸上から攻撃を要請したのですね。

お礼日時:2024/11/04 08:44

旅順はロシア第一太平洋艦隊の母港としての価値しかありませんから、海軍にとっては、万が一バルチック艦隊に逃げ込まれて合流されたら万事休すの重要拠点ですが、陸軍にとっては何の価値もない町ですから消極的だったのは当然のことだと思います。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<陸軍にとっては>ですね。
日本いとっては、ではないのですね。

お礼日時:2024/11/04 08:41

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