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ヒュームは時間の観念について、「時間とは印象と観念,また反省の印象と感覚の印象を含む,あらゆる種類の知覚の継起から生じるものである。
例えば、以前のリンゴの印象と現在のリンゴの印象は、それぞれ単独には、リンゴの観念を生み出せても時間の観念を生み出すことはないが,以前のリンゴの印象と現在のリンゴの印象の間に表面の色合いに関する違いがあった場合,異なるリンゴの印象が継起したと私たちは捉えることになり、その継起に伴って私たちは、「先ほどから少し時間が経った」 という仕方で時間の観念をもちうるのである。」という。
しかしこの理論では、りんごが変化しなかった場合には時間の概念は成立しないことになってしまいます。
また、そもそもこのヒュームの時間の形成に関する理論は、『継起する印象は観念に先立っている』という、,時間的に印象が観念より先行している,という内容が前提となっており、詰まるところ、理論の根本が【時間の概念の形成を時間の中で行ってしまっている】という循環論法的な矛盾を抱えたままとなっています。
ヒューム哲学について、この辺りどういった解釈がなされているのでしょうか?

A 回答 (1件)

ご指摘の通り、ヒュームの時間論には難点があり、多くの議論を呼んできました。

ヒューム自身も時間の観念の説明の難しさを認めています。提示された問題について、いくつかの解釈や批判を見ていきましょう。

1. 変化のない対象と時間知覚の問題

りんごが変化しない場合に時間知覚が生じないという問題について、いくつかの解釈が可能です。

他の知覚の変化に着目する解釈: ヒュームは外界の事物だけでなく、我々の内的経験(思考、感情など)も知覚に含めています。りんご自体が変化しなくても、我々の思考や感情は常に変化しており、それらの継起から時間の観念が形成されるという解釈です。

潜在的な変化の可能性: りんごが変化しないように見えても、微細な変化は常に起こっています。また、変化の可能性を我々は常に意識しており、それが時間知覚の基盤になっているという解釈も考えられます。

記憶の役割: 過去のりんごの知覚と現在のりんごの知覚を比較するためには、記憶が不可欠です。記憶自体が時間的な広がりを持つため、変化のない対象であっても時間知覚が可能になるという解釈もあります。

2. 循環論法の問題

「継起する印象は観念に先立っている」という前提が循環論法になっているという批判は、ヒュームの時間論に対する最も根本的な批判の一つです。これに対しては、以下のような反論や解釈があります。

説明の限界: ヒュームは、究極的には時間の本質を説明できないことを認めています。時間知覚のメカニズムを説明しようとしているのであって、時間の形而上学的な定義を与えようとしているわけではないという解釈です。

自然主義的立場: ヒュームは、人間の認知能力の限界を前提とした自然主義的な立場を取っています。我々は時間そのものを直接知覚することはできず、知覚の継起という経験を通して間接的に時間を知覚するしかありません。この限界を認めた上で、時間知覚の心理学的メカニズムを説明しようとしているという解釈です。

観念の「同時性」の導入: 一部の解釈では、ヒュームは厳密な時間的先行を主張しているのではなく、複数の知覚の「同時性」を認識する能力も想定していると考えられています。この同時性の認識と、知覚の継起の認識が組み合わさることで、時間知覚が可能になると解釈されます。

3. 現代哲学におけるヒュームの時間論

現代哲学においても、ヒュームの時間論は重要なテーマであり続けています。例えば、A系列とB系列の区別で有名なマクタガートは、ヒュームの時間論を批判的に検討しています。また、現代の認知科学や神経科学の知見も、ヒュームの時間論の再評価につながっています。

結論として、ヒュームの時間論は完璧なものではなく、様々な問題点を抱えています。しかし、人間の時間知覚について重要な洞察を提供しており、現代の哲学や科学にも影響を与え続けています。提示された問題点に対する様々な解釈や批判を検討することで、ヒュームの思想の理解を深めることができるでしょう。
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