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元々技術の日産と言われる会社でした。
しかし組合活動も熱心な会社で、いろいろ
あったわけです。ルノー傘下に入り、
ティーダやキューブなど結構良かった。
結局ゴーン追放後は、ただひたすら合理化に
邁進し、何一つ魅力的な車が無いわけです。
そのくせ、経営陣は責任を取らない。
どうしてこうも、凋落したんでしょうか?

「結局日産の20年は何だったのか」の質問画像

A 回答 (5件)

1990年代には、技術の日産だったのに、いつの間にか、独りよがり技術の日産になってしまい、お客さんの為の技術の日産では、なくなってしまったからでは。

可変圧縮比のVCターボなんて、画期的な技術なのに、惜しいよね。
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この回答へのお礼

回答者各位

今回は貴重なお時間を割いてたくさんのアドバイスをいただきまして、
本当にありがとうございました。
特にご回答を頂いた皆様からのアドバイスは、
凝り固まっていた自分の発想の転換になり、
アイディアが湧いてくるようになりました。
皆様がいなかったら、投げ出していたかもしれません。
ご相談させいただけて助かりました。
私の成長を期待していてください。
これからも、ご指導の程、よろしくお
願いいたします。

お礼日時:2025/01/01 00:01

新しい飯の種蒔いて無きゃあそうなるのは、当たり前。


サラリーマン役員は、自分の役職の期間に会社が潰れなければ良いだけなので、そう成ってしまう。
そこが、同族経営の会社とは大きく異なる。

長期のビジョンが持てる役員が長に居ないとどこでもそうなる。
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クルマは作るけど全体としてのポリシーがない。

組織としての力を一つにまとめることができてなかったというのが平成の初めごろからの日産ですね。
ときどきいい車は出てくるけど、それが企業全体を前に進める力になってない。思い付きで作ってたまにヒットが出る。それだけ。
その点トヨタは「いつかはクラウン」みたいなステップアップストーリーで顧客の成長とともに進む営業、セダンからSUVやミニバンへの嗜好の変化への素早い追随、次世代技術としてのハイブリッドの推進で見せた未来を見据えたブレない強い意志、日本を代表する企業としての矜持がありますよね。
結局のところ、自分の任期だけ何とかなればいいという考えがビジョンがないゴーンのようなリストラでごまかす土壌を作って今があるということでしょう。
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日産に限りませんけど、なんの為に仕事をするか、何のための会社なのかをどう経営陣らがどう考えているのか?による違いでしょう。



例えば、日産の場合、自分の年収や地位を上げるため、会社はそのためのツールと考えていたと思います。
だから、ゴーン氏は年度報酬が十数億という大金を手にしたわけだし、その下の役員たちも、右倣えで高額報酬を手にした。
でも、良い車を作ろうということは、あまり考えてなく、過去の遺産で食っていたって感じみたいでしたね。
また、現場で働く人たちのことは、あまり考えてなかったと思います。
だから、大量リストラして、人件費を減らした。
まあ、こういうのは、コンサルがよくやる方法で、簡単に大きな利益が出せます。

某社の社長は、「当社の製品はどんどん売れなくなるだろう。でも、私が社長の閒くらいは、社は存続できるはず。このまま何もしなければ、私はマイナス無しで大きな退職金を貰って逃げ切ることができる。その後、この会社がどうなるかは、知らない・・」
なんて考え方をしていたようですけど、日産の上層部もこんな感じだったんでしょうね。
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やっちゃえ日産ってことでしょう。

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