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ここで答えたことです。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/14033426.html
>赤瀬川源平のエッセイに、自身の幼児期の「周りの人への思惑」というテーマがあって、要は大体みんな一度経験すると思われるのですが、

『この人たちは自分の前だけで父親や母親やその他の社会的人格というものを演技していて、自分の見ていないところでは役者が控室で素の姿に戻るようにその演技をやめているんじゃないか?』

という疑念にとらわれたそうです。つまり、幼児期の自他の分離がまだ未完成な時期に「他者」というものを意識し始める過程において、なにかそういう統合失調的な妄想にとらわれ、自と他というものをあくまで「同一ではない」「自が中心なはずだ」という思考形態をとった時期があったということです。

これは納得できる話です。私にも瞬間的にそういう時期がありました。今考えれば確かに「自他を相対的概念として確立する」その過渡期だったということです。

つまり通常「他者の発見」というのは幼児期のある時期に必然的に訪れます。でも例外的な人もいるでしょう。そういう人は何らかの問題行動や思考形態を残したままということになるでしょう。

この考え方はうなずけるものでしょうか?
もしそうなら、統合失調症特有の「周りは自身の前で演技している(監視している)」的な考え方感じ方というのは、こういう幼児期の自他分離の過渡期的な状態に戻っていると言えないでしょうか?もしそうならば、なぜそういうことが起きるのでしょうか?

A 回答 (1件)

病気の当事者としては、納得出来る内容だなと思いました。



体感としてですが、統合失調症になると認知機能(記憶、言語、注意力など)が低下します。(この時点で子供の頃と同じような、幼い考え方に戻る)
それに加えて、幼少期のトラウマや成長の過程で受けたストレスなどが膨れ上がってパンクした結果、己を保つため、そして辛い現実へ目を向けずに済むよう、陽性症状が現れました。

わかりやすく例えると、シャワーホースが破裂したら水が漏れないようにとりあえずテープか何かで塞ぎますよね?
そんな感じで、統失特有の妄想=テープとして補完の役割を果たしていたのだと思います。

一個人の意見なので参考になるかわかりませんが、理解の助けになれたら幸いですm(_ _)m
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この回答へのお礼

なるほど。納得できるお話です。私は統合失調ではなく強迫症とそれに伴ううつと不眠があるのですが、やはり「心の弱り」というものが引き金になっていそれに対する防御反応としてこういう心理が発動するのだと感じています。

お礼日時:2025/02/11 08:43

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