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慶應3年に苗字帯刀を賜ったと資料にある家系があります。
ここから確定的に言えることとして、以下のものは合っているのかはお聞きしたい。


1.苗字帯刀とは、それまで農民(平民)だったものに与えられるため、身分は平民であったと分かる。

2.苗字帯刀は、苗字を名乗っても良いということであり、身分が変わるものではないため、平民のままである。

3.明治初頭に士族、卒族、平民に割り振られる際、慶應3年に平民であることがわかるため、平民に割り振られた。

間違いがあれば、教えて欲しいです。

質問者からの補足コメント

  • こちらの文献にも慶應三年に苗字帯刀を賜るとありました!
    BRAVO!
    Peace out ✌️

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/07/05 17:13

A 回答 (6件)

こんなことを書いているサイトもあります。


https://history.awaisora.com/2025/07/04/253f4842 …

一般論では、個々の例は該当しないこともあります。
この回答への補足あり
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1、伊能忠敬は、商家でした。

隠居して趣味(旅行+地図作成)の世界へ行きたいつてのを引き止めるために、通称だった苗字を正式にして、帯刀の権利まで与えたと。平民といっても、それぞれの世界で頭角を表した人たちを藩や幕府に留めるための措置。
2、ジョン万次郎も、漁師→漂流民を幕臣待遇にするために苗字帯刀に加え、有る程度の身分を与えてます。幕府や藩が採用したい人材に限り、身分も与えられます。逆に考えて、身分を与える手順として、まず苗字帯刀からでしょう。
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武士以外は名字を許されていなかった。
だから農民だけではない。
商人も大工も役者もみんなである。
武士は最初から名字を持っているから、改めて名字を賜る必要はない。


それはお上の気持ち次第。
近藤勇たち新選組は浪士組に応募したときは会津藩のアルバイト扱いで身分は農民のままだったが、池田屋の変後新選組の名を下賜されたとき幕臣に取り立てられた。
庄屋のように名字帯刀を許されるが身分は農民のままの場合も多い。
なお江戸時代も後期になると身分の垣根はかなり低くなり、裕福な商人がカネで御家人の身分を買う、ということも史実として行われた。


項目2に準じる
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概ねそのとおりですが、名字の私称は結構されていました。

「苗字帯刀」とは公文書に名字を記載しても良い、公的な場で帯刀しても良いということですが、実際にはそういう場面はほぼ無く、名誉称号みたいなもんです。
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1.農民とは限りませんが、平民であったと思って良いかと。


2.江戸時代の事例だとほとんどそうですね。身分が変わった事例は非常に少なかったかと。
3.2までがYESであればそうでしょうね。
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江戸時代は長く関東では藤原家足利家や徳川に縁故がある者が増えすぎて


小大名から名手まで取り払いで関東地方では小さな集落で名手にも帯刀許可した。初めは小さな集落の名手なんてクソだったが
各国の大名も上納金集めるのに、キレ者を格上げしはじめた
収益のある事業をした者は当然、武士以下平民以上の身分を与えた
経済を支える物が徐々に支配が始まり、その後 反乱が始まる

名は公的に使わないだけで、屋号、家紋で一族が判ってた時代です。
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