日清戦争と日露戦争の違いについて、できるだけ詳しく教えてください。

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A 回答 (6件)

露寇というのを御存知でしょうか。


幕末、ロシアが樺太や国後島を侵略した事件です。

幕府は、列強の圧力により開国しました。
そして、アヘン戦争です。

日本政府は欧米列強、特にロシアの侵略を怖れていました。
その為、朝鮮を独立させ、対ロシアへの防波堤に
しようとしました。
その為、朝鮮の独立を阻止しようとする中国と、戦争になりました。
これが日清戦争です。

その後も、ロシアの南下政策はおさまりません。
何かと朝鮮にちょっかいを出してきます。
朝鮮にロシアの軍隊が駐留したら、日本の安全は
脅かされます。

キューバにミサイル基地が出来る、ということで、米国は
第三次大戦覚悟で、海上封鎖しました。
あれと同じ図式です。

その為、武力でロシアを排撃しようとしたのが
日露戦争です。

その後、当時アジア最貧国であった朝鮮は、独力では
独立を保てない、として日本に併合を依頼してきました。
これは日本の利益になります。
その為、日本は赤字にしてまで、教育や港湾などの
インフラを整え、朝鮮を強くしようとしました。
朝鮮が強くなれば、ロシアに対する防波堤にできると
踏んだのです。

これは、大東亜戦争後、対社会主義の防波堤にしようと
日本を援助して、自衛隊を作らせたのと同じ構造です。
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私自身現在日露戦争について調べているところなので十分な回答はできないでしょうが、参考程度にしてください。



当時の世界情勢どころか南下政策も知らない癖にに日清戦争や日露戦争を日本の欲望からなる大陸の侵略だと頭ごなしに決め付ける人がいますが、それは戦争を否定するばかりで原因というものを考えようとしません。

アヘン戦争などを見ればわかりますが、欧米列強の国々はアジアまで進出しようとしていました。
そこで日本が一番危惧したのは南下政策です。北国であるロシアは一年中使える不凍港を望んでいました。そのために、ヨーロッパやアジアの地域を次々占領しては南に国境を進めていました。
そして当時の朝鮮は鎖国状態にある後進国でした。日本自体が鎖国状態にあった後進国で、開国語はすぐに欧米に立ち向かえる力を得れるように国力を発達させた国なので、欧米に立ち向かうためには鎖国をやめるべきだと考えたのです。
つまり、朝鮮が鎖国をやめないといずれは南下政策の餌食となり、日本まで巻き添えになる事を恐れていたのです。征韓論という言葉がありますが、これは武力によって韓国の征服を唱えたものではなく、武力によって韓国の開国を求めたものです。
その後開国した朝鮮に対して日本は内政改革を求めましたが、それらのような日本の行為を清は勝手なものとして不愉快に感じました。何故なら、清は朝鮮を自らの属国と見做していたからです。その事によって日本と清は対立し、戦争をする事になりました。
これが日清戦争です。つまりは朝鮮の開国と独立を目的としたものです。当時の日本には朝鮮を支配するつもりはなかったと考えてよいでしょう。南下政策に対する対策は取りたいですが、だからといって早速朝鮮を支配すれば正面からロシアに喧嘩を売る事になりますからね。

ところが朝鮮の王妃が親露に傾くという事態が発生しました。それを危惧した日本や朝鮮の開派勢力は王妃を暗殺しました。これが乙未事件です。
ロシアは次々と南下政策を推し進め、義和団事件の鎮静と名分に満州に侵攻しました。日米英はこれに抗議しましたがロシアは耳を貸さず、同じようにロシアの南下政策に困っていたイギリスは日本と日英同盟を築きます。
そうして日本は、ここまで来たら日本自体が朝鮮を支配してロシアの南下を食い止めるべきだと考えました。そのため、日本は最初ロシアに対して満州はロシアに渡すから朝鮮は自分にくれ。朝鮮まで自分のものにしないでくれと頼みました。ロシアが朝鮮を手に入れて不凍港を手にしたら、少なくとも日本の近海をロシアの船がのし歩くことになるからです。
しかしロシアはそれを拒否。そのために日露戦争がはじまったのです。
ですが、これは非常にリスクの高い戦争でした。相手は国費も兵も日本より圧倒的に強く、しかも負けたら日本には後がないのですから。誰も日本が勝てるとは思っていませんでした。しかし、ロシア自体負けても別に大きな損をしない戦いだったので、殆ど手を抜いた状態だったそうです。結局日本は勝てましたが、国費を大量に消費するなどその分損も大きかったのです。試合には勝てても勝負には負けたような戦争でした。

つまり、南下政策を食い止めるための予防策が日清戦争、直接的な衝突が日露戦争です。
乱暴な例えですが、予防接種と治療薬の違いですね。

確かに、戦争に勝った日本は台湾などの国々を手に入れましたし、いかなる理由があろうとも日露戦争の目的は満洲や朝鮮の支配ですので、侵略を目的としたのは事実でしょう。
しかし、その侵略の目的を頭ごなしに日本の欲望だと決めつけるのは間違いです。確かに豊臣秀吉の侵攻という前科はありますが、だからと言って味噌も糞も一緒にするべきではありません。

戦争をなくしたいのなら頭ごなしに否定するのではなく、なぜ戦争が行われたのか一つ一つ原因や事情を理解しなければなりません。原因をなくすよう努めなければ結果がなくなる事もないのですから。
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日清戦争前夜の中国(清国)は、事実上政権が崩壊し、西欧各国やロシア帝国の「草刈り場」になっていました。


そこに日本も、「1枚噛んで」甘い汁を吸おうとしたのです。
背景としては、征韓論当時からの朝鮮王朝と、その背後にいた中国への不満がありました。

日清戦争で実際に軍事力を行使することで、日本は中国における相当な利権を手に入れ、朝鮮も手のひらの上に転がり落ちてきました。

しかしそれは同時に、中国において、日本と同じように利権をあさろうとするロシア帝国と、利害関係が正面から衝突することになりました。

その結果として武力衝突になり、日本はロシア帝国を軍事的に中国から押し出しましたが、外交で失敗して、たいした利権は手に入れることができませんでした。

欲というのは際限ないもので、その不満が、シベリア出兵につながったのですが、日本軍は、ロシアのゲリラに悩まされます。
誰が善良な農民で、誰がゲリラかわからない。
それで村ひとつを皆殺しにして焼き払う、というような残虐なことを随分やったようです。
このあたりは、アメリカのベトナム戦争を、思い出させます。

そのときのシベリアの農民の恨みが、今度は第二次世界大戦後の、シベリア抑留兵日本軍兵士へのソビエト政府の残酷な扱いにつながって行きます。

欲と恨みと復讐の連鎖は、いい加減にやめないといけません。
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日清戦争について少し補足みたいなのをします。

1882年に朝鮮で壬午軍乱というのが起こりました。これは親清派の大院君(ダイインクン)勢力、つまり皇帝の実父の派閥がそのとき国政を牛耳っていた親日派の閔氏(ビンシ)政権、つまり皇后の一族です。その閔氏政権に対してクーデターを起こしました。そのとき朝鮮は自国の軍隊だけでは抑えきれないと思い清に援軍を頼みました。このクーデターは親清派が親日派に対して行ったものなので日本の大使館も焼き討ちになりました。日本はたまりかねて軍を出しました。こうして朝鮮に清と日本の軍隊が同時に駐屯しているという状態が起こりました。清と日本の両国は撤兵の際、今後朝鮮に一方の国が軍を出す時にはもう一方の国に通告しなければならないという条約を結びました。そんな中で東学党の乱が起こったのです。そのときも朝鮮(大韓帝国)は、自国の軍隊ではどうにもならないので清に助けを求めました。清と日本の間には条約がありましたよね。その条約で日本も大韓帝国に出兵したんです。それで反乱を鎮圧してcse_riさんの回答のような感じで戦争が進んでいきました。ちなみに賠償金2億両(テール)は当時の日本の国家予算の3倍強でした。そのお金を日本は軍備費に使い1901年八幡製鉄所を作り日露戦争への備えとしたのでした。これが日本と清との戦争なのに朝鮮半島で起こったいきさつです。  手元に資料がなかったので詳しい事は乗せれませんでしたがお役に立てると嬉しいです。
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日清・日露戦争について手っ取り早く知るには



 「坂の上の雲」著者:司馬遼太郎 文春文庫

を全巻読んでください。

面白い!わかりやすい!文庫本で買えば安い!と3拍子揃っています。


ただし受験勉強用には向かないので(面白すぎるから...)、学問的に調べたいのならば
別の書籍を探してください。
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この戦争は全く違うものです。


まず「日清戦争」について・・・・・。
日清戦争の「清」とは、1616年から1912年まで続いた昔の中国の王朝名です。
だから日本と清との戦いということで、日清戦争というのです。
何故、このような戦争が勃発したのかというと、当時、清の領土である朝鮮では、非常に治安がよくありませんでした。
朝鮮国内では、親清派と独立派(親日派)とに別れていました。
独立派は清の支配から逃れ、朝鮮の独立を目指そうとしている集団です。
しかし、朝鮮と清とでは当然のことながら、国の大きさもさることながら軍事力も全然違います。
そこで、独立派は日本の力を借りて、朝鮮の独立を目指そうと考えたのです。
そんな中、朝鮮南部でこの戦争の引き金となる事件が起きます!
日本史を習う者としては超有名な甲午農民戦争(東学党の乱)が起こります。
この事件で日本は「朝鮮を救う」という肩書きを理由に、朝鮮に軍を派遣します。
当然、清は自分の領土である朝鮮に勝手に侵入してきた日本軍を歓迎するはずがありません。
そこで、清は日本軍に即刻退くように要求します。
しかし、日本軍は朝鮮政府改革要求が清に拒否されたため、1894年8月1日に清に宣戦布告。
その結果、清は日本にボコボコにやられてしまいます。
戦争終了後、下関条約で日本はホクホク、清は遼東半島・台湾・などの領土も取られ、日本への2億両(約3億1000万円)という多額の賠償金で国家はボロボロ。
まあ、これが日清戦争の始めから終わりです。

次に「日露戦争」について・・・・・。
まず「露」とは現在のロシアのことです。
だから、日本とロシアとの戦いということで日露戦争というのです。
このようになった過程を説明すると・・・・・。
当時、日本はようやく日清戦争の特需景気が冷めてきたところです。
さて、下関条約締結時、ロシアは日本に遼東半島を取られたことを非常に面白くないことだと思っていました。
このとき、ロシアは満州への進出を考えていました。
そのためには、なんとしても遼東半島に中継基地を作りたかったのです。
そこで、ロシアはドイツとフランスの協力を得て、「遼東半島を清に返すように」と日本を脅します。(いわゆる三国干渉というやつです。)
日本は仕方なく、これを承諾します。
この一件以来、日本はロシアへの復讐を誓う「臥薪嘗胆」の合言葉で世論が高まります。
次に、ロシアは再び清の物となった遼東半島を貸してくれくれと頼みます。
清はこれを承諾し、遼東半島をロシアに25年間だけ租借するのを許したのです。
一方、清国内では、国民が「どうして我々の国は簡単に他の奴らの進入をゆるしているんだ。」という思いが万延していました。
そんな中、1899年に義和団事件というのが起こります。
この事件は清への怒りが爆発して起こったにです。
この大規模な反乱はさらに勢いがつき、北清事変に発展します。
実はこの北清事変が日露戦争の原因なのです。
なんと、この大反乱で国連軍までもが鎮圧しに清にやってきます。
清の方は、北京の各国公使館が包囲されたため、日本を含む8ヶ国に対し宣戦布告。
当然、清は敗れます。
さて、ここからが問題なのです。
このとき、ロシアは鎮圧したことを理由に満州を占領してしまったのです。
ここで日本はロシアが南下してくるので、何か手を打たねばならんということで、ロシアを脅威と思っていたイギリスと同盟を組みます。(日英同盟)
日本国内では主戦論、非戦論が交錯します。
そして、1904年ついに日本とロシアとの間で戦争が勃発します。
日本はかなりの損害を出しつつも、なんとか勝利をつかむことができました。
その後のポーツマス条約で、日本は賠償金は得られなかったものの、遼東半島の租借権を得たり、他様々な日本に有利な条件を得ました。

こんな感じですけど、お役に立ちましたか?
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Q東郷平八郎は常識?

こんにちは~!

今の30代、40代の人にとって、
東郷平八郎の知識があること、知っていることは常識でしょうか?
(名前、功績など、ざっくりでも、ああ、あのあたりの時代のひとね!レベルでも)

それとも、それって日本史に詳しい人が知っているレベルの知識だと思いますか?

私は日本史の流れとして、あのすごい海軍の軍人さん!レベルでも
ざっくりしたレベルの知識を持っているのは常識だと思っていたのですが、
知り合いの人が知らずに、「歴史に詳しいんだね~!」というコメントをいただき、
言葉につまってしまいました。 

ちなみに私は日本史は全く詳しくありませんし、東郷平八郎の事を語れば
10秒程度で終わってしまいます。

気になったのでちょっと質問させていただきます。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

まあまあ知ってます。

トルコ人の方が知ってる率高いかもしれませんね。トーゴーって名前を子供につけるくらいだから。

丁字戦や秋山真之も含めて、日本を守った英雄としてもっと知れ渡っていてもいいはずなんだけど、日露戦争の勝利から国民の勘違いや軍の助長が進んで、太平洋戦争敗戦の結末につながります。東郷平八郎自身も日露戦争以後の海軍に悪影響を与えています。

また「戦争はよくない、日本は悪い事した」って安易な結論にするには、明治維新から日露戦争あたりの日本が一番頑張った時代を無視する傾向にあるのかも知れませんね。

日本の近代史を多くの日本人にもっと知って欲しいです。司馬遼太郎「坂の上の雲」も最近NHKでやりました。小説やドラマはあくまでフィクションを含んでいますが、入口としてはいいかと。

Q日清戦争や日露戦争は海外ではどのような評価がされているのでしょうか

最近コミックの影響もあり日清戦争や日露戦争に興味お持ち、少し調べたのですが、当然日本側からの見方が大半でした。相手側つまり現在の中国、ロシアはどのようにとらえているのか、特にその国の教科書などではどのように書かれているのか知りたいのですが、
ご存知の方がいらしたら教えてください。

Aベストアンサー

中学校の歴史の時間に聞いた話ですが,ロシア人は割と好意的にとらえているらしいですよ.悪い為政者を追い出した日本ということで.
その先生は旅行好きで,現地の人たちともよくコミュニケーションをする方でしたので,信憑性は高いのでは?
中国は分かりません.

Q東郷平八郎

東郷平八郎さんは、どうして亡くなったのですか?

彼は、連合艦隊の司令長官だったのでしょうか?

あと、船に乗ろうとした時に打たれて死んでしまったのは、どなたでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

昭和9年に喉頭がんで亡くなっておられるようです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~bosou/izinkenkyuu/tougouhe/tougouhe.htm

>あと、船に乗ろうとした時に打たれて死んでしまったのは、どなたでしょうか?

広瀬武夫中佐です。
第二回旅順港閉塞作戦で商船福井丸を沈没させようとして被弾・戦死します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E6%AD%A6%E5%A4%AB
http://sakanouenokumo.hp.infoseek.co.jp/heisoku2.htm

http://jp.youtube.com/watch?v=RlWMfRydU28

http://jp.youtube.com/watch?v=RlWMfRydU28

Q(+_+) 日清・日露戦争は、イギリスのかわりに戦った代理戦争?

 日清戦争と日露戦争は、イギリスのかわりに日本が戦った代理戦争、という説があるようですが、これは定説になってるんでしょうか?
 司馬遼太郎さんは明治時代のことにとてもくわしかったそうですが、そのへん、どう見ておられたんでしょうか?

Aベストアンサー

日清戦争についてはその様な事は全くありません。日露戦争については多少その側面があったと言えます。というのは当時イギリスは清国領土内に多大な権益を有していましたが義和団事件以後のロシアの満州不法占拠等の露骨な極東に対する侵略的行動により、それらの権益を脅かされていたからです。その為に光栄有る孤立政策を捨ててまで日英同盟を締結し日本の後ろ盾となったのです。しかしながら日本の戦争目的は朝鮮の安全、ひいては日本本土の安全を確保するというものでした。結果的にはイギリスの権益を守ったという事にもなりましたが、たとえ英国の権益が無くても日本はロシアに対し開戦せざる終えなかったと思われます。但しイギリスとの同盟の存在がが日本にとってこの戦争に踏み切る決断の際大きなウェートを占めた事、またバルチック艦隊の航海を陰に陽に妨害するなど戦局に有利に作用したことは間違い有りません。
司馬遼太郎氏は日清日露両戦争とも帝国主義時代の中で日本が独立国として生きようとしたぎりぎりの状況のなかでの戦争であると考えておられたと思います。代理戦争という捉え方はほとんどされていなかったように思われます。
小説ですが”坂の上の雲”(司馬遼太郎)を読まれたらいかがでしょう。
とのことです。(歴史に詳しい家族より。)

日清戦争についてはその様な事は全くありません。日露戦争については多少その側面があったと言えます。というのは当時イギリスは清国領土内に多大な権益を有していましたが義和団事件以後のロシアの満州不法占拠等の露骨な極東に対する侵略的行動により、それらの権益を脅かされていたからです。その為に光栄有る孤立政策を捨ててまで日英同盟を締結し日本の後ろ盾となったのです。しかしながら日本の戦争目的は朝鮮の安全、ひいては日本本土の安全を確保するというものでした。結果的にはイギリスの権益を守った...続きを読む

Qレーニンは、日露戦争をどのように見ましたか?

レーニンは、日露戦争をどのように見ましたか?

1905年に日露戦争はロシア帝国の敗北により終結しました。
これ以降、ロシア帝国は弱体化に拍車がかかり、ロシア革命の遠因に
なったとされています。
さて、革命の父と言えばレーニンですが、レーニンはこの日露戦争を
どのように評価しているのでしょうか?
日露戦争に対して、レーニンはどんなコメントをしていますか?

Aベストアンサー

レーニンは日露戦争が開戦した直後からその戦争期間中はもちろん、終戦後に亘り多くの論文や演説を残しています。その量は相当なものでほとんどはレーニン全集に納められてはいますが、まともに研究するなら独立した一冊の本が出来るほどです。

 ということでレーニンの詳細なコメントを含めた回答は不可能ですので、ざくっとした回答でお茶を濁らさせてもらいます。

 レーニンの日露戦争観は当時の日本を取り巻く諸国の知識人とはかなり違ったもので、中国や朝鮮のように小国が列強大国を見事に打ち破ったことに対して、無邪気に喜ぶというものではありませんでした。同時に反政府的思想を持っていたにもかかわらず、敗北という現実の前に止めようのないナショナリズムが湧いてきた、トルストイのような複雑な感情も持ち合わせてはいませんでした。

 レーニンは日露戦争開戦直後からこの戦争の本質と推移、そして戦後の変革を冷静に見つめ、これをいかに自己の思想闘争に活かし、なおかつ利用しようかということを分析し研究していたといってもよいでしょう。

 日露戦争は当時のヨーロッパやアメリカのインテリゲンチャと同じく、弱小国対強大国の戦いといった単純な見方ではなく、帝国主義的的植民地主義者たちの闘争であって、アメリカやヨーロッパ諸国の反動的ブルジョアジーたちの間に将来起こりうるであろう、新しい形の戦争の初期段階的なものであるとみなしていました。

 日露戦争開戦直後の小規模な戦闘でロシア軍が敗北を続けたとき、ロシア社会主義民主労働党中央委員会での労働者への呼びかけの中の一節です。
「戦争が始まった。日本人はすでにロシア軍に一連の敗北をもたらし、いまやツァー政府はこれらの敗北復讐を果たすために全力を注いでいる」とし、これらの結果がロシア人労働者、農民たちに新たな苦難を招き、人民やその家族に大きな惨禍をもたらし、さらなる税の過大なる負担を強いるであろう、と続けています。

 そしてレーニンはそこにツァー政府の将来的な破滅と崩壊を予想し、革命の実現という現実的な姿を見たのです。

 レーニンは前述したように戦争中、各戦闘の経過と結果について詳細に分析・研究を行っています。そしてその結果の原因の主なものに必ずツァー政府における官僚や軍人の腐敗性と、農民大衆の無教養や無気力などを挙げて、「露日戦争の仮借ない教訓によって、惰眠をむさぼるだけの広範な農民大衆を目覚めさせる」と結んで、巧妙にアジテートしています。

 さらにレーニンは機に乗じて日本をたくみに利用しており、あるときは帝国主義者、あるときは進歩的勢力と呼び、自身のイデオローグに効果的に組み込んでいる点でもしたたかな人物でした。

 日露戦争に関してのコメントしての集大成というなら、「新しい大戦争、専制制度に立ち向かう人民の戦い、自由を求めるプロレタリアートの戦争が近づいていることを意味していることに、この戦争の全世界的・歴史的意味がある」というのが、最もふさわしいかもしれません。

レーニンは日露戦争が開戦した直後からその戦争期間中はもちろん、終戦後に亘り多くの論文や演説を残しています。その量は相当なものでほとんどはレーニン全集に納められてはいますが、まともに研究するなら独立した一冊の本が出来るほどです。

 ということでレーニンの詳細なコメントを含めた回答は不可能ですので、ざくっとした回答でお茶を濁らさせてもらいます。

 レーニンの日露戦争観は当時の日本を取り巻く諸国の知識人とはかなり違ったもので、中国や朝鮮のように小国が列強大国を見事に打ち破ったこ...続きを読む

Q日清戦争と日露戦争

日清戦争と日露戦争には相互に関連はあるのでしょうか?

関連があるのでしたらどの様なことですか?

Aベストアンサー

ロシアの南下政策を阻止したい日本が緩衝地帯として、朝鮮半島を自陣に引き込もうとしたのを清が気に入らなくて起きたのが日清戦争。
朝鮮半島を緩衝地帯にし損なった日本が南下するロシアと直接ぶつかったのが日露戦争。

つまり、「南下するロシア」がキーワード。

Q結局 ざっくりいって、、 朝鮮半島の奪い合い←日清戦争 満州の奪い合い←日露戦争 日露戦争勝利→朝鮮

結局
ざっくりいって、、
朝鮮半島の奪い合い←日清戦争
満州の奪い合い←日露戦争
日露戦争勝利→朝鮮半島いただき、、

という図式でよいのでしょうか?

Aベストアンサー

朝鮮半島の奪い合い←日清戦争
 ↑
そうです。
しかし、どうして朝鮮半島を奪い合うことに
なったのか。
それは朝鮮半島は日本の安全保障の要だ
からです。
朝鮮半島に敵国の軍隊がいたら、日本の
安全は脅かされるからです。

キューバにミサイル基地が出来る、ということで
米国は第三次大戦覚悟で、海上封鎖に出ました。
隣国とは、安全保障にとってそれだけ重要なのです。



満州の奪い合い←日露戦争
   ↑
満州がロシアに取られたら、次は朝鮮です。
ひとたまりもありません。
そして朝鮮がロシアに取られたら、日清戦争と
同じになります。



日露戦争勝利→朝鮮半島いただき、、
   ↑
いただいていません。
満州から追い払い、朝鮮半島を守りました。
それもこれも、安全保障の為です。

元寇は、朝鮮半島経由で日本を侵略しています。
繰り返しますが、半島は日本防衛の要なのです。


結局ざっくりいって、、
  ↑
ロシア脅威から日本を防衛するためです。
事は、明治維新から続いているのです。
上海で、中国人が列強の奴隷になっているのを
目にした、高杉晋作らは、なんとしても列強の
植民地にはさせない、ということで明治維新を
おこし、日清日露となったわけです。

朝鮮半島の奪い合い←日清戦争
 ↑
そうです。
しかし、どうして朝鮮半島を奪い合うことに
なったのか。
それは朝鮮半島は日本の安全保障の要だ
からです。
朝鮮半島に敵国の軍隊がいたら、日本の
安全は脅かされるからです。

キューバにミサイル基地が出来る、ということで
米国は第三次大戦覚悟で、海上封鎖に出ました。
隣国とは、安全保障にとってそれだけ重要なのです。



満州の奪い合い←日露戦争
   ↑
満州がロシアに取られたら、次は朝鮮です。
ひとたまりもありません。
そして朝鮮がロシアに取られ...続きを読む

Q日清戦争、日露戦争について

日清戦争、日露戦争について詳しく書いてあり、分かりやすく解説されたホームページを教えてください。
また、分かりやすく解説してくださる方、ご回答お願いします!

Aベストアンサー

日清・日露の遼戦争を歴史の流れから理解し、戦争の推移、展開を概観することは必須ですが、私はこれに加えてこの両戦争を個々の日本国民がどう戦ったか、を是非勉強してほしいと思います。
 ひとつの方向として、戦争中の指揮官や一兵卒が残した戦争の一局面やここの兵士の意識などです。これらの一局面から戦争全体を眺め「帰納法的」なアプローチが、次の意味からも面白いと思います。

 日清戦争の「勇敢なる水兵(黄海開戦)」や日本軍が北京を目指して進軍した際の「雪の進軍」、日露戦争では「橘中佐」「広瀬中佐」「水師営の会見(乃木大将)」など、物語風に作られた素晴らしい「文部省唱歌」があり、感動させられます。これらの唱歌からは兵士たちのいじらしいほどの国を思う気持や意識が伺えます。「年表」だけの戦争では、なんともつまらないと思います。
 今に起こる愛国心の議論なども、我々の先人が日清・日露の戦争をどんな思いで戦ったのか、しかっり見据えた上でやってほしいものです。

Q日露戦争の意義

日露戦争はアジアの小さな小国日本が列強のロシアに勝利した戦争ですが
日本がロシアに勝利したことはどれほど他の国に影響を与えたのでしょうか?
また、日露戦争は第零次世界大戦とも呼ばれているらしいのですが、それは他国(イギリス・フランス・ドイツ)が日本やロシアに協力していたからでしょうか?

あらためて、日露戦争の重要さを調べているのですが、どれほどの存在になるのでしょうか?

Aベストアンサー

日露戦争が世界史に与えた影響は案外大きいものがあります。

まず、19世紀末から20世紀半ば(第二次大戦終了時)にかけて世界は帝国主義時代となっておりますが、ロシアが負けたことにより、ヨーロッパでの対立軸がイギリス対ロシアからイギリス対ドイツに変わります。英仏露(日)による三国協商側と独墺伊三国同盟側の対立が中心となります。

続いて、勝利した日本は軍事的な強国の一つとして認められ、朝鮮を植民地として獲得して帝国主義に進みます。この流れは第一次大戦にイギリス側として参戦することで国際連盟の常任理事国となり、五大国の一つとして認められることに繋がります。

また、植民地とされていたアジア諸国やその周辺国家にとってアジアの国が先進欧米国家に勝ったということで独立運動・民族運動に希望を与えると共に東南アジア諸国から日本への留学生などが増加します。

もし、日露戦争が無く日本が勝つことが無かったならば、世界はいまだにヨーロッパ中心でまわり、アジア・アフリカの植民地の独立も困難であって現在のように独立国が200もあるようなことにはならなかったでしょう。

なお、「第零次世界大戦」という題名の小説がありますが、日露戦争をそのような観点で見ることは一般的ではありませんし、おそらく歴史観としても納得がしがたく射程の小さなものでしかないと思います。

日露戦争が世界史に与えた影響は案外大きいものがあります。

まず、19世紀末から20世紀半ば(第二次大戦終了時)にかけて世界は帝国主義時代となっておりますが、ロシアが負けたことにより、ヨーロッパでの対立軸がイギリス対ロシアからイギリス対ドイツに変わります。英仏露(日)による三国協商側と独墺伊三国同盟側の対立が中心となります。

続いて、勝利した日本は軍事的な強国の一つとして認められ、朝鮮を植民地として獲得して帝国主義に進みます。この流れは第一次大戦にイギリス側として参戦す...続きを読む

Q日清・日露戦争が庶民に与えた影響を教えてください。

日清戦争・日露戦争は日本の勝利となっていて、戦場にいた人々の活躍はよくききます。
しかし、庶民への戦争の影響はあまりきいたことがありません。
いったい庶民にはどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

質問の仕方が下手で申し訳ないですが、回答お願いします。

Aベストアンサー

日清・日露戦争の勝利により日本は「欧米列強と対等の国」と認められる事になり、明治維新以来の懸案であった不平等条約改正が行われるなど、日本の国際的地位向上に大きく役立ちました。
また安全保障面でも清とロシアという両大国を退け、朝鮮半島を支配した事で日本本土への直接脅威が取り除かれました。
更に日露戦争でもロシアから遼東半島の租借権を獲得し、満州鉄道を得るなどその後の日本の行方を左右する大きな成果が挙っています。
莫大な戦費や犠牲を考えればバラ色とまではいかなくとも、日清日露の両戦争は明治日本の発展に大きく貢献したのは確かです。
しかしながらこの両戦争がもたらした成果は昭和期に入ると逆に日本を追い込む事になります。
まず日露戦争で獲得した満州の利権は「多大な犠牲を払って獲得した特殊権益であり絶対に手放してはならない」という思考を国民や政治家に与え、それにより日本外交を硬直させる大きな原因となりました。
これは戦後の日本で「太平洋戦争の犠牲によって得られた憲法9条は絶対に守らねばならない」という主張が大きく幅をきかせていたのと相通じるものがあります。
更に戦争により国際的地位を向上させ、利権を獲得していった経緯はその後の満州事変などでも繰り返され、軍部は政府のみならず国民一般にも「戦争への期待」を広める事になってしまいます。
これが後々、日中戦争で泥沼に足を踏み入れ、太平洋戦争に繋がる大きな要因となってしまいました。
戦後の日本でもいわゆる「土地本位制」や「銀行の護送船団方式」などが戦後日本の高度成長に大きく貢献しつつ、それが最終的にバブルを生み、日本経済に大きな悪影響を残してしまったように時代に合わなくなった過去の「成功体験」が後々の破局を招いた一つの例と言えます。

日清・日露戦争の勝利により日本は「欧米列強と対等の国」と認められる事になり、明治維新以来の懸案であった不平等条約改正が行われるなど、日本の国際的地位向上に大きく役立ちました。
また安全保障面でも清とロシアという両大国を退け、朝鮮半島を支配した事で日本本土への直接脅威が取り除かれました。
更に日露戦争でもロシアから遼東半島の租借権を獲得し、満州鉄道を得るなどその後の日本の行方を左右する大きな成果が挙っています。
莫大な戦費や犠牲を考えればバラ色とまではいかなくとも、日清日露の両...続きを読む


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