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1、沖縄出身のアーティストが流行したきっかけはなんでしょうか?
やはりアメリカから返還されたのがきっかけなんでしょうか?だとしたらフィンガー5のデビュー後約20年近く目立った沖縄出身のアーティストがデビューしなかったのはなんでですか?
2、なぜ東京や大阪出身のアーティストより地方の人(グループ)のがめだっているんでしょうか?
教えて下さい。

A 回答 (7件)

>実際に20年間の空白の時にでも沖縄の人はデビューしてたんですね・・・。


>沖縄出身となぜかくしていたんでしょうか?はじめから私は沖縄出身といえばいいのに・・・。
>そのころの本土の人は沖縄に対してどのように思っていたんでしょうか?
 
隠してた、というのは語弊があると思います。そういう発想法は沖縄の人に失礼なんじゃないかな、と。質問者さんに他意はないと思いますが…。
沖縄出身というのを武器?に売りださなかっただけじゃないでしょうか。遠い島、南の海、エキゾチック、といったイメージがついてしまいますから、そういうのと方向性の違う歌をやりたいアーティストが、ことさらに沖縄出身、と言わないのは不思議ではありません。
沖縄、南の海、エキゾッチックなイメージを前面に押し出してデビューして、爆発的な支持を集めた南沙織の先例がありますから。
 
沖縄のイメージ…といえば海洋博、でしょうか。とにかく今と違って距離的に遠すぎて、具体的なイメージはわきませんです。エキゾチックなイメージはありました。海がきれい、とか、南国だ、とか、ハブがいる、とか。長くアメリカの占領下にありましたし。とにかく遠いところだと。
差別?というのは特に経験してません。ただ東京近郊にいると沖縄出身の人は非常に珍しかったです。飲み会の席とかでも、そばにいって話聞きたいと思いますしねえ。という事はいま思えば、沖縄出身というのがある意味、南沙織とかに限らず売り?になったんでしょうか。南沙織は実際は奄美の人ですけど。
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ひとつ書き忘れました。

追加です。

今では信じられないようなことですが、1970年代くらいまで、沖縄の人に対する強い差別がありました。だから、隠すことも多かったのです。今だって、差別意識のある人は少数ながらいるようです。

民族の定義は難しいのですが、私見では、江戸時代までは琉球民族とも言うべき、大和民族とは別の民族が存在したと思っています。同系統の民族ではありますが、ドイツ人とオランダ人くらいの違いはあったと思います。それが明治期以降に同化させられたと考えています。これが正しいかどうかには自信がありませんが、琉球処分の後100年にわたって「あいつらは日本人じゃない」という差別意識があったのは事実です。沖縄戦の凄惨さは本土の側の差別と、それにもかかわらず沖縄の人たちが日本人として行動したことの結果だと思います。100年の差別意識が、復帰後に急速に衰えていったのは、日本人も強い人権感覚を持つようになったということなのかな?
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なぜ、90年代に大ブレイクしたのかの説明は難しいと思います。

しかし、その理由については僕の考えていることを。

1.まず、沖縄が独自の文化を持ち、音楽でも日本の5音音階やリズムとは違った音階やリズムを持っていたことです。80年代から静かにアジアブームが進行していましたから、そういう耳で聴いたら、沖縄の音楽が新鮮だった、ということです。
それも伝統的な民謡そのものだったら、ブレイクしなかったと思います。僕は米軍基地の存在が大きいと思います。米兵の中心は若者です。米兵相手のライブハウス、クラブ、バーなども多いですから、そういうところではアメリカの流行が直接に入ってきます。日本人の若者もアメリカ人やアメリカ文化にあこがれのある人はそういうところに行って交流しますし、ミュージシャンも、かつてはそういうところでライブを繰り返していました。喜納昌吉さんもそういう時期が長かったと聴いています。邦楽と洋楽の大きな違いの一つがリズムだと思いますが、直接にそういうところに行ったことがなくても、沖縄の音楽シーンには、その影響が組み込まれているような気がします。アクターズ・スタジオ(こんな名前だったっけ?)のことはよく知りませんが、そういうリズム感とは、受講生の側が無縁ではないと思います。それが90年前後からのダンス・ミュージックの隆盛とマッチしたのではないでしょうか。日本の邦楽の新たな展開は、多くがアメリカの流行が日本的なものに変容したかたちで起こっています。異なる文化が触れ合うところは異色の文化がうまれやすいとは言えるでしょう。生活においては、米軍基地の存在の弊害はあまりにも大きく、僕もどうすれば沖縄の米軍基地を撤去できるようになるのかを考えていますが、抑圧が豊かな文化を生み出すことは歴史上よくあることです。
この2つを結びつけたのには、沖縄の人たちの音楽への伝統的な態度です。沖縄には1課に1台以上必ず三弦(日本の三味線の直接の親ですね)があって、何かあると家族みんなで唄い踊ります。近年は、沖縄でも家族的伝統は薄れつつありますが、若者同士が夜通し歌いながら酒を飲むことも普通のことのようです。私たちの知っている夜遊びとは全然違うので、年長者たちもそれには寛容、というか年長者たちもそういうことをやってきて、ただ、歌っている歌がかなりアメリカナイズされているというだけの違いで、若者だって沖縄民謡をきちんと歌える人は多いようです。

2.今でも音楽シーンは東京中心だと僕は思います。しかし、東京は日本中の人々が集まり、外国人や外国についての情報も多いところだから、地方や外国の文化を吸収して文化の発信源でもあり続けることができるのだと思います。
しかし、商業としての音楽は、常に目新しいものを必要とします。目新しいものだったら、東京のものでなくてもいいや、ということになったのでしょう。東京のものが少しだけネタ切れしかけている、ということでもあります。だから、東京に出て行かずに地方で活動しているミュージシャンの中には、従来のものとは違ったものをもっている人たちがいて、それが全国でも受けることがある、ということなのでしょう。そして、それは今までにない動きだから、みんなの印象にも残りやすい、というのが「めだっている」ということなのでは?
音楽に限らず、他の芸能でも「東京に行ってだめになる」人はいるそうです。東京は確かに水準が高いから、東京でそれに触れ、あせって東京化しようとして、もともと持っていたいいところを台無しにする、ということのようです。地方で活動している人たちの中には、だからこそ独特のよさを保っている人がいて、それが全国的にも注目されるようになった、ということなのだと思います。
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ブームの「島唄」ぐらいから、沖縄歌謡ブーム?となった気がします。


それ以前は沖縄ロックなら喜屋武マリーとかいましたが、本土ではかなりマイナーな知る人ぞ知るというもので、喜納昌吉の「ハイサイおじさん」を志村けんが「変なおじさん」とギャグにしても、誰もオリジナルの「ハイサイおじさん」を本土の人は知らず、志村オリジナルと思ってました。
「島唄」は93年ですね。
安室奈美恵がソロになったのが95年。ソロになる前はスーパーモンキーズというグループにいましたが、安室が沖縄出身の歌手として認識されるのはソロになってから。
安室が余りにブレイクしたから、後から後から沖縄出身の歌手が出てきたのは周知のとおり。
沖縄出身、というのはひとつのブランドなのだと思います。だから歌手とかで売り出す時に沖縄出身というのがアピールポイントになる。これが東京出身では、何のアピールにもならないので、わざわざ前面に出したりしないのかと。
芸能プロとかレコード会社とかでも、意識して沖縄の子をスカウトするようになった、とか。
交通の便が格段によくなったのもあるし、情報の流通とかもここ10年ちょいで格段に進歩です。沖縄と東京の距離がそれだけ縮まったというのもあるでしょう。
アメリカから返還の頃の沖縄ブームに乗った?歌手ではフィンガー5のほかに南沙織もいます。南沙織は奄美生まれの沖縄育ちですが、本土の人は南沙織=沖縄の人と思ってました。
フィンガー5と安室奈美恵の間には、桑江知子とか沖縄出身の歌手はいますが、あまり沖縄というのを前面に出してません。たぶん、桑江知子が沖縄出身というのは当時でも知らない人がほとんどだったと思います。
桑江のようにデビュー時に沖縄色を完全に消していたためにそれと気づかない、というのがまずあります。
そしてデビューはしたけれど、はじめからターゲットは本土ではなくて沖縄域内だった、という歌手が無数にいます。チャンプルーズ、りんけんバンドなどなど。
沖縄だけで商圏として完結している訳です。
たとえば、朝日も読売も沖縄にはありません(ほとんど部数は出てない)。沖タイと琉新というのが沖縄の2大新聞。沖縄だけのレーベルというのもあって、マルフクレコードがそれです。スーパーとかで売ってる食品とかもファンタとかインスタント麺でも沖縄限定の商品というのが結構あります。
沖縄の人にウケる音楽、歌手が、必ずしも本土の人にウケる音楽、歌手ではなかった、というのも一つあると思います。だから沖縄ではメジャーだけど、本土では余り知られていない歌手というのが結構あって、それが質問者さんの言う「20年の空白」にあたるんじゃないかと。
「20年の空白」は本土の人が見た感じ方で、沖縄の人は「空白」とは思ってないんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

実際に20年間の空白の時にでも沖縄の人はデビューしてたんですね・・・。
沖縄出身となぜかくしていたんでしょうか?はじめから私は沖縄出身といえばいいのに・・・。
そのころの本土の人は沖縄に対してどのように思っていたんでしょうか?

お礼日時:2005/07/04 10:20

もともと琉球と呼ばれた時代から、芸能について深い理解があったようです。

朝貢貿易の際には重要なものとされていました。

また地域の広がりが適当であることも指摘されています。たとえば関東などでは、仕事の後とか放課後にグループが集まって練習をすると言っても、電車を乗り継がなくてはなりませんが、沖縄では十分に集まれる範囲なのです。

沖縄では、70年代を通して、オキナワンロックというものが流行っていたようです。しかし本土受けしなかったのでしょう。
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1. 沖縄出身の芸能人って、女性が多いですね。

沖縄人の「エキゾチックな顔立ち」がプラスに働いていると思われます。

2. 芸能界を志望すると言うのは、「ハイリスク・ハイリターン」な選択です。全国水準よりも所得水準が低く、失業率が高いなど、ハングリー精神が強い人が他県より多いという要素があるでしょう。
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地域性というか、民族性だと思います。


日本は弥生時代から古墳時代にかけてたくさんの民族が移住してきて明治までは別々の国をつくっていました。
芸能に向いている民族/地域、不向きな地域があると思います。

沖縄は、琉球の時代から芸能が盛んで、それを育てる地元の社会があります。
そうした持って生まれた才能だけではなく、社会や風土も芸能人を生みやすいと思います。

今の沖縄の芸能人が多いのは、安室奈美恵を生んだ事務所が沖縄に養成所をつくったことが発端だと思います。その理由は、素材の良さだったと思います。
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