なぜですか、教えてください。
ヨーロッパの国々やアジアの国々は陸続きなのに、言語が違うんでしょうか。
ヨーロッパの国々だけを見てみても、ドイツ語・フランス語・イタリア語といった具合です。
方言とは全く違いますよね!
不思議です。国境を境にして全然変わってしまうんでしょうか。
日本の場合は島国なのでなんとなく納得してしまうんですが・・・
ぜひこの積年の疑問に良き回答をお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

民族の違いからきていると思いますよ。



学生の時、英語とドイツ語を習いましたが、確かに似ていました。
フランス語はちんぴんかんぷん。英語とは全然別の言葉のようでした。
(ただし、私は技術系で語学センスはあまりないです。)

なぜかというと、イギリス・ドイツはゲルマン民族系、フランスはラテン民族系
だからだと思います。もっともイギリスはフランス語の影響を相当受けていると
いう説も聞いたことがありますが...。

No.1の方が日本語のルーツは韓国語にあると述べていますが、私も似たような話
を聞きました。
奈良時代以前、大和王朝が成立した頃は半島・大陸との往来が頻繁で、会話をす
るのに通訳が必要なかったという話を聞いた覚えがあります。
実際、日本には韓半島から相当数の移民が来ていますし、かなりの割合で日本人
には韓国人と同じDNAがあるらしいです。(NHKのTV番組で見た覚えあり)

弥生人のルーツは中国大陸らしいですが、言葉としてはほとんど痕跡がないです
ね。中国語は文法的には英語に近いです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

民族についてはNo.1さんも述べておられたのですが、No.2さんの「民族の違いからきていると思いますよ」の一言に全てが解かり掛けてきました。

そこで考えたのですが、自分自身「民族」の派生元や移動ルート・生い立ちについて勉強不足の面がありますので、この質問をこれで終了させていただきます。
一度自分なりに調べ直してみることにします。
期待を持たせてしまったら申し訳ありませんでした。

お礼日時:2001/10/13 03:57

reisonさん、こんばんは!以下、私の推理ですが・・・



言語は生活に根ざしたものから発生していると考えます(気候や風土、風俗)。例えば、同じ大陸でも海の近くと山とでは、気候も全然違ってくるでしょうし、そこで必要とされるコミュニケーションも様々になってきて、言語が多様化してきたのではないでしょうか。また、ルーツが同じ民族は言語もやはり似てくるのではないでしょうか。(でもなんか、インド・ヨーロッパ語族っていうのは学者達が便宜上つけた名前で根拠も何もないと聞いたことがあります)

>国境を境にして全然変わってしまうんでしょうか。

言語と国境は一致しないのではないでしょうか。政府の方針で共通言語というのを定めているだけであって、その国々でそれぞれの地域に根ざしたコミュニケーションの手段がとられているはずだと思います。

>日本の場合は島国なのでなんとなく納得してしまうんですが・・・

日本語のルーツは韓国語だと私は考えています(本などを読んで)。日本は韓国人が作ったと言う説もあります。島国という独特の風土が日本語を成熟させてきたということもあるんでしょうが、まだまだ、韓国語の一部が生活の中の言葉として生きているものもあるようです。私にそう考えさせた文芸春秋の(季←この時に上部のノをとった漢字です・寧熙)イ・ヨンヒの「枕詞の秘密」おもしろくてお勧めです。


以上、ご質問とは主旨が違ってきてしまうかもしれないですが言語に対する私の考えです。専門家でもなんでもないタダの一学生の考えですので、参考にはならないかと思いますが軽くみてやってください。他の方の意見も楽しみです。では。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早々に返事をいただきありがとうございます。
質問の内容が自分自身ちょっと難しかったかなと、後悔がはいっています。

clefさんのアドバイス(推理)を読んで思った素朴な疑問なんですが、
ルーツが同じ民族を一つのグループと考えた場合、例えば日本猿の群れを一つのグループとした時、他のグループとは生活の基盤が同一でなかった為にそれぞれのコミュニケーション=言語が発達したということなのでしょうか?
そうだとすると、そのグループ同士の間には何か物理的な障害(山脈・河等)があって交流が絶たれたのでしょうか、それとも日本猿のように動物的本能による住み分けのメカニズムが働いたのでしょうか。
そこのところが一番の疑問なのです。

>言語と国境は一致しないのではないでしょうか。

この一文で気が付きました。国というものは国境を定めて成立した当初こそ、多言語だったものの、長い年月の間に単一の国語が成立するんだってことに! それによって現在は国境で明確?に分かれた言語になったんだと。 注:これはまったくの自己解釈です。

>日本語のルーツは韓国語だと私は考えています(本などを読んで)。

日本語のルーツまでお答えいただいたのですが、この件については別の機会にお願いします。

clefさん アドバイスありがとうございました。

なお皆さんにお願いがあります。
今回の質問については私自身難しい回答を望んでおりませんので、と言うか理解できないかもしれないので、解かりやすく教えていただけると幸いです。

お礼日時:2001/10/13 02:32

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q昔のヨーロッパの国々について

中世ヨーロッパを舞台とした作品の中で、
王国の催しなどに他国の王が集まっている場面をよく見ます。
私の中で国というのはとても大きなイメージで(島国に住んでいるからかもしれませんが)、
国王が何人もいて、同じ場所へ気軽に集まっている状況というのをよくイメージできません。
昔のヨーロッパの国々は今でいう都市のように、もっと小さなものだったのでしょうか?

Aベストアンサー

 捉え方次第で、YESでもあり、Noでもあります。

 YESとする理由は、No.1さんのご回答どおりです。時代により領域に変化がありますが、主に現在のドイツ・オーストリア・チェコ等を領域とする神聖ローマ帝国では、17世紀半ば頃からは、各領邦に主権を認められ独立国に近い存在になりましたが、その数は18世紀末で「領邦高権を有する領邦314、自立権力を有するその他の帝国騎士領は1475家」あり、「小邦(Kleinstaaten)の幾つかは飛び地を含む数平方マイルの規模]だったようです(ウィキペディアの項目「神聖ローマ帝国」から引用)。

 Noとするのは、領邦は多くとも、君主である「王」はそれほどは多くはなかったことです。神聖ローマ帝国内でも、皇帝自身と皇帝になる前段階の称号であるローマ王を別にすれば、ボヘミア王だけでした(ただし、領邦の君主が領域外の王国の君主を兼任している場合は、王と呼ばれることはありました。プロイセン王等)。
 神聖ローマ帝国外では、イタリア等一部地域を除けば、独立していない地域が多く(特に現在の東欧やバルカン半島)、それほど君主である「王」は多くありません。

*参考 ウィキペディア「神聖ローマ帝国」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD
 

 捉え方次第で、YESでもあり、Noでもあります。

 YESとする理由は、No.1さんのご回答どおりです。時代により領域に変化がありますが、主に現在のドイツ・オーストリア・チェコ等を領域とする神聖ローマ帝国では、17世紀半ば頃からは、各領邦に主権を認められ独立国に近い存在になりましたが、その数は18世紀末で「領邦高権を有する領邦314、自立権力を有するその他の帝国騎士領は1475家」あり、「小邦(Kleinstaaten)の幾つかは飛び地を含む数平方マイルの規模]だったようです(ウィキペディ...続きを読む

Q昔のヨーロッパではどのようにして国境を判別したのですか?

昔の、ま、産業革命前のことで、ヨーロッパに限らず、中国とかでもです。あのように陸続きだと、「こっからがわしら何とか帝国ね~。この線からこっちきちゃだめだよ~」とか、「こっからが魏ね。そっからが蜀ね。呉のみんなはそっちね」などと、はっきりわかったのだろうか。10キロくらいどうでもよくて、なんとなく行き来しちゃってた、なんてことはなかったのだろうか。鉄条網で仕切ってあったなんてことはなさそうですからね。国境ははっきりしていたのか、その目印は何だったのか、という質問です。

Aベストアンサー

国境は曖昧でした。
重要なところでうまく分けられた場合だけ、境が明確でした。
曖昧どころか、二つの国で同じ場所がかぶっていたりもしていました。

主権という排他的に領土をわけるようになったのは、近代のヨーロッパからです。
その考え方が欧米の世界進出で広まりました。

Qアジアとヨーロッパの境はどうして決まったのか。

他の州は地理的に見ても妥当な境界に見えますが、
アジアとヨーロッパの境はウラル山脈、カスピ海、黒海付近になっています。
1.いつ頃
2.誰たちが
3.どのような根拠で
この境を決めたのでしょう。
また、
昔、ギリシャとペルシャが戦争をしましたが、そのころ、
4.ギリシャ人はヨーロッパ、ペルシャ人はアジアという帰属意識を持っていたのでしょうか。
さらに、
現在、その境付近に住む民族は、それぞれ
5.西にいる人はヨーロッパ、東の人はアジアという帰属意識を持っているのでしょうか。
いくつもありますが、1つでもよろしいですので、お分かりの方、資料でもいいので教えてください。

Aベストアンサー

アジアという概念は、ヨーロッパ人のもので、現在のアジア人のものできありません。
ギリシャ神話では、ゼウスが小アジアからエウロパをさらい、着いた所を(ギリシャ)ヨーロッパと呼ぶようになりました。
ギリシャ人にとって、小アジア(現在のトルコ)を近東(近い東の国)、アラブ圏を中近東(中くらいに近い東の国)とし、それ以東を極東(東の外れ)としていました。
それを慣例的に現在も使用しているにすぎません。

アジアとヨーロッパの境は、地理的にはボスポラス海峡ですが、中世その地にあったビザンツ帝国は、バルカン半島とアナトリアという地域にあり、アジア・ヨーロッパの境を意識したとは思えません。
むしろ、キリスト教の範囲とイスラム教(ゾロアスター教も含む)の範囲が、アジアとヨーロッパの境界として認識していたと思われます。
そのため、カフカス山脈南方の3カ国のうち、グルジアとアルメニアはキリスト教国であるため、ヨーロッパの扱いをうけます(グルジアのEU加盟問題などあります)が、その隣国のイスラム国家アゼルバイジャンがヨーロッパの扱いを受ける事はありません。
ウラル山脈においても、その西側は、おおよそロシア人が近世まで主流であったのに対し東側がトルコ系民族が中心であった事が原因だと思います。

また、ギリシャとペルシャが戦っていたころ、ギリシャ人にとってギリシャ人以外のヨーロッパ人は全て蛮族の扱いですから、ヨーロッパ人としての帰属意識など存在したとは思えません。
またペルシャ人にしても、ペルシャ帝国という国はあっても、内容は地区ごとにバラバラな民族・国家を軍事的に束ねていただけですから、アジア人としての帰属意識など存在したとは思えません。

アジアとヨーロッパの境界近くに住む民族の代表は、トルコ人とロシア人でしょう。
両国とも、その時の状況により、アジアになったりヨーロッパになったりしています。

アジアという概念は、ヨーロッパ人のもので、現在のアジア人のものできありません。
ギリシャ神話では、ゼウスが小アジアからエウロパをさらい、着いた所を(ギリシャ)ヨーロッパと呼ぶようになりました。
ギリシャ人にとって、小アジア(現在のトルコ)を近東(近い東の国)、アラブ圏を中近東(中くらいに近い東の国)とし、それ以東を極東(東の外れ)としていました。
それを慣例的に現在も使用しているにすぎません。

アジアとヨーロッパの境は、地理的にはボスポラス海峡ですが、中世その地にあった...続きを読む

Q島国日本の問題

「日本は周囲を海で囲まれる島国である。この島国であることにかかわる日本史上の問題を取り上げ論述しなさい。」という問題がテストにでるのですがどう調べていいのかわかりません。教えてください。

Aベストアンサー

海で囲まれている・・・
 太平洋という外海に面している。
 全ての海に面した国と、船を使って行き来できる。
 他国との交易が容易であった。
 反面、海を閉じれば、他国との交流の道を断つことができた。
 このことを、それぞれの時代で検証してみましょう。
島国である・・・
 これは、出題された先生の意図が読みとれません。
 ここでいう「島国」というのが、
 単に「他国とは陸でつながっていない」という意味なのか、
 「小さな島が集まった国」という意味なのか。
 前者なら、「海で囲まれている・・・」で述べたことと同じです。
 後者なら、国内が小さな文化に分かれるので、
 完全なる国内統一に時間がかかった。
 異文化に接する機会が多いので、異文化を受け入れやすい素地が育つ。
 このことを、それぞれの時代で検証してみましょう。

Q島国と大陸国家の戦略的互恵

島国と大陸国家の戦略的互恵
朝日新聞10月7日夕刊文化欄に評論家の関廣野さんの評論が載っていました。大陸国家と島国の地政学的に出来上がった民族の思想、もしくは国の統治の仕方などについて論評され、日中の戦略的互恵関係構築の注意点や、難しさが述べられていました。日米の安全保障は日本人の島国としての認識を希薄にしたとも記述されていました。冷静な
判断力で賛同するところが多くありました。私の疑問を述べます。

大陸国家か半島国家か島国国家かの区別は非常に定性的で地球の上で相対的に分けるというのは理解できるのですが
大陸国家の大きさの基準はどうやって決めるのでしょうか。通信による距離感、交通手段による距離感、移動にかかる費用による距離感等いろいろあると思うのですが、この距離感によって大陸国家か半島国家か島国国家かが分かれるわけですからやはり尺度の基準を決めておく必要性を感じます。時代や人口密度によっても違います。江戸時代までは中央集権的に国を納めなければならなっかったというのは日本も大陸国家ではなかったのかと考えてしまいます。

関廣野さんのご意見に同意しながらも大きさの尺度の基準をどう定義すればいいのでしょうか。ご意見を頂ければ
大変幸せです。よろしくお願いします。

島国と大陸国家の戦略的互恵
朝日新聞10月7日夕刊文化欄に評論家の関廣野さんの評論が載っていました。大陸国家と島国の地政学的に出来上がった民族の思想、もしくは国の統治の仕方などについて論評され、日中の戦略的互恵関係構築の注意点や、難しさが述べられていました。日米の安全保障は日本人の島国としての認識を希薄にしたとも記述されていました。冷静な
判断力で賛同するところが多くありました。私の疑問を述べます。

大陸国家か半島国家か島国国家かの区別は非常に定性的で地球の上で相対的に分け...続きを読む

Aベストアンサー

 地政学の素養を前提にする質問だと思うのですが、個人的に歴史教養から回答させてもらうと

民族思想が地政学的に変化することについては肯定的にはなりえません
例えば、同じ島国と考えられるイギリス・日本・キプロス・セイロン・NZなどに共通項を見出すのは強引過ぎますし、大陸性でも、ポーランド・ドイツ・スイスなど欧州の近隣国家でも民族性は十人十色と言うべきでしょう。
 私は、地政学を否定するつもりもありませんが、民族がそれに影響されていると言うのは首肯しかねます。
民族思想・民族性は、”地勢学”的影響下にある歴史によって可変的なものであって、地政学的に固定的とは考えません。
 
 ところで、以前から不思議に思っていることですが、”戦略的互恵関係”という言葉は、国家戦略的に利害一致し、同衾しえる国家関係で形成するものであって、現在の日中関係は、あくまでも経済主体の戦術的互恵関係に過ぎません。
 極論をすれば、経済的互恵関係を前提にした政治的協調が日中外交の規定路線と言えるでしょう
つまり、戦略ではなく、戦術的政治展開であって、「戦略性」を見出すことが出来ない、というのが私の見解です。
 言葉の問題なので、回答として面白みがないのですが、戦略というほどのスケールで日中関係が構築されているわけではないことを冷静に捉えるべきだと思います。

 さて、これは極めて偏見のある意見ですが、島国の日本人の安全保障観は、地政学的前提から希薄なことが指摘されていますが、私はこれを疑問に考えています。
 それは、『防人』制度の変遷を考えるに、朝廷の統治能力の過信が長く続き、それにフォローするために武家政権が起こったにしても、武家政権と朝廷が執政権(外交・安全保障分野の行政権)の所在を曖昧にし続けたが故だと思います。
 つまり、実行支配権を失った朝廷が、執政権を武家政権に返上することで、執政権が明確化され国防意識も涵養されたと考えています。
 実は、戦国時代を始め、海外進出している日本人が多く、彼らが幾度も警鐘を鳴らしても国防分野の行政権が確定していなかったことが致命的に日本の国防感覚の希薄さに所以だと思います
 そもそも、元寇を始め、神風に続いて、対外勢力駆逐に宗教を持ち出す民族性からして、やはり、島国云々の問題ではなく、意識の問題があるように思います。

 さて、本論ですが、大陸国家の定規のようなものに関して、軍学的な回答として、『アントワープ・アンリ・ジョミニ』がロジスティクスから一定の思慮を与えてくれると思います。
 極論をすれば、
「大陸国家」とは、国防上で必要な戦時物資が国境線に分散され、各個撃破戦略が可能な軍編成になっているのが大陸国家であり、戦時対応のために軍事物資のロジスティクス体制が高いレベルで整備されている状態の国家と考えます。
 イメージで言えば、大陸国家は補給拠点を分散して、戦時前線に適宜補給できるようなロジスティクス体制が整備されている国家とも言えるでしょう・・・・(私の解釈ですが)

ただ、時代的に国家戦略的に重要視されるものが、物資から情報に変化していることを考えれば、ロジスティクスよりも、優先されるものがありえるとは思いますが・・・

 なお、これは歴史的見地から確信していますが、「大陸国家」とは、概ね中央集権ではなく、領邦国家であり、地方分権国家とみなすべきでしょう。
 もちろん、執政権は中央行政権力が優越しますが、国防上で実績のある国の多くが、領邦性であると相対比較として言えるように思います。
 イギリスなどは、中央集権ではなく、ウェールズ・イングランド・スコットランド・アイルランドの領邦国家であったように、過去のヘゲモニー国家は、領邦国家と考えるのが妥当ではないでしょうか?
  

 地政学の素養を前提にする質問だと思うのですが、個人的に歴史教養から回答させてもらうと

民族思想が地政学的に変化することについては肯定的にはなりえません
例えば、同じ島国と考えられるイギリス・日本・キプロス・セイロン・NZなどに共通項を見出すのは強引過ぎますし、大陸性でも、ポーランド・ドイツ・スイスなど欧州の近隣国家でも民族性は十人十色と言うべきでしょう。
 私は、地政学を否定するつもりもありませんが、民族がそれに影響されていると言うのは首肯しかねます。
民族思想・民族性は、”...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング

おすすめ情報