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最近「平和ボケ」等マスコミで使われているが、そもそも誰が言い出したのでしょうか?
精神面や社会情勢ではかえって殺伐たる状況にある中、誰がこういった造語を生み出したのか、又何を根拠に使用しているのか弾劾したいと考えます。
「危機管理の無さ」と同意語とは考えられませんし、そう言った状況があるせよそれは単に「するべきことを行わない怠慢」では無いでしょうか。
まして「平和ボケ」とは平和に対する冒涜であり、非常な悪意を感じます。
身近な話題に例をとれば、「牛を食べる事は危機管理が無いのか?」風評被害を警戒する反面、絶対的には100%安全とは現在の科学水準では証明されていない。
では、牛を食べる人は「平和ボケ」なのか?
多分「備えが有ってこその平和」との反論が有るだろうが、「平和ボケ」と言い出した犯人を教えてください。

A 回答 (10件)

再度登場の失礼をお許し下さい。



「平和ボケ」賛成、反対、双方に一理あると思います。
『日本人は平和と安全はただだと思っている』『日本人は平和が黙っていても手に入ると思っている、平和は戦って勝ち取るものだ』

こういう考えには素直に同調できません、平和は元々、当たり前のようにその辺に転がっているべきものだと思います。
勝ち取らなきゃいけない平和なんて悲しいですね。
それが今や理想論だとは分りますが...。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございます。
そうなんですよね、「平和」というイメージにいろいろ考えさせられました。
夫々に多少のイメージの違いが有る事も解りました。

表現が悪かったかも知れませんが、平和を表すもっと良い言葉が見つかるまでは、
イメージを汚す使い方を謹んで頂けるように切望して閉じさせていただきます。
この場を借りて皆様の主体的な発言に感謝いたします。

お礼日時:2001/10/17 12:14

No.7の返答についてのコメントです。



>確かに邦人犠牲者が出たとか、国内の事になると大騒ぎする反面、世界情勢に
>無関心な事や、平和の為の具体的な行動を真剣に考えて来なかった面は有り
>ます。 しかしこれが「平和ボケ」によるものでしょうか?

「平和ボケ」の前に「島国根性」が問題のように思います。
周囲を海に囲まれているためか、他国での事件を肌で感じにくいようです。

さすがにアメリカの同時多発テロでは、航空機がビルに突入する場面やその後に
ビルが倒壊する場面を目撃して、日本人数十名を含む大多数の犠牲者がでたこと
についてショックを覚えていますが、それ以外はやはり「ブラウン管の向こうの
世界」だったようです。

アメリカのテロ事件からアフガンでの武力行使、さらに炭そ菌テロと目まぐるし
情勢は変動していますが、今回の事件以前にもいろんなことが世界で起きている
んですよ。

パレスチナゲリラの自爆テロと、イスラエル軍の正規軍による報復テロ。
イスラエル軍など、戦車や戦闘ヘリを動員して暗殺作戦をしているんですよ。
新聞やTVニュースで時折取り上げられますが、記憶している人がどれだけいた
ことでしょうか。

チェチェンでの内戦。ロシア軍による掃討作戦で、掃討後の地域には生物の影
すら見えなくなったらしい。
最近収まったけれど、旧ユーゴスラビアでの紛争。民族浄化と称する民間人大量
虐殺、集団レイプ、知れば知るほどおぞましさを感じます。

地理的に遠い地域の出来事だから、身近に感じろという方が無理かもしれません。
知ったところで、日本人には想像もできない激しい民族間・宗教間の対立と憎悪。
想像することすら難しいのに、その事態について日本としてどう対処すべきかな
ど考えることすらできないでしょう。


日本は太平洋戦争後の50年以上、確かに平和でした。
しかし、その平和は与えられた平和です。全部戦勝国のアメリカがお膳立てして
くれた内容なのです。
だから「平和憲法を守れ」「平和が大事なんだ」しか言うことができない。
自分たちで勝ち得た平和ではないから、どうやって平和を構築するか、平和を維持
していくかが、なかなかわからないのです。

太平洋戦争直後の弱小国としての立場ならば、それでもよいでしょう。
しかし、平和だった50数年の間に経済的に発展し、もはや弱小国ではありません。
軍事力こそ行使できませんが、世界の1・2を争う経済力で、世界に貢献を求めら
れる立場にあるのです。


日本の戦後政治は、いわゆる「一国平和主義」でした。他国がどうあれ、日本だけ
は平和であろうという考えでした。その考えは、内政・外交ともに一貫しています。
自国の安全保障でさえ、自衛隊はありますが主要な力は在日米軍に任せていたよう
な状態でした。

しかし、日本が真に「平和主義国家」であろうとするならば、日本だけが平和でい
るのではなく、世界全部が平和になるような状態を目指すべきであろうと思うのです。

日本の平和主義者の方たちも、日本だけの平和を守る立場を卒業し、世界平和の
ことも考えて欲しいと思います。アメリカといつまで付き合うのか、国連をどう
捉えていくのか。国連中心の平和活動をしていくのか、それとも自国のみで行動
するのか、いろいろ考えることが必要です。

そして形の伴わない理想論ではなく、現実に行動可能な考えを持って欲しいと願
っています。それが出来た時に「平和ボケ」などという言葉を日本人が使うこと
はなくなるでしょう。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
確かに自国だけの平和から卒業すべき時かもしれません。
しかし平和の手助けは出来ても、与えることは難しいです。
「一国平和主義」で全世界が日本の様になれば良いという考えも否定しきれません。
加賀の前田家で、自国を守る為に「ぼけ」を装ったと言う話がありました、自ら発する「ぼけ」は許せても、他人が発する「ぼけ」はやはり許せません。

お礼日時:2001/10/17 11:47

削除覚悟で、もう1回、回答させて下さい。



「安全保証意識の低さ」「危機管理意識の低さ」を嘆くことが、「今まで平和であったことへの評価」を悪くしているわけではありません。
また、「平和ぼけ」という言葉を使う人が、平和を望まない人か平和を理解していない人だというのも暴論です。

まあ、あなた自身が「平和ぼけ」しておらず、とても高い問題意識をお持ちであることは、これまでの記述を見てもよく分かりました。
しかし、あなた自身、どれだけ、平和を理解している(つもりになっている)のですか?

世の中、平和であることに越したことはありません。平和よりも戦争がいいなんて人は、それこそ、イスラム原理主義者たちだけでしょう。
でも、日本で理解されている“平和”、言い換えれば、“日本国憲法”のもとで形作られた「自分たちだけが」「何もせずに」得られる“平和”はとてもいびつなものであるということに気づいて下さい。

平和という言葉が、否定的な文脈で使われるからといっていきりたつのは、はっきり言って滑稽です。まるで、カルトのような不気味さも感じます。こうして、「犯人探し」をして、いきりたつことによって、あなた自身の心は“平和”ではなくなっているのではありませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いいえ、貴方の平和に対する考え方を否定するものではありません、むしろ共感いたします。
唯、本質的な論点を明確にしない(かならずしも結びつかない)「平和ぼけ」の発言に抵抗を感じたのです。
それと「平和」と言う美しい言葉を汚して欲しくない!
最近無神経にイメージを傷つける表現が多いです、ある程度世の中を解った大人ならまだしも、子供たちには悲しい事だと思います。

お礼日時:2001/10/17 11:06

日本人の


 「安全保障意識の薄さ」
 「危機管理意識の低さ」
 「世界のあちこちで戦争と虐殺と飢餓が横行しているのにそのことが身近に捉えられない」
といったことをひっくるめて「(日本人の)平和ボケ」という造語が出来たのだろう
と考えていますが、確かに言い出し始めたのは誰なんでしょうね?

日本が平和なことは、もちろんいいことです。
しかし、それゆえに世界のあちこちで発生している戦争・虐殺・飢餓に対する認識
度がなかなか高まらないことへの皮肉が、この言葉に込められているような気がし
ます。


また、今の日本が平和なゆえに、日本が戦場となる可能性について認識しにくいこ
ともあります。
例えが悪いですが、日本の北の方にある国で、いまだに国交が正常化されていない
国があります。しばらくは大丈夫でしょうが、数年後に突然ミサイルがぶっ放され
たり、あるいは日本がテロ活動の対象となる危険性について、大多数の人が認識で
きないでしょう。


個人的な意見を述べれば、「平和ボケ」を言い出した人を糾弾してもそれはそれで
構いませんが、今のアメリカのテロ騒ぎやアフガンの事態を「他山の石」として
もっと真剣に捉えなくてはいけないと思うのです。

日本人全体で、国の安全保障と世界平和の達成にむけてどう貢献できるかについて
の意識が高まれば、「平和ボケ」といった言葉は自然消滅すると考えています。


それから、狂牛病騒ぎは「平和ボケ」とは関係ないと思います。
あれは農水省の役人と政治家の怠慢に過ぎません。
酪農家を保護することも大事ですが、それ以上に消費者を大事にしないと。
消費者を軽視すれば、最終的にそれは生産者側にさらに大きな問題として
返ってきます。


おまけですが、No.1の方の回答にある「水と安全はタダである」という言葉は
 「日本人とユダヤ人」(角川文庫、イザヤ・ペンダサン著)
からの引用かと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに邦人犠牲者が出たとか、国内の事になると大騒ぎする反面、世界情勢に無関心な事や、平和の為の 具体的な行動を真剣に考えて来なかった面は有ります。
しかしこれが「平和ボケ」によるものでしょうか?  又、これまで平和だった事の評価も有って良いとも思います。

アメリカはあれほどの軍備や危機管理をもってしても、戦争に一番近い国と言えませんか?

「健康ボケ」て言葉は健康危機に対して適切な表現と成り得ますか?

お礼日時:2001/10/16 17:37

 こんにちは。



 日本は確かに「平和ボケ」していると思います。

「世の中が平和ボケしているからこそ起こった」
と考えられる事件が少なからず存在するのは事実です。
池田小の殺傷事件なんかは、その最たる例でしょう。
人の命の重さというものが全く解からない、
自分の都合しか考えない、という人間が多過ぎます。

 しかし、じゃあどうしたらいいのか、という事は私にも解かりません。
メディアで「平和ボケ」と連発している人も
どうすれば平和ボケがなくなるのか、という問いには誰も答えられないと思います。

 結局、この言葉に対する違和感は「解決法が見つからない」
というイラダチから来るのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに最近異様な事件が多いです、親が子を殺すとか異常に残虐な犯罪とか、罪をとえない精神異常という意味でなくても、確かに精神的に異常な行為だと思います。
原因は解りません、いろんな環境によるものかもしれませんが"平和だからでは無い"と思います。
多少は関係している様に思われるのは、「しつけ」の問題にある気もします。
注意される事に対して気持を抑える練習が出来ていない、又反復して倫理や道徳的な決まりを学習していない。
「しつけ」が疎かになった原因は、"家庭内平和"を気にしすぎて五月蝿く言わなくなった、とも考えられます。でもこの「平和」という言葉の使い方は、間違っていると思いませんか?
「平穏、波風を立てない、臆病、ズボラ、無関心、無神経、etc」と言えるものです。
「平和」と言うのはそんなに悪い意味だったのですか?
ですから「平和ぼけ」と言う人は、平和を望まない人か、平和が解らない人か、"言葉使いを間違っている人(大半はそう思う)"と考えるのですが。

お礼日時:2001/10/16 14:04

「平和ボケ」という言葉は、湾岸戦争以前には聞かなかったと思いますよ、多分「小沢一郎」か「竹村健一」辺りではないでしょうか?



平穏な毎日を過ごしている時に非常時のことをあれこれ考えるのは、誰でも避けて通りたいという気持ちがあります。

そのことに警鐘を鳴らしているだけで、Phmsさんがいきり立つこともないでしょう!

・・・現実に、大会社は倒産しないとか考えていた日本人の前に会社どころか、大銀行は倒産しない位にのんびり考えていた

日本人の前に「山一證券」以来、いくつも倒産事例を見たのも一種の「平和ボケ」後遺症で「危機管理の無さ」に由来しています。

・・・ぬるま湯に入っていた蛙が、茹であがると言う寓話を思い出しませんか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「竹村健一」ですか、あの話ぶりからすると有り得そうですね。
「山一證券」等は、「欲ボケ」「バブルボケ」でしょ。
「律すべき単語」+「ぼけ」が正しい使い方と思いますが。
決して「ぬるまゆ」と「平和」は違うと考えます。

お礼日時:2001/10/16 11:37

こんにちは。



「冒涜」なんて言い回しは尋常じゃないですね。
この言葉って、普通の人よりも、世界の現状をよく知っている、知識人の方が使っていると思います。
ちょうど、けさの産経新聞でも作家の三浦朱門さんが使ってましたし。

世界の大多数の国が行っている「平和を保つための努力」「国民の生命・財産を守る努力」「理不尽な暴力に対抗する意識」そうした当たり前のことを日本人が行ってきていないことに対する、一つの警告だと思います。

平和は自然にもたらされるものではありません。口先で平和を唱えるだけでも達成されるわけでもありません。また、平和というのは、目的ではなく、人々が自由に安全に暮らすための「手段」の一つにすぎません。そうした意識のなさ、国際社会とのズレ、「平和ボケ」という言葉にはそんな意味が凝縮されていると思います。
#4のpartsさんがおっしゃる通り、この言葉をなくしたからといって、世の中が平和になるわけではありません。むしろ、Phmsさんの考えは、マスコミ界が陥っている(立場を変えれば、「迷惑」している)“言葉狩り”に通じるものがあります。矛先を向けるべきなのは、言葉ではないはずです。「犯人」を見つけたところで、何の進歩にもなりません。それこそ、「平和ボケ」ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
三浦朱門さんが使っていたとは知りませんでした。
内に対して使うならいざ知らず、外に向かって「ぼけ」とは大変な暴言ですよ。
「警告」と言うには余りにも乱暴な言葉です。
言葉はもっと慎重に責任を持って使うべきだと思いますが。

お礼日時:2001/10/16 10:55

日本人は流されやすいひとが多いから誰かが「平和ボケ」って言い出すと皆それに同調しちゃう。



平和に慣れきって管理が甘くなるのは確かにこれからの時代考えものだけど、わたしは Phmsさんと同じく「平和ボケ」って言葉平和に対する冒涜と感じ、とても嫌いです。

「泥棒にはいられました」「カギをかけないお前が悪い」
なぜ良いひとが悪い連中に合わせなければいけないのか?
ぼけるほど平和で何が悪いのか・・

カギをかけずに平気で外出できた時代はもう来ないのかしら・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
質問の表現が悪かったのに、気持を理解頂けたように思います。
とても横暴に使用され、平和主義者が開きなおらなきゃいけないような状況がとても許せませんでした。

お礼日時:2001/10/16 10:21

あらかじめ最初に述べておきますが質問の回答とは多少異なります。



私は悪い言い回しとは思いません。平和でない国、例えば今戦火にある人からすれば、日本は平和ですし無防備な国です。それに平和ぼけ自体は悪い意味で取られる場合も多いですが、戦争が続く国では夢の国です。
確かに社会情勢がどうだ、精神がどうだと言えば別ですが、少なくとも戦争によって国民が苦しむことはないです。あなたの家族や大事な人が死んだり苦しむことは少ない。

この言葉の言い回し自体がなくても、別の言葉が出てきたでしょう。この言葉をなくせば世界が平和になりますか?
私には良い例えと思いますよ。平和に浸り、平和が日常で死の危険は少ない国。誰もが無防備に歩くことがいまだに許される国(以前よりは危険ですけど)
牛がどうだと言える国。
世界の情勢をみて世界の動きを決める立場にもある。

私たちは幸せな環境にいる。それを一言で表せば、「平和ぼけ」で決して悪い意味ではない。ただし、世界が平和なくには平和でない国に見向きもしない場合が多い。平和にするために犠牲になった人、今も平和がある反面苦しんでいる人もいる。
生きることもままならない国の方には、平和という環境を当たり前と思っている人は、平和にぼけた人と見えて当然です。明日の食べ物もないような国では、狂牛病などを恐れることはありません。とにかく食べ物を探し明日に命を繋ぐ・・・同じ世界に住んでいて、これが現実です。

生きることに対する考え方、平和の考え方にはいろいろな物があります。これはあくまで私の考えですし、考えはそれぞれですから、あなたの考えを否定する気はないですし一つのすばらしい意見です。ただ私には、「平和ぼけ」とは戦争の起こっている国から見れば、日本は平和で自分たちの前にどのような犠牲が合ったか、今世界でどれだけ苦しんでいる人がいるかは分からなくなっていて、想像もできない。危険意識の違いがあり、平和はすばらしいが世界が全て平和ではないことを知ってほしいがために「平和ぼけ」という言葉が出たのだと思いますよ。
少なくとも平和否定ではなく、平和が犠牲のもとに成り立ったこと、この国より平和でない国、一握りの命の保証もできない国が世界にたくさんあるのですよ。平和な国でも助けることはできますよという意味であると私は思っています。

人や言葉を批判するのは誰でもできますし、私もよくします。ただ、意味合いはそれぞれによって違い。考え方一つで全く違う答えも出る物だと思いますよ。平和ぼけの言葉がなくせるなら、それも結構、でもなくならないなら、犯人がどうのというより解釈を考えればいい。多くの人がいろいろな解釈を持つことで悪意ではない解釈も生まれます。(こういう議論がどこでも活発ならほんとうに良いですが・・・)
私の解釈(あくまで批判ではなく一つの解釈です)には補足はなしと言うことで・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
貴方のご意見には、感銘をうけました。
唯違った意味で使われている事が多いようにも思われたのです。
ですから、もっと慎重に言葉を使って欲しかったと考えます。
歴史的に使われていても差別用語て有りますね、造語として「平和」と「ボケ」を結合した言葉はどうしても嫌悪を感じます。

お礼日時:2001/10/16 09:51

「平和ボケ」という言葉は10年近く前から使われているように思います。


また「平和ボケ」は平和に対する冒涜ではないのではないでしょうか?
「水と安全はただで手に入る」といわれていた頃、平和とは何か考えず、ただ当たり前のように受け止めていた頃の政治家に対して使われていたように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
平和に安住する事に対しての、卑下する言葉はやはり冒涜とおもわれますが。

お礼日時:2001/10/16 09:31

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