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他の質問で「尊皇攘夷」についてのものがありましたが、私が質問するのはもっと初歩的なものです。

[1]攘夷派というのは尊皇攘夷などをひっくるめて言ったものなのか
(もう基礎の基礎ですよね;本当に初歩的なことで申し訳ないのですが、お答えいただけると嬉しいです)

[2]攘夷派で代表的な志士は誰か
(近藤勇や坂本竜馬がいたそうですが、他の方も教えて欲しいです)

[3]新撰組と攘夷派は何か関係があったのか
(これは本当に趣味的なものなので、回答を頂けなくても結構なのですが、WJで連載中の『銀魂』という漫画で真選組(新撰組をもじった)が桂小太郎(桂小五郎をもじった)と会ったりするシーンが多く見受けられますので、何か関係があったのかと思っています)

教科書に攘夷については掲載されているのですが、1ページにも満たず、情報不足です。
お忙しいとは思いますが、どうか回答を頂ければ嬉しいです。

A 回答 (5件)

攘夷とは天皇を中心とした国を作ることだと認識しています。


江戸時代末期、黒船(異人)来航により江戸幕府は開国を迫られました。
時の将軍、徳川家茂とその幕臣たちは開国を支持。
しかしこのままでは異人に日本をのっとられると思った各地の志士(浪人や脱藩者がほとんど)は、その徳川幕府の考えに猛反対し、長州(今の山口県)藩を中心に討幕運動、つまり革命を起こしたのです。
しかしいくら革命といっても旗頭がいなければ成り立ちません。
それが天皇であり(当時はあまり実権をもたなかった)尊皇攘夷という観念です。

徳川側も当然、指をくわえている訳はありません。
そこで新撰組という特異な人斬り集団をつくり、今の京都(当時は中心的な都)で志士達の一掃を図ったのです。

つまり長州の志士であった桂小五郎と新撰組は完全に敵であり、坂本竜馬も同じく新撰組に命を狙われる存在だったのです
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この回答へのお礼

要点をまとめた明快な回答、ありがとうございました。
新撰組といえば大河ドラマの影響もあってか私たちの世代には「カッコいい」の一言で通ってしまいます。
ですが実際はそうでもなかったのですね・・・;
池田屋事件も物騒ですし、確かに「イイヒト」ではないのかもしれませんね。
ううん、新撰組って奥が深いですね。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/21 19:35

尊皇攘夷のもともとの思想は儒教からきています。


野蛮な外国から天皇(中国は皇帝)の国を守るというものです。

1 攘夷派は尊王攘夷派を省略したものです。

2 尊皇攘夷派は長州藩が中心でした。
桂小五郎達です。土佐藩の一部も尊皇攘夷派がクーデターで実権を握った時期がありました。
近藤勇は尊王攘夷派を駆逐する新撰組です。
坂本龍馬は、当初尊王攘夷派ですが勝海舟に出会い、西洋式海軍で日本を守るという発想に変わります。

3 新撰組は、幕府を滅ぼそうとする尊王攘夷派を駆逐する目的で作られた組織です。

そのマンガは、事実とはまるで関係のない話のようですね。
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この回答へのお礼

簡潔な回答、ありがとうございました。
坂本竜馬も当時は尊王攘夷派だったのですね。
やはり新撰組は敵対関係におかれていたのですか・・・
漫画の中の設定が好きな私としては少しショックでしたが、確かに尊皇攘夷派の者と馴れ合うのはおかしいですよね^^;
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/21 19:29

(1) 攘夷派は幕末に台頭した、外国を排撃し


鎖国を主張する議論で、儒教の中華思想に由来し、
尊王論と合流して佐幕開国派と対立したので、
まとめて尊皇攘夷派と呼ばれますが、
別々のものです。
初期には佐幕攘夷派もいましたし、公武攘夷派もいます。

また尊皇派とは天皇の権威の絶対化と
封建的排外主義とを結合した政治思想で
特に水戸学によって鼓吹され、やがて王政復古、
倒幕の思想とも結びつくに至りますが、
元々は、危機に瀕した幕藩体制の再強化のために
生まれたものです。

要するに当時の政治派閥は大別すると
開国派と攘夷派、尊皇派と佐幕派と公武派のミックスで6パターンあります。

(2)攘夷派で代表的なのは
吉田松陰、久坂玄瑞、横井小南、梅田雲浜、
頼三樹三郎、橋本左内、三条実美、岩倉具視など。

ちなみに坂本竜馬は公武開国派です。攘夷派ではありません。

(3)新撰組はただの佐幕派です。
開国論は彼らにとっては管轄外の門外漢でした。
しかし武士に憧れる多摩の農民の集まりということもあって
古風で懐古趣味的だったので、
国粋主義に傾倒し、攘夷論に心情的に同調していました。
ただし幕府の方針が開国のためそれに従いましたし、
土方歳三など上野戦争の後はフランス式歩兵学を学んで
取り入れました。

ほかの人々もそうですが維新の後半で攘夷派は皆無です。
皆、長州藩と薩摩藩の敗北を機に、
外国の圧倒的な軍事力をしって、開国派に転向しました。
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この回答へのお礼

細かな回答、ありがとうございました。
当時の政治がよく分かりました。(6種もあったのですね!)
この辺は本当に教科書に少ししか載っていなかったので、とても嬉しかったです。
この頃の方って意見の転向が激しかったのですね。
頭が良いといえば良いのかもれませんが・・・;
歴史って凄いですね。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/21 19:19

(1)尊皇攘夷とは本来は、身分制度の最頂点に位置する天皇の伝統的権威の尊重を説く尊皇思想、及び自国を道徳文化の優れた中華として尊び、異質の文化をもつ欧米諸国を道徳の劣った野蛮の国、夷てきとして卑しめ、その排撃を説く攘夷思想が、結合したものです。

従って、攘夷派は必ずしも尊王攘夷派とは言えないと思います。攘夷派であっても、幕府の方を尊重する考えもありますから。だから、攘夷派とはその中に尊皇攘夷派を含むので、ひっくるめて言ったといって良いと思います。
(2)坂本竜馬とか近藤勇は攘夷派ではないと思います。代表的な志士は長州藩では久坂玄瑞、初期の高杉晋作などであり、薩摩藩では有馬新七、公卿では三条実美等です。
(3)新撰組と攘夷派との関係ですが、新撰組自体は京都市中の取り締まりであり、思想的にはほとんど取り上げるものはなかったと思います。それよりも長州の攘夷派を主に取り締まっており、敵対関係にあったと考えるべきではないでしょうか。
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この回答へのお礼

非常に分かりやすい回答、ありがとうございました。
尊皇攘夷の思想というのはこの辺の時代で一転・二転していたりしてよく分からなかったので、1に対するご回答は非常に助かりました。
新撰組は敵対関係にあったのですか。
なんだか漫画の中ではとても友好的に描かれていたので吃驚しました。(ちなみに漫画の中では高杉晋作も『高杉晋助』として登場します^^)
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/21 19:14

[2][3]について補足します。


新選組という集団で言えば彼らは幕府の機関なので、思想関係なくとにかく幕府に従う、という活動を行っていた組織であると思います。
新選組はもともと局長・近藤勇が多摩の農民だったので、幕府直轄地に産まれたこともあり、幕府への忠義心が強く幕府を助けることを目的としていました。

しかし近藤勇自身は当時誰もが考えていたように当初は攘夷という思想を持っていたようです。鎖国・攘夷が当たり前と思っていた時代に開国を唱えた人物自体あまりいませんでした。
また尊皇思想も持ち合わせていて、当時公武合体を唱えていた幕府のもと「尊皇攘夷佐幕派」という形だったのだと思います。ただのちのち、医師・松本良順との出会いによって開国思想も持ち「尊皇開国佐幕派」でもあったようです。

一方幕府への反対思想を持っていた人たちの思想の流れを考えると、黒船来航当初は開国の道を進んでいた幕府に対し反対はありましたが、まだ幕府の威力は強く、単に「尊皇攘夷派」という形で倒幕などという思想はなかったようです。ただどんどん幕府が衰退するうちに倒幕という思想がうまれ、「尊皇攘夷倒幕」という形になります。しかし薩摩藩や長州藩という反幕思想の強い藩が外国との戦争を経験し、外国の力を目の当たりにしたことによって「尊皇開国倒幕」という思想が生まれたのです。

ちなみに私の意見でしかありませんが、歴史モノ漫画というのはものすごく史実に忠実なものでない限り、かなり都合よく書かれている場合が多いので細かい点(人同士の交流とか)に関しては参考にしないほうが賢明だと思います。

参考URL:http://www.webvider.com/shinsengumi/
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この回答へのお礼

参考ページまでご丁寧にありがとうございました。
幕末の思想というのはやはり様々な種類があって、奥が深いものなのですね。
歴史ものの漫画を読んだのはこれが初めてなので、以後内容を鵜呑みにして考えないようにしたいと思います。
私自身も知った気でいているのは恥ずかしいですしね^^;
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/21 19:10

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