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西南戦争前と後では、日本が変わったということはできないでしょうか?中央集権化が完成したということでは?
社会に、武装蜂起による政府転覆をはかる可能性を内在している限り、中央集権は未完成だという考え方は間違っているでしょうか?

A 回答 (4件)

何の意味も有りません。

島津や薩摩のきからをそいで西郷が死に場所を見つけただけです。
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この回答へのお礼

政治体制上の変化が著しい事件でした。

お礼日時:2024/05/01 09:03

西南戦争後、事実上【士族階級】が破壊されました。


これは徳川政権と武士階級の【終焉】を意味します。
平安時代⇒武士階級の台頭。これが終わったのです。
以降は形式上国家として日清、日露、大東亜の戦役を
経て、独立国の体裁を保ちつつ米国の属国として今に
至っているわけです。
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この回答へのお礼

武士の最後を飾るにふさわしい大規模な事件でした。

お礼日時:2024/05/01 09:03

士族の消滅は、明治6年の「徴兵令」による国民皆兵制度と明治9年の「秩禄処分」で形の上では完成するが、形が変わったからと言って意識まで変わることはない。

だから、各地で士族の乱が勃発し、長州閥を中心として新設された帝国陸軍が鎮圧にあたっていた。
※薩摩は西郷隆盛の下野で軍人の多くが西郷とともに鹿児島に戻っている。

最後にして最強の旧士族軍が西郷隆盛を中心とした所謂「私学校」の集団だった。この軍は戊辰戦争における官軍の中核を担った軍事組織であり、西郷下野後に大久保利通が台湾出兵を決めた際も、その兵士として西郷に頼み込んで8千人も出してもらったほどだ。

このような強力な軍事組織が西南戦争の結果消滅し、日本国内の軍事組織は帝国陸海軍だけになったのだから、その意義は非常に大きい。
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この回答へのお礼

制度だけで武士階級を消滅させようという意図はくじかれ、鹿児島に最大の武力集団が存続し続けることは、まったく中央集権に逆らうことです。これを解決するには武力衝突で打ち負かすしかないです。

お礼日時:2024/05/01 09:02

西南戦争の意義。



1,明治政府のもと、中央集権体制が
 確立した。

2,武士階級が滅んだ。

3,武力による政権交代から、
 表現の自由と投票箱による政権交代
 へとシフト。
 つまり、武士階級の崩壊と相まって
 民主制の端緒になった。
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この回答へのお礼

戊辰の役では士族は全く衰えませんでしたので、西南戦争を通してその滅亡がなされます。

お礼日時:2024/05/01 08:59

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