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先日、思うところがあり霊視に行って来ました。
その際蛇に憑かれていると言われたので、近々祓ってもらおうと思っています。
で、祓うための準備としていくつか申し渡されたことがあるのですが、その中に般若心経を書き写すという作業がありました。
般若心経って、よく法事のときなどに読まされたりするお経ですよね?
軽く調べてみたら般若心経は”悟りをひらくための知恵を説いた教え、その核心”が書いてあるもので、内容としては”何事にもこだわりの無い心、空の境地”を説いたものだとのこと。
ここで疑問。
悟るための方法を説いた文章が何故お祓いや先祖供養に役立つのでしょう?
(私が行ってきた霊視の真偽・是非ではなく)お経とは何か、お経の意義、お経の使い道???みたいなものを簡単にわかりやすく教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

仏教はゴータマ=シッダールタが説いた哲学です。


お経はその哲学書です。
哲学について深い考えの無い人や,深く考えることのできない人が
内容を知ろうともせずに鰯の頭と並べて仏壇に飾ってありがたがれば
「霊能者」の出来上がりです。
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この回答へのお礼

哲学!確かに般若心経の意味を読んでいたときそんな印象を受けました。
だったら尚更、なぜ哲学書であるお経が供養に役立つのでしょうね?
結局は供養自体ももしかしたら死者やご先祖さまのためではなく今を生きている人のためにしているのかしら?
早速の回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/26 00:55

お経については、宗派や、国(インド、中国、日本など)、時代によって扱いは違います。


日本の場合は、ありがたいサウンド集のようなものです。
日本は文字を持たない民族だったので、ことばが価値があるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
”ありがたい”感じは確かにしますね~。
お経の「扱い」の違い、どう違うのか気になりますね。調べてみようかな・・・。

お礼日時:2005/07/26 01:08

自分が仏や先祖を大切に思っているという


気持ちをお経を唱えることで表すという事でしょう。

仏様を敬うという態度、先祖の霊を音楽を聴くと
気持ちが良くなるのと同じように、お経を
聞かせることで慰めるという儀式。

亡くなった人が無事に成仏するために
お経を唱えるという場合もあるしね。

本来、お経と言うのは仏の教えを人々に
伝えるためのものだとは思うんですが、
それだとお坊さんやお寺の収入にならないしね。
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この回答へのお礼

気持ちを表す手段。自分にも周囲にもわかりやすい手段ってことですね~。
お葬式や法事みたいなのもそういうことですよね。
そういう時じゃないと確かに自分のルーツとかに思いを馳せたりするときもないですし。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/31 23:18

「お経」というのは、釈迦の教えを書き綴ったものです。


ですが、釈迦が存命していた時代のインドには、今で言うメモ程度の記述法しかなく、ほとんどが言い伝えで伝承されました。
(大切な説法をメモ程度のものに残せるものか!といった感じだったのです。)
現在私たちが目にする「お経」というのは、仏教が中国に伝わった祭に、中国で研究され、書きまとめ上げられたものです。
伝わった中国にとっては外国の宗教ですから、文化の違いなどもあり、違約や勘違いなども含まれて翻訳されていると考えなくてはならないでしょう。
日本に仏教が伝わったのは、この中国語訳の経文でして、ごく限られた人たちにしか解読(?)できなかったのです。(その解読も正確であるかどうかはわかりませんよ)

話を戻しますと、お経の大元(おおもと)は、釈迦が説法された内容であり、ごくごく普通の言語で話していたもので、その話に多くの人たちが納得し、感銘を受けていましたから、私たちが耳にしている「呪文の様なお経」のスタイルではなかったのは明白です。
つまり、聞いている人が、内容を理解できない「呪文の様なお経」を唱えても、ほとんど効力がないと言えます。
難しそうな、呪文の様なモノを唱えている方が、宗教者としての威厳(いげん)を保てるので、伝統的にそうしているだけなのです。

今の仏教界には、肝心な「教え」の部分が欠けていると思います。
「○○に憑かれている」というのは仏教的に有り得る話ではあるのですが、「お祓い」というのは、どちらかと言えば緊急避難的な措置なのです。
どちらかと言えば、釈迦は、こうした緊急避難的措置を嫌っていましたので、こうした悪しきモノに憑かれたりしない正道として、八正道などの心を清らかにする教えを説かれたのです。
波長同通の法則とでも言うのでしょうか、悪しきモノと同通する心の波動を持っていれば、そうしたモノが寄って来るので、同通しない心に切り替えて行く方が、永続性のある効果が得られますからね。

お話を伺いますと、ちょっと仏教の本筋から外れている感じは受けますよ。
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あと、仏教について捕捉しておきたいと思います。



仏教には、釈迦の教えの根幹を現していると言われる3つの教えがあり、その3つの教えを「三宝印(さんぽういん)」と言います。
釈迦の教えは多くありますが、全ての教えには、その三宝印のどれか1つは含まれていると言われます。
三宝印は、釈迦が直々に説いたものではなく、中国の学者らがまとめて命名したものではあるのですが、実に良く仏教の根幹を示しており、仏教を語るには避けては通れない重要な教えです。
つまり、三宝印とは何であるのか?そして、それぞれの教えの意味するところを説明出来ないならば、その団体は「仏教ではない!」と言い切っても良いのです。(良く言って「異端」、悪く言えば「邪宗・邪教」のたぐいです)
マトモな団体では、出家者だけではなく、熱心な檀家(信者)であれば知っていますし、ちゃんと説明も出来るものです。

さて、先方は「蛇に憑かれている」とか、「お祓いをする」とか、「般若心経を書き写せ」とか言っておられる様ですが、一度、この三宝印について質問されてみてはいかがかと思います。
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この回答へのお礼

霊視をしてくれた人は、お経のことはよくわからないのだけれど、でもよく効くのだと言ってました~。単なる道具として使ってる感じに聞こえました。だから効力あるのかなぁ?っておもったんですが・・・。内容を理解できないお経に効力は無いっていうのは、確かに当たり前のことですよね~。
波長同通ですか。。。うぅ(>_<)
ありがとうございました!

お礼日時:2005/08/01 23:37

般若心経は、般若経という経典グループの中から抽出したお経です。

仏教の教えとしては、魅力的な抽出文ですが、退魔の効果などあろうはずがありません。般若心経自身の意味を考えれば、自称霊能者が、般若心経を使い、霊の存在を認め、祓う?事自体が、矛盾しています。

文章で書くと、般若心経の大意が伝わりにくいですが、観世音菩薩が弟子のシャーリプトラに「森羅万象、永遠不滅に存在するものはなく、固定的な実体はない」事を教えています。

先祖供養で詠唱されるのは、儀式的な意味合いが強くなっていますが、好意的に考えれば、先祖の死生を通して、生人が諸行無常な世界の真理を思い巡らす側面もあるとも言えますね。それが意義とも言えるかも知れませんが、無感動に無自覚に唱える事に何の意義もないと思います。

あなたに憑いているという蛇ちゃんが、サンスクリットの漢文訳の羅列である般若心経を聞いて、世界の真理を感得してくれるのなら、写経する意味も大いにあると思いますが。
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 みなさんお詳しいこと、たしかに親しくして頂いていたある高僧からそんなことを聞かされたことがありました。



 色即是空、空即是色はともかく、般若心経は比較的分かりやすく覚えやすく、馴染みやすいお経、これを唱えたり写経をすると、とても気持が落ち着いたり、澄み渡った気分に浸ることもできるものです。

 そうした人の内面を浄化し、ある意味で精神を強化するといった面で、こうしたことは効果がありそうだし、除霊などといった目的の曖昧さを理由に無下に否定することもないと、わたしは考えます。
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 ご質問にあるとおり、般若の智慧は大乗仏教の空の思想を説いています。

が、一般民衆には難しすぎてよくわからない。「何が書いているのかは知らんが、とてつもなくありがたいことが書いてある。何でも悪魔(本来の意味の悪魔は煩悩だと思いますが)に侵されないということらしい」ということで、日々の読誦経典として、ご祈祷の経典として、また身につけるお守りとして民衆にも親しまれてきました。大乗仏教のエッセンスであるゆえに字に書くだけで、声にするだけで、また字を見るだけ、身につけるだけでも不思議な力を持っていると信じられてきたわけです。般若心経や金剛般若経、また真言宗などで読む理趣経(般若理趣経)等の般若経典は日頃読む経典とされています。また大般若経600巻は転読法要でパラパラとめくられているのはテレビか何かで見られたことがあると思います。あれも般若経典ゆえに行われていることと思います。先祖供養でも仏教のエッセンスですから亡者に説いて聞かせるて速やかに六道を離れ、悟りを得る、また極楽に往生できるとされたのではないかと思います。
 法華経にも一字を書き写すだけ、持っているだけでも功徳があると書かれています。日蓮上人は南無妙法蓮華経とお題目を唱えることだけで妙法蓮華経=法華経に守られると説かれたわけです。
 
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補足すると



インド人も中国人も、自国の言語でお経ができているわけです。
インドからお経を持ち帰って、翻訳するのが中国人なのです。
日本人は中国語を妙な日本語読みをするのがほとんどです。
例えば、ラテン語で書かれた聖書を無理矢理ローマ字読みしてありがたがっているようなものですね。

日本の神道や、それ以前の古代宗教は、ご神体は「空」というか、実態が無いのです。娑婆的ではないというか。
お経も意味ではなく、誰が読んでも同じ意味として受け取られるような実態のある文章よりも、謎めいた漢文?調のお経のスタイルがありがたいのでしょう。

本来は、日本語の現代文に翻訳してもいいのです。それを誰も求めていないだけなのです。

法律の文章も同じです。最近はひらがなになってきていますが、やはり娑婆っぽくないカタカナ調は長く愛されてきました。

お経=自らを聖なる精神に近づけるための漢字&サウンドというものです。
大勢の人が長い時間愛し続けてきたということも、その効用を保証しています。
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 般若心経は空が主題ではなく、般若(智慧)が主題です。

そして般若心経におけるその般若とは、「ギャテイの咒」、つまり真言です。
 普通「般若心経」と呼び習わしていますが、インドの原本には「般若波羅蜜多心(プラジュニャージャパーラミータフリダヤ)」で結ばれ、「経」を意味するスートラムという言葉は記されません。元々、般若心経はフリダヤ(心)であって、経ではないのです。フリダヤはインドでは観念的な“ココロ”でなく、肉体的なるココロ。つまり心臓を意味する言葉です。心臓はまさに開こうとする蓮花の形を表すことより、仏性の象徴とされ、生命のシンボルです。そこより転じて、“瞑想の際に唱える聖なる詞”つまりマントラと同じ意味で用いられます。このマントラとは真言・咒と訳されますが、「般若心」つまり般若波羅蜜多の咒とは、「ギャテイ ギャテイ…ボウジソワカ」の部分であり、これが主題であり、この以外の部分はその修行実践によって得られた境地を述べているのです。そして、この真言を唱えるという瞑想修行の実践により、「一切の苦厄を度する」からこそ、唱え続けられたのです。
 つまり、般若心経は古代インドのおける「般若波羅多の咒」に対する信仰が基礎となっており、この真言を繰り返し唱え続けるという瞑想修行の実践者が「観自在菩薩」です。観自在とは観法(瞑想のこと)が自在なる修行者であり、この観法によって最終的には「空」の境地に入られたのです。そしてこの咒を唱える自身こそ「観自在菩薩」でもあるのです。
 ちまたの般若心経解説本には心経成立の前提を無視し、「こだわりの心を捨てるお経だ」などという珍説や、仏教語を用いたエッセー集にすぎない物がほとんどです。心経は決して文字面だけで意味内容を学ぶ物でなく、修行実践によって体得する物です。それにより最終的には一切の平等性を認め、愚かな考えに惑わされない境地に立つのですね。であれば、亡くなった人に経を唱えることも、その実践によって死者の真の姿を「仏」と観る。であれば生きているすべての人を、生命を、宇宙を「仏」と観る。まさに成仏が立証されますね。

密教21フォーラムHP「『般若心経』のほんとの意味」
http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_ …

参考文献
『般若心経秘鍵入門』(大覚寺出版部・村岡 空)
http://www.sagagoryu.gr.jp/jpn/shop/hiken01.html

『真釈 般若心経』(宮坂宥洪:角川ソフィア文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043760 …

『密教瞑想から読む般若心経―空海・般若心経秘鍵と成就法の世界』(越智惇仁<高野山大学教授>:大法輪閣)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804612 …
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