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今日(7/27)その時歴史は動いた・・で戦艦大和が取り上げられます。
だいたいの概略は把握しているのですが、気になることがあります。
”主砲46センチ砲を9門”とうのは、当時では脅威の規模だったのでしょうか。
46センチというのは大砲の穴の直径でそれが9セットあるという事でしょうか?
例えば、標準なものでは、およそどのくらいの規模だったのでしょうか?
数字で比較しないとなかなか大和の凄さがわからないもので・・
どなたか、教えてください。よろしくお願いします。

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A 回答 (9件)

皆様の言われるとおり、大和以外の戦艦は各国とも最大40センチの主砲で、46センチの鉄甲弾は、同レベルの砲で発射された40センチ砲弾の倍近い威力があったそうです。


また、射程4万メートルというのは、東京から大船あたりまで弾が飛んだということです。
余談ですが、終戦の時に東京湾上戦艦ミズーリで調印式が行われましたが、東京湾にミズーリがいるということは、都内全域に40センチ砲弾を撃ち込めるということに他ならず、それだけで敗戦の象徴といえました。
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1930年代後半、海軍軍縮条約が期限切れとなり、列強各国はいずれも新型の戦艦を建造しました。

最多のアメリカの場合、合計で実に15隻くらいを完成させています(ノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級、アラスカ級)。

各国が知恵を絞って建造した新型戦艦の主砲の口径は、アメリカは16インチ、イギリスは14インチ、ドイツとイタリアは15インチでした。こうした中で、日本だけが18インチ主砲を開発して新型戦艦に載せました。

日本の場合、貧乏でアメリカのように多数の戦艦を揃えられないということで、他国の完成艦に例のない18インチ主砲を開発し、それを積んで27ノットで行動できる戦艦を建造しました。結果として、完成した戦艦で見れば、大和型はアメリカやイギリスの戦艦と比べて「一対一で撃ち合えば恐らく負けない」強力な戦艦に仕上がりました。

ちなみに、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスが戦った欧州海域では、日米だけが整備した空母機動部隊は実質的にありませんでした。各国とも、空軍の対艦攻撃力がさほどでもなかったので、戦艦が敵艦船に主砲を撃つ場面がかなりありました。

アメリカ・日本の両軍が空母機動部隊を編成して戦い、戦艦は脇役になった太平洋戦線のことだけを我々は考えますが、「日米両海軍が進みすぎていた」ということも考慮するべきでしょう。
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海軍記念日は5月27日でした。


日露戦争の日本海海戦の勝利を記念しての日です。

7/27日は特に重要な日ではないと思います。
強いて言うなら、1945年7月24~25日の呉大空襲で日本海軍は事実上壊滅した。あるいは1945年7月30日に原爆の重要部品(ウランあるいはプルトニウムと言われている)をテニアン島に運んだ巡洋艦インディアナポリスを沈めた。
と言う日に近い事でしょうか?。

大和の凄さとは、すでに航空戦の時代が来る事を予期して蒼龍級、翔鶴級という世界的に見ても遜色ない航空母艦を造っていたにもかかわらず、時代後れな大艦巨砲主義から脱却できなかった海軍の象徴としてでしょう。
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45口径46センチ砲は、射弾散布界(全く同じ条件で射撃した場合の着弾のばらつき)が極めて悪く、殆ど当たらなかったろう。

こう推測されています。

米軍の40センチ砲は50口径のカノンタイプで、初速、射程、射弾散布界共に極めて優秀で、実用的でした。

但し、開戦時の米軍主力戦艦の速力は21Kt(ノット)これに対して日本の戦艦は25Kt、装甲の低い巡洋戦艦は30Ktでした。
大型戦艦の大和の速力27Ktは当時としては未曾有の速力でした。

空母主力の時代、高速作戦を強いられました。
巡洋戦艦は30Ktの速力に目を付けられ最前線に次々投入され、消耗して行き、
使い物にならない鈍重な戦艦だけが後方に残されました。

そして、レイテ突入作戦で、被弾危険箇所(改装不能)を承知で使用していた「扶桑」「山城」は大火災の後轟沈。武蔵爆沈。
この時点で、重油の備蓄も無くなり、連合艦隊は事実上壊滅しました。
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No. 3 です。


回答ではありませんが、今日 (7月27日) は敗戦前の海軍記念日ですね。
今日の番組で大和を取り上げるのは、NHK がそれに因んだのではないでしょうか。

ところで No. 2 さんの回答でわかりました。アメリカの軍艦が東海岸から太平洋側に来るときだけでなく、西海岸の造船所で作った軍艦を大西洋側に回航するときもパナマ運河が通れないから、大きい軍艦は不利なんですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
海軍記念日でしたか・・

お礼日時:2005/07/27 14:01

米英やその他外国の軍艦の主砲は、40cm砲まででした(日本でも大和級以外は40cmや36cm砲)。


大和級の46cm砲は、威力・射程距離共にそれらを上回る物で、理論上は相手の砲弾の届かない所から、相手よりも強力な砲弾を撃ち込むことが出来ました。
ミサイルが実用化していない当時は、遠方の敵を攻撃するのに、もっとも有利な砲でした。
特にアメリカの場合は、主要造船所が東部地区にあるため、太平洋艦隊に配属する船は、パナマ運河の幅で制限を受けます。
そのために40cm砲が限界とされていました。
三連装砲塔ではなく、連装砲塔にすれば艦幅を押さえられますが、主砲の装備数が減ってしまいます(攻撃力の低下)
それを砲塔の数で補おうとすると、艦長が伸び目標にされやすく小回りが効かなくなり、海戦時に運用しにくい艦になります。
大和級が計画された頃は、海戦は戦艦同士が撃ち合いをして雌雄を決する物と言う考え方が、世界的にあったので、これに基づく限りは"世界最強の戦艦"と言うことになります。
しかし皮肉にも大和が就航した頃に、日本海軍航空隊が英国の戦艦部隊を空襲して、撃沈するという戦果をあげ、航空機対戦艦での戦い方を世に知らしめて、その後の飛躍的な航空機の発達も手伝って、戦艦を旧式な兵器に押しやりました。
アメリカの戦艦は、攻撃力は大和級より劣るかもしれませんが、速力が速かったので空母機動部隊と共に行動して、航空機の攻撃を防ぎ、上陸地点への艦砲射撃などを担当して、戦後のミサイル搭載艦となるまで生きながらえました。
大和級は、戦艦としての完成度は高かったかもしれませんが、その運用方法や時代の流れは、大和の戦力を生かしきれない物でした。
その辺りも番組で紹介されるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
番組であたらしい発見ができれば・・と思っています

お礼日時:2005/07/27 13:59

> ”主砲46センチ砲を9門”とうのは、当時では脅威の規模だったのでしょうか。


> 46センチというのは大砲の穴の直径でそれが9セットあるという事でしょうか?

そうです。参考ページに詳しく書いてありますが、ワシントン条約で主砲の口径は41cmに制限されました。大和の前の主力戦艦「長門」は条約締結前でしたが41cmです。
46cmは41cmに比べ、口径の差では僅かですが、砲弾重量は1.5倍、射程距離ははるかに長いので、相手の大砲の届かない地域から撃つことができます。
アメリカの軍艦が東海岸にいるとすると、パナマ運河の幅から考えて、46cm砲を搭載する戦艦は太平洋側には出て来られないと考えられ、日本海軍では大和は脅威になると考えたようです。
なお、聞いた話ですが、大砲は鋼の棒を刳り貫いて作りますが、現在では46cmの口径の砲を削る工作機械は世界にはないそうです。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/nishidah/stc0130.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
サイトみてみます

お礼日時:2005/07/27 13:55

戦艦の主砲は、口径が大きいほど遠くまで届きます。


敵の戦艦の主砲より大きければ、敵の射程圏内に入る前にこちらから攻撃して沈めることが出来るという、大きなメリットがあります。大和以前に主力艦だった長門クラスの主砲は、40センチです。
戦艦の構造上、主砲塔の大きさは艦幅の1/3になります。主砲塔の大きさは口径とも比例します。船の大きさが決まると主砲の口径が決まってくるのです。大和が46センチ砲を積むことになった理由は、パナマ運河の幅だと聞いています。当時のアメリカの軍艦を作る造船所は西海岸に集中し、新造艦を太平洋戦線に投入するにはパナマ運河を通る必要があったからです。パナマ運河の幅から敵の戦艦の主砲の口径を逆算し、それよりも遠方から攻撃出来る主砲として選ばれたのが46センチ砲です。
戦艦は、航空兵器には無力な時代遅れの遺物でしたが、当時の日本の最先端の造船技術が投入された艦です。
建造に当たっては、一般市民の目から隠すためシュロ縄の網で造船ドック全体にカバーを掛けたため、膨大なシュロ縄が必要になり国内のシュロ縄の価格が高騰したとか、スクリューのプロペラシャフトを船体に通すには日中は太陽光線で船体が歪み穴が一致しないため、夜間冷えた時を見計らって挿入したとか、いろんな逸話が残っているようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
パナマ運河がキーワードのようですね

お礼日時:2005/07/27 13:57

基本的に戦艦とは大砲を乗せるための動く砲台にすぎません。


戦艦大和の主砲は3連装といって一つの砲台に3門並んでいますのでそういう砲台が3つあって9門ということになります。
さらっと言えば大砲の場合、口径が大きければそれだけ砲弾が遠くまで飛ぶ(砲身の長さも大きく影響するが)ので、一般的に口径と砲身の長さの比が同じならば口径の大きいほうが遠くまで飛ぶことになり、相手の砲弾が届かない遠方から相手を攻撃できるということで有利になります。
このころアメリカの新鋭戦艦はアイオワ級で、これの主砲は16インチ(約40センチ)でした。これはアメリカの戦艦はパナマ運河を通過する必要があり、そのためには船の大きさに制限があって16インチ砲が限度だったようです。
そのため戦艦同士の砲撃戦をするのならば戦艦大和、武蔵のほうが圧倒的に有利でしたが、太平洋戦争では主力戦艦同士での決戦などついぞ無く、航空機が発達して爆撃により戦艦も沈められるようになり(その初例は日本の海軍航空隊が英国の戦艦をマレー沖で沈めたものです。)航空機の援護のない戦艦は弱いものになってしまい、あまり出番もなくなりましたが、呉沖でなにもしないままに沈められるくらいならということで沖縄に乗り上げて砲台として活用しようということから最後の出撃をしたわけですが、結局は航空機に沈められる結果となりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
どのあたりで撃沈されたのでしょうか・・

お礼日時:2005/07/27 13:53

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