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(1)武蔵や信濃という大和の同型艦があるそうです。同型なら基本的に同じ性能があるはずです。旧日本海軍は大和を温存しすぎたなどとよく言われますが、なぜ大和のみ特別視されたのですか?

(2)主砲について

a)当時、最大の口径があったと聞きますが、現在に至るまで大和以上の大砲は開発されなかったのですか?
b)数十キロの射程があったそうですが、そんな長距離でどうやって照準を合わせたのですか?。

分かる部分だけでも良いので教えてください。

A 回答 (23件中21~23件)

この手の質問には、おそろしい専門家(マニア)がいるので、私の回答はおそらく不十分なものです。



1) 信濃は最終的には航空母艦として就役していますので、同等の性能をもった厳密な同型艦ではありません。大和級三隻の中で、特に大和だけが特別視されたとは言えないように思います。艦名は戦艦には旧国名をつけるという命名ルールにのっとったものですが、現在の奈良県にあたる大和と、日本全体をいう大和という名が同じなので、特別な感傷を呼ぶということはあるかも知れませんし、当時の海軍当局にもそういう気味があったのかも知れませんが。

2) 艦載砲としてはそのとおりですが、単に大砲としてみれば、歴史上最大というわけでもありません。

3) 大和級の主砲の射程距離は4万メートル(40キロメートル)です。その距離を見通すため、艦橋は50メートルを超える高さとなっており、そのトップに幅15メートルの測距儀(距離計)がありました。15メートルの基線をもとに三角測量をすることをイメージしてください。(レンジファインダーのカメラを使ったことがありますか?あれの焦点を合わせるのと同じ仕掛けです)

艦の速度、進行方向、敵の方向、距離、敵の進行方向、速度などをもとに計算し、砲の向き、砲身の角度が決定されます。確実に当たるというものではなく、着弾の散らばりの中に、確率的に敵が入るかどうかで命中するかどうかが決まります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>特に大和だけが特別視されたとは言えないように・・・

他の回答も見ましたが、どうも大和を特別視しているのは、当時の海軍でなく戦後の私達のようですね。

>艦橋は50メートルを超える高さとなっており

そんなに高いとは・・・。改めて驚きますねえ。

お礼日時:2005/07/30 09:20

(1)「大和」と言う単語が奈良地方を指す国名であるとともに、「日本」を意味する単語でもあったため、損傷を恐れたとも考えられます。


ドイツも「ドイチェラント」と言う名前の戦艦を持っていましたが、戦闘で沈没したときの兵士や国民の士気に影響する事を考慮して、「リュツオー」に改称しています。

(2)a)陸上用であればドイツ軍に60センチの列車砲がありました。

(2)b)直接照準で狙えるのは10キロメートルまでといわれています。
それ以上の距離では間接照準法を用います。つまり、着弾を観測する飛行機を飛ばしながら目標への着弾を修正してゆくのです。
ほとんどの戦艦に観測用の飛行機が搭載されていました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やっぱり、象徴的な意味はあったんですね。

>着弾を観測する飛行機を飛ばしながら目標への着弾を修正してゆく・・・

はじめて聞きました。そんな方法があったんですか。

お礼日時:2005/07/30 09:16

1


信濃は建造中に空母に改装されたので性能は全然違います
武蔵に比べて大和が特別視されたとすれば、それはフラッグシップだからでしょう

2a
ミサイルの方が役に立ちます

b
とりあえず撃ってみてから、散布界が夾叉するように修正していきます
当然1射目から当たることはめったにありません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ミサイルの方が役に立ちます

まあそうかも知れませんが。ミサイルは戦後すぐに開発されたものなのでしょうか?大砲を装備した戦艦は大和が最後なんですか?

>散布界が夾叉するように・・・

すいません。意味が分かりません・・・

お礼日時:2005/07/30 09:14

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