電子書籍の厳選無料作品が豊富!

当時長州藩は、尊皇攘夷で動いていたと思います。
その長州において、吉田松陰がペリー船に密航しようとして捕らえられた!?
密航とはどういう意味だったのでしょうか?攘夷にもかかわらず、ペリーに通じていた?また捕らえた幕府側は、どんな罪で松蔭を捕らえたのでしょうか?
どれをみてもさらりと書いてあるので、理由を知りたいのです。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

吉田松陰を単純に尊攘派と見るのはいかがなものかと思います。


彼は尊皇派とは見られますが決して攘夷派ではないと思います。
西洋かぶれと言われた佐久間象山とも親しく交わり、彼の残した文書にも尊皇の意志はありますが攘夷の念よりは外国情報を渇望していたと思われる節が伺えます。

従って自身直接外国視察を望み、2度も海外密航を企てたのでしょう。
当時鎖国中で、幕府の許可無く海外に渡航することは厳罰を受ける定めでしたが、アメリカ軍艦に渡航を願い拒絶されて帰途持ち物を船に忘れてしまいそれで発覚すると思い自訴したのですが、その時彼は目的など説明すれば許されると思っていたでしょう。

当時中国はアヘン戦争に敗北し国はメチャクチャの状態でしたからその災いを未然に防ぐ事は念頭にあったでしょうが、そのためにも外国事情を調査する必要はあってもうち払えるなど、黒船を目の当たりにして疑問を抱いたのが真相のようにおもいます。
それらの証拠に彼の教え子には開国派に近い者は多いし、尊皇派もいますが単純な攘夷派は極めて少ない事が指摘されます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。すっきりしました。

お礼日時:2005/07/30 18:55

松蔭の弟子には尊皇攘夷派が多いのですが、


松蔭の根本思想は天皇の下に万民は平等である「一君万民論」で、「尊王」ではあるが「攘夷」ではないようです、つまり天皇が中心であるが国民皆平等という
今の民主主義へ移行する初期の形態を理想としていたようです、それには民主主義国家「米国」の実情を見て勉強してみたいという、願望が非常に強く自ら家来とともにペリー船に乗り込み米国行きを「直訴」したが断られたようです、つまりこの「行為」と「思想」
の間にはあまり関連性はないようですので、「サラット」流してください、
そして本人が自首して、幕府は許可のない海外渡航を企てた「密航未遂罪」として厳しく罰せられたようです、これらは、古いビデオ吉田松陰(山口放送)にでてきます、

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。すっきりしました。

お礼日時:2005/07/30 18:55

松蔭はやはり尊王攘夷派で間違いないんですよね


→間違いありません。長州藩が佐幕政権の時に幕府に差し出され処刑されました。

あれだけのお方(後に影響を受けた人物が多い)が、攘夷を唱える理由は何っだたのでしょうか
→自分の家に、知らない人間がやってきて、お前の家は遊びに行くのに便利だから泊めろと包丁を持ってやってきたらどうします?呼ぼうにも警察は居ませんので自分でどうにかするしかありません。おとなしく言うことをきく(幕府)か、なんとか自力で追い払おうとする(攘夷)かという選択を迫られるわけです。
そういった素朴な感情プラス周辺国を見てみましょう。中国(清)はアヘン戦争に敗れ散々な目にあい、欧米諸国はますます日本周辺をうろうろしています。アヘン戦争を簡単に言うと中国からお茶を買いすぎて貿易赤字になったイギリスが、インド(イギリスの植民地)でアヘンを栽培し中国に輸出しその赤字を解消したのに対し、麻薬を売られる側の中国が反発したがあっさり敗戦して香港を割譲させられたりそれまで以上に国内で麻薬を販売されるようになった戦争です。隣でそんな戦争があれば次は日本がやられると思うのも当然と思いませんか?

当時の孝明天皇が鎖国支持(佐幕でもありましたが)というのも影響していたかもしれません。

最後にもうひとつ。歴史というのは主観が入ります(特に勝者の,勝てば官軍です)のでできるだけ色んな資料を読み幅広い視野を持ちましょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

何度もありがとうございます
わかりやく解説していただき感謝します。きっと松蔭は、虎穴にいらずんば虎子を得ずの心境だったのでしょうね・・

お礼日時:2005/07/30 06:18

「どれをみてもさらりと」


うーん。何をご覧になったのでしょう?教科書、参考書ですか?

まず、幕末の長州藩がずっと尊王攘夷だったわけではありません。幕府軍に負けて佐幕派が政権をとったり高杉晋作がクーデターを起こして佐幕政権を倒したり揺れ動いています。

密航。まず江戸幕府が鎖国をしていたのはご存知と思いますが、禁止されている海外渡「航」を秘「密」にやろうとしたわけです。

「攘夷にもかかわらず」長州藩は最新の洋式兵器を備え武士以外の市民軍(奇兵隊等)を組織し薩摩藩などと組んで徳川家に勝利し、武家政権の時代を終わらせました。何事にも敵を知るというのは勝つために重要なことです。また、知るだけでなくその対策をすることも。(受験勉強もそうですよね?)

小説(=フィクション)ですので鵜呑みにされても困りますが、世に棲む日々(司馬遼太郎)なんかを読んで見るのもよいでしょう。興味がわいたら図書館に行って歴史書のコーナーをうろうろしてみるのも面白いかもしれません。歴史を楽しんで勉強していただければと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
勉強不足での質問をお許しください・・結局のところかの松蔭はやはり尊王攘夷派で間違いないんですよね・・あれだけのお方(後に影響を受けた人物が多い)が、攘夷を唱える理由は何っだたのでしょうか?天皇を頂点に外的の侵入を許しては
ならない・・でしょうか?

お礼日時:2005/07/29 21:48

吉田松陰が海外へ密航しようとしたのは海外のことを知りたいという動機だったと思います。


その頃の日本はまだ鎖国中で日本人が海外へ出てゆくことはそれだけで罪でした。漁に出て遭難して海外船に助けられただけでも厳しい取調べを受け、帰国を許されなかった例さえあります。
そのためみずから海外へ出てゆこうとする密航未遂は重罪で投獄されることは不思議でも何でもありませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
攘夷を掲げている人が何故自ら海外の事を知りたいと思ったのでしょうか。
排斥する相手を知っても仕方ないと思いますが・・このへんが理解できないのです。

お礼日時:2005/07/29 21:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aに関連する記事