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韓国では日本の併合時代に上海に亡命政府があった。また、日本と戦っていた独立軍があったというふうに教わっている。

と聞きました。

それは本当なのでしょうか?もし本当なら、その亡命政府が日本の敗戦後の韓国建国に大きな役割を担っていなければおかしいと思うのですが、そのような事は聞いた事がありません。

初代大統領の李承晩はその亡命政府、もしくは独立軍の中心人物だったのですか?

それとも、亡命政府、独立軍などは韓国の妄言なのでしょうか?

A 回答 (7件)

1919年に上海で亡命者により「大韓民国臨時政府」が旗揚げしました。

しかし、実質的な活動は全くしていません。日本敗戦後、南北とも政府が成立したのは1948年になってからで、それまで臨時政府は何も活動できていません。
李承晩はアメリカ帰りで、臨時政府には関係ありません。金日成はソ連軍の将校で、やはり関係ありません。
先日、図書館で韓国の歴史教科書を眺めましたが、確かに臨時政府のことを大きく書いてあります。そして、故国開放戦争を1945年9月に起こそうとしたが、日本が8月に敗戦し、祖国が米ソに占領されたためできなかった、と書いてあります。
韓国は日本が併合していた時代を「占領時代」と言いたがります。そして、ずっと韓国は日本と戦っていた、だから戦勝国として敗戦国から賠償を請求したんだ、と言っているようです。
しかし、実際には朝鮮は日本の一部として連合国と戦ったのであり、日本軍の将校として戦い、戦後B級戦犯として処刑された洪中佐(創氏改名していません)は有名です。朝鮮国王(併合直前に韓国皇帝になりましたが)の李王家一族は日本の皇族になっています(李王家、李公家)。
日本からすれば妄言ですが、韓国では本気で信じている人も多いようです。
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 朝鮮独立戦争は、まだその戦争状態自体が法的には終わっていないのはご存じの通りですので(日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交未成立)、その評価も韓国や朝鮮民主主義人民共和国の側と、それをないものにした方が得になる日本側とで違ったものになり、日本の中ではそれを無視したり過小評価する一般的風潮が生まれます。

歴史の真実を知るためには、従って、一市民としては大きな困難があります。
 大韓民国臨時政府(上海)指揮下の朝鮮北部国境中国領(間島カンドという)およびロシア沿海州の独立軍(正式名称は大韓義勇隊)は1920年10月には朝鮮進攻直前の状況にあり、当時の日本帝国シベリア出兵軍は朝鮮独立軍との対決を最大任務として閣議決定されていて、1920年10月には中国領へ越境進攻してこの朝鮮独立軍と激突しました(間島出兵)。当時日本から上海に行って極東社会主義者会議に参加してこうした朝鮮独立運動と連携した大杉栄が1923年に大震災下の東京の朝鮮人虐殺の中でどういう運命をたどったかを想起すれば、当時の日本帝国がこうした朝鮮独立軍をいかに恐れていたかがわかります。ただ、こうしたことは、当時はもちろん報道管制によって隠され、そうした状況は現在にまでひき続いているのです。
 韓国初代大統領李承晩は臨時政府の最初の大統領でしたが1921年にアメリカへ行ってしまいます。韓国で李承晩の下での副大統領になった李範セキはかつての1920年独立軍の指揮官の一人でした。臨時政府総理であった李東輝将軍はロシアに行って1926年に死にます。日本敗北後朝鮮南部を占領したアメリカはこうした独立運動を認めず、日本統治を引き継ぎ、韓国は法的には国連決議をもとに国家が作られたので、独立戦争との直接の継承関係はないのです。
 長くなりますのでこのへんで。

参考URL:http://kangaerukai.net/173seikyu.htm

この回答への補足

>朝鮮独立戦争は、まだその戦争状態自体が法的には終わっていないのはご存じの通りですので

すいません初めて知りました。確かに、日朝間に国交が無いのは事実ですが、それが「朝鮮独立戦争」が法的には継続中である。というのは無理があるような気がするのですが。

intouさんの回答のニュアンスからすると、「北朝鮮は独立戦争の結果建国された国であるが、韓国はアメリカによって作られた国」という風に感じるのですが、そういう事でしょうか?

補足日時:2005/08/05 22:31
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、初めて知る事がおおく、大変勉強になりました。
URLは参考にさせていただきます。

お礼日時:2005/08/03 20:28

#2です。

#3の方が挙げられたように金九という人物は確かに実在していました。しかしながら彼のように真面目にコツコツと(?)“抗日”運動をやっていた人々はその後の政府によって見事に(?)「暗殺」されてしまいました。

なぜかというと#1の方が指摘されているように当時上海などにいて戦争が終わってからひょっこりと帰って政権の中枢へと居座ることが出来た人々からすると(表現が悪いですが)“ウザい”存在となっていたからです。

現代の朝鮮半島において「独立軍」とか「抗日」とか「光復」とか叫んでいる人々がたくさん降りますが、はっきりいってその大半が眉唾(まゆつば)物だと思います。またそれでいて最近の韓国では「親日真相究明法」など制定しています。法案の内容は“日本の植民地時代に日本政府に加担し、(朝鮮)民族を裏切った連中を炙り出す”という内容のものですが、“反日”活動などそれほど一般的なものではなかったし、逆に真面目に参加している人々ほど“金九”のように社会的に抹殺されている場合が多いわけですから我々日本人を含め外国人からみれば“胡散臭い”以外のなにものでもありません。しかもこれは本人だけを明らかにするものではなく“政治家として活動している○○の父親(既に「故人」であったとしても)は親日派であった”とかつてアメリカにて行われた「赤狩り」以上に欺瞞に満ちたものです。そうまでもして政府にとって都合の悪い政治家連中を一掃しようとするのがこの法案の本当の目的です。この一件だけでも現在の韓国が“ポピュリズム”に満ち満ちている政治をやっていることは明らかだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
現在、イラクでイラク警察やイラク国軍に参加しているイラク人が、数十年後「親米的だった」として糾弾されるようなもんですもんね。

お礼日時:2005/08/02 23:19

No1の方とNo2の方の回答でほとんど言い尽くされていますが、別の場所で少し詳しく回答した


ものがありますので追記して転記します。

韓国は1945(昭和20年)年8月15日に日本から独立した?
 全く違います。同年8月13日に朝鮮総督府は南朝鮮に朝鮮建国準備委員会を設置し、
「自治権」を与えます(日本の負けが見えてきた時点で、敗戦の影響から逃がす
ため。日本はやさしい。)。しかし、アメリカが駐屯して、あくまで南朝鮮を
「日本の一部」として扱い、「自治権」も「独立」も認めず太極旗を降ろし、
星条旗を掲げます(ある意味、当たり前ですが)。
そして3年後の昭和23年(1948年)8月13日に「アメリカから独立」しました。
しかし韓国政府はわざと8月15日に日本から独立した、といいはっているのが現状です。


なので、「韓国の妄言」が正解です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、正確に歴史を直視すると、韓国国民は国定教科書を使って間違った事を教わってるという事でしょうか。

お礼日時:2005/08/02 23:16

NO. 1 です。

修正です。
洪中佐と書きましたが、洪思翊中将です。敗戦後フィリピンでB級戦犯として処刑されました。
李承晩は1919-1925の間、臨時政府の大統領でしたが、政権内の争いに敗れて失脚しました。1948年の韓国建国後初代大統領に就任しましたが、臨時政府時代はほとんど何の貢献もしていません(というより臨時政府自体が何もできませんでした)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
李承晩も(一応は?)臨時政府の中心人物だったんですか。
でも当時の臨時政府は名ばかりだったんですね。

お礼日時:2005/08/02 23:14

確か金九という人が代表者です。

戦後大統領の有力候補でしたが、暗殺されたと思います。
臨時政府に関する事件として、
桜田門事件(S7/1)、第一次上海事変(S7/1~)、上海での爆弾事件(S7/4/29)があります。
少々記憶があやふやなこともあり、詳細は書きません。ご自身で調べてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、亡命政府の中心人物も大統領の有力候補だったんですね。
初めて知りました。

お礼日時:2005/08/02 23:11

韓国も北朝鮮もどちらも朝鮮半島にある国家ですが(“当たり前”ですが…笑)、最近は[太陽政策]などのおかげで友好ムードが高まっているもののもともとは“ライヴァル関係”にありました。

そこでどちらが朝鮮半島の中でふさわしい政権か“正統性”を争っていたわけですが、その正当性を巡ってどちらが植民地化していた日本に対して“奪回したか”を主張しあうするようになりました。

それ故にどちらも「独立運動を主導していたのは私たちである。私たちが日本からの独立を果たした」というように主張しているわけです。ですからそれが“架空”のものであれ、「独立運動」をデッチあげなければならない。本当のことをいうと#1の方も指摘されているように当時朝鮮半島に住んでいた人々、もっといえばその領域外にすんでいた人々もその大半が“無抵抗”というか、要は「独立運動」などには率先して参加していなかった訳なのですが、“反日”が「国是」であり“国家の正統性”という意味でよりどころになってしまっているわけですから、“ウソ”だろうが“歪曲”だろうが(後者はよく日本に対して文句を言うときに使ってくる表現ですが…笑)60年経った現在でもいい続けている(くる)わけです。

本当のことをいうとそういう「史実」に基づいてどちらの政府(韓国&北朝鮮)に対しても話ができればいいのですが、先方の事情としてそれをやってしまうと「国是」も「正統性」も全て失われてしまうので、自国民に対しては歴史教育含めてウソだらけ、日本に対しては文句を言い続けなければならないという部分もあります。

しかしながら朝鮮半島に住む人々が悪いわけではありません。向こうの国では「反日」を前面に押し出して、教育が行われ官民挙げてそういう活動がとられることを“良し”とするムードが重厚に残っています。そういう雰囲気の中で生まれ育ってしまったのなら誰しも“反日”となってしまうことはいたしかたないことでもあるのです。

…もし宜しければ下記のサイトをご覧ください。とても勉強になると思います。

参考URL:http://homepage3.nifty.com/khf11063/ss/key/KGnay …
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