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戦前は天皇は現人神であったという思想があったそうです。
大正時代まではそのような思想はなかったのではないかと思います。
いったい誰が考えだして広めたのでしょうか?
まるでイエス・キリストのようですね。

よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

明治維新の精神的バックボーンになり、またそれ以降のイデオロギーの源泉になったものに、山崎闇斎-浅見絅斎(けいさい)の「垂加神道(すいかしんとう)」の流れがあります。


天皇を唯一の正統的な日本(アジア)の支配者であると位置付けたのは、このあたりが最初で、時代的には江戸時代の初期の早い時期にあたります。
(浅見絅斎の「靖献遺言」と言う中国の尊皇的・理想主義的な人物の列伝は幕末の志士たちのバイブルとなっています)。

こういった思想は、為政者やその周辺の日本独自の歴史観を模索する学者たちの間の限られたものでしたが、水戸光圀の大日本史や本居宣長などを通して幕末までの間に純度を高めながら次第に知識人の間に浸透していきます。

倒幕・大政奉還と言った明治維新に活躍した人たちの行動の正当性はこれによって裏付けられ、大東亜共栄圏へと進むその思想的裏付けも担っています。

明治政府は近代国家を成立させる上で、民族的な同一性を高める必要性に迫られていました。
江戸時代までの日本に住む人々の多くの所属意識は、武士における藩が最高のレベルで、地理的な日本全土を「我が国」として意識することはありませんでした。
そこで、それまで存在しなかった「日本人」を成立させるために、この思想を利用します(この当時に現れた「民俗学」もそう言う面で利用されています)。

「現人神」と言う表現自体の初出は分かりませんが、「おほきみはかみにしませば・・」と言う本質は、明治において国民の間には既に浸透していたと思います。
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何だか勉強になる回答がいっぱいですね。



徳川家康が神になるように近世まで偉い人間が神になることが続いていたのが日本ですね。

民衆にとっちゃ、危機の時に突如現れて危機を払いのけてくれた人は敬意を評して「カミ」として崇め続けたそうです。

その心理から天皇さんは何とかしてくれる存在である。と植えつけえていったのかもしれません。
明治初期は民衆の教養レベルは読み書きすらままならない人間ばかりでとても天皇を「現人神」として奉ることは出来なかったと思います。
後は教育の結果でしょう。

日本が学校を整えたのが明治後期。
その卒業生が親の世代になったのが大正初期。
天皇が現人神である思想はここにきてやっと民衆レベルになったんだんと思います。

後、教育の裏には優秀な兵士の教育があったのです。
読み書きが出来ないと武器の取り扱いや文書が手渡せない。
銃弾は物理法則と算術が必須。
海軍では特に機器の扱いが膨大。
天皇を崇めることで、軍での上下関係をきちんとさせる。帝国軍は天皇の軍隊ですから。と。
ちょいとずれてすいませんでした。
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いろいろな回答が出ていますが、近代天皇制における現人神という趣旨で言えば、6の回答が正解だと思います。


6の回答は、山本七平の『現人神の創作者たち』という有名な本を要約したものです。山本七平は歴史学者ではなく、学問的訓練を受けてもいなかったので、論文なんかで引用されることはないんですが、実はかなり広く影響を与えています。ちゃんと知りたいなら、『現人神の創作者たち』を読むといいですよ。
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 誰が、という話は私もわかりませんが、いわゆる「現人神」というイメージは、昭和からですね。


 一応、大日本帝国憲法には「天皇ハ神聖ニシテ冒スヘカラス」などと書かれています。が、山形有朋が御前会議で居眠りしてしまった明治大帝を刀の柄でつついて起こしたようなエピソードもあり、維新の元勲から見れば天皇は現代でいう「象徴」に極めて類似したものでした。

 そもそも、維新のとき、天皇は「玉(ぎょく)」呼ばわりされて、取れば官軍になれる将棋の駒のように捉えられていたのです。その時代をしっている元勲ならば、いわゆる「現人神」というイメージを持つはずがありません。

 ここで補足なのですが、「神」という単語、極めて誤解の多い言葉です。
 本居宣長が述べたような、よく分からないが力のあるものを、古来の日本では「カミ」と呼んでいました。それがキリスト教の God の翻訳にも流用されたから、神というのはすごいものだという誤解が広がったのです。

 キリスト教の God は天地創造をしてしまうパワフルな人と隔絶した存在ですが、日本古来の「神」は違います。西行の詠った「何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」という臨在感がベースになる概念で、しかも靖国や太宰天満の例で分かるように、人でもなれる存在です。

 そのようなもののうち、直接の先祖であった神々を祭祀する家系として、天皇家は古代から現代に続いています。柿本人麻呂が「おおきみは 神にしませば」と詠ったのは、その意味です。
 なお、エジプトのファラオの例も出ていますが、古代ローマでも建国神話の登場人物の直系がそこここにいる世界でした。たとえばカエサルはヴィーナスの子孫です。ケルト民族も天下った神が部族長の祖先だという神話を持っていましたし、蒼き狼と白き雌鹿をハーンの祖とするモンゴルですが、この狼や鹿は神の変化したものです。ポリネシアやアフリカ、ネイティブアメリカンにも民俗学の研究で、そのような神話を持っていることが確認されています。
 要するに、世界中に交流が無かった所にまで神の子孫が今の人間であるという思想があるわけで、これはどこがオリジナルというよりもヒトの脳はそのような発想をするものだと考えた方が合理的です。
 ちなみに、現存する国家で神の子孫がそのまま残っているのは世界中で日本だけです。民俗学の化石とも呼ばれており、それだけの伝統を誇ってよいことだと思います。

 しかし、そのような発想を根こそぎ潰していったキリスト教やイスラム教が、現在は人口比では絶対多数を占めているので、God 的な神概念の方がメジャーになってしまっているのが現状です。

 なお、「現人神」の概念が、キリスト教と似たものになっていったのは、列強と対抗するために国民国家を形成するための装置として必要だったからと言えます。偶然ではありません。
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この考えは概ね天智天皇の時代に成立したと思います。


「大君(天皇)は神にしませば天雲の雷の上にいほりせるかも」:柿本人麻呂

これは天智天皇の皇后でもあった持統天皇を讃えた歌ですが、これ以前は諸豪族の長として大王として君臨してましたが、この天武期からは人臣から一段上の神の領域に上り、他の豪族が取って代われないようになったようです。

http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-27.htm
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王が神である、という思想はたしかに#1のかたが仰るように古いです。

というよりも王の起源と神の起源はかなりちかいところにあったと思われます。
日本書紀などには、同じ神が(えらいひと--->神人--->神)と、変化していくのが見える記述もあります。そういう意味では普遍的にあった、といってもいいのですが、近代日本の現人神、というのは実はこれと似て非なるもの、明治国家が新規に創設したものではないかという考えが(#2さんの仰るように)あります。

このあたりについての研究で最近出版された本
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480089 …
はなかなか参考になりました。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480089 …
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「現人神」の思想がいつからあったのかは知りませんが、


この時代に「現人神」という言葉と天皇を結びつけた仕掛け人がいたんでしょうね。

どこの誰だかこれまた知らないのですが、「戦争準備室」のプロジェクト会議でこの啓蒙作戦を考え提案した   奴   がいるんでしょう。
今の時代で言うと「出来る奴」と呼ばれたんでしょう。

というわけで、まったく答えになっていません。申し訳ありません。
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現人神の思想は、古くはエジプトのファラオまで遡ります。

エジプト文明では、ファラオ=人間の姿をした神、という事を頑固に主張しています。多分、ここら辺が最初だと思われます。
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