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1940年ごろのことですが、今は亡き父母が一時期住んで居た所が
東安省虎林とゆう地名で、現在は何とゆう地名になってるのか、ご存知でしたら教えて下さい。調べて見たいのですが、調べ方が解りません。お願いします

A 回答 (2件)

 


  Google で、「東安省 虎林」で検索すると、旧満州国の東安省虎林県虎林市という地名が、満州鉄道や、満州開拓団の人々の敗戦時における悲劇などの回想や記録に出てきます。ある人の記録では、虎林(こうりん)と読みがありました。いまのどの辺りなのかが分かりません。
 
  かなり満州国時代は知られた地名だったようです。現在どうなっているのか、もっと色々な検索エンジンで調べれば何か分かるかも知れません。というのは、満州の鉄道線のなかに「虎林線」という鉄道の建設計画があり、また虎林要塞というものが、対ソ連防備のために、虎林に置かれていたという記述があります。
  
  Google で、「満州 虎林」で検索すると、次のような記述が、満州鉄道についての文書ページ(以下のURLにて公開)のなかに出てきます:
  http://www.wako.ac.jp/souken/touzai99/tz9907.htm からの引用です。

>>さらに牡丹江から北東の虎林に向かって線路が延長されたことが注目される。すなわち、虎林がウスリ江をはさんで、ソ連の軍事拠点イマンにもっとも近接していたところから、一九三五年以降ここに巨大な要塞の建設が開始され、一九三九年までにウスリ江岸の虎林の市街地を西方約六〇キロの黒咀に移し(*23)、従来の虎林は虎頭と改め
 
  ウスリー江を挟んで、満州とソ連が国境を接しており、ソ連のイマンという土地の対岸近くに旧虎林市があり、その地に要塞を建設して、60キロ西方に移したとあります。

  また次のURLは、「ウスリー 虎林」で検索すると出てきたものですが、1969年のダマンスキー島事件(ウスリー川の中に浮かぶ、島をめぐって、中ソが領有権争いを行った事件)の30年後に記された文章で、文中に「虎林市政府」と出てきます。ということは、現在、中国において、虎林市という市があり、虎林という地名があることになります。
  http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/jp/news/79/essay …
 
  このページには地図が付いていて、拡大すると、ダマンスキー島の左下に、小さく、虎林(フーリン)という地名が見えます。中国のロシアとの国境辺りの地図でみれば、大体どのあたりか分かるはずです。このURLを、下に貼り付けて置きますので、ページを開いて、地図を拡大し、実際に見てください。(よく見ると、このウスリー川は、河口にウラジオストクがあります。ハバロフスクとウタジオストクの中間辺りに、虎林があります。……また虎林の北東わずか上に、虎頭とも見える文字が記されています。これは、上の満州鉄道記事に記述の「……ウスリ江岸の虎林の市街地を西方約六〇キロの黒咀に移し(*23)、従来の虎林は虎頭と改め」という文章と一致します。虎頭が元の虎林で、それが、西に移動すると、地図の虎林の位置に来るからです)。
 
  これで大体場所が分かりました。後は、検索エンジン等を使って、もっと詳しい情報がないか調べられることです。また中国の地図を見れば、おそらく大型の地図なら、地名が載っていると思えます。中国の観光誘致とかいう話もありますし、別のどこかの旅行会社の旧満州国旅行スケジュールに「虎林」という地名が、立ち寄る場所として複数回載っていましたから、案外、今でもよく知られている土地なのかも知れません。
 

参考URL:http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/jp/news/79/essay …
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この回答へのお礼

早速の返事有難うございます
長年気にしていた事が、解決の糸口が見つかり感謝します。自分なりに調べて、
何時の日か虎林を訪問したいと思います。有難うございました。

お礼日時:2001/11/04 10:27

現在は黒龍江省虎林市です。

現在の市の位置は北緯45度44分、東経132度59分です。満州時代の虎林の町はその東北東40キロの河岸、対岸はロシアのイマンでした。
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この回答へのお礼

早速の返事有難うございます。虎林への糸口が見つかりました
父母は、すぐそばに、大きな河があり、鉄道も通っていたと話していました。
チャンスがあれば、足跡をたどりたいとおもいます。有難うございました。

お礼日時:2001/11/04 10:47

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