10秒目をつむったら…

ABCD包囲網は、1941年7月の日本軍の南部仏印進駐に対して行なわれた経済制裁だと思います。この仏印進駐は、ナチスに占領されたフランス政府が許可した平和的な進駐でした。

対するオランダも1940年5月に、ナチスドイツに降伏しています。
そのような国がドイツの同盟国である日本に対して経済制裁を行なえたのはなぜなのですか。
日本は、ナチスドイツを通じてオランダ政府に圧力をかけることで、蘭領東インドに平和的に進駐することは出来なかったのでしょうか。
進駐しないまでも石油を輸入することくらいは出来たのではないかと思います。
これができていれば太平洋戦争を回避できたのではないかと思うのですが。

A 回答 (3件)

1940年、北部仏印への進駐に先立って


松岡外相とアンリ大使との間で協定が結ばれ
次いで現地でもマルタン司令官と西原少将とで協定が
結ばれて、平和進駐をするはずでしたが、
結局は日本の第5師団によってドンダン要塞は攻略され
フランス軍守備隊を各地で降伏させて、進撃しましたから
実際には、武力占領となります。

日本では外務省と陸軍省の連携がとれておらず、
現地の軍部は常に実力主義で、外交上の儀礼やルールを
軽視していました。
翌年の南部仏印進駐でも同様でしたが、
ベトナムでのフランスの立場は微妙で、傀儡政府に
近いものです。


さて、ナチスドイツ降伏後、フランスにはヴィシー政府が
誕生するわけですが、ドゴールがロンドンに臨時政府を樹立します。
この自由フランスは、連合国軍側につきますが、
ABCD包囲網のなかには加わってません。
(あればABCDFになるわけですし)

オランダは、ナチスドイツに降伏後、
ヴィルへルミーナ女王が政府をつれてロンドンに亡命し
オランダはナチスの軍政下におかれ民政長官ザイス=インクアルトの統治がつづきますが
正当な政府は不在なので、植民地などはこれに従いません。
亡命政府の指導下のもとそのままオランダ領インドシナは
連合国側にくわわり、日本もオランダに宣戦布告します。

1940年代には枢軸国側と連合国側の色分けが
はっきりしていたので、オランダが日本に石油を輸出することなど不可能です。
敵の味方は敵なわけで、オランダが日本を支援しても
なーんの特にもならないばかりか、
本国でも植民地でもイギリスと協力しなければならないのに、
そんな馬鹿なことすれば、
ロンドンを追われてしまうことでしょう。

日本が戦線拡大を続ける以上、太平洋戦争の回避は不可能です。
援蒋ルートの切断のためには、イギリスとの開戦は避けれません。
イギリスに宣戦布告すればアメリカの参戦も避けられず
結局、無計画に拡張政策を続ける大日本帝国自体が
アジア地域での戦争の原因なわけで、
日本政府の構造上、決定的な敗北を迎えない限り
戦争は終わらなかったでしょう。
    • good
    • 0

戦後生まれの人は、あの戦争は避けられたと教えられているようですが、日本にたいして大変幸運なことがおこらないかぎり避けられない戦争です。

可能性を考えるなら、中国大陸の蒋介石が汪兆銘政権に同調し日本に協力できれば、戦争はなかったかもしれません、アメリカは日本を叩き潰そうと、日露戦争後に国策で決めてきた国です。人種差別が無くなったのは戦後であることを知っていますか。アメリカの誤算は日本人の無茶苦茶な敢闘精神です。7年間も占領し憲法を作り、腰抜け国民を作り上げ、アメリカは日本に対しては目的を達成出来たでしよう。アメリカはイラクで同じことが出来ると思い苦労している。日本人は傍観していればよいはずが、日本の国防をアメリカにまかしている以上協力せざるをえないでしよう。大東亜戦争をインドネシア、ビルマ、マレ-シャ、の人々は評価しているのお知っていますか。あの戦争をしていなければ白人支配の世界が出現しています。その意味からも靖国神社に参拝してください。
    • good
    • 0

ABCD包囲網を教えてgooで検索すれば、理解できると思います。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!