最強の戦国武将は誰だと思いますか?皆さんのご意見を聞かせてください。戦略的にではなく戦術的に強い武将でお願いします。ちなみに私は上杉謙信だと思います。

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A 回答 (11件中11~11件)

戦略と戦術の定義が分かりませんが、


私見では真田昌幸かと。徳川の大軍を小数の兵で返り討ちにしたことは伊達ではないと思います。かといって真田昌幸が徳川のように何十万もの兵隊を持ってたとしても天下を獲れたとは思いません。難しいところですね。
ちなみに質問者さんの上杉謙信だとライバル武田信玄が外せないと思うのですが、謙信にした決め手は何でしょうか?
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この回答へのお礼

戦略と戦術の定義はPENPENMAKKYさんの回答のイメージで質問させていただきました。真田昌幸は私も好きな武将の一人です。上杉謙信にした理由は寡兵で勇将(武田信玄や柴田勝家等)をやぶっていることです。武田信玄や柴田勝家が自分より少ない軍勢で負けたことは謙信以外ではほとんど無いんじゃないでしょうか(村上清正ぐらいでしょうか)。正直言って個人的に好きな部分もかなり影響してますが・・・。戦略的には武田信玄・織田信長等の方が優れているとは思います。

お礼日時:2005/09/23 01:18

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Q戦国時代でまさに知将と言えるすごい武将を教えて下さい

戦国時代でまさに知将と言えるすごい武将を教えて下さい
できればその理由なども書いて頂けたら嬉しいです

Aベストアンサー

一般的に「知将」というと戦上手な武将を指すと思うのですが、「頭がいい」というような意味合いもあると思うので、インテリというか知識人的な意味で明智光秀を挙げたいと思います。

明智光秀という人はなかなか謎が多い人物で、来歴がよくわからないのですが元々は足利義昭の家臣でした。将軍家の家臣ですから天皇家や公家ともかなり太いパイプを持っていたらしく、信長に重用されました。義昭が追放されるまでは信長の家臣であり、義昭の家臣でもありました。そういうのが認められていたのはいかな戦国時代とはいえ異例だと思います。
信長の家臣の中で、最も早く「一国一城の主」となったのが他ならぬ光秀です。京都に程近い坂本城が与えられました。光秀は秀吉より柴田勝家より新参の家臣で、その抜擢ぶりも極めて異例です。いかに信長が重用していたかが分かります。
合戦で活躍したイメージはないですが、参加した合戦でこれといった負け戦も特になく、信長の野望を始めゲームでの武力値などのレートはどれもかなり高いですね。丹波国を平定してその治世は大変な善政だったらしく、今でもあの辺りでは「光秀公は名将、信長は悪者」なんだそうです。何より、他ならぬ本能寺の変を起こすときに彼の家臣から裏切り者は誰も出ず、彼の直卒の家臣は全員最後まで光秀についていきました。あの「人たらしの天才」秀吉の切り崩し工作に崩された家臣は誰もいなかったのです。
公家や天皇家、将軍家との関係も深かったので知識人でもあったでしょう。ああいうところは様々なしきたりやなんやが何かとうるさいところで、その辺りの事情に疎い(当時からすると)田舎侍だった織田家ではありがたい存在だったと思います。

光秀の人となりを知らせるあるエピソードがあります。彼の奥さんになる人は結婚の直前に疱瘡だかなんだかにかかり、顔の左側に痕が残ってしまったそうです。父親は醜い娘を嫁にやるのは失礼だと思い、妹を嫁におくったそうです。光秀は最初それを知らなかったのですが、事情を知ると「自分の妻になる女性は姉のはずだ」と妹を送り返し姉を妻にしたそうです。奥さんはそれを感謝して光秀のそばにいるときは醜い顔を見せないようにいつも左側にいたんだとか。誰ですか、姉妹丼で羨ましいなどといったのは。

一般的に「知将」というと戦上手な武将を指すと思うのですが、「頭がいい」というような意味合いもあると思うので、インテリというか知識人的な意味で明智光秀を挙げたいと思います。

明智光秀という人はなかなか謎が多い人物で、来歴がよくわからないのですが元々は足利義昭の家臣でした。将軍家の家臣ですから天皇家や公家ともかなり太いパイプを持っていたらしく、信長に重用されました。義昭が追放されるまでは信長の家臣であり、義昭の家臣でもありました。そういうのが認められていたのはいかな戦国時代と...続きを読む

Q戦国武将の性格、意外な一面、暖かい話しなど

タイトルの通りですが、人格、意外な一面、暖かい話を知ってる方何が教えて下さい!最近一気に小説など読んだのですが、裏切りや残酷なことが多く少しぐったりしています…
よろしくお願いします!

Aベストアンサー

 信長のはなしをひとつ 将軍義昭を奉じて 上洛し 諸事万端の段取りを済まして 岐阜に帰還 ところが それを見越して また
そぞろ 三好の一党が京周辺で動き始め 不穏な情勢に 義昭は不安になって 岐阜の信長に来援を要請しました 雪の積もる季節でしたが
ものともせず 急ぎ急行の指令を城下にだしました
そのときの顛末が信長公記にあります
荷の運搬に対して 信長は信玄や謙信のような 伝馬制度は採らず 馬借でした 城下で営業を許可しておりまして 通常は一般の請負ですが
いざというときは 独占貸切になり どこの誰が何をどれぐらいのものを積むかは すでに決めてありまして ほら貝とともに 短時間で出発できるようになっていました が そのときは何がたりなかったのか
少々混乱しまして (既定の人数にたりなかったようです)いつもより
たくさん積もうと(積めば積むほど金になる)荷持の取り合いがどうもあったみたていで 混乱したんです
信長は じきじきに 出て行って こういったそうです
京は 急いでいかなければならないので けんかするな
濃がいちいち見て採決してやるから さわぐな と
いちいち点検して これでよし  いくぞといって 出発したそうです
今で言うところの宅配便です
信長は もちろん京に間に合い 蹴散らしたそうです
馬借の人夫らと雪のちらつく中 馬の背に荷持を担ぎ上げたりしていたわけです
この距離感が信長なんでしょうね
支配するものと支配されるものの間の中間を排除しょうとした
行動の一端がかいまみれる思いです
  

 信長のはなしをひとつ 将軍義昭を奉じて 上洛し 諸事万端の段取りを済まして 岐阜に帰還 ところが それを見越して また
そぞろ 三好の一党が京周辺で動き始め 不穏な情勢に 義昭は不安になって 岐阜の信長に来援を要請しました 雪の積もる季節でしたが
ものともせず 急ぎ急行の指令を城下にだしました
そのときの顛末が信長公記にあります
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いざというと...続きを読む

Q織田信長の性格 考え方

ここで、織田信長についてかなり論じられていますが、
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 まあ人生訓的水先人の師的にもこの人物を深く知りたいと思っています。大雑把なことはなんとなく評判だった行動(実父の死の墓前での行動、坊さんへの討伐等でわかりますが)で推測がつきますが、それ以上つっこんだ記事を見たことがありません。
 ぜひ、思われていることがあればご意見をお聞かせください。
 また、くわしい文献も知りたいです。
志半ばで倒れたので文献的には書かれたのが少ないのかもしれませんけど。

Aベストアンサー

いまだに桶狭間の戦いを梁田出羽守の情報による奇襲と信じている向きが多いようですが、この説は今では信憑性が低いです。当時信長の家臣であった太田牛一の著書である信長公記には、奇襲と読み取れる文言はありません。寧ろ正面攻撃をかけたと読み取れる内容で、正面の今川軍を鷲津、丸根両砦を攻略した後の労兵と誤認して(実際は新手)攻撃をかけたようです。
長篠合戦における鉄砲三段撃ちも江戸時代の創作であり、実際の主な勝因は酒井忠次の別働対が長篠城の救援に成功した為、腹背を敵に圧迫された武田軍が厳重に野戦築城された織田、徳川連合軍を正面突破せざるを得ない状況に追い込まれたからです。織田、徳川連合軍は第三次川中島の戦いに於いて武田軍の採用した啄木鳥戦法と同じ方法をもっと堅実にやったとも言えるでしょう。
このように、信長と雖も情勢を読み違えることもありましたし、軍事的には割合常識的な作戦行動を取る事が多いです。さらに、美濃攻めや長島一向一揆相手の戦闘で何度も敗北している事を考えると、兵農分離が精兵を養うのに有効だったかも疑問です。実際に、当時の人口構成では農兵の方が精強だったと主張する論者も存在します。信長の行った合戦で勝ちが多くなったのは、上洛以降圧倒的大軍を動員出来るようになってからです。このように見ますと、安易に信長を軍事の天才と称えるのは早計かと思います。
人材を抜擢して競争させる人事方針も、組織の膨張期には威力を発揮しますが、安定期に入ってからは害になる事もあります。どこかで方針転換が計られなければ、永久に膨張を続けるしかありません(ナチドイツと似た構造)。この点をどうするつもりだったのかは、信長勢力が安定期に入る前に信長が死にましたので、何とも言えません。
最後に参考になりそうな書物としまして、藤本正行氏著、信長の戦争-信長公記に見る戦国軍事学 をお勧めいたします。

いまだに桶狭間の戦いを梁田出羽守の情報による奇襲と信じている向きが多いようですが、この説は今では信憑性が低いです。当時信長の家臣であった太田牛一の著書である信長公記には、奇襲と読み取れる文言はありません。寧ろ正面攻撃をかけたと読み取れる内容で、正面の今川軍を鷲津、丸根両砦を攻略した後の労兵と誤認して(実際は新手)攻撃をかけたようです。
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Q戦国時代のおける大名の妻のなかで、一番の妻は誰だと思いますか?

戦国時代のおける大名の妻のなかで、一番の妻は誰だと思いますか?
もし、この女性が戦国武将になったらすごかったと思う人は誰ですか?
おね、まつ、ちよ???

Aベストアンサー

賢妻は前田利家の妻まつでしょうか?

この女性が武将だったら、と思うのは
伊達政宗の母「義姫」
お家のためだったら息子も殺そうとするあの非情な血が
政宗に流れ、彼を奥州の覇者へとしたのではないでしょうか?

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q戦国時代の猛将・勇将

見てくださった方ありがとうございますm(_ _)m

僕は日本史(戦国時代だけですが^_^;)が好きで戦国武将達の評価を記した本や小説などをいくつか読んだりしてます。

それらを読んだりしていると「猛将・勇将」などの言葉が出てきます。例えば、加藤清正、福島正則、本多忠勝、柴田勝家などです。僕のイメージですが、そういう方々は戦場で槍を振い敵の首をスパスパ取っていくような武将って感じなのですが、いろんな本を読んだりしていると、身分が高い武将は自ら戦うことは稀、と書いてありました。

さらに「強い武将といわれるのはその人自身が強いのではなく、手勢の兵が強かったり、用兵が巧みだったりする」のようなことが書いてありました。
ではその時代、猛将・勇将の基準は何なのでしょうか?
黒田孝高のように武勇に秀でていない(それは分かりませんが)が、用兵や戦術が巧みな武将は猛将・勇将とは言われないのでしょうか?

どうでもいいような質問ですみません(>_<)
また、下手な文章で読みにくいかもしれませんがお許しください。

どなたかご回答お願いします!

見てくださった方ありがとうございますm(_ _)m

僕は日本史(戦国時代だけですが^_^;)が好きで戦国武将達の評価を記した本や小説などをいくつか読んだりしてます。

それらを読んだりしていると「猛将・勇将」などの言葉が出てきます。例えば、加藤清正、福島正則、本多忠勝、柴田勝家などです。僕のイメージですが、そういう方々は戦場で槍を振い敵の首をスパスパ取っていくような武将って感じなのですが、いろんな本を読んだりしていると、身分が高い武将は自ら戦うことは稀、と書いてありました。

さら...続きを読む

Aベストアンサー

近頃は有名な武将や姫自らが武器をとって戦うような、3Dアクションゲームが
人気を博している時代ですからね。戦国武将の小説も、根っこの部分は
これらのゲームと同じです。
それに、時代を遡れば遡るほど、いわゆる職業軍人的な武将は少なくなり、戦が始まりそうな
気配になったら、自分の領地にいる農民やら氏族やらを徴集して、兵士や小隊長として使います。
彼らはお偉いさんに命令されて集められただけの一般庶民ですから、戦い方などの
知識は素人以下です。
つまり、戦術や戦略に詳しいリーダーたる武将は、彼らを上手く鼓舞し士気を上げながら、
後ろに立って、陣形の組み方、攻め際、引き際などを指示し、集団を動かす
要となる役割があるのです。それこそ前線に出て戦ったりなどし、討ち取られでもしたら、
その時点でアウト。城から財産から領地から領民まで、根こそぎ敵方へ奪われてしまいます。
小説などの物語は、いわゆる娯楽用のフィクションです。読者の気持ちを盛り上げる為には、
史実に沿うより、勇ましい描写や格好良いイメージを大事にした方がウケも良く、読者も
気持ち良く物語を読めます。
夢をぶち壊してしまったかもしれませんが、今後は、史実は史実、物語は物語と
割りきった上で、改めて歴史小説を楽しんでみてはいかがでしょう?

近頃は有名な武将や姫自らが武器をとって戦うような、3Dアクションゲームが
人気を博している時代ですからね。戦国武将の小説も、根っこの部分は
これらのゲームと同じです。
それに、時代を遡れば遡るほど、いわゆる職業軍人的な武将は少なくなり、戦が始まりそうな
気配になったら、自分の領地にいる農民やら氏族やらを徴集して、兵士や小隊長として使います。
彼らはお偉いさんに命令されて集められただけの一般庶民ですから、戦い方などの
知識は素人以下です。
つまり、戦術や戦略に詳しいリーダーたる武将...続きを読む

Qあなたの好きな戦国武将を教えてください!

好きな戦国武将ベスト3とその武将の簡単な解説をお願いします!

Aベストアンサー

・本多忠勝
・上杉謙信
・鈴木重秀

上二名は義を重んじた点と武にも長けていた点。(かなり大雑把にいうとですが)
鈴木重秀は雑賀衆の頭領として多彩な才能を披露すると同時に、当時鉄砲を使用したことで有名な信長軍よりも鉄砲技術に優れていた点を評価。(ある意味最先端を行っていたのは雑賀かなっと。)
まぁ雑賀の寝返りまくりの「義」を無視した方針はあまり好きではありませんが。

Q関ヶ原の戦いでもし(IF)小早川秀秋が裏切らなかったらどうなってた

関ヶ原の戦いでもし(IF)小早川秀秋が裏切らなかったらどうなってた

小早川秀秋がもし東軍(家康側)に寝返らなかったら関ヶ原の戦いは西軍(石田三成側)の勝利となっていたのでしょうか。
小早川秀秋は家康から寝がいりを要求する手紙をもらっていたらしいのですが。
もし寝が入り、の決断をできなかった、もしくは家臣に反対されて西軍を裏切らす東軍と戦ってた場合

関ヶ原の戦いの結果はどうなっていたのでしょうか
あと裏切りという作戦を家康が立てていたのですが
裏切ってくれなかったとしたときのために
家康は何か策でも立てていたのでしょうか

皆様の考えをどうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 関ヶ原の戦いのポイントは、戦いの前に岐阜城が落とされたことにあります。ここで西軍の主力の一つの織田が全滅しました。そのとき西軍主力の宇喜多は、伊勢にいました。石田は、岐阜城の重要性に気がつかないで織田を見殺しにしています。その間、戦略をたてに大垣と佐和山を行ったり来たりしています。
 そうして濃尾平野の重要部分を徳川方に押さえられて
関ヶ原を迎えます。
 もひとつは、島津義弘の軍が、正規の部隊でないことだと思います。島津軍が、1万人くらいの戦力で司令官になって作戦指揮していたら家康も無謀な関ヶ原の野戦にでることはなかったでしょう。義弘の朝鮮の役の活躍や関ヶ原以後の対島津の扱いから見ても誰もが納得できるでしょう。
 後一つは、立花宗茂がいたらです。小早川を大津に残し立花を関ヶ原につれてきていたら、宇喜多と立花、島津と並んでいたら、西軍の勝ちになるでしょう。
 といっても、石田は、小早川に(関白)を約束していたので決戦場にいないわけにはいきませんね。結局これも実現の可能性はゼロです。
 ただ、一つ重要な点は、徳川軍本体は強かったかと言うことです。秀吉に対抗した当時までは、徳川は最強でした。でも、関ヶ原前の20年くらいは大きな戦争もなく人数はともかく経験不足でとても精強とは言えない武士団でした。もし、徳川本体が戦って強くないことがばれたら本当に大変なことになるところです。
 いろいろな書籍を読んでみてもホントにうまく進めた物です。家康という人物の戦略眼と組織作りは見事です。最終勝利者というのでしょうね。参考になります。

 関ヶ原の戦いのポイントは、戦いの前に岐阜城が落とされたことにあります。ここで西軍の主力の一つの織田が全滅しました。そのとき西軍主力の宇喜多は、伊勢にいました。石田は、岐阜城の重要性に気がつかないで織田を見殺しにしています。その間、戦略をたてに大垣と佐和山を行ったり来たりしています。
 そうして濃尾平野の重要部分を徳川方に押さえられて
関ヶ原を迎えます。
 もひとつは、島津義弘の軍が、正規の部隊でないことだと思います。島津軍が、1万人くらいの戦力で司令官になって作戦指揮し...続きを読む

Q最強の軍師は?

長い歴史の中で、重要なポジションである
軍師はたくさんいますが、一体、誰が
最強なのでしょうか?

ちなみに、私としては、

中国の場合、

1)孫子(孫武と孫ピン)

2)太公望

3)張良

4)司馬仲達(個人的に好きです。)



日本の場合   

1)毛利元就
※大内に仕えていた時代。
 ただ、最終的には独立していますので、
 軍師というカテゴリーは越えているのかな?

2)真田幸隆


皆さんは、どうですか?


また、日本・中国と特に国境は関係しません。

Aベストアンサー

私は日本では戦略家として「竹中半兵衛」「織田信長」戦術家としては「明智光秀」を推します。

中国(といっても知ってる範囲ですが・・・)では、
戦略家としては「孫武」「諸葛亮 孔明」です。

「孫武」は『孫子の兵法』を記した方です。
(最近では「孫殯」が記したのではないか、とも言われています。)
これを読んでいただければ分かると思いますが、
この書物には具体的な戦術などは明記されておらず、”兵法の心得”という面が強い書物です。
逆に玄孫の「孫殯」が残した兵法書には具体的な戦術が記されている箇所があり、やはり時代のニーズとともに兵法というものは複雑になっていったのではないか、と思います。

「諸葛亮」ですが、彼は”三国志演義”によってつくられた感が強い人物です。
細かい記述は参考サイトのレポートを見ていただきたいと思います。
少なくとも優れた「戦術家」ではないことは確かですが、戦争に至るまでの準備などや神がかりな政治力も含めると軍師と言えるか分かりませんが優れた「戦略家」ではあったようです。


『最強軍師』というのは必ずしも存在するとはいえませんし、その当時の合戦の常識など考えてもいろいろな意見もあるでしょうし、軍師として歴史に名や功績を残している時点でどの軍師も『名軍師』でしょう。


でもこういう質問は楽しいからオッケーです(´∀`)b

参考URL:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916/koumei.html

私は日本では戦略家として「竹中半兵衛」「織田信長」戦術家としては「明智光秀」を推します。

中国(といっても知ってる範囲ですが・・・)では、
戦略家としては「孫武」「諸葛亮 孔明」です。

「孫武」は『孫子の兵法』を記した方です。
(最近では「孫殯」が記したのではないか、とも言われています。)
これを読んでいただければ分かると思いますが、
この書物には具体的な戦術などは明記されておらず、”兵法の心得”という面が強い書物です。
逆に玄孫の「孫殯」が残した兵法書には具体的な戦術が...続きを読む

Q時代劇に登場する大嘘を教えて下さい

時代劇が好きでよく見るのですが、中には素人が考えても 「こんな時代に、それはないだろう」 と感じるシーンも多いです。

まず 「暴れん坊将軍」 のタイトルシーンに江戸城の天守閣が背景として映りますが、吉宗の時代には天守閣は大火で焼失していたはずなので、これは嘘だと思います。

それとか既婚女性のお歯黒ですね。 本当は真っ黒だったはずです。

遠山の金さんなんて、町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に入っていたなんて、実際にはとても思えませんね。 ま、これはフィクションですから大嘘と言うのはかわいそうかも知れませんが ・・

あと、このカテでも西部劇で主人公が馬に乗って荒原を旅するシーンがありますが、実際には馬1頭で旅する事なんてあり得ず、予備の馬を必ず連れて行ったはずと聞きました。

時代や洋の東西を問わないで結構ですので、時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?

Aベストアンサー

また失礼します。m(__)m。鉄漿(おはぐろ:お歯黒)一考。

元々、お歯黒は虫歯対策でした。
今は歯医者でエアートームという「うぃ~ん」って音がする忌み嫌われてる機械の出現で虫歯で死ぬ人はいませんが、あの機械が出現するまで、虫歯は命に関わる病気でした。
虫歯を放置すると歯の根元で化膿し、そこから虫歯菌が血液に進入、全身の血液が化膿してしまう敗血症という恐ろしい病気で死亡します。
今でも敗血症は起こってしまえば即命に関わる恐ろしい病気です。

虫歯になったら、麻酔やエアトームのなかった頃はまだ歯がペンチなどで掴める状態の時に力づくで引き抜く以外に治療法が無かったのです。

このために、虫歯を予防する方法として、お歯黒が開発されました。
女性は妊娠により赤ちゃんにカルシウムを取られて虫歯になりやすいので既婚女性に真っ先に普及したわけです。
また優雅な生活をしていた公家なども、甘いものを一杯食べられるので虫歯になりやすく、お歯黒が普及し、それぞれ既婚女性の、あるいは公家のステータスシンボルみたくなりました。

これが映画で見られなくなったのは、戦後、テレビで時代劇が放映され始めた初期です。
歯磨きが普及し、お歯黒を知らない世代が増えた影響でしょうか「歯が黒いと気持ち悪い」という抗議が殺到したのだそうです。
それで「明らかに間違えなのだけど」お歯黒を入れるのを止めたそうです。

また失礼します。m(__)m。鉄漿(おはぐろ:お歯黒)一考。

元々、お歯黒は虫歯対策でした。
今は歯医者でエアートームという「うぃ~ん」って音がする忌み嫌われてる機械の出現で虫歯で死ぬ人はいませんが、あの機械が出現するまで、虫歯は命に関わる病気でした。
虫歯を放置すると歯の根元で化膿し、そこから虫歯菌が血液に進入、全身の血液が化膿してしまう敗血症という恐ろしい病気で死亡します。
今でも敗血症は起こってしまえば即命に関わる恐ろしい病気です。

虫歯になったら、麻酔やエアトームの...続きを読む


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