最強の戦国武将は誰だと思いますか?皆さんのご意見を聞かせてください。戦略的にではなく戦術的に強い武将でお願いします。ちなみに私は上杉謙信だと思います。

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A 回答 (11件中11~11件)

戦略と戦術の定義が分かりませんが、


私見では真田昌幸かと。徳川の大軍を小数の兵で返り討ちにしたことは伊達ではないと思います。かといって真田昌幸が徳川のように何十万もの兵隊を持ってたとしても天下を獲れたとは思いません。難しいところですね。
ちなみに質問者さんの上杉謙信だとライバル武田信玄が外せないと思うのですが、謙信にした決め手は何でしょうか?
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この回答へのお礼

戦略と戦術の定義はPENPENMAKKYさんの回答のイメージで質問させていただきました。真田昌幸は私も好きな武将の一人です。上杉謙信にした理由は寡兵で勇将(武田信玄や柴田勝家等)をやぶっていることです。武田信玄や柴田勝家が自分より少ない軍勢で負けたことは謙信以外ではほとんど無いんじゃないでしょうか(村上清正ぐらいでしょうか)。正直言って個人的に好きな部分もかなり影響してますが・・・。戦略的には武田信玄・織田信長等の方が優れているとは思います。

お礼日時:2005/09/23 01:18

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Aベストアンサー

 当該年の物を確認していないので確信が持てませんが、「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿」で、篠塚義男中将が東條英機中将より先任だったのでは?←これと上司や人事部の考科情報で昇進を決める。
 (ネットで見つけられた昭和11年の段階では篠塚中将の方が上。)

 なお同名簿では、大将以下の列次を定めています。
 (任官が同時の場合、位・勲・功・爵位・外交勲章[戦場での戦果等に由来]や学位および戦場にいた期間や士官学校や陸大での成績等が考慮される。)

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 日中戦争では、第10師団長、第1軍司令官として中国大陸を転戦しています。

 なお、当時の帝国陸軍では大将に昇進する為には「歴戦者又ハ枢要ナル軍務ノ経歴ヲ有スル者」というのが条件(日露戦争後の平時に大将への昇進を可能にする為に、「枢要ナル軍務ノ経歴ヲ有スル者」が付加された位で、優先度ではやはり歴戦者である事は有利)でした。
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 昭和16年当時でも、篠塚中将が先任でもおかしくないかと思います。
 (まあ、あくまで「先任順に審議を以って天皇に奏上する」と言う形式なので、先任だからと言って大将に昇進で着るわけではないのですが…。←ただ、下位者に抜かれると普通は、予備役へ行く事[下位者が最先任になる]に成りますが…。)

 当該年の物を確認していないので確信が持てませんが、「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿」で、篠塚義男中将が東條英機中将より先任だったのでは?←これと上司や人事部の考科情報で昇進を決める。
 (ネットで見つけられた昭和11年の段階では篠塚中将の方が上。)

 なお同名簿では、大将以下の列次を定めています。
 (任官が同時の場合、位・勲・功・爵位・外交勲章[戦場での戦果等に由来]や学位および戦場にいた期間や士官学校や陸大での成績等が考慮される。)

 たしか、篠塚中将って熊幼、中幼、陸士...続きを読む

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 先日、ラジオで聞いたことですが・・
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Aベストアンサー

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>誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。


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こんばんは
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Q戦国時代の強い武将は本当にその人が強いの?

こんにちわ。ふと、ゲームをやっていて気になったので質問します。
よろしくお願いします。

よく、アニメやゲームなどで、武将が先頭で敵陣に突っ込んでいくシーンを見かけるのですが、実際の戦闘方法というのは本当にあんな感じだったのでしょうか?

日本の戦国時代にしろ、中国の戦国時代にしても強い武将というのは、一人で100人を倒すみたいなイメージがありますが、本当にそのようなことをした場合すぐに死んでしまうと思うのですがどうでしょうか?

大の大人が10人も集まれば一人くらいやっつけられそうなものです。

やはり、ゲーム等にでてくる武力が強い武将というのは本人が強いではなく、その軍団が強いだけなんでしょうか?統率がとれているとかみんなが死ぬ気で戦っているとかそういう意味なのですか?

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Aベストアンサー

これは時代によります。
日本でも戦国時代後期になれば、銃の普及により前線で武将が指揮を取る危険度が大幅に上がり、前線で華々しく戦うのは無理になっていきます。
しかし飛び道具が発達する前は、武将が前線で戦うのは重要な要素でした。
例えば有名な項羽は前線で激しく戦い、最後の戦いとなった垓下の戦いでは一日で漢の指揮官だけで60人あまりと交戦したという、ちょっと信じがたい記録が残っています。
当時の戦闘では雑兵の殆どは雇われ兵で「命をかけて戦う」理由は殆ど無いため、自分たちの指揮官が打ち負かされると、戦意をなくして逃げ出してしまうのが普通でした。
つまり「一騎当千」には誇張はあっても、決して嘘ではありません。
このため少数の兵でも指揮官の武勇次第で状況をひっくり返す事が可能であったために、項羽や呂布と言った剛勇名高い将の軍は強かったのです(ただし個人の武勇で得られるのは、あくまでも戦術的勝利です。彼らが最終的に敗れたのが個人の武勇の限界を示しています)。
ただ上述のように時代が下り、飛び道具が発達するとそのような個人の武勇によって戦場を支配することは困難となり、現代ではそれは遠い昔の話となりました。

これは時代によります。
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