僕は小学校4年生です。淀に住んでいます。
淀の地名の由来について教えてください。
また、いつ頃から町として出来てきたのか教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

 宇治川・桂川・木津川の合流点付近で川の水が淀(よど)むことから、地名がつけられました。

京都に都を移した桓武天皇が804年「与度津(よどつ)」に行幸したと記録がありますので、その頃から町はありました。当時は船で物を運んでいましたので、近畿地方では大津とならんでにぎわっていました。のち、問丸という運送業者や倉庫業が発達し、宿場町となりました。豊臣秀吉が淀城を作って城下町としての町も作られました。しかし、今のように家だらけになるのは、昭和35年以降、大阪や京都に近いため、働く人が多く全国から集まったためです。

参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ka8001/fushim …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/15 22:16

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q阪急西院駅→嵐電西院の乗り換えについて教えてください。

阪急西院駅→嵐電西院の乗り換えについて教えてください。

乗り換え案内で調べたところ、上記乗り換え時間が4分でした。
当日、女子2~4人で全員がキャリーケースを所持する事になると思うのですが、4分で乗り換え可能そうでしょうか?

西院駅にお詳しい方、どうぞお力添えをお願いいたします。

Aベストアンサー

無理でしょう
普通に考えると・・・・

阪急は地下駅ですし、嵐電の駅とは少し離れていますしね・・・
もう少し、余裕をもった乗り換えをお勧めします
まだ、四条大宮の方が歩かないかな?(でも道路を渡りますけど)


参照まで
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=35.003368,135.732463&spn=0.000879,0.003422&z=18&brcurrent=3,0x600107b53519b6ab:0x46faea447c0299e9,1&layer=c&cbll=35.003549,135.731735&panoid=OxUF8Jx5T1jNejO1oLciSA&cbp=11,17.23,,0,0.8

Q【日本史】宝塚歌劇団がある宝塚に富裕層が多く住んでいるのは、 宝塚の地名の由来から推測すると、

【日本史】宝塚歌劇団がある宝塚に富裕層が多く住んでいるのは、

宝塚の地名の由来から推測すると、

宝塚の金持ちは祖先が盗賊だったから?

宝塚には塚、昔のお墓が多く点在している。

そして大雨などでお墓の塚の土が流れて塚の表面にお宝が出土して、庶民は出土物を売ってお金を蓄えた。

塚から宝が出土するので宝塚と名付けられた。

よって、宝塚に金持ちが多いのは塚の出土物を国に無断で売ってたから。

よって祖先は農民から盗賊を経て現在に至る。

違いますか?

Aベストアンサー

戯言を書きますので、お気に障るようでしたら削除依頼を出すか、ゴミとして無視してください。

あそこって、宝塚温泉へつながる「阪急宝塚線」を黒字にするために「阪急電鉄」の創業者である「小林一三」の考えで都市開発が行われ、その目玉の1つが「宝塚歌劇団」。
 ⇒東急が行った「田園都市」の開発は、小林一三の2番煎じであることは幾つかの書類で明らか。

『宝塚』における太古から近世までの歴史は知りませんが、上記の開発により裕福層が増えたと思っておりました。

Q京都西院付近で安くておいしい和食など

今度京都の西院付近に宿泊します。
そこで西院付近でどこかおいしい和食(和食、そばなど)あれば教えてくださいませんでしょうか?
また次の候補として和食以外であればそちらも教えてください。
欲張りいいましてすいませんがお願いします。

Aベストアンサー

「ごはんや菜々平」がお進めです。大正時代の町屋の雰囲気が楽しめますよ。京生麩田楽\750や湯葉料理、京野菜が頂けます。阪急西院駅から徒歩2分 中京区西大路四条東入ル二筋目北東角NUT´S 2F Tel 075-315-0002

Q地名の由来について

語源はアイヌ語だと聞いたのですが、
「トマム」「キロロ」の由来をご存知の方、
いらっしゃいましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

トマム : アイヌ語 湿地・泥炭地

キロロ : アイヌ語 力・勢力

Q京都伏見区淀駅 に近く、ネット回線のある宿泊先を教えて

仕事で、京都伏見区の京阪本線淀駅に出向きます。LAN環境があることが必須なのですが、淀駅に出やすいホテルで少しでも近いホテルを探しております。淀駅で降車後は、新幹線で小田原に出向きたく、ぜひ、教えてください。宜しくお願い致します

Aベストアンサー

近さだけでいうと、淀駅の次の駅の中書島、徒歩5分ほどに、アーバンイン伏見というホテルがあります。ビジネス向けなので、LANの環境あるかもです。確認されてみては??

Q斑鳩という地名の由来

斑鳩(いかるが)という地名、なんだが
とてもいい響きですが、この地名の由来を
ご存知の方がおられたら教えてください。

なんらかの鳥の名前から来たのかなあ…?
でも、「いかるが」なんていう鳥は知らないし、
なぜそれが地名になったのだろう…?

なんて気になっています。

Aベストアンサー

ここにありました。

参考URL:http://www.town.ikaruga.nara.jp/syo/11_syo_a_03.html

Q妊娠21週、千船病院から淀キリに転院考え中。

初産で分からないことだらけなんですが、出来るだけ納得のいくお産をしたいと思っています。

今妊娠21週(6ヶ月)で千船病院(千船)に通ってるんですが、出産までに淀川キリスト教病院(淀キリ)の近くに引っ越すことが決まっています。
今までは4週間に一度の検診だったのですが、次の検診以降2週間に一度になります。
もしもの時を考えた場合、家から近い方がいいのではないかと思ってます。
ちなみに、出産後の検診などは淀キリに通おうと思ってるんですが、その場合今から(妊婦検診・出産含め)見てもらう方がいいでしょうか?
出産してから淀キリに通う方がいいでしょうか?
千船も淀キリもNICUがあり、さほど変わりはないように思えます。
私自身、卵巣の病気で淀キリの方で一度手術してもらっていますので、産婦人科はどうか分からないですが、淀キリにかかるのは初めてではないです。
正直、今担当してもらっている先生に対して良い印象はもっておりませんし、不満の方が大きいくらいです。
ですが、私の周りは千船病院で出産された方が多く淀キリで出産経験のある方がいないので、オススメされるのはやはり千船病院なんです。
ネットなどを見ている限りでは、千船も淀キリも大差はないように思えますが、実際はどうなんだろうと思いまして...。
いちよう、淀キリの方に確認だけとってみたところ、転院は可能とのこと。
千船の方は紹介状書いていただけるとのこと。
ただ、次の検診から淀キリの方に通ってほしいと言われました。
あまり時間がないので、少し焦っています。
このまま千船で出産する方がいいのか、淀キリに転院して出産する方がいいのか、全ての事(産後は淀キリなど)を踏まえた上で、皆様の御意見お聞かせ頂けると有難いです。
宜しくお願い致します。

初産で分からないことだらけなんですが、出来るだけ納得のいくお産をしたいと思っています。

今妊娠21週(6ヶ月)で千船病院(千船)に通ってるんですが、出産までに淀川キリスト教病院(淀キリ)の近くに引っ越すことが決まっています。
今までは4週間に一度の検診だったのですが、次の検診以降2週間に一度になります。
もしもの時を考えた場合、家から近い方がいいのではないかと思ってます。
ちなみに、出産後の検診などは淀キリに通おうと思ってるんですが、その場合今から(妊婦検診・出産含め)見てもらう方がいい...続きを読む

Aベストアンサー

どちらが良いかということではありませんが、ご判断の材料になるかと思い、回答させていただきます。
淀キリは評判良いですよね。
私は10年ほど前に北摂に引っ越してきまして、そのころ2人目を考えていましたので、色々と知人に評判の良い産婦人科の病院を聞いていたのです。
みなさん口をそろえて「淀キリ」と教えてくれました。
但し、評判が良いだけに込み合うと・・・
淀キリは新しくなって移転しましたので、設備も整い、一層人気が出ているのでは?と思います。
そのあたりはリサーチなさってみてくださいね

一方、千船病院は、評判はわかりませんが、小児科医療に力を入れているそうです。
私の友人が、超早産で出産し、NICUを持っている千船病院に赤ちゃんが転送されました。
千船病院の同系列の「高槻病院」も同じくNICUを持っており、北摂地域では小児科医療の評判の高い病院です。
(私も高槻病院で出産しました)

出産だけを考えれば、淀キリかなあと思いますが、今後の小児科医療も考えられるのであれば、千船病院も候補のひとつに残しておいても良いと思います。
もちろん、生まれたお子さんが健康で、早産の心配が無ければ、地の利も良い淀キリが便利ではないでしょうか?

淀キリの小児科も良いと聞きますし、最終的にはご自分の通院、今後のお子さんの健診のことも考えて判断なさってみてください。

ご参考までに。

どちらが良いかということではありませんが、ご判断の材料になるかと思い、回答させていただきます。
淀キリは評判良いですよね。
私は10年ほど前に北摂に引っ越してきまして、そのころ2人目を考えていましたので、色々と知人に評判の良い産婦人科の病院を聞いていたのです。
みなさん口をそろえて「淀キリ」と教えてくれました。
但し、評判が良いだけに込み合うと・・・
淀キリは新しくなって移転しましたので、設備も整い、一層人気が出ているのでは?と思います。
そのあたりはリサーチなさってみてください...続きを読む

Q地名の由来としての史実と伝説

 葛飾区のある地名の由来を自治体の学芸員の方におそわりました。
 しかし、あくまでも伝説です。という付記が為されていました。

 地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?
 (具体的には、お花茶屋という地名は吉宗将軍がお狩りの際におなかがいたくなり、お茶屋のお花さんのお世話で助かったというのだそうですが)
 これは否定はできないが確認もできないのでしょうか?
 
 伝説や神話はさまざまに生まれるのでしょうが、江戸時代のこういう伝説はどのようにして生まれる可能性がありうるのでしょうか?
 
 もう一度学芸員の先生にメールで照会するのがどうしてもできないものでしてどうかお願いします。

Aベストアンサー

>地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?

そうですね。明確な文献等の出典を辿れない場合や物証が無い場合は、史実として確認できないので、伝説扱いになるのかと思います。

Webで調べたところでは、下記のサイトが一番詳しかったです。
これによると、「お花茶屋」と言う名称は、京成電鉄が開通した1931年に同地に誕生した駅名がもとになっており、それが地名(町名)となったのは1964年のことだそうです。
この地に「お花茶屋」にまつわる伝説があったことは確かなようですが、将軍は家光説と吉宗説の2つがあるようです。家光説の方は、茶屋の子孫である石井家に物証(由緒書等)があったようですが、今は紛失しているとの話が残っています。もしこれらの物証が残っていたら、史実とみなされる可能性もあったかもしれませんが、そのような珍しい遺品をもとにして物語が創作されることもままあるので、なかなかこの手の話が真実であったかどうかを見定めるのは難しい。

http://books.google.co.jp/books?id=VISxQwKe6MwC&pg=PA163&lpg=PA163&dq=%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%8C%B6%E5%B1%8B+%E5%AE%B6%E5%85%89&source=bl&ots=u-fnVhZRF8&sig=kzquFG8am-Q1WA8crtmruSQN3G4&hl=ja&ei=AsgITZOEA4WKvQPatL3hDw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=6&ved=0CDcQ6AEwBTgU#v=onepage&q=%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%8C%B6%E5%B1%8B%20%E5%AE%B6%E5%85%89&f=false

なお、「将軍が鷹狩していたら腹痛を起こして~」と言うシチュエーションの伝説は他にもあり、例えば向島の長命寺には、「徳川三代将軍家光が鷹狩に来たおり腹痛をおこし、そこに住職が加持した、庭の井戸の水で薬を飲んだところ、腹痛が治り、そこで井戸の水を長命水となずけ、長命寺の寺号を与えられた」と言う伝説が残っています。

だいたい家光は鷹狩の際に命名することがよほど好きだったようで、下記のサイトを見ると、長命寺も含め、いろいろな命名の来歴が残っています。これらのうちのいくつかは真実であったのだと思いますが、家光の命名癖がある程度有名になってくると、西行の桜と同じで、「家光公御命名のなんちゃら」と言うのが後世の流行りになって各地で物語が創作されたと言うこともありそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/index1/iemitu.html

余談ですが、この伝説をもとに杉本苑子が短編小説「菜摘ます児」を書いており、そこでは将軍は家治になっていますが、これは他に例が無いので、家治としたのは杉本さんの創作であると思われます。

>地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?

そうですね。明確な文献等の出典を辿れない場合や物証が無い場合は、史実として確認できないので、伝説扱いになるのかと思います。

Webで調べたところでは、下記のサイトが一番詳しかったです。
これによると、「お花茶屋」と言う名称は、京成電鉄が開通した1931年に同地に誕生した駅名がもとになっており、それが地名(町名)となったのは1964年のことだそうです。
この地に「お花茶屋」にまつわる伝説があったことは...続きを読む

Q京都市淀の地名の由来?

僕は小学校4年生です。淀に住んでいます。
淀の地名の由来について教えてください。
また、いつ頃から町として出来てきたのか教えてください。

Aベストアンサー

 宇治川・桂川・木津川の合流点付近で川の水が淀(よど)むことから、地名がつけられました。京都に都を移した桓武天皇が804年「与度津(よどつ)」に行幸したと記録がありますので、その頃から町はありました。当時は船で物を運んでいましたので、近畿地方では大津とならんでにぎわっていました。のち、問丸という運送業者や倉庫業が発達し、宿場町となりました。豊臣秀吉が淀城を作って城下町としての町も作られました。しかし、今のように家だらけになるのは、昭和35年以降、大阪や京都に近いため、働く人が多く全国から集まったためです。

参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ka8001/fushimi.html

Q駒ヶ根市「経塚」の地名由来を教えて

大河ドラマで宮島に平家納経の「経塚」があるようですが
長野県伊那谷の地名「駒ヶ根市経塚」には源氏とかの由来があるのでしょうか?
歴史のは素人です「駒ヶ根市経塚」の元になるページがあれば満点ですね
特に地元の方々、教えて下さい、よろしくお願いします

Aベストアンサー

わからないのに回答しては失礼かもしれませんが、、、、
 
次の講座が近日開かれるそうです。
信濃の歴史講座 第2回
日時 平成24年1月29日(日) 13:30~ (開場13:00)
場所 飯田市上郷考古博物館
講師 長野県立歴史館原明芳さん、飯田市上郷考古博物館岡田正彦
内容 南信州の経塚、発掘からみた中世の人びと―鍋・釜・銭そして―
http://www.city.iida.lg.jp/iidasypher/www/info/detail.jsp?id=7998
http://www.iida-museum.org/news/201201.pdf
 
なお、一般論でいうと、地名はその地域で何か歴史的なものを感じさせますが、どこでもその内容がはっきりしているとは限らないようです。
経塚も、あちらこちらにそうした地名を見かけますが、わからないことは多いようです。
駒ヶ根市は大田切城(平安時代の長寛年間(1163~1165年)に築城)のあったところのようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/itiran_nagano.htm
この地域も武田(甲斐源氏)とは関係があったようです。
大田切城(長野県駒ケ根市赤穂太田切)菅野友則の城。治承4年に源氏武田信義らの進攻に戦わずに落城。
上穂城(長野県駒ケ根市赤穂上穂町)上穂重清の城。福与城に籠り、落城後は武田氏に降る。織田軍侵攻で上穂重清は大島城で討死。
赤須城(長野県駒ケ根市赤穂上赤須)片切一族の赤須氏の城。大塔合戦に出陣した赤須為幸が古城を修復。赤須清玄は武田氏に従い、織田軍侵攻で大島城にて討死。
 
一条行忠は、治承四年(1180)父に従って源頼朝の挙兵に呼応して、信州伊那郡の大田切郷で平家軍と戦い初陣の功を立てた。その後、駿河へ出兵して平家の軍と戦い、平家討伐戦には源義経の指揮下に入って、父とともに数々の戦功を立てた。ところが、甲斐源氏武田氏一族の勢力が拡大することを嫌った頼朝は次々と武田氏の武将を斥け、元暦元年(1184)、一条忠頼も鎌倉において誅殺され、行忠も父に連座して常陸に流され、のちに誅殺された。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/k_amari.html
 
日本では、経塚は11世紀に貴族の寺院建立と同様に作られ始め、12世紀を盛期にして衰退します。その後、聖が諸国で納経活動を行って民間の富裕層で広まり、やがて寺院が信者に現世利益や追善供養の意味で、扁平な小石に経典の字句のうち一文字を書写して多数埋納するのを勧めるようになります。そうした場所は、寺院のソバが多いです。やがてそうした風習は廃れてしまうので、地域の呼称だけが残って跡形もないという場所もあるようです。
駒ヶ根市には光前寺という大きなお寺もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%89%8D%E5%AF%BA
 
ご質問の場所とは違いますが、このような経塚もあります。
http://gbs3.rds.toyo.ac.jp/chuseibo/data/C18/049/index.html
 
秋田県の経塚を一覧にしたサイトがあります。
http://www.pref.akita.jp/hotta/database/kyuouduka/kyozukahyou.htm
http://www.pref.akita.jp/hotta/database/kyuouduka/kyoudukabunken.htm
地名に経塚とあっても、由来も詳細も不明なところはあるようです。
 
多くの経塚は偶然発見されるもので、地名も経塚となっていて、その由来らしいことが伝わっているのは少ないのではないでしょうか。
http://okyouduka.jp/about-okyouduka/origin
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%A1%9A_%28%E6%B5%A6%E6%B7%BB%E5%B8%82%29

わからないのに回答しては失礼かもしれませんが、、、、
 
次の講座が近日開かれるそうです。
信濃の歴史講座 第2回
日時 平成24年1月29日(日) 13:30~ (開場13:00)
場所 飯田市上郷考古博物館
講師 長野県立歴史館原明芳さん、飯田市上郷考古博物館岡田正彦
内容 南信州の経塚、発掘からみた中世の人びと―鍋・釜・銭そして―
http://www.city.iida.lg.jp/iidasypher/www/info/detail.jsp?id=7998
http://www.iida-museum.org/news/201201.pdf
 
なお、一般論でいうと、地名はその地域で何か歴史的な...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報