プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。
春まで就職活動をしており、来年から社会に出る学生です。

私は今までいわゆるエリートなコースにいました。
中高は地元でも有名な私立の進学校に通い、旧帝の大学に行き、就職するところも名門と言われる会社です。
今までは、成績がよければ褒められ、その存在を認められているものでした。
また、就職活動期は特に、不採用の通知では完全に否定され、しかし、面接通過や採用の通知では自分は取るに足る人間である、と認められている、と感じていました。
自分のしていることや、自分の存在する意味を、いつも他人に評価されることで確認してきていたように思います。
なので、自分がしていることが正しいのか、意味があるのか、自分で判断することができず、自分で物事を決めたり、始めたりすることがすごく苦手です。

しかし、このような甘えた状態は、もう長くないと感じています。
来年から働くようになれば、少しくらい業績がよくったって、多分誰も褒めてくれなくなるのだろうと思います。
お金をもらって働く以上、できることが当たり前でできなければ働く意味などないと思います。
また、自分自身で、意味があるものなのかどうか判断できないようなものを、評価される段階まで持っていくことなどできないと思うのです。

他の方の類似した質問を読んでいると、回答欄に「自分に自信を持てばよくなります」と書いてあることが多くありました。
私も、克服するには、自分に自身を持つことや、自分を自分で認めることが大切だと考えています。
しかし、それがどうしてもできないのです。
それができないという考え自体が甘えであって、それができなければもうどうしようもないことなのだ、ということなのか、と思っています。
しかし、もしどうにか自分に自信を持つ方法があれば、ご教示を賜りたく質問いたしました。
宜しくお願いいたします。

A 回答 (14件中1~10件)

>お金をもらって働く以上、できることが当たり前でできなければ働く意味などないと思います。



いえいえ。
「お金をもらって働く以上、できる『ようになる』ことが当たり前」なんです。

誰でも社会人最初は新人です。新人がすぐに仕事を「当たり前にできる」訳はありません。色々な失敗を経て、できるようになるのです。

私が最初に就職した会社では、入社式の時にいきなりこう言われました。
「新人社員は元が取れるようになるまで最低3年かかる」

即戦力だけを求める会社は、新人を採用しません。中途の経験者ばかりを採用します。
しかし新人を採用する会社は、新人に「社会人としての仕事の仕方」を教えてくれる所と言っても過言ではないと思います。

>自分自身で、意味があるものなのかどうか判断できないようなものを、評価される段階まで持っていくことなどできないと思うのです。

就職する前から「できない」って言っていてはダメですよ。
仕事の評価は、誰が、どう評価するによって変わってきます。結果だけを求めるか、途中経過を評価するか、それで全然違ってきます。
変な譬えですが、数学の試験で、途中までの計算は合っているけど答えが違う場合は半分位点数が入るけど、答えだけしか書いていない場合、その答えが合ってても減点になることがあるでしょう?

繰り返しますが、初めは誰も新人です。失敗するのは承知の上。それを指導し、失敗した場合にきちんと対応するために先輩や上司がいるのです。
最初は誰でも自信はありません。でも、そうやって繰り返すうちに、段々自信がついてきます。

質問文を拝見するに、最初の失敗する期間を乗り切れば、優秀な社員になれるように思います。

まずは学校を卒業して、それからがんばって!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
御礼が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。

まだ想像もつかない来年からの自分の仕事におびえていてはダメですね。
失敗することは本当に怖いです。
それを恐れて何もしなければ、失敗するよりもひどい結果を招くということは、何となく想像できます。
その一歩を踏み出すのは自分しかないのだな、と思いました。
失敗しても、その次に行ければ、それでいいんですよね。
頑張りたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/30 03:47

他人の評価が気になる、ある意味、正常な状態にあると言えます。

人間誰しも、人の評価や評判を気にします。ただ、この評価を当てにして、いいことがあるのでしょうか。まず、そこに焦点を絞ってじっくり観察して下さい。

他人の評価は、実は他人の都合のみで行われているに過ぎません。他人のご都合主義に実は、現代人の多くは振り回され、ストレスを感じたり、卑屈になったり、不安になったり、自信を無くしたり、戦々恐々になってりしているのです。これは、正直言って馬鹿馬鹿しい事実です。

ある上司が出世街道まっしぐらで、部下にも尊敬されていたとします。ところが、あるトラブルを元に、その上司は降格に処分され、エリートコースを外れることになりました。今まで、尊敬の念を抱いて接してくれていた部下が、踵(きびす)を返すように冷たくなり、次の上司にラブコールを送るようになりました。

こういった事は、日常茶飯事です。部下にとっての都合として、上司であった時は、褒めちぎっていたとしても、上司から一旦降格となれば、都合上、今までのような尊敬の念を持った接し方自体に価値がなくなるわけで、剣もほろろな態度に豹変するわけです。つまり、他人というのは、都合一つ、感情一つでコロコロ、コロコロと評価を変えるので、全く持って当てにならない、これが真実です。

今まで、恐らく周りを常に見渡して、恐る恐る生きて来られたと思います。つまり、自分自身をあまり見ずに、外側だけを見つめてきたわけで、ある意味これは己知らずの状態に、今なっているものと見受けられます。己を知らずして、果たして自信など持てるでしょうか?アスリートでさえ、己の力量、己の限界を知って初めて、自信を少しずつ持ち勝負に挑んでいくのだと思います。己を知らないアスリートが、トップを勝ち得たという事は、普通の人間ならあり得ないだろうなぁ、と判断がつくかと思います。自分を知らないで、外界の人達と会うということは、ある意味、無謀な訳で、まずは己の足下をしっかり見つめ、自分という人間はどういう人間なのか、どういう性質を持っているのか、を冷静に日々見つめることです。(これは、一人で部屋で思索にふけりなさい、という意味ではないです。人と会っている時でも、冷静に自分ってどういう奴かな、と観察することができます。人の中で、己を知っていくことも大事です)

 大体、有名人でも、著名人でも、堂々として自信ありげな人は、自分をよく知っています。自分を知らない人が話していれば、すぐにこの人は自信ないなぁ、と分かるはずです。


自分の愚かな部分、恥ずかしい部分、人には言えない部分、いろいろと出てくると思います。それをまず、直視して下さい。決して、誤魔化したり、自分はそんな人間ではないと、虚飾してみたりして、違う人格を作り上げて、自分を甘やかさないで下さい。己の弱い部分や、愚かな部分を見るのは、辛いことですが、己をしっかり見る根性がつけば、少しづつ自信は付いてきます。

慰めや、あきらめで自分を見ると、いっこうに自信は付きません。どうせ俺なんて、・・・、ではなく、な~んだ、こんな俺なんだ、と素直に受け止められれば、己と付き合うのも、そして、他人と付き合うのも楽しくなると思います。

過去の私の回答等も参考にして、人生に対して臆することなく、進んでいって下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
御礼が遅くなり申し訳ありません。

>どうせ俺なんて、・・・、ではなく、な~んだ、こんな俺なんだ、と素直に受け止められれば、・・・

どうせ私なんて、と思う自分と、そんな風に思っては先がない、と思う自分といつも戦っています。
弱い自分を認めるということは、勇気のいることなのですね。
自分を見つめなおし、自分とはどういう人間なのか、じっくり考えてみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 03:56

まず「自信」というのは一年中、普遍に存在するものでは無いんです。



たとえば、私はインスタントラーメンなら1000杯でも自信を持って作れますが、
本格的なラーメンは作ったことが無いので、作る自信がありません。
つまり「自信」というのはその都度、その都度、在ったり無かったりするものなんです。


で、質問者さまの場合も、世間一般の場合も、欠如しているのは「自信」ではなくて【平常心】なんです。

千変万化する出来事に対して、落ち着いて、冷静に、客観的に対応できる安定した心が平常心です。
もし、平常心が鍛えられていれば、落ち着いて対処できるので、たとえば、本格的なラーメンだって冷静に作ることができるので、それが、結局は自信へと繋がっていくんです。


 >>不採用の通知では完全に否定され、しかし、面接通過や採用の通知では
 >>自分は取るに足る人間である、と認められている、と感じていました。

・・とあるように、舞い上がるか、落ち込むかだけなんです。
平常心が欠如すると感情の奴隷と化してしまうんです。
冷静に、客観的に居られる「平常心」が欠如しているんだと思います。
だから、辛くなるんです。


ですから、平常心を鍛えることをすればいいんです。
つまりは精神統一です。

もちろん剣道や柔道のような武道もいいですし、書道だって華道だっていいんですが、基本の部分から心の筋肉トレーニングになるのは日頃からの「精神的な規範」なんです。昔風にいえば「道徳」「修身」です。

もしかしたら、質問者さまの場合は秀才であること、知育優先な環境で育っているかも知れませんね。
偏差値重視環境とでもいいましょうか。。。。

高得点をとる事、優秀であることが高貴な価値観、高い道徳となってしまって、それが心の規範となっている可能性もあると思います。
だから「評価」でしか、自尊心を感じられないのではないかと推測します。


たしかに道徳、精神的な規範というのは、その時代や環境によってご都合主義的に変化するものです。
たとえば、戦時下の道徳は、国家のために命を捧げることでした。
この価値観により、どれだけの無益な血が流されてきたかわからないんです。
ですから、今の時代は、道徳とか、精神的な規範に対する嫌悪感、懐疑主義者が多くなって、心が野放し状態、無法地帯になってしまっていると思うんです。

でもやっぱり心は野放しにしておいては本人が辛くなるだけなんです。
野放しの心、無法地帯の心では、本人も周囲も辛くなるのは必然なんです。

不幸な家庭に育った人間に非行に走る確立が高いのも、精神的な規範が獲得できなかったから、平常心の欠如、セルフコントロール能力が欠如してたからだと思います。


・・と長くなりましたが、私に「道徳」全てを語ることはできないので山岡鉄舟の終身二十則を参考にしてください。
http://tesshu.kcnote.com/shusin20/


あと「仏教」というのも、本来は死後ビジネスではなく、生きている人間がよりよく生きていけるための心の教えであり、座禅瞑想と教義による精神的規範で平常心を養っていこう、心を育てていこう!というものなんです。
中村元の「ブッダの真理のことば・感興のことば」をお勧めします。(良書です)


あと、迷ったときは、偉人の自伝を読むといいですよ。
ほとんどの方が、やはり「心の在り方」に帰結しているからです。

もし興味があれば座禅瞑想(ヴィパッサナー瞑想)という伝統的な仏教の修行法を実践してみてください。
(伝統仏教にはお題目や念仏はありません、自己研鑽あるのみです)
簡単に出来るところで、今日から、椅子に座って精神統一する「椅子禅」でもやってみてください。

この回答への補足

下に書き忘れたのですが、座禅瞑想とはどのようなものか、少し調べたのですがよく分かりませんでした。
落ち着いて、何も考えないようにするのでしょうか?
もしどのようなものか、どのような心構えでするものか、お分かりでしたらお教え頂ければ幸いです。

補足日時:2005/10/28 03:38
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
御礼が遅くなり、申し訳ありません。

確かに、感情の浮き沈み=平常心の欠如が私自信をふわふわと浮ついたものにしているのだと思います。
偏差値重視な点は確かにあります。
今の就職活動ですら、大学名がまだ通用するんだから、今の世の中にはマッチしていますが、あまり意味のないものであることは感じています。
ぐらぐらしない、強い心に鍛えることは、考え方や生き方に影響する、自分の根底をしっかり固めることになるのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 03:38

相対的価値観を超えた自己の本性を知るまでは、本当の自信を持つことはできません。

自分は誰か? 自分とは何か? 問いを持ち、見つめなさい。そして、自と他を比べたり、競争することなく、自と他の存在とユニークさを認め、愛し助け合う心を見出しなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
御礼が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。

自分は誰か、自分とは何か、おそらく知らないことだらけです。
自分と他の人は唯一無二の個であることを認めることが、やがては自信につながるのかな、と思いました。
道のりは決して楽なものではないと思いますが、時間をかけて探していきたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 03:28

ごめんなさい、No.9のリンクがうまく行きませんでした。



アマゾンなどで、「加藤 諦三」で検索してみてください。
たくさんありますので、興味を惹かれるタイトルがあるかどうか、お試しあれ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答頂きありがとうございました。
その方の本は、まだ読んだことがないです。
ぜひ探してみたいと思います。

お礼日時:2005/10/28 03:24

えーっとですね、



>お金をもらって働く以上、できることが当たり前でできなければ働く意味などないと思います。

出来ない人も多いです(苦笑)。

第一、新人がそんな、社会に出てすぐに満足な仕事なんか出来ませんよ。
「新人にしては良く出来る」というのはあっても、先輩やベテランにはかなわない部分があります。
経験だけでもかなわないでしょう。
(入った途端に自分の力をフルに発揮できると思っていたら、それこそ甘いです)

新人のうちは、絶対に何かしら上手く出来なかったり、失敗をするものです。
トンチンカンな間違いをしたり(後になってみればご愛嬌です、こんなのは)。
また、仕事は学校のテストと違いますから、成績優秀=仕事が出来るとは限りません。
それは知っておいてください。
そうでないと、すぐ挫折しかねません。
失敗しても大丈夫です。そうやって仕事を覚えていくのですから。

1年目から、少しぐらいでも業績が良ければたいしたもんです。


私はエリートではありませんが(大卒でもないしね)、自分に対する要求水準が高くなりがちです。

「上を見たらキリがない、下を見てもキリがない」ということを実感できると、何かの役に立つかもしれません。
下も見てみるといいと思います、失礼ながら、感心しちゃうかもしれません。
自分はなんて出来るんだ、と。

でも何かが出来ることと、人間的な価値は別ですけどね。
勉強ができなくても立派な人物はいるし、仕事がイマイチでも愛すべき人物がいますから。

もしも甘えずに自分のことを見直したいなら・・・・
加藤諦三さんの本って読んだことありますか?

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handl …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり、大変申し訳ありません。

会社に入って何もできないだろうな、ということは何となく分かります。しかし、頭では分かっていても、何かしないといけない、求められたことはできないといけない、人よりも秀でていたい、という気持ちが強いのが、不安になる要因なのかもしれません。

人間的な価値が高い人は頭がいいです。
私もいつも頭がいい人間になりたいと思っています。
上を見ても、下を見てもキリがない。
その通りだと思います。
もう少し広い視野で物事を捉えられるようになりたいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 03:23

No7です。

追記です。
「~でなければならない」とか「~しなければならない」とか、
そういう「檻」「鎖」を、どんどん壊して行ってほしいです。
自分で自分を満たすことができるようになれば、
他人の評価に「依存」することもなくなって、
自力で立っていられるようになると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございます。

できるだけその類の言葉は口にしないようにしてるのですが、それがさらに自分に足かせになっていたりして、疲れることがあります。
もう少しゆったりと、大きく、のんびり構えていけるようになりたいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 03:16

「自我が無い」とか「自己肯定感が無い」とか、


そういうことでしょうか。
他の回答者様も書いておられますが、
自分を見失う前に危機感を察知した質問者様は、
道を開く力を持っていると思います。
他人の評価が無くなったときに感じる「空虚感」や
「不安」や「所在無さ」は、たしかに恐ろしいものです。
でも、気付いたことは、必ず修復できます。

今までエリートなコースだったとおっしゃっていましたが、
それは自分が好んで自分で選んで自分で満足して
歩いてきた道ですか?
案外、自分で好きなように選んできたつもりでも、
「他人に恥ずかしくないように、他人に誇れるように・・」
という親から譲り受けた価値観から解放されず、
それに支配されたままでいたりしませんか?
無意識のうちに自分を作りすぎていませんか?

本当は、もう自分で好きなように価値観を
書き変える権利を持ってると思うんですけどね。
あなたは親のペットやラジコンではないですから。

大切なのは、自分の本来の生々しい欲求や感情に
気付くことができるかどうかだと思います。
そして、それを受け止め、理解し、発信すること
だと思います。
自分の「心の声」を大切にできるかどうか・・です。
本来の生々しい自分を「尊重」できるかどうか・・です。

どうか、ありのままの自分がこの世に歓迎されていることを
強く確信し、安心して自分を尊重して欲しいと思います。
そうするうちに「自尊心」が育っていくと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり、大変申し訳ありません。

いい大学に行くことは、自分の選択肢をより広げるために有効だと思ったので、自分で選びました。
両親は医者になることを望んでいたので、やや反対されながら今の大学に来たのです。
いま自分がいるとこに不満はありませんが、「自分の心の声を大切にし」ているか、それはよく分かりません。
評価を気にするのは、自分がここにいることwに不安を持っているからだと思います。
ありのままの自分は、この世に歓迎されているのであれば、それは本当に嬉しいことであり、ゆったりと構えられそうな気がします。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/27 22:24

 今までエリートコースに乗ってきたので、本当の自信がもてない、っていうのは、まずは当然なのではないでしょうか。

今まで身に付けてきたのは学力なのだから。

 そしてこれからは社会人として「何が問われるか」ではなく「どう生きたいか」を人生を歩みながら問答すればいいのではないですか。みんなそうして生きていると思います。

 自信というのは結果だと思います。自分の中に何かが見えたとき芽生えるものだと思います。自信は持つものではなく、後からつくものだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。

自信は、内から湧いてきて、前に進むためには不可欠なもののように思っていましたが、その限りではないのですね。
これから生きていくことすら、不安なように思っておりましたが、少し安心しました。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/27 22:12

質問者さまは、きっとこのまま行くと、いつかご自分が


破綻する危険を感じられているのでしょうね。

ご質問の内容を読んでいると、やはり仕事のことしか
書いてないですよね。
質問者さまは、自分を自分で認めることが大切と
書かれてますが、これはやはり「仕事において」
自分を認める、という意味でしょうか?
そう読めてしまうのですが。

現代社会で、「だけ人間」はとてもストレスに弱いと
言われます。
「だけ」というのは、会社だけとか、学校だけとか、
家庭だけとか、ひとつの場所でしか生きようとしない
ことです。
そこでの自分が崩れたら、もう居場所がなくなって
しまいます。

私は質問者さまが「自分を認める」ようになるのは、
仕事ではなくて、あなたのパーソナリティを自分が
よく知って、自分が心地よいと思う場所を見つける
ことだと思います。

例えば家で一人でゴロゴロしながらマンガを読んで
いるのが一番、心地よいとしたら、それがあなた
なのです。それを認めることです。
どんなに情けなくてもみっともなくても、自分という
人間を自分に嘘をつかずに見つめてみる。
少なくともそれは虚構ではありません、現実です。

現実こそ確かなものです。
たとえ会社でのあなたの評価が崩れ去る時が来ても、
家でゴロゴロする自分を認められるあなたがいれば、
あなた自身は崩れることはないのです。
そしたらまた這い上がれます。

大体、30歳も過ぎれば、高学歴だとかいい勤め先だとか
言いたがる人の方が、影で笑われます。
人間、大人になれば人の決めた評価に左右されることが
時間の無駄だと気づいてくる物だと思うのです。
今それだけ危機感を持ってらっしゃる質問者さまは、
やはり知性がおありなのだと思います。
きっと、自分を見つめて、自分の帰る場所を作られれば
今まで以上に仕事や勉強に成果を出せるのではないかと
思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
御礼が遅くなり申し訳ありません。

少数ながら仲のいい友人たちがいます。
仕事だけの人間にはなりたくありません。
しかし、仕事をして暮らす以上、仕事が自分の中で占めるウェイトは必然的に大きくなるので、仕事ができるということは、自分に自信を持つためには、必要なことに思えました。
のんびりするのは好きですが、動いていて、何か生産的なことをするのが好きです。

もっと多方面に目を向けられれば、自分を逆に多方面から見つめることができて、自分というものを認められるようになるのかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/26 23:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!