あまり哲学には詳しくないのですが、哲学から見た芸術についてどんなことでもかまいませんので御意見下さい。ちょうど芸術大学に通っているので知っておきたい気分です。 よろしく。

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A 回答 (3件)

一般に、哲学とは論理的な言葉を通じて、人間とは何か・世界とは何か・神とは何かといった問題を考える学問です。

一方、芸術もまた同じ問題を具体的(物理的)存在である作品を通して認識する一つの知であるといえます。プラトン・アリストテレスの昔から、哲学者は芸術について、また芸術作品を素材にして自らの認識と考えを発展してきました。これが近代になって、ドイツのライプニッツ・ヴォルフ学派の一人バウムガルテンという人が感性的認識(論理的な認識ではなく、美や快といった感性の認識)の学の必要性を唱えて、「美学(エステーティク)」という言葉を創始しました。以来、カントは「判断力批判」を、ヘーゲルは「美学講義」を、ニーチェは「悲劇の誕生」を著しています。これらは美学の古典となっており、芸術についての哲学的考察の見本のようなものです。いずれにしても、哲学と芸術との関係については、現在では美学という独立分野が存在しているので、そちらの文献を当たられるのがオーソドックスな方法でしょう。
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●芸術とは人間に備わっているいいものとわるいものを見分ける力(真善美)を


 育てるものです。正確にはその育てる効率の高い物を芸術を呼びます。

 ですからなんでも芸術になり得ます。効率の問題だけです。
 おおくの方々がそれからなんらかの影響を受けるのであればそれは芸術です。

●哲学は言葉をつかって行き着こうとします。
 芸術は言葉はもちろんなんでもありです。芸術の部分集合が哲学であり
 哲学の部分集合が 科学を含むもろもろの学問や宗教です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど効率の問題ですか。二つ目の●の考え方には納得できました。
前から気になってたので。

お礼日時:2001/11/25 00:46

余談ですので、お気になさらずに。



哲学も芸術も素人の私には、写実的な芸術以外は、なんか、哲学みたいな気がしますね。
感覚だけで書かれた小説。
抽象画。
何を訴えたいのか、理解しかねる写真。
ただただ、絶叫調のサウンド。

古い話題ですが、
製作者(原作者・監督)だけが理解している「エヴァンゲリオン」。

私には、ミーンナ、哲学です。
多分、境界があいまいなのかとも思いますが。
余談まで。
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この回答へのお礼

>余談ですので、お気になさらずに。
いえいえ、意見を聞かせてもらえるだけでありがたいです。
「エヴァンゲリオン」はいろんなジャンルの思想がゴチャゴチャ
にミックスされてて、私には理解できないシーンがありました。

お礼日時:2001/11/25 00:52

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彼の絵:
http://material.miyazaki-c.ed.jp/ipa/internet_artmuseum/manierisumu/aritinborudo/h-arc1.jpg

と国芳の版画:
http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/22/02/f0097102_1783693.jpg

を比べてみて、「永遠」に対する「変化」を観賞してみて下さい。

哲学をより一般的に見て世界観として捉えていましょう。西洋の宗教画を見ると「永遠」が常にテーマになっていますね。それに比べて「変化」に余り興味が無い。今から20年ほど前にプリンストン大学の高等研究所で「創造性」に関する講演会に参加したことがあります。その講演会である西洋の美術史研究家が「渦はダビンチによって発見された」と言って、彼が描いた渦の絵を何枚も見せておりました。その時、その講演会に招待されていたノーベル賞受賞者のイリヤ・プリゴジン教授が「貴方の主張は西洋ではそうであ...続きを読む

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美学というと奥深くもあり、私なんぞが簡単に語られるものではないと承知しています。なので・・・
くだらな~いことでも良かったら、笑って聞いてくださいね。
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Q引用、主観なんでも結構です。宗教、科学、哲学、芸術の定義を教えて下さい

引用、主観なんでも結構です。宗教、科学、哲学、芸術の定義を教えて下さい。

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 こんにちは。

 エワという女が 光も曲がることに気づいたとか。わが心にちょっと逆らってみようかと思ったとか。
 その前には 自分の感じや思いをそのまま表わしていたかも。夫のアダムに逆らう場合にも わが思いをそのまま表出していたから 言ってみればまだまっすぐであった。
 
 言いかえると 言葉は わが心・わが思いをそのまま表わすとは限らない。もっと早くいえば ひとはウソをつくことができる。そういう意味でも 表現は自由なのだ。このことを やがてエワだけではなくアダムも知ったし そういう振る舞いにそれぞれ自由に及ぶこととなった。

 ひとは 言語による表現をもって意思疎通を図る。その必要が現われたとも言い得る。その言葉の海を航くとき 大きなウソ・イツワリという嵐に遭い 難破することも生じ得る。
 こうなると 自由あるいは自由意志を擁護したい向きは たとえば《欺かれるなら われ有り》という《哲学》を生む。――世界を知り 世界を変えることをも考える行為である。――《あやまつなら われ有り》と堂々と宣言する。あやまちに気づいたなら われに還る。そこには 生まれつきそなわった自由意志とその自由がある。したがって 表現の自由は そこに同時に 表現した内容についての答責性を帯びることになった。
 このとき もし哲学をもう一歩伸ばすなら――超哲学ないし超経験思考として――この自由を 仏性とも神の霊とも言った。これは 非思考として《信仰》と呼ばれる。

 この個人の信仰を いわゆる観想・瞑想において それは思考に非ずであるにもかかわらず 人間の言葉で思考の次元に置きかえて言い表わすことが起こる。

   神の霊の宿ると言われる身と心において その自由に従っているならば――つ
  まりは へそを曲げウソをつくのではあるが これをあやまちとして気づくと
  きその自由に留まるならば―― ひとは ひとを殺すこともなければ むさぼる
  ことも裏切ることもなかろう。

 といった規範を得る。
 この規範を どう思ったか 《殺すなかれ・むさぼるなかれ・姦淫するなかれ》という戒律としてまた道徳として 神の霊に代えて崇拝するやからが現われる。つまりそのときこれを神のおきて(法)として 説き始めたのが 《宗教》である。
 一般に 集団をつくりその集団の振る舞いにかんする規則をもこしらえ この規範道徳と組織運営上の規則という物指しで人間の自由を捌(さば)こうと言うのだ。やがてこれが権威とさらに権力を持つようになると――つまり それにあざむかれて従う阿呆な人びとがいるということだ(欺かれるなら われ有り)―― 人間が人間を勝手に裁くというあやまちを繰り広げるようになる。宗教は 個人の信仰の自殺行為である。

 《科学》は哲学をさらに詳しく問い求めたものである。それでも哲学と分けるのは たとえば人間の社会について・そして中でも殊に経済活動については 或る種の仕方でその活動領域として分立しうると考えられるからである。あるいは どの人の思考や行為であるかにはかかわらず ひとしく認識しうるモノ・コトの世界がそれとしてあるとなれば この世界をやはり分立させそれに対しては 自然科学という領域を 設定している。
 《芸術》は これらの定義や分野の設定などなどをすべて取り払ってまったく自由に表現の自由を追求する人間の自己表出および自己表現なる行為である。ゆえに手段は 言葉に限らない。哲学に通じる人間の真実――あるいは 稀には科学の問い求める経験的な世界の真実――が描かれていると人が感じ得るなら よいものだと言われる。
 

 こんにちは。

 エワという女が 光も曲がることに気づいたとか。わが心にちょっと逆らってみようかと思ったとか。
 その前には 自分の感じや思いをそのまま表わしていたかも。夫のアダムに逆らう場合にも わが思いをそのまま表出していたから 言ってみればまだまっすぐであった。
 
 言いかえると 言葉は わが心・わが思いをそのまま表わすとは限らない。もっと早くいえば ひとはウソをつくことができる。そういう意味でも 表現は自由なのだ。このことを やがてエワだけではなくアダムも知ったし ...続きを読む

Qみなさんの美学を教えてください

好きな人に突然
○○さんの「美学」って何?と聞かれて困ってしまいました。
私にはそんな自慢できるような美学(生き方)なんてなかったからです。
ところでいったい美学って何なんでしょう。
(1)生き方の美学
(2)恋の美学

みなさん美学を教えてください。

Aベストアンサー

こんにちわ

なんだか素敵な質問ですね。
お悩みであるにも関わらず、すいません。

(1)自分以外の人は、皆先生
これは大人になるにつれて実感します。5歳の姪っ子や小学生の友達から学ぶこともたくさんあります。

(2)自分中心
以前は逆でしたが、結局自分が幸せじゃないと自分の愛する人は幸せになれないとおもいました。
自分の幸せは、相手が幸せなことですから、尽くすことも自分のためとおもえます。

美学というか心がけですね。
一本、そういうものを持っていると、何事を選択するのにも使えますから、迷いが少なくなるような気がします。

Q「芸術的悲劇作家は、また同時に芸術的喜劇作家である」

こんにちは。
ご存知プラトン著『饗宴』での末尾、
ソクラテスがアガトンとアリストファネスに「芸術的悲劇作家はまた同時に芸術的喜劇作家である」という議論を展開し、また二人を納得させていた(とアリストデモスは言った)部分があります。
プラトンの技法によって、もしくは話題外であったため削られてしまいましたね。

そこで質問させていただきます
もし皆さんがソクラテスだったとしたならば、どのような論理展開で以って「芸術的悲劇作家はまた同時に芸術的喜劇作家である」という命題を完成させますか?

よろしくお願いします。
ちなみに私は悲劇喜劇に関しての心得が全くございませんので見当もつきません…。

Aベストアンサー

これは課題ですよね?
課題であれば、先生は確実に検索しますから(笑)、ここで聞いた答えを書いて提出しちゃうと、きっとマズいことになります。だからここでは方向性だけ。ちゃんと調べて、参考文献もあげて、いかにもしっかり勉強したような体裁を整えておいてくださいね。

まず、「悲劇」と「喜劇」には、きちんとした定義づけがあります。『饗宴』でも、プラトンは何となく言っているのではない。そこを押さえておかないと、まちがいなくレポートはグダグダになりますから、そこのところはくれぐれも注意しておいてください。

図書館へ行って、文学辞典、演劇辞典、百科事典、まあ何でもいいですから、「悲劇」「喜劇」の項を調べてみてください。wikipedia には肝心のところが載ってないから。
いまわたしたちが使っている「悲劇」「喜劇」という言葉と、ギリシャ時代の「悲劇」「喜劇」の意味が、異なっていることがわかるはずです。当然、ここで言われている「悲劇」も、単に主人公がかわいそうな結末を迎える劇ではありません。

ギリシャ悲劇として最も有名なのが、ソフォクレスの『オイディプス王』ですが、これを考えてみると、悲劇がどんなものかよくわかると思います。
偉大な人物である主人公が、運命もしくは神々の力と対抗しようとするが、最終的に破れ、死を迎える。だから「悲劇」なんですね。

それに対して喜劇というのは、偉大な歴史上の人物ではなく、身近な、日常卑近な人びとを扱ったものです。偉大な人びとではない、市井の人びとは、性格的にさまざまな欠陥を持つ。その性格の欠陥ゆえに、さわぎを引き起こし、笑いを誘う。そうして最後は幸福な結末、とくに結婚式で終わってゆくのです。

結婚というのは、新たな生命の誕生の含意があります。
悲劇が人間の死を扱うのに対して、喜劇は人間の誕生を扱うものだった。つまり、人間の存在の発端と終局を共に描いている、といえるわけです。

ここまできたら、『饗宴』の39の「喜劇と悲劇とを作るということが同一人にできる」ことであり、「真に芸術的な悲劇詩人は同時に喜劇詩人でもある」ということの意味もわかってきますね。

ここらへんのことをもっと知りたければ、中村善也の『ギリシア悲劇入門』とか、古い本で手に入りにくいんだけど、図書館に行けばきっとあると思うな、田中美知太郎全集の第18巻に所収されている「プラトン「饗宴」への招待」がとても参考になると思います。

さて、このような悲劇・喜劇の要素は時代を経るにつれ、徐々に混在していき、特にロマン主義の時代になると、悲劇的要素と喜劇的要素は積極的に混淆されていくようになります(たとえばゲーテの『ファウスト』)。それに対して、ギリシャ時代のような、純粋なかたちでの悲劇を描くことはできないか、という問題意識から出てきたのが「絶対悲劇」あるいは「絶対的悲劇」という言葉です。

ジョージ・スタイナーは「絶対的悲劇」(『言葉の意味』所収)で、絶対的悲劇というものは、そもそも成立し得ないことを書いています。

以上、参考まで。

これは課題ですよね?
課題であれば、先生は確実に検索しますから(笑)、ここで聞いた答えを書いて提出しちゃうと、きっとマズいことになります。だからここでは方向性だけ。ちゃんと調べて、参考文献もあげて、いかにもしっかり勉強したような体裁を整えておいてくださいね。

まず、「悲劇」と「喜劇」には、きちんとした定義づけがあります。『饗宴』でも、プラトンは何となく言っているのではない。そこを押さえておかないと、まちがいなくレポートはグダグダになりますから、そこのところはくれぐれも注...続きを読む

Q美学・・・?

皆さんの美学を教えてください。
男の美学、女の美学、教えてください。差し支えなければ男性か女性かを教えていただきたいです。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

男は白州次郎かな。

女は母かな。
子供がいるのに好きな男と出ていったしね。

Q【哲学】「人は簡単な質問ほど深く考えていないことが分かった」 人は簡単な質問ほど疑いがないので物事の

【哲学】「人は簡単な質問ほど深く考えていないことが分かった」

人は簡単な質問ほど疑いがないので物事の本質について考えない。

学校で習ったからと言って疑うことを考えない。

Aベストアンサー

人は、存在し、生きていながら、「存在」を先入化し、
周りに流されて「生きて」いる。
それによって、実は一番難しい「存在とは何か」が
「当然の事」になる。(「だってそこにあるじゃないか」と)

それが実は、そうした階層現象的な表面的&経験的な
(=いい加減な)認識よって、不確定性原理によって
絶対的な確定化によって無限不確定に発散する=無から、
有限的な存在性が派生したものである事も知らず。


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