【お題】NEW演歌

●結果補語と了:結果補語が付く場合は特殊なルールあり?
皆さん、毎回、丁寧な回答を有難うございます。質問しながら考えている状態なので、また、記載制限のために十分意図が伝えられず、不明確な質問となって何時も申し訳なく思っています。

【前提】
・「我昨天喫了三碗飯」のように動作動詞が目的語や状語や文脈を受け、具体的イメージを持つ時には、「終わったんだ、《・・・という動作》がね。」と強調するに足る内容となるので、「Vle~」で文が終結する。
 他方、「喫了飯」だと、「終わったんだ。《飯を食べるの》がね。」と飯を食べるという動作の内容が強調するにはなさ過ぎるので、「で?次に何かあるんでしょ?」となる。そこで、文末の了を付け文を終了させたり、さらに文を続けたりする。

【さて質問】結果補語が付く場合は上記について特殊なルールがあるのか?
・「動作動詞+結果補語」は、動作動詞の表す動作を開始して、さらに結果補語の表す結果状態へ至る動作を開始したことを表現するもの。一般的には、さらに、完了を表す「了」が付かないと、その結果状態へ至ることが完了したという意味にはならない(例えば、「記」しようとして→さらに、「住」になろうとして、→「了」し終わる。)ということか?
・結局、動作動詞に結果補語が付くだけでは、当該動作が具体性を帯びるわけでない。結局、結果補語が付こうが、付かまいが、上記前提の通常のルールに基づき、「了」の使い分けが行われるということか?
・「住」等ふつうの結果状態を表す結果補語では原則的に了を省略できないということか?但し、特に「完」「到」「好」等それ自体が完了状態を表す結果補語では「特別に」了を省略することができるが、

以上の理解での間違いを指摘頂ければ。

A 回答 (1件)

まず「了」は、動作の完了ととらえるよりは、その時点でそうなっているんだという状態の変化を表していると認識した方が、よいと思いますね。


普通の動詞、「買」の場合に、「買了」は買い終わったという完了ではなく、「買った」という行為が既になされている、と解釈した方がすっきりする場合があります。
微妙な言葉遣いには、やや違う点があるように思いますが、『「了」が付かないと、その結果状態へ至ることが完了したという意味にはならない』というのは、だいたいそうとらえてよいと思います。
覚えておくよ→記住
覚えたよ→記住了

了が省略されるのは、了がはいると、そこでポーズがはいって、文が切れるなど、それによって予期しない効果が出るのを防ぐためですね。ですから、結果補語だろうが、何であろうが関係ないでしょう。
「省略できる」のではなく、じゃまだから「言わない」のです。
「結果補語が付こうが付くまいが」は、だいたいその理解でよいと思いますね。
「結果補語が付くだけでは、当該動作が具体性を帯びるわけでない」というのは、「具体性」という単語は適当ではないでしょう。「具現化したかどうか」が、まだ近いかもしれません。

さて、すると、おそらく文末の「了」は?動詞が二重にある場合にどちらに係るのか、という質問が予想されますね。(笑)
それは、「了」や結果補語だの、単語の文法的な意味では表せません。いろいろな成分、構成要素を総合的に駆使することによって、言いたいことを文にすることができます。
ということで、「前提」の部分で書かれていることにも、異議はあります。動詞うんぬんではなく、そこに「了」があることでの、「切れのよさ」がよいか、悪いかですから。^^;)

この回答への補足

ありがとうございます。またまた、勉強になりました。

さて、頂いた御回答について、いくつか確認したいことがあり。
○ 「完」「到」「好」等完了状態を表す結果補語か「住」等その他の結果状態を表す結果補語かという点で差があるわけではない。という意味ですよね?
○ 『了が省略されるのは、了がはいると、そこでポーズがはいって、文が切れるなど、それによって予期しない効果が出るのを防ぐためですね。ですから、結果補語だろうが、何であろうが関係ないでしょう。「省略できる」のではなく、じゃまだから「言わない」のです。』とは、例えばどのような文でしょうか?
○ 結果補語があってもなくてもいい場合とはどんな場合でしょうか?結果補語は結果状態に至ることを前提とした表現なので、○(从三年前我開始学中語、)我去年学好「了」中語。○我学好「了」中語、我到中国去了。のように、時制の副詞や文脈から動作が既になされていることが明確なときには、「了」を省略する「こともできる」ということでしょうか?

補足日時:2005/12/13 06:25
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