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このたび以下に挙げる歴史上の人々の考え方をうまく説明できません&よくわかりません><
教えてください!!
1、スピノザの汎神論
2、ライプニッツの単子論(予定調和説)
3、F=ベーコンのイドラ批判について。そもそもイ  ドラって??
4、カント批判哲学と定言命法
5、ヘーゲルがやったこと
6、コント実証主義
7、キルケゴール有神論的実存主義
8、ヤスパーク有神論的実存主義
9、ニーチェ無神論的実存主義
10、サルトル無神論的実存主義者
11、ハイデッカー

この11項目について端的に教えていただけたら嬉しいです><

A 回答 (2件)

11人とも、ものごとを簡単に理解することなどできないと思っていると思います。

こんなところで解答を待つよりも、検索で探したり本を調べるほうが効率的です。

・彼らの思想について、簡単に言い表せるものではないです。それぞれ前提となる前知識を踏まえながら説明しなければなりません。
・それが11人というのは多すぎです。
・説明できない、わからないとおっしゃっていますが、どの程度の知識が必要なのか見えてきません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4% …
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スピノザの汎神論:


 スピノザの汎神論は彼の言葉「神即自然」に端的に表されていると思われます。簡潔な説明は私の能力や知識では困難でしょうが、可能な限りやってみます。
 まずスピノザに関して見過ごせないのは、デカルトの影響です。デカルトは延長を物体の実体、思惟を精神の実体と想定しました。スピノザはこれらの概念を批判的に受け入れています。ただし、スピノザにおいてこの二概念は実体としては捉えられていません。それらは神の属性とされています。
 スピノザの神概念は少し変わっていて厄介なのですが、避けては通れません。基本的には聖書の「私は在るところの者である」という神の言葉から着想を受けていると思われ、その本質は存在していることそのものです。神はその存在を限定するどんな要因も持たず、自分自身がその存在の原因であるから、その性質は「自己原因」と呼ばれます。そして他との関わりとは関係なく成立する存在を実体と呼ぶことから、神は実体だとされます。同時にその他の存在はあらゆる意味で他からの影響を免れないので、実体だとは見なされず、ここがデカルトとの大きな違いとなっています。ここに唯一実体としての神という考えがあります。
 そして唯一の実体である神には無限の属性がありえますが、その中で人間の知性が把握しえるものを、延長と思惟であるとスピノザは言います。一般的な神概念は神に精神的性質のみを帰するのに対し、物質的な延長も帰する点がスピノザの独創的な点です。
 では具体的な個物は何なのかというと、それは神の様態であるとされます。物体は神の延長の有限様態であり、知性や人間の精神は神の思惟の有限様態である、となります。このことから、神が世界を作った、ではなく、神=世界(自然)となります。そして各々の個物は存在を本質とはしませんが、存在しようという傾向(コナトゥス)を持ちます。けれどその力の根源は何かというと、神の永遠かつ無限の力となります。それゆえにスピノザは個物の理性的認識は個物間の共通性を導くことであり、その最大の共通性は神であるため、神の認識に近づくとする。

ライプニッツの単子論:
 ライプニッツは明確に体系を組み立てることをしないで亡くなってしまったためその一部を説明するのは困難ですが、やってみます。
 まず単子とはライプニッツの想定する唯一の実体で、すべての個物は単子から成っているとされます。この単子は原子のような機械的なものではなく、精神的な存在と想定されています。
 単子はそれぞれに固有の宇宙を表出し、互いに影響を及ぼすことなくしかも調和的に宇宙を構成しています。
 まず表出についてですが、述語は主語に内在しているという考えから来ていると思われます。カエサルはその主語のうちに、例えばガリアで戦うとかルビコン川を渡るとかといったすべての出来事を含んで現れるということです。その述語は無限に存在するので分析の対象にすることは不可能ですが、神の知性はそれを認識していると言われます。それゆえに人の生涯やその他の物体の存続はそこに起きると予め決められている出来事を表現していく過程だと見なされます。けれどもそれは強制ではなく、主体的な決断のもとに選び取ることが予定されているということであり、人間の自由をそこなうものではないらしいです。
 予定調和についてですが、各々の単子は上のような自分の予定を表出していくのみであり、互いに関わることはありませんが、それでも複数の物体が同じ場所に同時に存在する、などということが起こらないのは神の善意による予定された調和によってである、ということです。
 各々の単子は自らのパースペクティブによる宇宙しか持ちませんが、神は宇宙を俯瞰することが可能であり、それによって予定調和は可能となっています。
 また最善説も無関係ではありません。最善説とは、神は論理的に可能な(矛盾のない)無数の世界を作りえるが、その中でもっとも完全性の高い世界としてこの世界を作ったというもので、神は宇宙を俯瞰し、すべての主語の述語を読み取れることから、宇宙のすべての存在の完全性(宇宙の完全性にいかに寄与するか)を知った上で、この世界を選んでおり、ゆえに世界の完全性に無意味な存在はありえないということで、その点からもすべての単子は宇宙を表出しているといえます。
 至らぬ点も多いでしょうが、これで勘弁してください。

とりあえず、二人。
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