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鈴木正哉さんの書いた「鉄砲隊と騎馬部隊」という本をよく読みました
さんの論旨を見れば、戦国時代の死傷者というのはほどんど(60~80%ほど)鉄砲あるいは弓矢より出た、と思いそうです
その根拠として「軍忠状」をあげています。なるほど、当時の死傷者の調子とは、鉄砲と弓矢と代表された「遠射」による被害がもっとも多いそうです。さんはこれを統計として見せます
でも、1984年、「武器の進化(The Evolution of the weapons and warefare)」という本を書いたTrevor Duppyさんによると、各々の武器でできた「致命傷指数」の程度は下にあります
刀あるいは槍ー23%
火縄銃(arquebus)ー10%(日本のことにもっと近かったです)
火縄銃(musket)ー19%
もちろん、この資料は西洋の場合でしょう。でも、常識的に思うとも、乱射のうちに一つ、二つの弾丸と矢のすれる場合(遠射戦)がある一人の敵兵を狙って攻撃する場合(百兵戦)に比べれば、どちらの戦闘方式がもっと威力的なのかは明らかに触れてあります。
即ち、鈴木さんはその統計を根拠によって、「戦国には鉄砲と弓矢が戦いの主軸だった」と論じていますが、「質実的な戦闘力被害」の方だけ見ると、むしろ確かな殺傷のできた「百兵戦も大切な戦力だった」と取り上げることも可能ではありませんか

A 回答 (5件)

軍忠状は主として勝者側の情報であり、敗者側のデータとしては不完全で滅亡した敗者では全くありません。

               鉄砲がまだ普及していなかった時代の、ある勝者側の一武将の家来の手負い(重傷者)の数ですが、矢13人、槍4人、刀1人だそうです。 白兵戦では槍が主力の証拠のひとつです。槍を捨てて逃げる敗者を槍を持った勝者が追いかけ突き刺す訳で、敗者側の死者、手負いは白兵戦の方が飛び道具によるものより、ずっと多い筈です。
また出会い頭の合戦例えば、桶狭間の合戦のように、いきなり白兵戦になる事も少なくないので、軍忠状のデータだけでは結論はだせません。
要するに合戦の更なる分析、研究が必要です。
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この回答へのお礼

ご意見、誠にありがとうございます!

お礼日時:2006/02/12 06:50

 また、「武器の進化」を回答子は未見ですが、「致命傷指数」なる表記が気にかかります。


即ち、これは
「当該の武器による死者数/当該の武器による攻撃数」
のデータで、ある武器で狙われた場合の非生存率を示しているのではないでしょうか。
 だとすれば仮に刀槍の致死率が銃撃より高くても、戦場では刀槍による攻撃が稀にしか起きないという主張とは相反しないと思います。
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この回答へのお礼

良い意見ですが、今回にはすみませんです。

お礼日時:2006/02/12 06:51

話を戦国時代に限るとNO2のご回答にあるように、人間には遠射により敵の戦力を削いでおくという願望が大きかったのはたしかです。


しかもそれを可能にする手段(弓、鉄砲)は手に入っていました。

しかし弓矢の威力は鎧という防具で減衰され余程幸運でなければ致命傷とはならず、敵の戦力を削ぐには長時間、多数の射撃が必要でした。
勿論この間敵も対抗して矢合わせするので、弓兵の数、技量が問題になります。

川や障害物(森、や地形、城)の利用した方が有利になるのです。

しかし鉄砲は当時の前装銃は口径も大きく、当時の鎧では防ぎ得ない貫通力で命中すると弓矢とは比べものにならないダメージを与えるので恐れられたのです。
しかし連射が手間取る、高価で入手が困難で多数を装備することが困難という弱点がありました。

従って戦争での勝敗を決定したのは、多数の鉄砲を揃えた長篠戦、大阪戦のようにこの弱点を克服した場合だけです。

一方白兵戦は確実に敵味方の死傷で決着をつけるもので、論功行賞でも敵の首を示すことで立証できます。
従って兵士は首や代わりの鼻などの証拠の獲得に狂奔するのです。
そかも槍、太刀という必要な兵器は常備しています。

戦場での死者は多く追撃戦で発生するもので、これは敗者側は無防備の背後を晒し、戦意を失い隊伍もばらばらで一方的な殺戮が可能になるからです。

この意味でNo2のご回答は正確です。
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この回答へのお礼

良い意見ですが、今回にはすみませんです。

お礼日時:2006/02/12 06:51

 東洋だろうと西洋だろうと、人は死にたくないし怪我もしたくないものです。

だから、「遠戦志向」と言いますが、白兵戦よりも少しでも距離を取れる槍を使いたいし、槍よりも飛び道具を使いたいという傾向が必ず出てきます。
 なので、おおむねベトナム戦争より前の戦争では、戦争はまず遠くから一方的に撃つか、撃ち合うことで始まります。陣形が崩れて指揮系統が乱れ、接近戦でも自分が怪我をしないで済みそうなときに、突撃が行なわれるのです。どちらも崩れなかったら、お互いそのまま引いて、翌日に持ち越し、というパターンになります。

 ここからがポイントですが、撃ち合いによる死者は、あなたもあげているように、たいした規模にはなりません。兵士の多くが驚いたり、指揮官が死んだりうろたえたりしなければ、治療可能な負傷の比率も多いので、負傷兵の再参戦率も低くありません。が、陣形が崩れて突撃を受けたとき、本当に大量殺戮になります。
 勝った側の死者は数人とか数十人で、負けた側の死者が数千人などという比率がよくあるのですが、これは、突撃された側はほとんど何もせずに逃げ出していて、一方的な殺戮になっていることを意味します。これは、洋の東西を問いません。

 纏めると、戦闘に負けないためには、撃ち合いができる戦力が必要ですし、止めを刺して蹴散らすには突撃のできる戦力が必要です。篭城しているならともかく、両方無ければ戦場での勝利を掴むことはできません。
 結論として、遠戦と白兵戦は、いわば右足と左足のような相補的な関係で、両方とも戦争における戦闘要素として重要であり、どちらがより重要という話ではないということです。
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この回答へのお礼

ご意見、誠にありがとうございます!

お礼日時:2006/02/12 06:50

百兵戦ではなく白兵戦だとおもいますが、西洋は白兵戦志向が強く、中世の騎士は元より騎兵は近代まで銃は持たず刀や槍で突撃するのが普通でした。


また鉄砲の使用方法についても、日本の鉄砲は乱射ではなく狙いを定めて撃ちました。
これに対して西洋の鉄砲の場合は狙いを定めて撃つことは許されずやみくもに乱射をする戦法でした。
ですから西洋と日本を同一には論じられません。
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この回答へのお礼

あれ?そうですね
「白兵戦」が正しいです。
申し訳ありません

お礼日時:2006/02/12 06:48

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