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先日種子島や鹿児島本島に行って思ったのですが、
まず日本に伝来した火縄銃を日本でも作るようになった後、雷管銃や大砲に発展していったんだと思うのですが、どのような順序で発展していったのかよくわかりません。
知っている方いましたら教えてもらえませんか?

A 回答 (6件)

  鎌倉時代~室町時代


銃器…元寇で突火筒が持ち込まれ、その後青銅銃が日本に持ち込まれる
大砲…室町時代に棒火矢が持ち込まれる
  応仁の乱
大砲…棒火矢が大量に使用され、京都が炎上
  戦国初期
銃器…1542年に大内・尼子の戦いで使用される
   1543年に種子島にポルトガル船が漂着
  戦国後期
銃器…武田・織田・西国大名が大量配備する
大砲…カノン砲がオランダ、イギリスからもたらされる
  江戸時代前期
銃器…フリントロック式が輸入されるが天下泰平の為普及せず
  天保年間
銃器…高島秋帆がフリントロック式小銃を大量に輸入する
大砲…南蛮式大砲の鋳造が始まる
  安政年間
銃器…会津その他雄藩がフリントロック式を実戦配備する
  文久年間
銃器…雷管式滑空銃が国産される
  慶応年間
銃器…雷管式ライフル銃が輸入される
大砲…ライフル式青銅砲が輸入される
  明治維新
銃器…スナイドルなど元込銃が輸入される
   会津でミニエー銃の製造が始まる
大砲…国産が始まる
  明治13年
銃器…村田銃が開発される
  明治31年
銃器…三〇年式連発銃が実用化される
大砲…三十一年式野砲が実用化される
  明治38年
機関銃…実用化される(実戦配備は明治27年頃)
  昭和39年
銃器…連発発射式自動小銃を国産化
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歴史的な話しは#1さんの回答にありますので、余談をば・・・



日本の銃の技術は、江戸時代の末期まで、事実上、火縄銃(マッチロック式銃)で留まっていました。
世界ではメカニズムそのものを進化させていたのに対して、日本で300年かけて”洗練”に努めた結果、マッチロック式の銃としては最高の命中精度を持つまでになりました・・・とは言ってもサルが進化してチンパンジー(火縄銃)になっても、人間(元込ライフル)には敵わないのは自明の理でありますね。

今もマッチロック式銃の国際大会がありますが、マッチロック式として最高精度になった火縄銃に敬意を表して「Tanegashima」クラスとしている大会があります。

また、ライフルに一般的な「肩付け」ではなく、「頬付け」で発展したのは「火縄銃(用兵上の問題、流儀的射法などの理由)」とペルシャの「イラニアン・ライフル(騎馬上で射撃するため)」くらいと言われています。
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「伝来」という言葉で正しいのでしょうが


もっと性格には「売りに来た」「売う為のサンプルを持ってきた」(中国商人が仲介している)
日本の刀鍛冶が優秀でサンプルをもとに立派なものを作っちゃった。

ただ、「ねじ」というものが無かったので火薬滓の掃除ができなかったらしい
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漫談です。


豊臣秀吉が関白になったころには、世界の鉄砲の6割が日本製だったといいます。これらは輸出品としても重宝し、中国大陸に大量に出回りました。
江戸中期くらいまでの中国の民話には「日本製の鉄砲をもった男」という表現をされる人物が登場します。これは外国製の精密機械をもっている好奇心旺盛で裕福な男、という意味で使われました。

火縄は木綿が、いったん濡れても乾くので、木綿産地はバブルになります。また、雨が降っても携行している火縄の火口が消えないように保管する、竹でできている水筒みたいな、なかに火縄をまいて携行する装備や、ヒョウタンを使った火薬いれ、などのアクセサリーも独特の進化を見せたといっていいでしょう。
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まだ話されていないエピソードを。



桃山時代に日本に来た宣教師は「日本の兵士は猟銃を使っている」とレポートしています。これは、元々種子島で伝えられた鉄砲が、猟銃だったからです。というのも、当時の船には食料調達のための猟銃が当然乗せられていたんですね。ヨーロッパの兵士たちはもっと無骨で重くて頑丈ないわゆる軍用銃を使っていたのですが、南蛮船にはそんなものは乗せていなかったわけです。かくして、遠く離れた日本の地では猟銃が軍用銃として発達したのですね。だから、命中率が良かったというのもむべなるかな。

さて、世が天下泰平となると鉄砲は不要です。本当は幕府だけ持っていればいいですが、もし裏流出でもした日には謀反に使われるかもしれません。かくして、全面武装解除が命じられ特に江戸への「入り鉄砲」が厳しく制限されたのはご存知の通りです。
鎖国で外国からの新技術を取り入れるのは医学や農業でさえご法度でしたから、いわんや軍事技術をや(ただし、幕末に最もさかんになったのは軍学書の翻訳だったそうですが)。日本の銃器に対する技術は完全にストップします。このとき、火縄銃で使われていた「ねじ」の技術が江戸時代には他の分野への応用が全くなされなかったのが、日本技術史上の謎といわれています。なにしろ大阪の陣で使われたという青銅の大砲が後生大事に幕末まで保管されていたというのは司馬遼太郎の短編「おお、大砲」(「人斬り以蔵」所載)で有名です。

さて、幕末になっていくらなんでも欧米との二百年の技術差にようやく気づいた日本は慌てて軍の近代化に取り組みます。直接のきっかけはアヘン戦争でした。日本にとっては「スーパー超大国」の中国(清)がイギリスに一方的にタコ殴りされ屈辱の敗北を喫したというのは当時の知識人の間で深刻に受け止められました。まさに、「明日はわが身」となったのです。
降って湧いた「幕末特需」ですが、このときちょうどアメリカで南北戦争が起きていました。そして、その影響で大量に中古品が出たのです。この使い古しのB級品が日本では高値で売れます。日本からすると「最新の超兵器」だったのです。そりゃいくら型落ちのB級品といっても火縄銃からすりゃ70歳のおばあちゃんと40歳の女性みたいなもんです。70から見れば40もぴちぴちです。

本来だったら、型落ち品を大量に法外な値段で買わされた挙句に最新兵器でやられて植民地の予定だったのですが、ちょうどヨーロッパではクリミア戦争が起きて「アジアのはしっこの小国の事情」にかまけているヒマはどこの国にもなくなってしまいました。ナイチンゲールの活躍で知られるクリミア戦争が日本でマイナーなのは、実に幕末にかぶっているからです。
また、アメリカは南北戦争でした。
つまり、そういう事情で日本はラッキーだったともいえるんですね。

ヨーロッパにおける大砲の発達についてはまたの機会に。
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ttp://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=110987


現物資料としてはこんなのもあるぉ。(^ω^)

これらの品々は公開されずに藩にお蔵入りされてしまって、藩が終わって藩の倉庫に財宝でも何か残っているのかと蔵を開けたらこんなのがでてきて皆びっくりしたとか。
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