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世界各地の風土や国民性といったものは結局のところ体の一部にそれぞれ帰結していると思われます。(ヨーロッパは顔、アメリカは足といった風に・・・)いったいこれはどういう事なんでしょうか、大陸は気をだす生命体なんでしょうか。納得のいく理屈がみつかりません。どなたか解説願います。

A 回答 (6件)

 風土とは気候や地形を表し、広義でいえば歴史や文化を含む。

和辻は「風土(岩波文庫)」の中で、気候をモンスーン・砂漠・牧畜と分けている。モンスーンは梅雨があり湿度も高く蒸し暑さがある中で、自然は豊かになり植物の成長も早く、農業では元値よりも多く収穫できるために、自然について共生あるいは諦める気持ちが大きかった。そのため、洪水による河川の氾濫や異常気象等により不作になり飢饉が起きても、それよりも毎年収穫が多く取れるために、自然についての諦めつまり自然中心主義が思想の中に形成された。
 砂漠は暑く乾いた気候のために、植物があまり生えない。何もない砂漠の中で人間は自然を支配しようという感情が生まれた。つまりは、自然を支配し生活していかなくてはなかった。
 牧畜はヨーロッパの気候であり、雑草が夏は乾燥しており成長しにくい。そのため、近代までは小麦はあまり収穫できず、パンは贅沢ものだった。近代以降は生産量は増えたが、質が改善されたのはつい最近の事である。そのため、家畜つまりは豚や牛を育てる事に向いている機構である。そのため、西洋は肉食文化になったのだ。人間中心主義で動物愛護は1970年代まで酷い殺し方をしない事で、安楽死だった。しかし、現在の動物保護運動は「動物の権利」というむやみに動物を殺さない思想である。しかしながら、キリスト教圏は人間中心主義による歴史が長かったという事である。
 人間の精神風土がどのように影響したのか。日本は米や魚や野菜を主食にし、西洋は小麦と肉食の文化である。比較文化論を唱える上での問題として、鯨や鮪の問題がある。鯨や鮪を西洋人は食べてこなかった。この有り難さが西洋人に分からないのである。日本の寿司や煮魚や焼き魚が分かる。しかし、鯨という味わいを知らずに、反対は知らない。漁獲量の減少をいうが、大型魚が増えれば、小型の魚が減る。最近、鰯などが減少している。それも人間中心主義だ。
 日本の特性について触れる。東アジアから西日本まで照葉樹林であり、独自の文化が生まれた。照葉樹林文化は、米・蕎麦・粟・大豆などを栽培する文化である。日本には中国から韓国を経由して伝わった。日本は農耕文化なのである。日本の食料自給率が40パーセントである。このため、日本の文化を守る事が大切ではなかろうか。

 少し難しかったですか。それは風土を哲学的に分析しました。そのため、難解です。風土とは多様なものだだけ、知ってください。参考文献は次の通り。
和辻哲郎 風土 岩波文庫
鯖田豊之 肉食の思想 中公文庫
佐々木高明 照葉樹林文化とは何か 中公新書
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関係ないと思います。


人は移動しますので。
現在アメリカ人でも200年前は皆他の風土で育っていました。
50年程度で体は進化しません。

風土よりも民族の影響が大きいです。民族は集団で移動します。
民族によって好みの気候や風土があります。食を得る手段ですので。
例えば、トルコに住むトルコ民族は、他から移住してきたのですが、元々似たような地形のところに住んでいました。

ベトナムの漁民と日本の漁民はルーツが同じ中国南部なのですが、同じような地形のところで同じような手段で食を得ています。
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三度失礼



なるほどね~

………、、

人の生死は月の引力による潮の干満にいまだ左右されています

また珊瑚の一斉産卵とか………

フロイトの「共通の無意識」とか………

是非あなたに読んで欲しい本があります

ライアル・ワトソン著『生命潮流』

この本では生命の不思議、共通の無意識、またある現象における遠隔地での「同時多発性」にも言及されています

きっとあなたなら興味深く読破されることと思います

賛否両論もありますが是非読んでみて下さい
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この回答へのお礼

おお、早速読んでみます。
無意識が共通になるならやはり大きな何かがありますよね。
重力や磁力や光がそれを織り成しているのかな。
生命の始まりもそうかな。
一歩進めるような気がします。
またよろしくお願いします。

お礼日時:2006/02/26 19:47

「土地の気」というのはなんとなく解ります



例えば、後ろが山で前が海の宿場町の人間は変に閉鎖的だったり………

でも質問の「結局は体の一部に帰結」というのがよく解りません

風土と地域、国民性の質問ですよね?

この回答への補足

そうなんです。例えばイタリア文化。斜塔からサッカーチームのネーミング、その人となりまで全体で「舌」を表しているように思えます。だからそこは大きな生命の舌なんじゃないだろうかと考える訳です。不思議な話ですが人間たちが体現、表現している事は「全体の一部分としての風土」という観点から理解できるのです。しかしなぜそんな生命的な風土が存在するのか、どういう風に人間に作用するのかが解らないのです。

補足日時:2006/02/25 17:35
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>納得のいく理屈がみつかりません。



それは「体の一部にそれぞれ帰結…」という仮説自体が正しくないからでは?

文字道り、その土地の自然環境に由来すると考えるのが、一般的だと思います。

参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/P/P267L200.HTM
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この回答へのお礼

世界地図を広げるとそこには髪の毛があり顔があり内蔵があり手があり足があるという揺るぎがたい直感・・・御提供頂いたURLの中にも同じ事を考えていた学者さんがいたようですね(神様がでてきますが・・・)
目に見えない自然環境というのがある程度論じられていた事がわかってちょっと心強く感じました。参考にさせて頂きます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/24 17:29

例えば日本は農耕社会で協力し合わないと生活が立ちいきませんでした


だから日本人は群れたがるんです

逆にヨーロッパなどは狩猟が中心だった為に「個」の能力を認め合い尊重するという文化が育ちました

いずれも風土による差異ですね

文化人類学の範疇です

、、
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この回答へのお礼

なるほど、農耕集団と狩猟集団では性格違いますよね。生活の起源も重要なのかも。ありがとうございます、参考にします。でもそれだけではない土地の気といったようなものがありそうなのですが・・・どうなんでしょうね。

お礼日時:2006/02/24 16:52

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