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歴史の問題で、自分で考えてもよくわからないのでヒントでもいいので教えて下さい。
*明治維新は、欧米の「市民革命」と比較するとき、どのような特徴と性格がありますか。
*自由民権運動とは何であったのか。その特徴と性格、さらに歴史的意味(役割)をもっていますか。

A 回答 (2件)

明治維新の発端は、ご存知のように、黒船、ですが、ひとつの示唆として、別の観点から、見ることも出来ると思います。



アヘン戦争。イギリスによって、奴隷のように扱われている中国の民衆の姿を、高杉晋作が、現地で見ています。

また、薩英戦争。それにより、薩摩は、イギリスの文明を認知し、軍艦を買っています。

更に、吉田松陰は、アメリカに渡り、物量文明を学び取って日本に持ち帰ろうとしました。

攘夷から、開国へ、さらに、富国強兵へと、日本は歩み、日中戦争、太平洋戦争へと歴史の渦のなかに巻き込まれていきます。
 この戦争の愚かさをよくよく辿っていくと、明治維新の前夜に行き当たるような気がします。
 そこに光を当ててみるのも、面白いのでは?

自由民権運動については、源流は、土佐、にあるといわれています。竜馬、板垣。
 で、確か、ジョン万次郎は、土佐に寄寓した筈。
 明治の岩崎弥太郎は、竜馬と同郷です。

竜馬、海援隊は、今の株式会社の先取り。

土佐の身分制度は、郷士と、支配階層の武士たちの間にあった、アンビバレンツな風土が、自由民権の根ともいえるかもしれません。
戦国時代の余韻をかすがいとする、竜馬たち、郷士という、土佐の階層を解明すると、広い視野で、自由、を、考えることが出来ると思います。

欧米の市民革命と比較すると、明治維新は、「国家そのものの存亡が、立ち現れた」ことによる、国のガバナンスの変更が要請された、(是を、単純に外圧、とはいえない)、のに対し、前者は、国家の内部の支配層の還流、つまり、国家の更新、という性格があったと思います。


以上、思いつくままに書かせていただきました。
ヒント、の、カケラにでもなれば、と思います。
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中々高尚な問題に取り組んでおられる様ですね…


難しい講釈は抜きにして本題に入ります。
フランス革命と明治維新を比較してみましょう。
一つの中央集権国家がその威信を失う背景は大抵、動乱及び度重なる政策の失敗や泰平が長らく続いた事による疲弊や怠惰から始まります。
新たな思想が生まれ、人心の求心力を失った中央より斬新な考え方に導かれる様に人の流れが傾き始める事による権力の瓦解が大まかなシステムと言えます。
明治維新に関して面白い記述がありますので参考までに…
明治維新の主役となった薩摩・長州・土佐の3藩はみな、関が原で西軍に属し徳川時代凄惨な時期を過ごした生き残り藩です。
元々幕府に対して恩恵等は受けたことも無く、虐げられてきた武士や民の末裔です。
長州は毛利・薩摩は島津・土佐は長宗我部といった具合に西軍の主力を張った末裔です。
その上で、第一に明治維新はクーデターであり市民革命とは内容を異にする部分がある。
つまり、民衆は当初幕府を支援していた経緯があり、同時にこの大規模クーデターによる民衆の死者は同程度の海外における革命に比べ極めて少ない。
民間人の死者が少ないため復興が早かった。
当初、民衆は幕府がクーデターを鎮圧するものと思っていた事があり、民衆の中から沸いてきた力による革命ではなかった。
第二に物欲や貧しさから端を発した革命ではなく精神論から始まったクーデターに近いものがあり、日本人特有の精神論の原点をここにも見る事が出来る。
アメリカにおける南北戦争は、貧しさやイデオロギーが争点であったし、フランス革命は貧しさに対して振興的な考えの革命化が便乗した経緯が垣間見れる。
第三に民衆解放の為のクーデターではなかった。(権力闘争)
等、かいつまんであげるだけでもかなり異質な革命であった異があります。
実情は、穏やかに事を進めたい薩摩藩と過激に総てを無にした後の再建を目指す長州藩との間にはかなりな摩擦が生じていたようです。
自由民権運動に関しては、第三の理由が関係してきます。
民衆レベルの革命ではありませんでしたので、当初民衆は余り恩恵を受ける事が少なく、逆に新体制になってからは、欧米列強に対抗するため、社会主義的な政策が多く取られた経緯があります。
個人より国家の考え方は、幕府時代の農民より幕府の考え方と余り変わらないと考えた民衆が多くいたのです。
それらの考え方を何とか是正したいと考えた政治家(有名なのは板垣退助ですね。)の中から本質の自由を考える動きが出てきたのです。
後に実を結んでいくこの考え方は、民意を反映するために議会があるといった形に変化していき、貴族や武士からの選出だけでなく、民間からの登用に道を開いた事が大きな成果といって良いでしょう。
人が本質を自由に語る事のできる国家を作ろうとした基礎がこの時代にあったと言う事です。
この考え方は、民間の商・工分野を発展させる原動力となり近代工業や近代商業が大きく発展していくきっかけともなっています。
誰の命令ではなく、自分の信じる事を自分の口で表現し、行動できる時代に導いた功績は大きく、今日の日本経済を支える基盤となった企業・人材を多く輩出するに至った功績と役割はかなり大きな物と言えるでしょう。
まとまった回答ができない事を許してください。
他の方がきっともっと良い回答をくれると思います。
それでは。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私も自分なりに考えてみます。とてもいいヒントになりました。

お礼日時:2002/01/20 10:42

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