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3年ほど前より、F1に興味が沸き好んで鑑賞しています。先日、F1ではありませんが、IRLでポール・デーナが死亡しました。フリー走行中の出来事でしたね。
F1において、セナが死んだのは知っていますが、その他にどのようなドライバーがレース中(又は、F1カーに乗っていて)命を落としたのでしょうか?最後の死亡事故は?

A 回答 (5件)

1970年イタリアGPでヨッヘン・リントがクラッシュして死亡、その後リントのポイントを上まわるポイント


を獲得したドライバーが出てこなくて、死亡後に
ワールドチャンピオンになった唯一のドライバーです。
1973年オランダGPでロジャー・ウイリアムソンが
クラッシュ、マシンは炎上してレースを棄権した
デビッド・パーレイが懸命に火を消そうとしますが、
消火器一本では手におえず死亡。肩を落としてしまう
パーレイの動画は有名です。
1973年アメリカGPでフランソワ・セベールがクラッシュ、マシンは裏返しの状態でガードレールに乗り上げて、マシンもろとも胴体が切断されて、即死でした。
1974年アメリカGPでヘルムート・コイニクがクラッシュしてガードレールに突っ込み頭部が切断されて、
即死でした。
1977年南アフリカGPでトム・プライスが別のマシンの
消火作業のためにコースを横切ってきたマーシャルの少年と激突、少年の持っていた消火器がヘルメットを強打して、即死でした。
1978年イタリアGPでスタート直後に多重クラッシュが
発生、ロニー・ピーターソンが足に重症を負いました。しかし、そのケガの治療に病院側に医療ミスが
あって、翌日に死亡しました。
1982年ベルギーGPで、ジル・ヴィルヌーブが予選
アタック中に他のマシンと接触してマシンが宙に
舞ってしまい、その衝撃でジルがマシンから放り出されてしまって死亡しました。
1982年カナダGPでスタートでストールしたPPのディディエ・ピローニのマシンに予選23位だったリカルド・
パレッティが激しく追突。マシン全部は足ごとめちゃくちゃに壊れてしまい、胸部も強打、その後レスキューが駆けつけますが、漏れたガソリンにマシンが引火してしまい、そのまま死亡しました。
1994年サンマリノGP、ローランド・ラッチェンバーガーがタンブレロあけのストレートでマシンのリアウイングが脱落、時速300キロで直進してコンクリートウォールに激突して、マシンはドライバーの左足が見えるほどめちゃめちゃに損傷して、頭部・首・胸部を激しく痛めて病院に運ばれましたが、死亡しました。
これが、セナの事故の前日に起こった死亡事故です。

テスト中の死亡事故は省略しています。GP開催中に
ドライバーが死亡する事故は、セナ以来発生していません。
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60年代後半から73年までF-1で活躍したジャッキー・スチュワートは自身の66年ベルギーGPで重傷をおった苦い体験、レースのスピードアップによるライバルドライバーの事故死の増加を愁い、積極的な安全対策に取り組んでいたと聞いています。

マシンの構造の強化、シートベルト、フルフェイスヘルメットの着用等、現在では当たり前のようなレースの設備もその時期のモータースポーツから全般的に広まっていったようです。
しかし、運命とは残酷なものでスチュワートの引退レースとなるはずだった73年アメリカGP予選で、チームメートにして良き後輩であったフランソワ・セベールの惨死により決勝を走らずそのまま引退しました。彼が開発に関与し安全性に自信のあったはずのティレル006による事故死だっただけにショックも大きかったそうです。

ちなみに80年代終り頃、ジャッキー・スチュワートは中村良夫(60年代のホンダF-1チーム監督)氏に、当時のトップドライバーのアイルトン・セナ、ナイジェル・マンセルらのラフなドライビングに対し「彼らはなぜあんな無茶な走りをするんだろう。あのようなことをしたら自分らの現役時代なら即死亡事故に至っていたはずだ。これもマシンの安全性が向上したので彼らはあれくらい大丈夫だろうと考えているのではないか。もしかしたら、私は(レースの安全対策に努めたことが)間違ったことをしたのかもしれない・・・」と零していたそうです。

F-1に限らずモータースポーツという稼業は、リスクを背負うことで収入を得るのがどの時代でも宿命であることに変わりはないようです。安全への対策はレースのバトルがある以上、終わりのないもう一つの戦いなのかもしれません。

参考URL:http://afw.fc2web.com/other/ziko.htm
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 ドライバーではありませんが、F1の日本GPで死亡事故が起こっています。


 それは1977年の日本GPで、ティレルのロニー・ペテルソンとフェラーリのジル・ビルヌーブのマシンが絡み、宙に飛んだビルヌーブのマシンがコースアウトしてフェンスの上に落ち、ちょうどそこ(立ち入り禁止区域だった)にいたカメラマンとマーシャルを押しつぶしてしまったという事故で、結局この2人は亡くなりました。
 この事故がきっかけで、翌年から日本GPが行われなくなり、鈴鹿まで待つことになったのです。
 ちなみに、巻き込まれたマーシャルはカメラマンを退去させようとしてたところだったそうです・・・
http://psychoblue.com/cgi/mt4i/mt4i.cgi?id=2&mod …

 あと、死亡事故ではありませんが、井上隆智穂はマーシャルカーにはねられたことがあります。
http://homepage2.nifty.com/f1drivers/inoue.htm
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セナは94年サンマリノの決勝レース中の事故で亡くなりましたがその前日の予選中にローランド・ラッツェンバーガーというドライバーが事故で亡くなっています


この死亡事故はF1では12年ぶりの死亡事故でした
このときゲルハルト・ベルガーは親友を二人も一度に亡くしたためシーズン中の引退も考えたそうです
セナはマクラーレン時代長年一緒に組んだ元チームメイト、ラッツェンバーガーは同郷(オーストリア)の後輩で自分以降久しぶりのF1ドライバー
ベルガー自身もクラッシュで炎に包まれて危うく死にかけていますしね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC% …
その12年前の事故とはジャック・ビルニューブの父親のジル・ビルニューブの82年ベルギーGPの予選中の事故死です
これ以前はほぼ毎年のように死亡事故が起きていました
http://www.akakutehayai.com/f1gphistory/year/198 …
http://www2u.biglobe.ne.jp/~siof/data/accident.h …
フランソワ・セベールというドライバーをご存知ですか?一番悲惨だったのはこの人でしょうね
詳しくはこちらをどうぞ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9% …
F1ではセナの事故以降“ドライバー”の死亡事故は起きていないはずです
しかしクラッシュにまきこまれたコースマーシャルが亡くなった事故はありました
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/car/2001/f1/03/01 …
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 アイルトンの後は記憶にありませんが、この前日にローランド・ラッツェンバーガーが亡くなっています。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC% …
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