里崎智也さんからビデオメッセージがもらえる

宗教比較論のようなものをいま執筆しているのですが、例えば浄土真宗では信心決定といって、阿弥陀仏や浄土の存在がはっきりと知らされる体験があると言われています。

そこでお尋ねしたいのですが、キリスト教などでも回心(えしん)体験といった、神や天国の存在をはっきりと知らされる体験があると聞いたことがあるのですが、それについて詳しく教えていただけませんでしょうか。

書籍やサイトを紹介して下さっても結構です。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (11件中1~10件)

キリスト教の中でも、福音派に属する宗派の中では、それが目的である宗派があります。



ホーリネス、セブンディアドベンティスト、ペンテコステなどの宗派です。

ただし、これらの宗派は、宗派としてのまとまりは薄く、各教会自体の独立性が高いので、その程度は教会ごとに異なります。

同じ福音派でも、バプテストやメソジスト、メノー派などでは、積極的ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変参考になる回答でした。もう少し具体的に、どのような体験なのかが分かる資料があればありがたいですが、なんとか詳しく調べてみようと思います。

お礼日時:2006/04/15 10:53

宗教というのは比較することはできない


信じる人にとってそれが救いの道だということです
それぞれの宗教の考え方があります
そしてそれらは頭で考えるものではなく経験によって
信じてしまう。このように宗教を考えています

私自身はノンクリでした。人生の中でもう死んでしまう
という中で神にであった。こんな感じです。
自殺しようと思ったときに比べ今は天国です
天国というのはどこにあるのか?
「心の中にある」こんな感じじゃないでしょうか?

絶対にクリスチャンなんかなるものか?と考えていたのですが・・・
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 宗教学で言うconversion回心(かいしん  と読むと思います。

)の代表的な例としては、聖パウロの回心が最も有名ではないかと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6% …
「パウロ」「聖パウロ」で検索すれば、かなり詳しい説明が見つかると思います。

 宗教学の専門書ですけど、回心について研究した本があります。東北大学の講師を「している徳田幸雄さんという方が書いた本で、昨年日本宗教学会の学会賞の受賞対象となった本ですから、専門家の中である程度の評価を受けている本だと思います。参考になると思います。但し、学位論文を本にしたものですから、難解な部分もかなりあるかもしれません。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/religion/profiles/to …
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この回答へのお礼

有り難うございました。早速調べてみます。大変に参考になりました。徳田幸雄さんの本は是非読んでみたいですが、なかなか高価な本ですね。

お礼日時:2006/04/17 08:21

信仰の告白というものでしょうか。


以前ある少女と出会いました。

彼女は不良で迷惑三昧をしていたそうです。
世の中に反発をすることに疲れた彼女は、キリスト教に救いを求めたようです。

洗礼式の時の様子を興奮気味に語っていただきました。
水の中に体ごとつけられ 苦しくてたまらなくなり、意識が朦朧として、その時引き上げられて光の中に自分がいるのを感じたと話してくださいました。

「どう表現したらいいのか。 もう すばらしくて すばらしくて 感謝の気持ちでいっぱいになったのよ!」と興奮して話してくださいました。

私はそれを聞いて、映画セルを思い出しました。

窒息寸前になると酸素が頭にいかなくなり、通常の思考回路が遮断し、仮死状態に近い状態になる。

その苦の状態から引き上げると、水面に出るので水面の光の反射が動向が開いた状態の時に目の中に飛び込む。

苦からいきなり酸素のある状態になる。

死ななかったという感謝の気持ちになる。

加害者が被害者に苦痛を与えたあと、加害者が被害者を助けると、被害者は加害者の奴隷となる人もいる。

これを地獄から救うということを模倣した儀式だとするなら、結局 団体の奴隷に調教されてしまっただけで、実際神が救ったとか天国をかいまみたというものではないと思います。

恐怖の後に優しくすると、人をコントロールすることが容易になる。

とても恐ろしい心理操作です。

ストックホルムシンドロームというものもあります。

その信仰の告白をした人が、それ以外の時どういう状態かというと、イライラと不安と不穏で、前よりひどい迷走状態が続くようになりました。

思い切って「宗教から離れたらどうですか?」といえばよかったのかもしれませんが、いえませんでした。

とても心残りです。
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この回答へのお礼

有り難うございました。同じような事例を私の周りでも聞いた事があります。宗教体験と言っても功罪あるのだと思います。

お礼日時:2006/04/17 08:12

宗教を比較するものではない。

聞きたければ教会にいって聞きましょう。生の声が聞こえますよ。
救世軍なんかいいかな?

信じることによって心の平安が生まれた。これが一番
だね。
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この回答へのお礼

有り難うございました。宗教を比較するものではない、というのは、なぜそう言えるのでしょうか?

お礼日時:2006/04/17 08:14

最近流行の『ナルニア国物語』の著者CSルイスの自伝なんかどうでしょう?



この人はケンブリッジ大学の教授で、小説の構成もとても理知的ですが、
自分の経験世界を極めて明晰に語れる方なので参考になるかと思います。

いま調べてみましたが、『喜びの訪れ』という本がちくま文庫から出ています。
私が読んだのは大学時代だったのでうろ覚えですが、
牧師の家に生まれた彼が、思想遍歴の末に無神論者になり、
やがて最終的に神を受け入れてクリスチャンになる過程が描かれていたと思います。
20世紀前半の英国知識人の思想的雰囲気も良く伝わってきます。

彼に限らず、西洋の現代知識人の中には、無神論や不可知論からキリスト教に回帰していく人が多いです。
20世紀のイギリス文学にはそのような主題が多く見られます。
だいたい、
「最終的に神の存在を受け入れたとき、至高の喜びの感覚がわが身に訪れた」
みたいなことを証言しています。

「天国に行って来ました」みたいな話とはちょっと違うので、
それを神秘体験と定義できるかどうかは微妙だとは思います。
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この回答へのお礼

大変に参考になりました。教えて頂きました本は早速注文しました。届くのが楽しみです。

お礼日時:2006/04/17 08:15

私の信仰体験教会でも話したことがないので、ちょっ


と恥ずかしいですがここに書きます。
忘れもしない昨日の出来事のように鮮明に覚えていま
す。
我家はどちらかと言ったらプロテスタント系でカトリ
ックを毛嫌いする家でした。
家が浄土真宗。でも誰も宗教には興味なかったです。
縁あってカトリック系の高校にはいり、そこがとても
宣教に熱心で特に私達の学年はほとんど信者でした。
私も乙女心にかなり洗脳されましたが、洗礼までは
考えていませんでした。
それも下から続いている学校で高校から入るとかなり
きついものがあり、反抗もしていました。

私には兄が一人おり、当時は実に仲がよかったので
す。
その兄は大学で親友と2人で裏磐梯のほうに何泊かで
旅行していました。
ある日、葉書が来て「とても楽しい旅で何時何時帰り
ます」ということが書いてあり、それを読んだ瞬間
ものすごく不安がよぎりました。
そのときは明日かえるということになっていたので
す。
夕方5時ごろと思います。私の中に「今、兄はとても
難題に面している」と確信めいた感情がわいてきて、
自分の部屋にこもって一生懸命ロザリオの祈りを何弦
か唱えました。
それまであまりロザリオを日ごろ唱えていなかったと
記憶しています。

次の日兄が興奮して帰って来て「昨日不思議なことが
あったんだ!」て叫んでいました。
それによると最後の日で、それまで宿も順調に取れて
これで後一日だと思いきや、どこの宿もいっぱい。
仕方なく最後の宿に向かって「ここで断られたら野宿
しかないな」と友人とその宿に向かったそうです。
そこの宿屋が「○○さんですね。女の方から予約が入っ
て取ってあります」とのこと。2人で顔を見合わせて
誰だ!しかし○○だから兄に違いないけれど、それま
でに会った人に誰一人今日の宿どこに取るか話して
ない。でも有難いからこのことは不問に付して泊まろ
う」ととても素晴らしい旅館だったそうです。
私が何時頃?と尋ねると丁度ロザリオを一生懸命唱え
ていた時間だったのです。
ですのでその胸騒ぎはやはり間違いではなかった。
そのとき「祈り」とはすごいものだと実感して、洗礼
は受けなくてはと思いつめた次第です。
ちなみに私は霊体質ではありません。

それからいままで、あまり熱心な信者とも思えない私
ですが、不思議と身内の死に際に洗礼を受けさせて
カトリックの葬儀になってしまいます。
これは全然私の意志ではないのに、今は「私はカトリ
ックで呼ばれているのだと実感せずにいられません。
それからも度々不思議なことが起こります。
例えば山の散歩で瑠璃ビタキがすぐ前を20分も私を
先導してくれたり(これは関係ないかも)
それより何より身内が亡くなると私の意図とは関係
なく洗礼を授ける羽目に陥り、どんどんことが運んで
いくのは不思議以外何者でもありません。
手厚い葬儀で私に感謝されても、私が一生懸命した訳
でもないのに、素晴らしい心のこもった葬儀になるの
です。
これは本当に不思議です。
「祈り」がいかに大切かは実体験で山ほどあります。

今は父がいつも口にしていた「富士山は頂上は同じだ
けれど登山口はいくつもある」と言う言葉を大切にし
ています。

神社に行けば手を合わせ、お寺に行けば一緒にお経を
唱え、どの宗教も大切だと変なカトリック信者なので
す。

こんな体験でも御参考になるのでしょうか。
私の今の信心は「いかに一生を悔いなく過ごすか」の
一点です。とても難しいことです。
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この回答へのお礼

有り難うございました。宗教というのは実践や体験と密接不離なもので、こうした体験が積み重なって信念を強めてゆくのでしょうね。他にもお聞きになった事がありましたらお教えください。

お礼日時:2006/04/17 08:17

気になって軽く調べてみたところ、(HPの信憑性の程度は不明ですが)



1900年以降 ローマ教会に認定された奇跡は3つ とのことでした。

ルルドの泉
ファティマの預言
聖母マリアが降臨し、第1次大戦の勃発などを預言

ファティマ は 第二次世界大戦の預言なので、3つめのとは違うようです。

マザーテレサ等は神の声が聞こえて信仰に入った といわれていますが、他人には確認しようがない事例でしょう。
ヤーウェに会って、彼らの星に行ったという人もいます。

参考URL:http://www.netcity.or.jp/OTAKU/univ/kyoshitsu/ot …
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この回答へのお礼

有り難うございました。マザーテレサの事は是非詳しく調べてみたいですね。

お礼日時:2006/04/17 08:18

2の回答者です。


回答を間違えたと思いここに聖人列伝URL貼り付け
ます
聖フランチェスコとか聖ベルナデッタ(ルルド)とか
有名な聖人います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E4%BA%BA% …
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この回答へのお礼

いえ、回答を間違えられた訳ではありません。一般の信者の上にこうした回心体験というのが一般的にあるのかどうか知りたかったので、2の回答は大変参考になる者でした。ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/15 10:37

とても難しい問題ですね。


日本で家庭がクリスチャンでないと、洗礼受けるのは
大変勇気がいることです。
私はミッションスクールでしたから、そういう教育を
受け、18歳の時に洗礼受けました。
でも確かに受けるにあたって大変な葛藤があったこと
を思い出します。
やはり受ける前に神秘体験はしました。
クラスの友人はほとんど信者で、今も会えばカトリッ
クは我々仲間では空気みたいなものですが、家庭が
何代も信者の方もいれば、私みたいに、先ず私が洗礼
を受けて祖母、両親と受けていった例外な人もいます。
洗礼を受ける動機はそれぞれで、例えば父は80歳
を過ぎて「今までの人生感謝しないと。神様に感謝し
ないと」といって洗礼受けた人もいます。
母にいたっては、父も受けたのでとその先の一歩を
踏み出した人もいます。
今教会でイースターが日曜に迫り、明日が洗礼式があ
ります。
色々教会の広報を読んでいると、洗礼を受けるきっか
けもさまざまです。
すぐ教会を離れてしまう方もいらっしゃいますし。

問題は精神を病んでいる方(教会のお向かいが神経
科)でお医者様にあっちへ行ったらといわれて、救い
を求める方が多く、そういう方は洗礼を受けても病気
は治らないので余計に辛くなるという問題も噴出して
おります。

私の体験談としたら、18歳で不思議なことを体験
しながら10年くらい教会を離れました。
その後人生で辛いこともあって「悔やんで生きても人
生、悔いなく生きるのも人生」とはっきり自覚して教
会に舞い戻ったということです。

お答えにはならなかったかも知れませんが、回心がは
っきりあったから洗礼を受けたという方達ばかりでは
ないと思います。

私自身、そんなに不思議体験しながらはっきり天国
は分かりませんもの。
ただ神様を信じているのです。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。もし出来れば、洗礼を受ける前に体験されたという事を、もう少し詳しく教えて頂けるとありがたいです。

お礼日時:2006/04/15 10:35

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しろうとだと緩やかな多神教に思えてなりません。

Aベストアンサー

No.6です。

私の前の回答は、やや言葉足らずでした。

私はクリスチャンではないので、現代のキリスト論を語るつもりはありません。

ただ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が唱える一神教というのは、それぞれの教義が確立した当初は「万能なる神」のみを信仰とするべきで、他の対象を信仰することは、信仰対象のズレをもたらしかねず、認められないものでした。(神を見立てた肖像画・彫刻も、神ではなく、その絵や彫像そのものが信仰対象となる恐れがあるとされ、認められなかったのです。)

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・・・という時代の経過と共に信仰対象が拡大され、現代の解釈とは大分違うものでした。

そのため、「マリアの位置付けを知りたいのです。
しろうとだと緩やかな多神教に思えてなりません。」という質問に対して、本来一神教であったキリスト教が、そうでない人々に教えを広めるために、多神教も母性信仰も取り込めるような柔軟な教義解釈に変わったんですよ、という点をお伝えしたかったとご理解ください。

No.6です。

私の前の回答は、やや言葉足らずでした。

私はクリスチャンではないので、現代のキリスト論を語るつもりはありません。

ただ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が唱える一神教というのは、それぞれの教義が確立した当初は「万能なる神」のみを信仰とするべきで、他の対象を信仰することは、信仰対象のズレをもたらしかねず、認められないものでした。(神を見立てた肖像画・彫刻も、神ではなく、その絵や彫像そのものが信仰対象となる恐れがあるとされ、認められなかったのです。)

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カトリックに詳しい方からのアドバイスが頂けたら嬉しく思います。

縁あって、復活祭に洗礼を受けるべく講座に通っています。
早く洗礼名を自分で決めなくてはいけないのですが、近親者でカトリック信者が皆無で相談出来る人がいません。
自分なりに聖人カレンダーや聖人の関連本を読んで、候補にしていた霊名が幾つかあったのですが、志願式で知り合いになった人達に聞くと全てダブっていました。
勿論、人とダブっても問題無いのは解るのですが気持ちとしてはお互いダブりたくない気持ちがあると思います。
そして、新しく考えた名前を相談も兼ねて代母に聞いて頂いたら、
「誰?それ。」「知らないな~。」
「何でも良いんじゃない?私は適当につけたから。」
とのお答えが。
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やはり、人と同じでも誰もが知っている様な聖人の名前を頂く方がこの先、良いのでしょうか?
又、シスターに代母になって頂いた方は聖人カレンダーにも載っていない名前をつけて頂いたそうで、そんなんでも良いんだとも思いました。
実際にそうなのですか?
一度決めた洗礼名を変える事は出来ないとの事なので、どうしたものかと悩んでいます。
(生き方に共感、尊敬出来た聖人の名前を頂くと言う事は解っています。)

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再送です。
 私は中学の時、学校で勉強したので、あまり苦労はしませんでした。

>女性名への変更
 不確実な記憶なのですが、たしか女性名に変更した友人がいたと思います。もっとも天使なら本来性別が無いのですから構わないと思います。聖人の場合は?ですが、洗礼名は「カトリックを辱めない」という規定以外はなかったと記憶しています。
 でも、一応神父様に聞いてみて下さい。何と言っても一生ついてまわる名前ですから、遠慮せずに聞いた方がいいと思います。
 余談ですが、女性が男性名をつけても(逆も)海外に行って呼ばれる時は習慣的に変換されてしまうようです。同級生の中に性不一致の者がいて、自分の洗礼名を女性形に変えていましたが、やはり海外では男性形で呼ばれたそうです。でも、それが自分の意志であれば、かえって記憶に残っていいかもしれません。
ちなみに呼び方、例えばミカエル>ミヒャエル>マイケル>ミッシェルは自由だそうです。

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 一緒に洗礼を受けた同級生には皆マリアが付いています。洗礼が中学生ですから、最初はかなり抵抗ありました。「男の癖にマリアかよ」なんて言われそうで…。
 中には現在では外してしまっている(読まない)友人もいると思いますが、私は次第に誇りに思う様になってきました。何と言っても、私がそこにいた証しですから。

>代父(母)
 私もあまり一生懸命には選びませんでした。私の代父は神父を目指していた同級生。今はどこに赴任しているのかすら判りません。「僕の結婚式はお前がやってくれ」と言っていたのですが、それも叶いませんでした。

再送です。
 私は中学の時、学校で勉強したので、あまり苦労はしませんでした。

>女性名への変更
 不確実な記憶なのですが、たしか女性名に変更した友人がいたと思います。もっとも天使なら本来性別が無いのですから構わないと思います。聖人の場合は?ですが、洗礼名は「カトリックを辱めない」という規定以外はなかったと記憶しています。
 でも、一応神父様に聞いてみて下さい。何と言っても一生ついてまわる名前ですから、遠慮せずに聞いた方がいいと思います。
 余談ですが、女性が男性名をつけ...続きを読む

Qキリスト教を信じるきっかけ

 皆さんは今まで生きてこられた中で「偶然」をたくさん経験されていると思います。私もそうなのですが,最近はそういった「偶然」が単なる偶然ではなく,何かの意味があり,誰かの導きであると思えるようになってきました。ごく最近では「奇跡」とも思えることすらありました。今ではあらゆる出来事が必然のようにも思えてきています(こうやって質問していること自体もです。)。
 そこで質問なのですが,こういった動機で神を信じたりするのは不純(というか変)でしょうか。「あなた,頭おかしいよ」といった叱咤でもかまいません。親しい友人は風俗にでも行ってこい,と言ってくれました。

 また,実際上記のような動機でキリスト教を信じるようになった方にお聞きしたいのですが,なぜキリスト教を選択されたのでしょうか。神(またはこれに似た意思のようなもの)の存在を感じられたとしても,他の宗教の神でも八百万の神々でもよかったのではないでしょうか。こういう疑問を抱いていること自体もうダメなのかもしれませんが・・・。伝聞,推測でも全然かまいません。

 なんだか巷間のオカルト体験談のようになってしましましたが,お時間がございましたら,ぜひともよろしくお願いいたします。

 皆さんは今まで生きてこられた中で「偶然」をたくさん経験されていると思います。私もそうなのですが,最近はそういった「偶然」が単なる偶然ではなく,何かの意味があり,誰かの導きであると思えるようになってきました。ごく最近では「奇跡」とも思えることすらありました。今ではあらゆる出来事が必然のようにも思えてきています(こうやって質問していること自体もです。)。
 そこで質問なのですが,こういった動機で神を信じたりするのは不純(というか変)でしょうか。「あなた,頭おかしいよ」といっ...続きを読む

Aベストアンサー

私は信者ではないんですけど、中高大学とプロテスタントのキリスト教の私立の学校に通いましたのでかなり知らないうちにこの宗教を深く学んでいる気がします。

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どの宗教を選ぶにせよ人への感謝とか食べ物への感謝とか戒律のようなものはありますが、キリスト教では他の宗教に比べて階級とか(大司教とかわいますが^^;)修行とかないし、まろやかというか、賛美歌であったり、人間は自分だけが大切なのではなく病める者も貧しいものも生きとし生けるもの皆平等で心を開けばその時点で救われるという教えや何にでもやたらに感謝するというのが実に平和的で入りやすく、判りやすくていいとは思います。

すべて偶然じゃなくて必然かどうかはその人の考え方次第と思いますが、宗教も自分に合う合わないがあると思いますので興味を持たれた神?があったならそれでいいと思いますよ。
キリスト教の授業で「いわしの頭も信心から」ということを習った記憶があります・・なんでも信じれば自分にとっては神になると^^;。

だから自分を司っている何かがあっていろいろな事が起こっていると感じるならばキリスト教的に言えば周りへの感謝や普段の行いがそのような事をもたらしてるとなり、仏教で言えば輪廻転生みたいになるのではないかと思います。生きていれば不思議な体験をする事もあることですし、生命の謎なんて誰にも分からないのだからそれが理由で信心しても何もおかしくない立派な動機だと思いますよ。

これを機にキリスト教徒になれば更に優し~い人になるのではないでしょうか^^;?回答が質問の趣旨とずれていたらゴメンナサイ。
何か参考になればと思います。

私は信者ではないんですけど、中高大学とプロテスタントのキリスト教の私立の学校に通いましたのでかなり知らないうちにこの宗教を深く学んでいる気がします。

洗礼を受けて信者になろうとまでは思いませんが、この教えで私が感じたことは修行とかが必要というわけではなく、自分の気持ちの持ち方がいつも問われるというか、「自分が絶対ではない」=「神の存在」ということが根本のようなのでそこは気に入っています。ただし教えが私にとってはガマンが必要な事が多くて(誰にでも親切で天使のような心は私に...続きを読む

Qオナニーは、キリスト教では罪になりますか?

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Aベストアンサー

こちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%BC

私はカトリック信者ですが、
神父さん曰く、「そんなもん罪なわけないでしょ」とのことです。

Q将来カトリックの神父を目指す彼を好きになってしまいました。

将来カトリックの神父を目指す彼を好きになってしまいました。
私は現在海外在住で、現地で神父を目指す彼を好きになってしまいました。彼のことを好きになる前に世間話の中で以前このような質問をしたことがあります。「神父になったら恋愛、結婚はできないけれど、本当にいいの?もう決めたの?」
彼は次のように答えました。「僕はもちろん女性に興味もあるし、とても難しい決断だったけれど、もう決めたんだ。人として普通の生活を送るよりも、多くの人を助けたい、だから世間と結婚するようなものだと思っている。」
それから程無くして私は彼の心の美しさと優しさに惹かれ、好きになりました。以前は同じ学生寮に住んでいましたが、現在彼は神父を目指す、男性のみが入れる施設に引越しています。私は彼のことを好きになっても決して叶うことはないし、100%振られることを前提でも彼の人生の歴史の中で、彼のことを本当に好きだった女性がいた、ということを心の片隅にでも覚えていてほしくて彼の引越しの前日に告白しました。「今から言うことは、すぐに忘れてほしい。でも言いたいから言います。あなたが神父になりたいのを分かっていますが、私はあなたが好きです。」と。彼は即座に「申し訳ない。でも、君はもう分かっているよね、僕が神父になることを。君は本当に素敵な女性だから、これからきっと良い人が見つかるよ。応えられなくで本当に申し訳ない。」と言って一生懸命慰めてくれました。私は、彼を困らせたくないので、泣くつもりは一切ありませんでしたが、寂しさと苦しさが込み上げてきて思わず彼の前で泣いてしまいました。
それから一週間、私は毎日泣いていましたが、彼のことをこれ以上思っても仕方がないし、これからはベストフレンドとして、気持ちを切り替えて今まで通り付き合っていこうと思いました。そんな折、彼の友人から彼が研修の為に外国に行くことを知り、私は彼が出国する前に、餞別品として、今まで一緒に寮で過ごした時の写真等をアルバムにして、応援のメッセージを添えた贈り物を作り始めました。そして彼にこのようにメールしました。「新しい生活には慣れましたか?私は今、ちょっとした贈り物を作っています。あなたが外国に行ってしまう前に渡したいので、完成したらもう一度連絡します。新生活頑張ってください。」と。
私は、この時はもちろん気持ちを切り替えていたつもりでしたが、彼の返信内容が想定外だったため、気持ちが揺らいでしまいました。彼は「君からのメール、本当に嬉しかったよ!また明日ね!」という内容でした。明日というのは、共通の友人の誕生日会で一度だけそこで会いました。その時の彼の態度も、今までとは明らかに違っていました。実は、彼のことを好きな友人がもう一人いるのですが、その子が彼に話に行っても彼はあっさりした態度なのに対し、私には明らかに違って今まで以上に優しく、とても気遣ってくれました。また私は音楽の勉強をしているので、教会音楽とミサについて質問すると、彼は、「もし興味があるなら、今度一緒にミサに行こう!そして僕のところにも頻繁に訪れてもいいよ!」と言ったのです。私は、彼が神父になるための施設に入ったら、修行に専念するべく、世間とは離れた生活をするイメージを持っていましたし、また彼の将来を邪魔するようなことはしたくはありませんので、私のほうから会いたい、などと言うつもりはなかったので彼のほうから会うことを示唆するような言葉が出たことにとても驚いてまた心が揺らいでしまっている状態です。彼の神父になる意志は固いですし、私も彼は本当に心がきれいで優しい人なので立派な神父になってほしいと思っています。ですがその反面、告白後、明らかに今まで以上に優しくなり、私と話すときはとても嬉しそうな彼を見ると、まんざらでもなさそうな気がして、どうしたらよいのか分かりません。彼は、振られることを承知の上で私が告白したことに純粋に嬉しく思っているだけだとは思いますが、どうも分かりません。しかしながら、はっきり言えることは、彼は敬虔なカトリック教徒で、ちょっと女性から告白されたからと言って将来の道に迷うような軽い人ではありませんが、年齢は23歳とまだ若いです。私は男性とお付き合いしたことがなく、男性の心理が良くわからないのですが、男性の立場から見て、この場合、どのようなことが考えられますでしょうか? よろしければ、是非教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

将来カトリックの神父を目指す彼を好きになってしまいました。
私は現在海外在住で、現地で神父を目指す彼を好きになってしまいました。彼のことを好きになる前に世間話の中で以前このような質問をしたことがあります。「神父になったら恋愛、結婚はできないけれど、本当にいいの?もう決めたの?」
彼は次のように答えました。「僕はもちろん女性に興味もあるし、とても難しい決断だったけれど、もう決めたんだ。人として普通の生活を送るよりも、多くの人を助けたい、だから世間と結婚するようなものだと思って...続きを読む

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カトリックの神父になる事がどのような事なのかは私も余り分かりませんが、先日マザー・テレサの伝記を少し読んでいました。彼女が修道院への決心をしたのが18歳頃で、長い黙想や決心を段階的にしたと有りました。最終的に生涯を掛けて決意したのが27歳。その間、修道女としての学びや訓練などをしたようです。

 貴方の友人が神父になるのであれば、似た様な過程を辿るのかと思います。でも、目指したからと言ってもすべての人がそこに至るかは別な問題でしょう。修道院に入る女性も居るわけですから、神父になる男性だって特別なことでは無いと思います。マルチン・ルターは宗教改革の当事者となった人ですが、彼も神父でしたが、カトリックを抜け出した為にカトリックの神父ではなくなり、結婚もしました。結果としてプロテスタントと呼ばれる新たな流れを作ったわけですね。
 神父になったと言っても、皆が聖人の様になれるかは別と思います。つまり、女性との関係が深まり挫折する人もいるでしょう。神父になってから間違いを起こしてしまう事だって考えられます。ですから、そうした職務は天命であると思います。貴方はその天命をどのように考えますか?もしあなたがカトリックの信者でなかったなら、何処かのカトリック教会の神父に尋ねる事を勧めたいですね。私も違いますから詳しい事はわかりません。変な推測は混乱の基だと思います。

 彼が以前より易しくなった・・・。それは事実かもしれませんが、だからと言って神父になる事を止めたのでなければ、その関係はある一定の線で区切られるでしょう。或いは、彼の挫折と言う形になるかもしれません。でも、それも天命と受取るべきだと思います。最近は結婚したいので神父を止める人も多いと聞いた記憶もあります。でも、多くの神父になる人が経験する試練だと思います。そして、そのような試練は他にも沢山有ると思います。彼の態度や言動に注視するのでは無く、そうしたカトリックの制度や教会讃美について、少し真剣に学ぶ事を勧めます。その時は、なるべく彼と距離を置いた方が良いと思います。それは、あえて彼に埋没した状態で見ない為です。お互いの感情に走るのはその後にしたほうが良い結果になると思います。
 マザー・テレサが18歳で修道院への道を決意した時は、友人や家族とも永遠の別れを決意して臨んだとありました。だからと言って、家族に遭えなかった訳では無かったと思いますが・・・・・。

カトリックの神父になる事がどのような事なのかは私も余り分かりませんが、先日マザー・テレサの伝記を少し読んでいました。彼女が修道院への決心をしたのが18歳頃で、長い黙想や決心を段階的にしたと有りました。最終的に生涯を掛けて決意したのが27歳。その間、修道女としての学びや訓練などをしたようです。

 貴方の友人が神父になるのであれば、似た様な過程を辿るのかと思います。でも、目指したからと言ってもすべての人がそこに至るかは別な問題でしょう。修道院に入る女性も居るわけですから、神父にな...続きを読む


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