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戦時史には詳しくありませんが、大戦末期に各地の都市がB29の爆撃に晒されたり、長崎・広島の原爆投下の際も、現代の地対空ミサイルさえあれば何十万、何百万の犠牲は出なくて済んだのに考えられずにはおられません。戦艦大和が撃沈されたのもそれ以前の海戦で主力空母が撃沈されたのも兵器の能力の差があったと思うけど、現代の装備と人間をどの程度の規模で当時にタイムマシンで送れたら第二次世界大戦に日本は勝利できたのでしょうか?

A 回答 (9件)

こんにちは。


送り込む局面にもよりますが、兵器は全く不要だったでしょう。
ミッドウェイ海戦の時なら、当時の南雲司令官か山本長官に注意を喚起するだけでよかったし、真珠湾攻撃の時も、燃料貯蔵施設を爆撃するよう指示できる人を一人送り込むだけでよかったはずです。

この回答への補足

人間の英知で十分、有利な戦局を展開できたはず・・・とのご意見でしょうか? 

補足日時:2006/05/01 23:03
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日本の勝利って何だろう?



アメリカとソ連と中国に核をどっさり撃ち込めば良いんじゃないの?

アメリカとソ連と中国を占領制圧しようと思ったら、今の日本の人口ぐらいは必要なんじゃないかな。

この回答への補足

回答ありがとうございます。現代の日本には核ミサイルは存在しないので、現行の自衛隊が保有している兵器と(科学力は民間人を含む)人員内で考察願えればありがたいです。
アメリカやソ連を占領できなくても、有利な条件で戦争を終結させれる事が質問の勝利と仮定します。

補足日時:2006/05/01 22:58
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人口からして負けています。


1940年ごろの人口は日本が7300万人に対して、
アメリカ1億3200万人、中国4億8000万人です。
日本は人口が少ないにも関わらず、中国と戦争を継続したまま、対米戦争に挑んでしまいました。
如何に優れた兵器があったとしても、戦力比が3倍以上では勝算はありません。

それから、日本が疎かにしたものの最たるものは、シーレーン防衛です。
日本は石油や鉱物を南方資源に頼っていました。
これらの物資を輸送するための南方航路の防衛を疎かにしたため、多くの商船が沈められ、石油などが届かず、優秀な海軍力や航空機もただの置物と化したのです。

この回答への補足

多数の商船が沈められた相手の多くは、アメリカの潜水艦だったのでしょうか? だとすればその海域に現代の対潜哨戒機を何機か・・・そして艦載機の攻撃には、イージス艦を何隻か当時の日本海軍にプレゼントできれば、違う結果になっていたのでは? という発想です。

補足日時:2006/05/01 23:07
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戦闘に勝利するだけであれば1艦隊もあれば楽勝であったかと思いますし、No1の回答にあるように「優秀な指揮官1名」いれば可能であったとは思います。


しかし、戦争に勝利しようとすればNo2・3の回答にあるように「占領する戦力」が必要となります。
現にイラクやアフガニスタンとの戦争で投入された戦力を考えてみればわかるかと思います。
相手がアメリカ、イギリス、中国なのですから。。。。現代アメリカ軍の全勢力がないと戦争には勝利できないのではないでしょうか?
相手国を滅ぼすだけなら核兵器が数十発あれば可能かもしれませんけどね。
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そもそもあの戦争に勝ちはありません。


もともと「落としどころ」の存在しない戦争ですから、日本の勝ちはありませんし、いわば必敗の戦です。

もしかつならば、相手の国を焦土にしなければ無理です。つまり日本と同じ状態にするのです。

まず、あらゆる技術を・・・ということですから、核兵器の使用も可能かと思います。基本的には高濃縮技術さえあれば作れる代物なので、1年もあれば作ることは不可能ではないでしょう。材料は原子力発電のものを流用。
完成までは汚い爆弾(劣化ウラン、プルトニウムといった核廃棄物をつめた爆弾)を敵民間地域にばら撒きます。直接被害と放射能被害を起こします。クラスター(小爆弾がばら撒かれる形式の爆弾)も同じく大量にばら撒きます。あれは不発弾も多量に出るので後々まで面倒なことになりますし、地雷も同じ方式で大量にばら撒きます。カンボジアの地雷原並みにばら撒けば相手は動けなくなるでしょう。これで1年もたせます。

完成した核兵器を敵主要都市(最低でも重慶、成都、昆明、西安、シドニー、ダーウィン、キャンベラ、タウンズビル、アデレード、パース、ポートモレスビー、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シアトル、サンディエゴ、シカゴ、デトロイト、ニューヨークあたり)に数発(戦略核ならば1発ずつでも十分。関東平野くらいならば灰にできますから。でも急造ならば戦術核が関の山でしょう)ずつばら撒きます。当然被害は広島長崎の比ではありません。おそらく1千万以上の人は一瞬にして蒸発するでしょう。

ここまでとてつもない被害をだせば、相手政府もほぼ無条件で講和に応じるでしょう。ただし、やられたらやり返されるのは世の常、数年後同じくらいの量の核兵器をもって狭い日本本土を焼き尽くそうとするでしょうね。

海上兵力は必要ありません。一瞬で方をつけなければどっちにしろこの国力ですから、ジリ貧になって終わりです。
一方通行の技術供与では整備、改修なども現代の水準並みには不可能ですから、徐々に稼働率が落ち、艦船も航空機もそのうち使い物にならなくなります。当時の技術では電子部品は交換不可、ベアリングなど工業部品も水準には達しませんから交換不可能です。整備部品を送りつけられるのなら、多少は長持ちはするかもしれませんがね。

結局日本が良い状態で勝利をとるには、上のような、国際法完全無視は当然ながら世界一のならず者、世界を滅ぼす存在にならなければ、勝つことは不可能でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
通常兵器だけでも勝利できるストリーを期待していたのですが、無理ですか。現代技術の投入時期が、戦争真っ只中ではなく開戦の20年前ぐらいなら間に合ったかなぁ? などど、負けないストリーを諦められません。

お礼日時:2006/05/02 18:55

 開戦前に陸海空自衛隊のタイムスリップに成功した。

移動場所は駐屯地と同じ場所
 航空自衛隊はフィリピン、重慶、シンガポールを攻撃するため、高雄、サイゴン、漢口に移動した。
 海上自衛隊はそのまま連合艦隊に編入された。最新鋭の防空システムと対潜能力を持った護衛艦は第一艦隊に配属され、戦艦長門以下主力艦の護衛が任務となった。潜水艦隊はクエゼリンに回航された。
 陸上自衛隊普通科師団は、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ビルマ、北満州に配備された。90式及び74式戦車は輸送する手段(重すぎて輸送船に載せられなかった)がないため駐屯地警備に回された。

 昭和16年12月8日、開戦の朝を迎えた。
 自慢のF15、F2は格納庫へと納められた。F4は約2/3が出撃した。F15、F2は燃料と部品が不足したためである。F4は1/3を部品取りに使用して貴重なケロシンをかき集めて出撃した。
 海上自衛隊は主力艦隊を守らんと呉に集結していた。潜水艦は敵艦隊を撃破するため、真珠湾、サンンディエゴ間に展開した。
 南方に配属された陸上自衛隊は目的地に上陸、バイクで偵察しつつトラックとメガクルーザーで進撃した。フィリピンはコレヒドールへと向かったが、続々と降伏するフィリピン軍を後方に輸送するためトラックとメガクルーザーを転用した。対戦車ロケットは続々と敵軽戦車を撃破した。シンガポールでも対戦車ロケットは続々とブレンガンキャリアに命中した。

 昭和17年5月27日、護衛艦は遂に出撃した。旗艦・大和と共に主力艦隊を護衛するためである。6月4日、イージス艦のレーダーが遂に米海軍機動部隊と攻撃隊を捉えた。しかし無線管制がひかれてるため前線の南雲部隊には伝えることが出来なかった。そして、虎の子の空母4隻は撃沈された。そして作戦は中止された。

 8月、米軍がガダルカナルを急襲した。援軍に西方普通科連隊、各師団のレンジャーを抽出して編成した特別隊がガダルカナルへと送り込まれた。彼らは弾の無くなった89式、ミニミなどお代わりに99式小銃が与えられていた。機関銃は50キャリバーの弾薬をフィリピンで鹵獲していたため継続使用した。空自のパイロットも再訓練を終え、新たに支給された100式重爆に搭乗してポートモレスビーの爆撃へと参加した。そして、西方普通科と特別隊はガダルカナルで全滅した。

 昭和19年6月、サイパンを守るため護衛艦は小澤機動部隊と共にタウイタウイを出撃、途中に潜む潜水艦は全て撃破した。イージス艦のレーダーで米国艦隊を捉え、アウトレンジ戦法を開始した。しかし、練度が低い搭乗員では米国艦隊の敵ではなかった。一方反撃に出た米軍もミサイルの前に壊滅した。艦隊決戦は両者損害なしで終結した。そしてサイパンは陥落した。

 10月、米軍はレイテに集結した。これを迎え撃つため護衛艦は栗田艦隊に同行した。シブヤン海では襲い来る敵機を貴重なミサイルで撃破、損害なしで突破した。サマール沖で敵護衛艦隊を発見、対艦ミサイルで護衛空母と輸送船を次々と破壊したが、レイテ突入直前に転進命令が下り、呉へと帰還した。小澤艦隊はほぼ壊滅し、機動部隊は完全に失われた。この作戦により北満洲から沖縄に転属していた普通科師団は台湾に転属、フィリピンにいた部隊は山岳地帯でゲリラ戦をしていた。また、ビルマからインドに進んだ部隊は飢えとマラリアに苦しんでいた。

 昭和20年3月、B29が大挙して東京に襲来した。爆弾を積載した敵機をパトリオットで次々と撃墜し、伊豆沖の藻屑とした。沖縄近海に接近した米国艦隊を撃滅するため部品をかき集めて編成したF15、F2、F4部隊は貴重なケロシンは半分だけ搭載し出撃した。切っ先にはレーダーの代わりに爆弾が搭載されていた。レーダーは地上の防空システムに転用された。彼らは沖縄の海に特攻作戦の尖兵として消えていった…

 昭和20年4月、沖縄を守らんと大和と共に残存護衛艦は出撃した。最新のレーダーはあるものの対空ミサイルはほとんどなくあるはCIWSのみであった!続々と襲い来る米軍艦載機、必死に抵抗するが、大和以下全イージス艦が撃沈され、防空型護衛艦の大半は失われた。

 昭和20年4月、5月、6月と日本は幾度となく空襲に見舞われ、それを撃破せんとパトリオットを使用、遂には使い果たしてしまった。

 呉も続々と空襲され、護衛艦や潜水艦は大破着底していった。

 昭和20年8月6日、広島に原爆が落とされた。8日、ソ連が満洲に侵攻、残っていた陸自は必死に抵抗したが数に優るソ連軍の前に敗退した。9日、長崎に原爆が投下された。そして15日、玉音放送がなり戦争は終結した。


 あなたは日本の敗因の最大理由を知らなさ過ぎです。どんな良い兵器があろうと運用が下手だったら意味がありません。最新の護衛艦は大和以下主力艦隊の護衛に回され、輸送船団や機動部隊の護衛には回されません。航空機に至っては燃料の調達方法がないし、精密部品を彼らの腕で作る(だいたい原材料が手に入らない)ことは出来ません。
戦車は日本から持ち出せないでくの坊です。銃も弾薬供給が出来ず、ただの飾りにしかないません。
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この回答へのお礼

現代の技術を投入しても太平洋戦争に勝利するのは無理ですか。
でも東京、神戸、富山、その他の各都市のB29のじゅうたん爆撃の阻止、長崎と広島の原爆投下の阻止、大和や武蔵、航空母艦の撃沈は阻止したい。やられっ放しは悔しいじゃありませんか。

お礼日時:2006/05/02 18:45

ゴルゴ13とM-16


若しくは原子力潜水艦「やまと」と海江田艦長及そのクルー

まぁ冗談はさて置きやはり戦略核が無ければ難しいのでは?
種子島のロケット技術と原子力のプルトニュウムでミサイルを数発作ってワシントン当たりに一発ぶち込んで後は世界世論を出来るだけ敵にしないよう脅しに使い強引に終戦へ持っていく それぐらいしか思い浮かびません。

現代の対潜哨戒機を何機か・・・そして艦載機の攻撃には、イージス艦を何隻か当時の日本海軍にプレゼントできれば、違う結果になっていたのでは?

>一時は持つでしょうが圧倒的な物量の前に 戦を長引かせる程度にしか成らないのではないでしょうか。いっそうの事以前あった小説のように日本列島ごとタイムスッリプさせますか。だとしても資源の無い島国ではやっぱりきついなぁ~

 正解は かわぐちかいじさんのジパングがもう少し進むまでまちますか(^_^;)彼はなんと言っても潜水艦1隻で世界を征した男ですから。
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米軍上陸前のガダルカナルに空自と海自の拠点を造り、ラバウルの拠点とともに豪北の制海空権を掌握。


陸自がニューギニアポートモレスビーを攻略。
豪北ポートダーウィンを圧迫しつつ、ガダルカナル-ポートモレスビーのラインを守りきれば好条件での講和は可能。
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No.6さんの回答に同意。



どんなに優秀な兵器があっても、修理ができない、弾薬の補給がない、燃料が足りない状態では、時間がたつと使えなくなり、スクラップ同然になります。

日本の敗因は、資源不足と軍組織の硬直化にありますので、多少優秀な兵器を投入したところで、勝敗をひっくり返すことはほぼ不可能かと。
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