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ガデシュの戦いの後(?)、エジプト、ヒッタイトがシリアから手を引き、セム系3民族が自由な活動を展開できた理由についての質問です。どれに答えいただいてもいいです。
斎藤 整さん(ヨコ、タテから見る世界史を書いた人)の授業で、ガデシュの戦いで勝ち負けがはっきりしなかったからお互い手を引いたということを言っていましたが、
なぜ勝ち負けがはっきりしなかったからあっさりと身を引いてしまうのですか。(A)
また、山川出版 詳説世界史p26 ではシリア・パレスチナ地方についての文章で、「ギリシア・エーゲ海方面からの海上民の進出により,この地方を支配していたエジプト・ヒッタイトの勢力が後退したのに乗じて,セム系3民族のアラム人・フェニキア人・ヘブライ人が活動を開始した。」とありますが、
当時優勢を誇っていた(?)エジプト、ヒッタイトがなぜ海上民(この海上民もよくわかりませんが)の進出で後退するのですか。(B)
しかも、セム系3民族は海上民が進出してきたのに活動が妨げられるのではなく「活動を開始した」理由もわかりません。(C)
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
エジプト及びヒッタイトがこの地域で大兵力を維持し戦闘を行うためには、本国から継続的に補給を行う必要があります。
また陸路でこの地域へ補給を行うのは困難であり、特に大兵力であれば海路を用いる必要があります。以上より、この地域を継続的に占領するためにははっきりと敵戦力を撃破し、後顧の憂いをなくさないと難しいことがわかります。(A)
また海の民がやってくると海上補給路の維持が困難になりますので、まずはこちらを叩かないと他国が影響力を及ぼすのは困難です。(B)
とはいえ海の民は海上戦力と言うよりは船に乗った武装難民のようなものだったと推測されているため、地元民にとっては直接的な脅威ではなかったのでしょう。(C)
ありがとうございます。砂漠に囲まれた地域をらくだも使わず(もし使ったとしても)兵力の補給をするのはむずかしいでしょうね。海の民が武装難民だったということははじめて聞きました。
No.4
- 回答日時:
No.3です。
急用で尻切れ蜻蛉になりました。(B)の続きです。 海の民はエジプトの碑文では、よくは判りませんが、エーゲ海周辺の海洋民族都市国家の同盟、ミケーネ時代のギリシャなどと思われますが、この辺は民族移動より、財宝の略奪目的だったようです。 一方エジプトに押し寄せたのは、北アフリカのリビアあたりからの、移住民の軍船もありました。 リビアはエジプトの支配下にありましたが、力をつけて独立しました。 エジプトは三度に亙り海戦に勝ったと云ってますが、移住民の一部がエジプトの支配下にあった、パレスチナに住み付きました。 しかし本国は無事でした。
(C)ヒッタイトが滅亡したのは、海の民の攻撃で国力が低下した所へ、野蛮人と呼んでいた、周辺の支配地の種族の攻撃を、東、南、北から受けたからです。 ギリシャに移住してきた、ドリア人に追われた先住民もいました。 セム系民族にとっても、好機でした。 都のハットウシャシャは大火になり、ヒッタイト帝国は滅亡しました。
ついでながら、滅亡の遠因は古代奴隷制度のあるともいいます。 ミケーネも同様に戦費と、古代奴隷制度で滅びました。 次世代のギリシャ、エジプト、ローマは進んだ奴隷制度で永続しました。
東京図書の世界史を参考にしました。 ちょっと見方の違うところもありますが、説得力はあります。
No.3
- 回答日時:
(A) シリアの地にフルリ人の国がありましたが、南下政策をとったヒッタイトに征服されました。
一方エジプトは北進して、シリアをめぐり覇権を100年にわたり争いました。 この終章がカデシュの戦いです。 双方二万の軍勢を出す当時としては、大会戦でした。 エジプトのラムセス二世が援軍に助けられ、命からがら逃げた激戦でしたが、まあ互角だったようです。 結局エジプト軍が引くことになり、 その後は休戦状態で、ヒッタイトの王が死に、次のハットクシリ三世がラムセスとの間で、国境策定の平和条約を結び、鉄の剣を贈りました。双方とも相手の力を知ったことと、東からアッシリアが進出し、これに備えるためでした。
(B)エジプトが海の民と称した、海洋民族の民族移動についての、唯一の確実な文書は、ラーメス三世の碑文だけですが、ペリシテ人、チェケル人、シェケレシュ人、デーン人、ウェシェシュ人などの、諸国の民が団結して押し寄せたそうです。 原住地不明です。
財宝目当てと移住目当てで、軍船に乗り侵略を図り、エジプトは何とか防ぎましたが、ヒッタイトは崩壊しました。 拡大政策の軍費で国力が疲弊していたためです。
ありがとうございます。100年も争い続けるのはお互い大変でしょうね。調べてみるとラメス2世が結んだ平和条約が最古の平和条約だったんですね。
No.1
- 回答日時:
Aは、勝ち負けがはっきりしなかったから手をひいたわけではないですね。
予想外に持久戦になって兵糧が尽き、兵力も激減したため、お互い休戦しただけです。その後、再戦前にヒッタイト王が亡くなったため、それで終了となりました。Bは、海の民(複数民族の集合体)が滅ぼしたという説(ヒッタイト自体内部でボロボロになっていたとも聞きます)が強いですが、確実ではないのであくまでも推測の域を出ませんが・・・
例えば、10の力を持つ国が、1の力を持つ国を押さえるのは、朝飯前のことですが、そこに8の力を持つ国が現れた場合、10の国は戦力の大半を8の国に対して使わないといけません。もちろん8の国は1の国を合わせて攻める戦力はありません。
そうすると10の力を持つ国に抑えられていた1の力を持つ国は、10の力を持つ国に対抗できる。。そういった自然な流れだっただけじゃないかなと考えています。
ちなみに10の力を持つ国に戦力の多くを使った8の力を持つ海の民は、続いて攻めた、同じく10の力を持つエジプトにはかなわなかった記憶しています。
参考URL:http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egy …
どうもありがとうございます。「海上民」は海の民のことだったんですね。確かに調べると海の民が活動した時代と重なってました。ウェブページは面白そうなので暇ができたら読んでみます。
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