浄土真宗の僧は兼業というか、他にも、一般人と同じ仕事をしておられます。
 それでは、出家にならず、在家ではないでしょうか?
 昔、生臭坊主ということがあり、身形は僧でありながら、している事は、一般民衆と変わりが無かった人もいたようです。こういうのは、はじめから宗教を生活の手段としているのではないでしょうか?
 商売人「葬式法事執行業」になっているということは、自己の修学研学はもちろんのこと民衆救済など出来ず、ただの欲心のみが旺盛にならないのでしょうか?
 それでも、僧というのなら、僧侶とは何なのでしょうか?

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A 回答 (8件)

odd-artさんの立場がやっとわかってきました。



正しいか否かというのは絶対的なものではなく、相対的なものだという意味で私は「自分の答えは正しいかどうかわからない」と言いました。
そうではない、とおっしゃるならば議論の前提が違いますので、私の書き込みは全て忘れてください。

世界にはさまざまな宗教があり、聖職者(僧)の定義は宗教・宗派によりさまざまです。キリスト教の例を紹介いたしましたように、出家・在家のパターンもさまざまです。
そして浄土真宗という宗派においては僧であることと在家であるということは矛盾しません。得度すれば「僧」ということになりますが、「僧」になっても寺に入らない人も大勢います。浄土真宗における得度はカトリックにおける堅信礼程度の意味合い、浄土宗における五重相伝程度の意味合いしか持ちません。つまり浄土真宗の僧侶には得度を受けただけで全く生活の変わらない人と、寺に入って職業的僧侶になる人とがいるわけです。したがって職業的僧侶への関門は得度ではなく、寺院へ入ってからの修行段階にあります。このあたりも他の宗派とは大きく違うところでしょう。
ただしこれはあくまでも「浄土真宗」という宗派の範囲内でのみです。

これでもともとのご質問である、浄土真宗の僧とはなにか、ということの答えに一応なるんじゃないかと思います。
また真宗信者の宗教上の目的は「弥陀如来のおわす極楽浄土への往生」であり、「成仏=ブッダ=覚者になること」ではないことも他の宗派との大きな違いです。
真宗信者には僧か否かに関わり無く、また生死に関わり無く「戒名」もありません。得度すると正式に仏弟子(注・真宗における「仏弟子」ですよ)になったということで「法名」をもらいます。居士号、大姉号もありません。
御金言を紹介していただきましたが、どなたの言葉ですか?
ちゃかしているわけではなく、本当に知りませんので。前にも書きましたが、私は浄土宗・浄土真宗以外のことはよく知りません。
念仏無間は私自身が前の書き込みに書きましたようにもちろん知っております。
しかしそれを言われるのならば、ご質問は「僧とは何か」ではなく「浄土系各宗派はそれでも仏教か」ということになりますので、ご質問をお変えになり、本願寺さんや知恩院さんあたりへお聞きになった方がよいのではないかと思います。そうなると質問というよりは宗論になってきそうですね。

蛇足ですが
天台、真言はもとよりラマ教から浄土真宗、隠れ念仏、はてはオウム真理教まで仏教であり
カトリック、プロテスタントはもとより統一教会、モルモン教、ものみの塔、顕教までキリスト教であり、
国家神道、吉田神道はもとより天理教、金光教までも神道までも神道なのです。

阿弥陀はどこの仏か、ということについては下記URLをご参照ください。
大乗仏教の成立と共に誕生した仏のようです。

参考URL:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~hanek/buddha/bnyora …

この回答への補足

 あまりに阿弥陀の元に平等といわれるので、どこの仏かお尋ねしたのですが、紹介されたサイトも、不明のようです。
 結局は、勉強になる等ということも無さそうですね。

 阿弥陀は、西方極楽浄土を教化する主であって、この我々の住する娑婆世界の教主ではない。その阿弥陀を一心に信じ、念仏を唱える事は、甚だ道理に反するばかりか、娑婆世界の教主たる釈尊に対する師敵対の大謗法である。
 何故、釈尊で無いのでしょうか?

 法鼓経に、
「黒衣謗法必堕地獄」
とあります。出家とか得度と称してはいるが、結局、身の保全しか考えておらず、他の救済など、どうでもいいのでしょう。今時の僧は紫服を求めて身の名誉と心得ておるが、これは聖道を嫌って、かえって俗に入るを願うものといわねばならない。
 でなければ、経を読むなら、経を知っておらねばならず、勉学もせずして、知ったかぶりは増上慢であります。
 身を慎み、他の成仏を願う事こそ、出家の志だと思います。

 当宗では、深淵なる正法正義を令法久住するために出家され、仏法を正確に師伝、研究されてこられているのが御僧侶方であります。ですから、有信無解の我等が法門の奥義を習伝する御僧侶を尊び、和合し、もって一生成仏への誤まりなき信心とするのであります。

 「念仏無間」というも、あるサイトにも書いてありましたが、どうも勝手な言い分でご存じ無かったようでした。
 ここでは、余りにも誹謗中傷となりかねませんので、詳細は省略させて戴きます。
 要は、経によりながら、経を知らないということに尽きます。
 そのような宗旨のようでしたのでご質問させて戴いていたのですが、明解なお答えもなく、結局は、ご存じなかったようです。

補足日時:2002/03/01 12:54
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/01 13:38

ふむむ、、、非常にはっきりとした御宗旨をお持ちのようですね。


まず、odd-artさんの御宗旨を解説していただけませんか。
ことに出家・在家の定義について。また僧の定義について。
また民間信仰についてどう思っておられるかもお教えくださると幸いです。
このままですとますます頓珍漢な答え方をしてしまいそうですので。

私は正月には神社に参って拍手を打ち、盆には先祖が帰ってくるので墓参りして仏壇に手を合わせるおそらく標準的な人間です。この行動は宗教的には非常に矛盾していますが多くの人はごくふつうにこういうことをやってると思います。

キリスト教については訳語の問題だと思います。
キリスト教における聖職者のことを僧と訳すこともあります。
カトリックの場合、修道の誓いをたてることが出家に相当すると思います。
一応タテマエ上は俗世間との交渉は原則不可、神に一生をささげます。カトリックの神父は妻帯は許されておりません。
仏教も外来宗教であり、「出家」「僧」なども所詮は訳語であることにご注意を。

なぜ阿弥陀仏なのか、ということですが。
阿弥陀仏が自分にすがる一切の衆生を救済しようという誓願をおたてになったからだと聞いております。ひたすらその誓願を信じ、すがるのが真宗の基本的立場だと理解しています。出家であろうと在家であろうと弥陀の誓願の前では平等です。
(と、いうようなことをいいだすから日蓮上人から「念仏無間、禅天魔」などとぼろくそに言われたんでしょうねえ)

私は自分の考えを単に述べているだけで、odd-artさんを惑わそうとは全く思っておりません。素人ですから教義上の誤解などはあると思います。一旦、回答を始めた以上は出来る限りご質問に答えようと思っているだけです。
惑わすものと思われるならば質問を締め切っていただいてもいいですし、siginoの回答は見たくない、とおっしゃっていただいてもけっこうです。そうおっしゃっていただければ私はもう投稿しません。
私個人としてはodd-artさんのお答えは勉強になりますので、どんどん私の答えにつっこんでもらいたいのですが。
自分の答えを正当化しようと思っているわけではありません。自信なしにしていますように正しいかどうかも私にはわかりません。私個人はこう思っているってだけですので。
まあこのへんの問題はやりすぎるとシャカがただしいならキリストは間違ってるのかってなことに極論するとなってきちゃいますが。

一人信心などへの危惧はごもっともだと思います。
しかし、宗教各派の多くはそのスタートラインにおいて異端であったという歴史は事実でありましょう。(キリスト教、イスラム教はユダヤ教の異端から始まった。仏教もバラモン教の異端からスタート。)

あ、適当にトムライをしていたってのは無節操に埋めてたって意味ではありません。誤解なされたのならばお詫びいたします。
結婚式にしたところで人前式もありますよ。神前式も現在の形は歴史が浅いと聞きます。しない人だってあります。
冠婚葬祭のライフイベントはけじめや通過儀礼としてなんらかの儀式を伴うのが普通ですが、それが宗教儀式でなければならないことはないと思います。ただこういった儀礼は「宗教」もふくめ民間信仰によってなされている社会が多いとは思います。

この回答への補足

 まず、阿弥陀は、どこの仏でしょうか?
 「念仏無間」をご存じないのですか?
 黒依謗法ということも、ご存じないのでしょうか?

 私の補足は、当然してない人の意見を聞いたわけでもなく、している人は、どうしてなのかを聞いているわけです。もとより、結婚式も挙げず、婚姻届で済ます方もおられます。
 ともあれ、御金言に
 「よき師と・よき檀那と・よき法と、この三つ寄り合ひて祈りを成就し」
と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして御僧侶のお導師(よき師)、このすべてが揃(そろ)って、初めて成仏を叶えていただくことができるのです。
 そして、出家と在家の違い、僧侶とは何かを質問しているのは、こちら側で、何故、逆に質問されるのでしょうか?
 分からなければ、別段、回答もされる必要がありません。ましてや、質問者が答えるべきものでもありません。

補足日時:2002/02/28 15:35
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/28 16:14

レスありがとうございます。



でも、、、葬儀に僧って必要なものでしょうか?否、です。クリスチャンがキリスト教式の葬儀をし、また神道式の葬儀もあります。創価学会のような友人葬、学会葬だってあります。なんらかのトムライの儀式はしますけれど、それに僧侶が必要って訳じゃありません。それこそ檀家制度で寺の証明がないと葬儀も出せなくなるまでは、親類縁者で適当にトムライをしていたわけですから。今の日本では形式上仏教徒が多いから形式上僧をよんで葬式をするまでのことだと思いますが。
odd-artさんは非常に信心あつい方のようですが、この程度の宗教心しか持ってないのが大半の日本人でしょう。教義をきちんと知っている人は少なく、代々そうだから葬式のときはとりあえず仏教徒って感じの人が多いのですから。
また格式は寺院法度よりさらに古く、仏教が国家宗教とされた奈良時代に誕生し、延喜式や鎌倉五山などさまざまな変遷を経て、寺院法度でほぼ現在の形に落ち着いたと思いますがいかがでしょうか。

小乗が大乗にいたるまでの一時の教えだというのはあくまで大乗側から見たいいかたで、もともとシャカの説いた原始仏教は小乗だと思っています。現在もミャンマーなどは小乗、、、もとい、上座部仏教ですよね。もしこれが私の誤解でしたら訂正してください。確信持ってるわけじゃありませんので。
開眼、入仏、などの仏事だってシャカのころからあったわけじゃありませんし。

戒は修行上大事なものではありますが、方便のひとつにすぎないのではないでしょうか? 一切空であり、また覚者にとって戒がどれほどの意味を持つでしょうか。戒に縛られることもまた悟りを得たい、よい僧でありたいという欲からくるという解釈も成り立つのですから。もっともこれは生臭でない僧に関して言えることですが。

odd-artさんの持っておられる信仰から定義される僧、というのは今の世の中では稀有でありましょう。
またそれが教義上誤りであり、利己の欲得に宗教を利用している僧がいるのも確かですが、それがこれだけはびこるのは一般人もまたかれらを利用している一面があるからでしょう。まさに「便利な葬儀屋」「町会みたいな地域交流の場」ETCとして寺院や僧侶を利用しているのです。需要がある以上なくならないのもまた当然の帰結でありましょう。宗教上はあくどいかもしれませんが、世俗社会的にあくどいのとはまた違います。(でもこれを宗教者づらしてやられるから、お怒りなんだとは思いますが)
雲水さんなどはまさにodd-artさんのいわれる「僧」であると思いますが、雲水さんは葬式しませんよねえ、、、。
真宗の僧は出家か在家か、といわれたら間違いなく(教義上も)在家ですし。
ちなみに日本の仏教は民間信仰の影響をモロに受けていて、日本以外の仏教とはかなり違ったものだそうです。山川草木悉皆成仏というのは日本だけだそうです。(これは学生時代聞いた講義の受け売り)

私の実家は浄土宗で、婚家は真宗なのでそれ以外の宗派はあまり知らないんですが、真宗はかなり特殊に感じます。親鸞聖人が始めたときは創価学会なみにアナーキーだったじゃないだろーか、、、。僧も在家である、と公言するあたりやとにかく阿弥陀仏にすがれというあたり。盆の扱いや法事に対するスタンスも浄土とですらかなり違う。法華とは大分違うんでしょうね。どちらかというとプロテスタントと共通するものを個人的には感じます。(プロテスタントの牧師も「在家」ですよね)
真宗の場合、「とにかく阿弥陀仏にすがれ」ですからつきつめると出家の必要はなくなってしまうんですよねえ。

現在では、宗教を生活の手段としている僧が多いことには賛同しております。
世襲の職業として僧をしている人も多いです。それがよいことか悪いことかは別にして、、、事実上そうですよね。職業としての僧が宗教上はともかく社会的に認知されている以上、私はせめてよき社会人でありよき職業人であってほしいと思います。(と、書くとそれでも僧なのか、っていわれそうですが)

この回答への補足

 雲水は、禅宗等の修行僧ですよね。
 いつかは、どこかの寺の住持になれば、葬儀だってするでしょう。
 葬儀をする僧侶は、寺の住持でしょ。
 何を頓珍漢なことを書かれて、私を惑わそうとされるのでしょうか?
 そもそも、何故、阿弥陀仏なのでしょうか?
 在家と出家の違いがはっきりしませんが、これはご自分の回答を正当化されようとしての、ご回答なのでしょうか?
 葬儀というのは、僧等が居ない時代は、祈祷師等のそういった外道の類いとか、民族間で決められた長老とか、そういったことの専門の人物がやっていたとされます。むやみやたらに、土葬、荼毘にしていたわけでもなさそうですよ。
 では、結婚式はどうでしょうか?
 必要でないのなら、する必要もないでしょ。勝手に行って、勝手に参れば済むという事になります。神前結婚にせよ、神主によっているのは何故でしょうか?
 キリスト教にも、出家と在家があるのは初耳であります。出家とは、仏教だけだと思っておりました。意味が違うんじゃないですか?
 御本尊と信者(在家等)の中間を為し、取り次ぐ導師(出家した僧侶等)という存在なくしては、本当の流れは通わず、知らないものがやれば、我見・我流となり、筋目がなく、取り次ぎを崩す元で、信心もない姿(一人信心、自己満足、学びもせずに知ったかぶり、獅子身中の虫)となりかねないのではないでしょうか?
 得てして、御不敬にもつながるでしょう。その方が、恐い事です。なんでも、知る者に道を尋ねよとあり、知らぬ者に尋ねれば、迷う元でしょ。

補足日時:2002/02/28 09:08
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/28 09:49

「制度上の僧」とワタシが言いましたのは、いわゆる「僧」のことです。

それぞれの宗派で一定の手続き(いわゆる得度)を得ると、本人自身の意識はどうあれ、世間から「僧」として認められます。
「宗教概念上の僧」というのはあなたがいっておられる「僧」がこれだと思います。自分自身の宗教・信仰をつきつめるためや悟りを得るために出家遁世することですね。別に得度しなくても自分がそう思えば「僧」です。

この2つは重なり合いますが、イコールではありません。

ちなみに小乗仏教では民衆救済の概念はありません。
また、浄土真宗の「僧」は「在家衆生の代表で、道場(寺院)の運営に携わる人たち」で他の宗派の「僧」とは立場を異にします。絶対他力が真宗の教えですので、他人を救おうなんておこがましい意識はありません。皆で阿弥陀様におすがりしようってわけですから。
一方禅宗は小乗仏教に似たところがあって、自力での悟りを目指しますよね。これの究極例の1つが一休禅師だと思いますが。飲酒も女犯もしてますよね。

このように宗旨宗派によって「僧」も異なります。
一口に戒のなんのと言われても、困ると思いますよ。
もちろん「生臭坊主」が多いのも本当のことで、現に私もそれで困ってますが。
ちなみに現在の葬式仏教を作ったのは江戸幕府の檀家制度によるもので、仏教側から出てきたものでないことを申し添えておきます。

あなたは宗教の信仰や教義の面だけ見られて、それと表裏一体である宗教そのものが制度として成立しているところを見ておられないのでは?

この回答への補足

 そんなことを言ったら、出家も在家も関係なくなります。
 僧でなくても、戒名、入仏、開眼等の仏事が出来てしまうでしょ。わざわざ、葬儀に僧侶を呼ばずに勝手に、創価学会のように、学会葬、友人葬と称して、あげることが出来ることになります。
 それから、僧という概念が違いませんか?
 小乗教は、自己の救済のみを願う二乗(声聞・縁覚)を仏教に誘引し、やがて大乗教へと導くための一時的な教えです。ですから、今では無意味なのですが、それでもそれに固執していることが、各宗派が依経とする経文を見れば分かります。
 今は末法、法華経のみが大乗であり、是名持戒と説かれております。しかし、爾前の諸経の意は、小乗の五戒、二百五十戒、十重禁戒、四十八軽戒、十無尽戒、十戒等をたもつと説いている。ちゃんと読経しているではないでしょうか?
 檀家制度は、キリスト教禁制のために仏教に帰属させ、僧侶により証明させ、寺の証明がないと葬儀も出せず、身分が証明されないために、無宿人として浮浪者ということになったわけです。それよりも、寺院法度の方が問題でしょうね。格式が生じました。
 でも、間違いであれば、正すことも出来るわけですが、それをしないのは何故でしょうか?
 利用している宗派が存在しているということでしょ。その方が、悪どいというものです。それに甘んじている僧がいるわけでしょ。僧という本分も弁えられずに。

補足日時:2002/02/27 20:32
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/27 21:44

あの、このご質問は、「制度としての僧」をさしておられるんでしょうか?


それとも「宗教上の概念としての僧」をさしておられるんでしょうか?
(これも大乗仏教か小乗仏教かで異なりますが)

おそらくその2つが一致しないことに対する怒りがおありなんだと思うんですが。
それだと回答は
「理想と現実は同じじゃない」
ってことで、そのような僧自身の悩みから宗教の改革が生まれてくるとおもうんですけど。
ちなみに私は葬儀屋も広い意味で「制度としての僧」だと思ってます。

あああ、身もふたもないか……。

この回答への補足

 制度と宗教上の僧があって、違うというのは分かりません。
 僧というのは、宗教でしょ。法か何かで定めているというのでしょうか?
 そんな制度は、知りません。それには、在家と出家の違いも明確にされておられるのでしょうか?
 その制度を是非、教えて下さい。

補足日時:2002/02/26 12:13
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/26 12:21

BBSやメールの文量でご説明できるようなご質問ではないので、お答えがなかなか難しいですね。


「出家」、「在家」という用語をどのような意味でお使いかも良くわかりませんが、出家を「家を出て仏門に入ること。俗世間をすて、仏道修行に入り、戒律を守る事」という意味でお使いでしたら、現代の日本には出家者は、まずいないでしょう。浄土真宗以外の宗旨では、肉食妻帯は出来ませんが現実にはしていますからね。その意味では、浄土真宗に限らず在俗の生活です。
浄土真宗は、親鸞聖人が山に篭もって自分だけが救われるのではなく、みんなで共に、と在俗の生活をしていてもすくわれるのですよ。という実践で。山を下り肉食妻帯の在俗生活の中で大衆に仏法を説くところに始まっています。その意味では、僧侶が人里を離れ、山に篭もって修行をするという宗派ではなく、みんなと同じ生活をして、みんなの現実の苦しみを知ったうえで教えを説く宗派であります。
サラリーマンをしたことの無い人に、サラリーマンの苦しみがわかると思いますか?
>一般民衆と変わりが無かった人もいたようです。
とございますが、一般大衆と異なる事をしなければ救われない教えなら、一般大衆は救われません。一般大衆と同じことをしていても救われる教えであるという実践が、親鸞さまの日頃は野良仕事をし、必要なときに袈裟衣をつけ仏法を説く、という生活なのです。
説く仏法が尊いのであって、説いている坊さんが尊いのではないのです。説かれた法施という布施に、財施という布施で応じ、布施の交換が行われますが、これが皆さんが交換の為に出したいわゆる金銭の「御布施」です。
当然ですが、仏法との交換ですから「御布施」僧侶個人の収入ではありません。たぶんこの辺のところに誤解があるか、もしくは最近都会で発生している不心得な葬儀社さん関係のにせ寺院?にせ僧侶的なところのご批判ではないでしょうか?
現在の法律では、偽物を取り締まる法律が無いので坊さんで無い人が坊さんの格好をしているという例も聞いたことがあります。
(葬儀社さんが潰れた寺院を自己の専属の寺院にして坊さんの格好をした変な人がでてくるとか、東京には「葬式法事執行業」の派遣会社があるとか)
この手のものは論外です。一緒にされては困ります。
なお、正式な宗派名を騙って御布施を取ったらお布施詐欺です。迷わず警察に行きましょう。ただし、単純に「浄土真宗」と名乗っただけでは取り締まれません。「浄土真宗本願寺派」とか「真宗大谷派」と名乗って、そうではないときに初めて詐欺にあたります。浄土真宗○○という新興宗教もありますし、正式な宗派名を騙ったのでなければ、現在の法律では取り締まれませんので、難しいですね。
私どもでも「49日からお願いします」と電話をいただく事があります。葬儀はどこのお寺ですか?ときくと、聞いたことの無い寺院名で「葬儀社さんが連れてきた」というケースが増えています。
それと、お寺に入った御布施についても誤解があるようです。
兼業の収入(会社などからの給料)は個人収入です(もちろん源泉徴収で税金払います。)
皆さんからいただく御布施は、僧侶個人の収入ではありません。お寺(宗教法人)の収入です。そして、この宗教法人から住職としての給料をいただきます。この金額は、檀家さんたちの代表者により、お寺の収入に合わせていただきます(これも源泉徴収で所得税がかかります)。もちろん、貧乏な寺では0円という場合もあり、この場合御布施は寺院の維持修繕費にまわり、住職のところには一銭もありません。つまり、住職は、御布施が多かろうと少なかろうと自分の収入には影響がありません。
私の田舎では檀家さんが30人程度に寺院もあり、とても御布施だけでは寺院の維持費(本山賦課金、本堂の維持管理)はまかなえませんので、家族全員が外で働いています。身銭を切ってお寺を維持していますから、当然お寺が無い方が本当は裕福になるはずです。潰すわけに行かないので(場合によっては合併等で廃寺していますが)頑張っているのであります。そんな寺院が半数以上ですから一まとめに浄土真宗の僧侶は・・・というご批判は止めてもらいたいです。

まあ、お寺の本堂などを無くしてしまえばお金はかからないのでしょうが、本堂があるだけで、年間の維持費は300万円から500万円はかかります。それに将来の建て替えや大規模修繕を考えたら寺院収入が年間1000万円有っても住職の生活費までは出ません。私も今ちょうど確定申告書を書いていましたが、寺院からの収入は130万円(税金引く前)です。兼業ですので会社からの収入とあわせて確定申告です。
なお、自己の修学研鑚はもちろん怠らないようにしていますが、毎朝7時の勤行後、会社に行って、帰宅後24時に寝るまでの時間ですから、確かに平日は1日2時間くらいしか時間は有りませんね。でも土日に各地の寺院での法話会で御説教を頼まれる事がありますので、勉強は欠かせません。
少なくとも、親鸞聖人や阿弥陀さまに見られて恥ずかしいような事の無い様には心がけているつもりです。御粗末な人間ですから清廉潔白というわけには行きませんが・・
失礼ですが、あなたは偽物の坊さんしか見たことが無いのではないでしょうか?
南無阿弥陀仏 合掌

この回答への補足

 僧侶になる時には必ず受戒をして僧侶になったのでしょ。
 もし、受戒もせずして僧侶になったと言うものは、僧ではありません。では、それはどのような戒なのでしょうか?
 普通、五戒を破り、恥じることのないような坊主は悪口を言われても仕方が無いでしょ。
 何故、阿弥陀仏なのでしょうか?
 何故、黒衣を着ておられるのでしょうか?

補足日時:2002/02/23 16:13
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/23 16:32

形式的でいえばmizukiーさんが書いておられる通り得度した時点で出家です。


もちろんその得度(出家)の時点で、ちゃんとしたお師匠様についてその弟子となる「得度式」を修行するという大前提があります。
特に昨今では在家僧とかいって、ごく簡単にその人の気持ちだけで僧侶になれるというような案内チラシを出している組織があるようです。(それで現実に葬式や法事、説教までされているそうですが・・・・。)
実質的には出家と在家の違いは同じ仏教徒であるという点では同じです。
ただ出家には上求菩提・下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)と申しまして、自ら菩提心(仏さまを信じて疑いない心)を発して修行をする。そして同時に衆生(生きとし生ける者・悩める者)を救う、教化するという意義があります。
ただodd-artさんの質問はどう見ても現在の出家(僧侶)に対してのご不満がありありと見えます。
同業の僧としては誠に恥ずかしい限りです。
仏教を含め宗教で修行のない宗教はありません。又、修行が無ければエセ宗教です。
もちろんここで書く修行とは、水を頭からかぶったり、険しい山を何日もかけずり回ったり、お堂にこもって何日も経文を唱え続けるような修行だけをいうのではありません。
言い換えればあるお経の中にあるように、自分自身が救われなくとも、一切衆生(自分の回りの他の者)を渡さんと(救おう)と発願して営む(修行、継続)というような事も含まれています。
そうなんです。
仏教は絶対にすべて許される宗教です。
そう信じて疑いなく修行が続けられたらその時点で出家なのです。
多少難しくなってしまいましたがお許しを。
あなたがおっしゃるような事業主坊主やセールスマン坊主、ニセ坊主はほっときましょう。

この回答への補足

「浄土真宗は在家仏教ですので、得度は出家ではありません。ただし男性は一旦剃髪します。」
とありました。これでも、本当に僧なのでしょうか?
出家の意義が全くありません。これでは、偉そうにしている檀家と同じでしょ。違いますか?
問題は、僧面をして、金品をせしめていることにならないのかということです。嘘を付いているんじゃないでしょうか?
どうして、今の僧は妻帯等が許されているのでしょうか?

補足日時:2002/02/23 12:28
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/23 12:45

得度を受けた人のことを僧侶といいます。


かつて勝手に得度して僧侶になった人のことを私度僧と言いました。

言うなれば、きちんとした得度を受けていれば、
何をしていても僧侶になれるということでしょうかね。
ただ、宗派によっては得度を受けるために試験があったりもするようです。

この回答への補足

得度を受ければ、何をしようが、どんな格好をしようが僧なのですね。それじゃ、生臭坊主と変わりません。
ところで、得度とは、何でしょうか?
僧の任務とは何でしょうか?

補足日時:2002/02/23 03:30
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この回答へのお礼

有り難うございました。

お礼日時:2002/02/23 03:35

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坊さん@浄土真宗です。
ご相談の件、どうしなければいけないとか、どうした方が良いという回答はありません。
ただ、しいて違うという点は、お母様の言われる「私は実家に住んでいないのだし、亡くなった主人の法名軸は主人の実家に持っていった方がいいのではないか」というお仏壇への誤解と、法名軸に対する誤解のある考え方です。
法名軸は、通常は締まってあり、法要の際に側面に掛ける事になりますが、普段しまってあるものを過去帳に転記し処分するというのならわかりますし、お寺に返すというのならまだ解ります。ご主人の実家に帰す意味合いは他宗の位牌などとは異なり、単に、自分たちの縁のあった方の名札のようなものですから、位牌などとは意味合いが異なります。
お仏壇は家庭内におけるようにしたミニチュアのお寺の本堂です。
仏教徒ですから、本来毎日お寺に詣でてお参りが出来れば良いのですが、それも出来ませんので、家の中にお寺の本堂と同じ空間を作るのです。ですから、飾付けもミニチュアの仏具でお寺の本堂といっしょです。(小さい分、略しますが)
お寺の本堂と仏壇は、大きさこそことなりますが、宗教的意味合いからは同じものなのです。
ですから、仏壇の中心は御本尊で、特定の親族や先祖を祭るという意味合いは元々ありません。そのミニチュアのお寺の本堂である仏壇に、ご縁のある亡き人がいれば、そのご本尊のおそば近くに、その法名を奉じさせていただくだけです。その意味では、先祖や親族で無くても赤の他人でもご縁のある方の法名を記させていただき、自分が仏法に出会わせていただく縁とすればそれでよいのです。

再婚によって、前夫の痕跡を消したいということでは無いでしょうし、現在のご主人も事情を理解の上でのご縁でしょうし、何よりもお子さんには実父であります。そのままお持ちになりご処分はお子さんに任せるか、最低限法名軸という形態はやめるにしてもご実家の過去帳にだけは記したうえで法名軸を寺に返却が良いと思います。
まあ、亡くなった元のご主人は自分が原因で皆さんを困らすことは本意でありませんので、あなたの都合の良いようにされて良いと言って下さる筈です。
南無阿彌陀佛 合掌

坊さん@浄土真宗です。
ご相談の件、どうしなければいけないとか、どうした方が良いという回答はありません。
ただ、しいて違うという点は、お母様の言われる「私は実家に住んでいないのだし、亡くなった主人の法名軸は主人の実家に持っていった方がいいのではないか」というお仏壇への誤解と、法名軸に対する誤解のある考え方です。
法名軸は、通常は締まってあり、法要の際に側面に掛ける事になりますが、普段しまってあるものを過去帳に転記し処分するというのならわかりますし、お寺に返すというのならま...続きを読む

Q東北地方太平洋沿岸で獲れた魚は危ない?

「東北地方太平洋沿岸で獲れた魚は危ない」と言う人がいます。
しかし、魚はアチコチ泳ぎまわるから、危ないというのなら世界中の魚が危ないのではないですか?

Aベストアンサー

間違いなく危ない。
絶対食べてはだめ。
安全と言ってるのは関係者か火消しの工作員だけ。

Q浄土真宗本願寺派と真宗大谷派

先日、母方の祖母が亡くなり、四十九日までの間、手伝いに行くことになりました。
伯父も伯母も、お寺関係のことは祖母に任せきりだったようで、作法というかマナーをあまり知らないようでした。
これでは、お寺さんに失礼だと思い、質問させていただくことにしました。

祖母の家は真宗大谷派、私の嫁ぎ先は浄土真宗本願寺派です。
まず気になったのは、伯父や伯母がお坊さんのことを「和尚さん」と呼んでいたことです。
本願寺派では、「ごいんげさん」と呼びますが、大谷派は「和尚さん」でいいのでしょか?

その他、大谷派の作法等で気をつける点があれば教えていただけますでしょうか?
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

私は、真宗大谷派に属する門徒です。

まず、お寺さんの呼び方ですが、地域により異なります。
なので、「何も知らなくてお恥ずかしいのですが、どのようにお呼びすれば良いか教えてください」と素直に聞くのが一番良いと思います。決して失礼なことではありません。
ちなみに私の地方では、ご住職(もしくは住職)と呼んでいます。

また作法・マナーについても、ご住職に聞かれるのが一番だと思います。
細かな点については一度では話しきれないかと思います。大谷派の場合は「お内仏のお給仕と心得」という入門書が本山(東本願寺)から出版されています。本願寺派の入門書も西本願寺から出版されています。ご住職によっては、作法・マナーを伺った時に手渡してくれるかも知れません。

しかし最低限のマナーはあります。それは寺に行くときは「念珠」を持参することです。寺に用意されている念珠は、あくまでも忘れた人のためのものです。

念珠の扱いについては、以下の点に注意してください。
・念珠は、念珠袋に入れていき、カバンやポケットに直接入れない。
・畳や床の上に念珠を直に置かない。
・トイレに行くときは、念珠袋にいれてカバンかポケットに入れる。

念珠の形式は、八宗用念珠などの特別な形の念珠は用いません。
「片手念珠」(もしくは「略式念珠」)と呼ばれる念珠が、浄土真宗の正式な念珠です。(女性の場合に限っては、「八寸門徒」と呼ばれる浄土真宗専用の念珠がありますが、形見としてもらってない限り最初から持つ必要ありません。)

浄土真宗で大事な作法は、合掌礼拝・称名念仏です。
尊前で念珠を用いて合掌し、大谷派は「なむあみだぶつ」(「なんまんだぶつ」・「なんまんだぶ」とも称えます)、本願寺派は「なもあみだぶつ」と声に出すのが作法です。
最初は口を動かしているだけのような小さな声で構いません。(参考までに、適切な声の大きさは自分の耳に聞こえる大きさです。)

最後に「教えて!goo」などネットの情報は、浄土真宗の作法やマナーについてかなり間違えて回答されている方が多いので注意してください。

長文になってしまい大変失礼しました。

私は、真宗大谷派に属する門徒です。

まず、お寺さんの呼び方ですが、地域により異なります。
なので、「何も知らなくてお恥ずかしいのですが、どのようにお呼びすれば良いか教えてください」と素直に聞くのが一番良いと思います。決して失礼なことではありません。
ちなみに私の地方では、ご住職(もしくは住職)と呼んでいます。

また作法・マナーについても、ご住職に聞かれるのが一番だと思います。
細かな点については一度では話しきれないかと思います。大谷派の場合は「お内仏のお給仕と心得」という入門...続きを読む

Qこんな本があるのですが、パンは危ないのでしょうか?どうして危ないのか、大丈夫なのか教えて致けないでし

こんな本があるのですが、パンは危ないのでしょうか?どうして危ないのか、大丈夫なのか教えて致けないでしょうか?

Aベストアンサー

ある食べ物が身体にいいという話はよく聞きますが、アメリカの調査結果によれば、
パンは危険な食べ物だということがわかりました。
パン食が増えている日本も他人事ではありません!

その驚愕の事実をご紹介します。

1)犯罪者の98%はパンを食べている

2)パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である

3)暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている

4)パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、
 2日もしないうちにパンを異常にほしがる

5)新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる

6)18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった

7)パンを食べるアメリカ人のほとんどは、重大な科学的事実と無意味な統計の区別がつかない

Q僧侶への謝礼

僧侶への謝礼を渡す際に、のし袋にお布施と書くのが一般的だと思うのですが、
お坊さんからお布施とは書かないと言われたことがあります。
今はお布施とは書かないのでしょうか。
どのような書き方をしたら良いのでしょうか。

Aベストアンサー

仏教で言うところの「布施」には3種類あります。

財施(ざいせ) :お金や衣食などの物資を必要とする人に与えること。
法施(ほうせ) :教えを説き、相手の心に安らぎを与え、精神面でつくすこと。
無畏施(むいせ):恐怖や不安、おびえ、おののきなどを取り除いて安心させること。

この中で、普通に「お布施」と言われているのは「財施」です。

ただ、「与える」ということではなくて、「させていただく」という意味なのですね。
与えることで、自らを捨てるということです。

一般的に、お寺さん関係は「お布施」で良いことになっていますが、そのお坊さんは厳密に解釈しているのではないかと思います。

とすれば、「喜捨」とか「浄施」でしょうか。

「お布施」が間違いではありませんが、「書かない」というのであれば、聞いてみた方が良いでしょうね。

Q原付と自動二輪はどっちが危ない

世間では自動二輪は危ないって言いますよね。
原付も危ないけど自動二輪ほど言われないと思います。

でも自分が実際、原付で走ってみて危険を感じることが一杯です。
自分の右横すぐを車やトラックが通るしねキープレフトしたら道路に段差や砂利、ゴミはあるし、スピード出したらこけそうだし。

法令を守っての走行として原付と自動二輪はどっちが危ないと思いますか?

Aベストアンサー

原付の方が危ないです。
原付は加速力も無く、スピードも出ないので回りの車と速度差があり危険。

二輪車は他の車と一緒のスピードで走れるので安全です。

二輪車の方が確かにスピードは出ますが、ブレーキも原付よりもいいものが付いていますし
何より二輪車を動かすのは人間。
その気になれば原付のペースで走ることも出来ます。
車体も大きいので原付よりは目立ちますからね。

後はライダーの問題・・・。
原付に乗っている大半の人が二輪車の免許を取らずに
原付免許or普通自動車免許で乗っています。
二輪車の免許を取る場合は、教習所でそれなりの練習はさせられるので
危険予測、緊急回避等、二輪持ちで無い原付乗りより有利です。

Q浄土宗と浄土真宗の違い

大きな違いは何でしょうか。

回りには浄土真宗が多数で、我が家のようにお盆の時期に御詠歌というのを身内で集まり仏壇に向かってあげるというのも、話すと驚かれます。

御詠歌の意味合いもお詳しいかたいらっしゃいましたらご教授ください

Aベストアンサー

 法然上人は、浄土宗を完成され、どんな人間でも、念仏を信じ唱えれば、
生きながら仏の子としての生涯を送り、、死後、阿弥陀仏に導かれ浄土に転生し、
成仏の道を歩めると教えてくださいました、

 法然上人の弟子の親鸞上人は、「人が念仏を信じ唱えるのは、自分の力ではなく、
阿弥陀仏の光という絶対他力に導かれ救われたので、念仏を唱えようと思ったときは、既に
死後の成仏を阿弥陀仏に約束され救われているのだ。だから、念仏とは
・阿弥陀仏様、私を救ってください
ではなく
・阿弥陀仏様、私を救ってくださり、ありがとう、永遠に阿弥陀仏様と共に歩んでいきます。
という感謝報恩として唱えるのだ。それが、法然上人が、教えてくれた真の浄土宗
だ」と 浄土真宗を開かれました。



ご詠歌とは、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律=曲に乗せて唱えるもの。
五七調あるいは七五調の詞に曲をつけたものを『和讃』と呼び、ご詠歌の一種ですが、
浄土宗で法然上人ゆかりの御詠歌を唱えるように、
浄土真宗では、親鸞上人作の和讃を仏典に準ずるものとして、唱えます\(^^;)...

 法然上人は、浄土宗を完成され、どんな人間でも、念仏を信じ唱えれば、
生きながら仏の子としての生涯を送り、、死後、阿弥陀仏に導かれ浄土に転生し、
成仏の道を歩めると教えてくださいました、

 法然上人の弟子の親鸞上人は、「人が念仏を信じ唱えるのは、自分の力ではなく、
阿弥陀仏の光という絶対他力に導かれ救われたので、念仏を唱えようと思ったときは、既に
死後の成仏を阿弥陀仏に約束され救われているのだ。だから、念仏とは
・阿弥陀仏様、私を救ってください
ではなく
・阿弥陀仏様、私を救って...続きを読む

Q一人カラオケは危ない?

一人カラオケは危ない!と親が言うのですが、やはり危ないでしょうか。危険な目にあった方っていらっしゃいますか?
時間帯は昼間。真っ昼間です。あ、やっぱり平日の昼より休日の昼の方が安全ですか?

友達と行くより不安なのは分かるんですがヒトカラしてみたくなったので、、、
皆様のご回答お待ちしております。

Aベストアンサー

最近まで某カラオケ店でバイトしてましたが1人で来る人結構いましたよ!危ない目にあったと言う話も聞いた事ありません。思いっきりヒトカラ楽しんできてください!

Q近々、亡くなった父の初盆を迎えます。浄土真宗西本願寺派なのですが、塔婆は必要ないのでしょうか?教えて下さい。

先日、某日用品量販店の店頭にて「塔婆」の存在を知りました。

初盆を迎えるということと法事に参列した経験が少ないということと母から冠婚葬祭について何も教わっていないため、知らないことばかりで不安で仕方がありません。

安芸門徒で初盆を迎えるため、「塔婆(初盆)」とポップに書かれ、表面に「南無阿弥陀仏 月 日 施主」と銀色で書かれたものを独自の判断で購入したのですが、、どこでどのように使用すべきものなのか分かりません。

母に訊いても知らないようで、逆に「訳の分からんものを買ってきて、罰が当たる。」と怒られてしまいました。

罰が当たるかどうかはさておき、どこでどのように使用するものなのかを専門家の方やその道に詳しい方がいらっしゃれば是非お教え願いますでしょうか。

何卒宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

> あちらこちらで売られている上にあちらこちらの墓地で…
> 県全体で間違っている…

#2です。お礼欄について。
『うちのお寺は浄土真宗』(藤井正雄双葉社)によりますと、浄土真宗が他の宗派と異なると特徴として、次のようなことがあげられています。

(1) 自力の念仏と他力の念仏を区別
(2) 在家仏教を貫く
(3) 迷信を排除し、占いや祟りを否定
(4) 戒名ではなく法名といい、位牌を用いない
(5) 焼香の作法
(6) 数珠は礼拝の法具
(7) 施餓鬼を行わない
(8) 板塔婆供養を行わない
(9) お盆のときに精霊棚を安置する習慣がない
(10) 堂舎の特徴として内陣より外陣が広い

真宗には本願寺派(西)、大谷派(東)をはじめ、高田派とか三門徒派などの十派が真宗教団連合を構成しています。教団連合のほかにも、東本願寺派(東京浅草)など、いくつもの派があります。
先に引用した10項目は、あくまでも浄土真宗全般の一般的な習慣を指したものと思われます。分派がたくさんあれば、中には少々違った考えを持つものが現れるのも自然のことと思います。

実は私は、戦国時代以降、真宗王国といわれる北陸地方で、本願寺派なのですが、(4)に反し、位牌はどこの家でも大事にお祀りしています。crazykingさんの地方でも卒塔婆や精霊棚を飾る習慣があるなら、それはそれでよいのではないでしょうか。ただ、お母様がご存じない様子でしたので、先のような回答をさせていただきました。#3,5さんのご意見やお礼欄を拝見して、それぞれの宗派や地域の習慣に従ってくださいと、訂正させていただきます。

8月15日もそろそろお昼ですね。私たちの地方では、お盆のお参りは7月で、しかも(9)のとおり簡素なものでした。この休みはお盆休みというより、終戦記念日の休日のような気がします。

> あちらこちらで売られている上にあちらこちらの墓地で…
> 県全体で間違っている…

#2です。お礼欄について。
『うちのお寺は浄土真宗』(藤井正雄双葉社)によりますと、浄土真宗が他の宗派と異なると特徴として、次のようなことがあげられています。

(1) 自力の念仏と他力の念仏を区別
(2) 在家仏教を貫く
(3) 迷信を排除し、占いや祟りを否定
(4) 戒名ではなく法名といい、位牌を用いない
(5) 焼香の作法
(6) 数珠は礼拝の法具
(7) 施餓鬼を行わない
(8) 板塔婆供養を行わない
(9) お盆のときに...続きを読む


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